第59話「荒涼たる坂東(参)」

 東勝寺とうしょうじは、鎌倉幕府三代執権・北条ほうじょう泰時やすときが、日本における臨済宗の開祖たる栄西の弟子・退耕たいこう行勇ぎょうゆうを招いて開いた寺社である。

 鶴岡つるがおか八幡はちまん宮寺の南東、足利あしかが邸からは滑川なめりがわ沿いに西へ歩いて一刻程度のところにある。鎌倉時代は北条一族の菩提寺として大いに栄えた。

 だが、重茂しげもちたちにとってこの寺は「北条一族自害の地」という印象が強い。


 今から四年前。決起した新田にった義貞よしさだ率いる軍勢は鎌倉に攻め入り、激戦の末鎌倉幕府を滅ぼした。

 そのとき、北条一族は菩提寺である東勝寺に集結し、そこで壮絶な自害を遂げたという。

 生き残ったのは、西国で相見えた恵清えしょうこと北条泰家やすいえ、北条得宗家を継ぐ者たる北条時行ときゆき等、ごく僅かな者たちだけである。


 足利邸を辞去した重茂は、そんな場所へと向かっていた。

 師久もろひさを東勝寺で弔ってもらうよう依頼をしにいくのである。


「申し訳ありません、義兄上。お手数をおかけいたします」

「気にするな。弥四郎のことなら俺にとっても他人事ではない」


 頭を下げる椿つばきを足利邸に残し、重茂は郎党たちを連れて西へ向かっている。


「しかし、そなたは椿についておらずとも良かったのか?」


 重茂は横のあおいに尋ねた。てっきり椿に付き添い続けるものと思っていたが、重茂についてきたのである。


「却って気になるから義姉上は義兄上についていって――と言われたのよ。それもそうかと思って」

「なるほど、気を使わせてしまうことになるか」

「その辺、あの子は割と繊細だから。足利邸なら何人か知己もいるし、私がいなくても大丈夫でしょう」

「出家するという話はどうなったのだ?」

「当面は髪を下ろすだけにしておくそうよ。子どもは五郎殿が引き受けてくれるそうだけど、今はまだ忙しいし世情も物騒だから、しばらくは椿が足利邸で育てることになる」

「そうか。健やかに育ってもらいたいな」


 こうして夫婦でゆっくりと話すのは久々な気がした。

 葵のあけすけな物言いは好き嫌いの分かれるところかもしれないが、重茂は決して嫌いではない。

 むしろ――口にこそ決して出さないが――そういうところこそ、愛すべきところだと思っている。


 やがて、川の対岸に物々しい寺院の姿が見えてきた。

 目的の地、東勝寺である。


「寺社にしてはやけに厳めしい感じがするわね」

「鶴岡と連携して動くための要害の地だからな。再建前からそうだったが、今はもっと物々しくなっている」


 周囲は川や掘で囲まれており、四方は分厚い壁で覆われている。

 武家の館と同等かそれ以上の頑健さを誇る。北条氏が最後に集まったのは、ここが軍事的施設としての機能も持っていたからというのもあるだろう。


 橋を渡り、東勝寺へと向かおうとしたとき、重茂たちはある一団に気づいた。


 東勝寺の外壁の側に、複数人の僧兵らしき者たちが集まっている。

 大半の者は動かず、何かをぐるりと囲んでいる。そのせいでよく見えなかったが、中心部では誰かが対峙しているようだった。


「あれ、どうしたのかしら」

「さて。どうやら東勝寺の僧兵どもらしいが――」


 そのとき、一際高い裂帛の叫びが聞こえると共に、僧兵の囲みの一角が崩れた。

 そこから、なにかに打ち負かされたように僧兵が転がり出てくる。


「――まいった!」


 転がり出てきた僧兵はすぐさま体制を立て直し、手を前に出した。どうやら相手を制しているらしい。

 その対面にいたのは、意外なことにまだ年若い少年だった。

 手にしているのは、稽古用の棒である。ただ、子どもが持つには不相応な大きさだった。大人用のようにも見える。


 そのうち一団の何人かが重茂たちに気づいた。

 こちらに向かって頭を下げてくるので、重茂たちも馬から降りて近づいていく。


「稽古をしていたのか」

「はい。ここもいつまた戦に巻き込まれるか分かりませぬ故、鍛錬は欠かすことができません」

「なにやら、凄い子どもがいるようだ」

「あの子は別格ですよ。大人と同じ得物を振り回し、山野をいつまでも駆け続ける。読み書きもすぐにできるようになった」


 その少年はというと、どこか物足りなさそうに得物を持ったまま立ち尽くしていた。

 大人相手に勝ったという事実も、彼にとっては満足するほどのことではないらしい。


「葵」

「はい」

「俺は中で話をしてくる。そなたは治兵衛じへえたちとここでしばし待っておれ。暇なら稽古に参加させてもらうのも良いかもしれん」

「あら、良いの?」


 葵に問われて、僧兵たちは困惑した表情を浮かべた。

 突如見知らぬ女人が稽古に参加したいと言ってきたら、普通はこういう反応になるだろう。


「今日はこの寺に家族の弔いの相談をしに来た。すまぬが誰か案内をしてはくれぬか」

「なら、拙僧が」


 そう言って、僧兵たちの集団の中から一人の男がひょっこりと出てきた。

 見ると、その男だけは周囲と違って僧兵のような出で立ちをしていない。学僧のようだった。


「ん、おぬしは――」


 そして、その男に重茂は見覚えがあった。

 男は胡散臭さを感じさせる笑みをたたえて、重茂にゆったりとお辞儀をする。


「久しいな、弥五郎殿――否、大和やまと権守ごんのかみ殿と呼ぶべきか」


 僧・妙吉みょうきつ

 かつて重茂が大和で出会った奇妙な男は、僧衣を翻して歩き出した。




 妙吉に案内されて住職に話を通したところ、師久の弔いについては問題なく受け入れられた。

 東勝寺は北条氏の菩提寺だったが、それに縁ある者たちも弔っていた寺でもある。

 北条氏と代々縁戚関係を築き上げてきた足利氏とも関りは深い。

 足利氏に仕える家人の受け入れは、特に問題にはならなかった。


「仮に思うところがあったとしても、再建に力を貸した足利殿の縁者を無碍に扱うことはできないだろうしな」


 やや皮肉じみたコメントをしたのは妙吉である。

 どうやら彼は相変わらずの調子らしい。


「そなたがここにいるとは思わなんだぞ。俺が紹介状を出したのは別の寺社だったではないか」

「あそこの住職は器量が狭い」


 その一言で、なぜ妙吉が紹介した寺にいないのかが分かった。

 自分から飛び出したのか追い出されたのかは分からないが、なにか揉めたに違いない。


 重茂としては面子を潰された格好になるが、今更この男に腹を立てても仕方がないという気がした。

 どのみちそこまで本腰を入れて紹介状を用意したわけではない。先方には軽く詫び状を送っておけば良いだろう。


「ここは居心地が良いのか」

「北条一族が壮絶な最期を遂げた地故か、気の緩みというものも感じない。そこは拙僧好みだ」


 この地で多くの者が、数年前に自害を遂げた。

 そう思うと、確かに生半可な生活は送れないかもしれない。祟られそうな気もしてしまう。


「だが、それ以上に面白い小僧がいる。あやつは見ていて飽きない。武芸一辺倒というわけでもなく、学問もしっかりとやろうとしている。そこが良い。大きなものを目指そうとしている」

「先程の子どもか」

新熊野いまくまのという。どこぞの武家に縁ある子らしくてな。いずれ将軍になりたいなどと言っている」

「……途方もないことを口にする子どもだ」

「だが、夢とばかりは言い切れぬ。大塔宮おおとうのみやの前例もあるしな」


 大塔宮は、後醍醐ごだいご天皇の皇子だが、早々に出家させられて延暦寺えんりゃくじ天台てんだい座主ざすとなった。

 後醍醐が延暦寺への影響力を強めるための措置だったとも取れるが、大塔宮は単に父帝の駒で終わるような性質ではなかった。

 父帝が鎌倉幕府と戦う道を選ぶと、率先して楠木くすのき赤松あかまつといった武士と連携して動き、後醍醐が捕縛されて流罪に処されたのちも孤軍奮闘し続けた。見方によっては、鎌倉幕府を滅ぼしたのは大塔宮であるとも言える。


 その存在感故に、大塔宮は父帝に警戒されるようになり、一旦は将軍の座を得たものの、やがて鎌倉に流された。

 ここからも近い別の寺社に預けられ、そこで命を落とした。それも、この数年のうちの話である。


「大塔宮は皇子という立場故に将軍になられたのだ。一介の武家の子が、それも寺に預けられるような子が将軍になれるとは思わぬがな」

「しかし、本来は一介の武家に過ぎぬ足利殿が今や武家の棟梁になりかねない勢いとも聞く。この御時勢、新熊野の出自次第では、あながち夢物語で終わらぬかもしれぬ。少なくとも、高みを目指そうという気概は持つべきだと拙僧は思うがな」

「――」


 話しているうちに、東勝寺の門に辿り着いた。

 見ると、稽古していた集団は腰を下ろして休憩に入っている。

 新熊野も汗を拭きながら、葵と談笑していた。


「葵。稽古はどうであった」

「あら、もう終わったのね。こっちはもっと稽古してても良かったのだけど」


 葵がそう言うと、僧兵たちは大きく首を横に振った。

 ただ一人、新熊野だけは面白そうに葵を見つめている。


「葵殿、良ければまた来て欲しい。次は勝てるよう鍛えておく」

「はい、私で良ければまたお相手しましょう」


 葵の言葉に満足したのか、新熊野は僧兵たちと共に中へと戻っていく。

 どうやら葵との稽古は、彼にとって充実したものだったらしい。


 妙吉にも改めて別れを告げると、重茂は再び元来た道を戻っていく。


「弥五郎殿?」

「――む?」

「いえ、戻ってきてから顔がこわばっているものだから。弥四郎殿の件、なにか問題でもあったの?」

「……いや。その点は問題ない。快諾してくれた。ただ――」


 大塔宮。

 将軍。

 新熊野。


「妙吉め……なにか知っているのか……?」


 胸中に嫌な予感を抱きつつ、重茂は馬を進めた。

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