第58話「荒涼たる坂東(弐)」
「なるほど、そのようなことが」
鶴岡八幡宮寺から出た
相対しているのは
「ときに家長殿。鶴岡に寄進できるような
「生憎、我らの裁量で寄進できる地はありません」
「やはり厳しいですか」
「すみません。あくまで我らは殿の代理として東国をまとめているだけなので」
千寿王や家長は鎌倉にあって坂東をまとめているが、それは彼ら独自の権威によるものではない。
あくまで、京にいる足利
「となると、やはり殿に連絡をして確認するしかなさそうですな。正直時間がかかりそうで、いささか不安はありますが」
「坂東にいると、京との距離を感じてしまいますね」
「いや、まったく」
尊氏と共に行動しているときは、なにか確認したいことがあっても、その日のうちか翌日頃には回答が得られた。
しかし、今は早くて数日、遅ければ翌月まで待たねばならないこともあった。まず行き来が大変なのである。
「しかし、そうなると土地の寄進以外の方法でどうにかせねばなりませんな。ひとまず皆に声をかけて、建物の復旧に必要な材木を得られないか確認するところから始めようかと思います」
「承知しました。お力になれず申し訳ありません」
「なんの。殿への確認も進めてみます故、なにか分かればまたご報告に参ります」
「そうしていただけると助かります。
考えてみれば、武蔵のことで手一杯だったので、
武蔵よりも奥州に近い
「国に入られて早々、それぞれの武士の手綱をしっかりと握られたようです。
「ほ、ほう?」
いきなり、予想とは違う答えが返ってきた。
思いがけないことに、つい返事が間の抜けたものになる。
「ただ、油断できるような状態でもないそうなので、現在は上野国の実態調査に専念しているそうです。
「そうですか。……さすがは憲顕殿だな」
いささかの悔しさを感じながらも、重茂は何度も「うむ、うむ」と頷いてみせた。
ちなみに、重茂に対して尊氏・直義からの称賛の言葉は届いていない。
未だしっかりとまとめきれているか怪しいのである。無理からぬ話だった。
「では、私は武蔵に戻ろうと思います。もし差し支えなければ、戻る前に千寿王様に挨拶でもしていこうと思うのですが、今はいかがでしょうか」
「ああ、重茂殿。戻るのは少しお待ちいただけないでしょうか」
なぜか引き止めようとしてくる家長。
訳を問い質そうとするよりも早く、庭先から「エエイッ」と鋭い声が聞こえてきた。
どうも、聞き覚えのある声である。
家長と連れ立って庭に顔を出すと、そこには訓練用の小ぶりな木刀を構えた千寿王の姿があった。
そんな千寿王の前に立っているのは、薙刀を構えた女性。その顔は、重茂のよく知っているものだった。
「さあ、千寿王様。構えているだけでは敵は倒せませぬぞ。機を見て打ちかかって来なければ」
「――っ」
女性に促された千寿王が踏み込んでいく。
その瞬間、女性は「エイッ」と鋭い声を上げ、薙刀で千寿王の木刀を弾き飛ばした。
弾き飛ばされた木刀は重茂の顔面間近を飛び越え、鋭い音を立てながら奥の板の間に落ちた。
わずかに溜息をつくと、重茂は「勝負あり」と大声を発した。
そのときになって、ようやく千寿王たちは重茂たちに気づいたらしい。
「家長、
和州というのは重茂のことである。大和権守の官職を得ているため、和州というのが愛称になったらしい。
何度かここを訪れているうちに、いつの間にかそういう風に呼ばれるようになっていた。
小言を口にするせいかそこまで親しみを持たれているような感じはしないが、最初に会ったときよりも信頼されるようになったような気がしている。
「すまぬ。負けてしまった」
「仕方ありませぬ。あの女子は恐ろしき者故。私でも勝てませぬ」
「ちょっと。千寿王様に妙なことを吹き込まないでくださいまし」
薙刀をどすんと立てた女性は、重茂の妻・
不服そうに唇を尖らせる彼女に対し、重茂は怪訝そうな顔を向けた。
「葵。そなたはここでなにをしておるのだ」
「千寿王様の稽古よ」
「なぜ、そんなことを、しているのだ」
頭が痛くなるのを抑えながら重ねて問いかける。
「申し訳ありません、重茂殿。私がお願いしたのです」
答えたのは葵ではない。
別室から様子を眺めていた
重茂は登子の姿に気づくと、慌てて膝をついて頭を下げた。
「これは御方様。無作法なところをお見せして申し訳ありませぬ」
「重茂殿。葵殿は、私の頼みを聞いてくれたのです。薙刀を良くするということを聞いていたので、千寿王の稽古をしていただけぬかと」
「左様でしたか。我が妻がお役に立ったのであれば、なによりでございます」
ちらりと葵の方を見ると、なにやら勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。
なぜそなたがそこで得意げになるのだと言いたくなったが、ここで応酬してもみっともないところを晒すだけである。重茂はぐっと言葉を抑えた。
葵が鎌倉に来たのは椿の付き添いということらしい。
師久の菩提を弔う寺社を探していた椿は、いろいろと考えた末に、鎌倉の寺を選んだのだそうだ。
「本来ならお世話になっていたこともあるので、
「うむ、そうだな」
滝山寺は比叡山延暦寺と同じ天台宗である。
無論、同じ天台宗と言っても滝山寺と比叡山は別物である。
叡山については重茂もいろいろと思うところはあるが、滝山寺に含むところはない。
それでも、天台宗に師久の供養を頼みたいとは思わなかった。少しばかり、心に引っかかるものがある。
「和州は、弟を亡くしたのか」
「はい。少し前、帝や比叡山を敵に回した戦を行い、そこで命を落としました」
「仏は衆生を救うものだと聞いた。だが、そうではないのだな」
師久の顛末は、千寿王にとっていささかショックが大きいものだったらしい。
あまり仏教の実情を知らなかったのだろう。少なくとも日本の寺社は、慈善の心だけで成り立っているような場所ではない。
「千寿王様。我が弟を害したのは仏ではありませぬ。叡山の衆徒と、それと手を組んだ武士です。彼らは我らと同じ人です。人を殺すのは仏ではありませぬ。人なのです」
重茂が言葉を紡ぐと、椿もそれに続いた。
「我が夫・高弥四郎殿は、仏に対し後ろめたいことなどありませぬ。叡山を相手に戦ったのも、やむにやまれぬ事情があってのこと。人は仏敵などと口にするでしょうが、私にとっては誇るべき人でした」
二人の言葉を受けて、千寿王は深く頷いてみせた。
どこまで二人の本意を理解したかは分からない。ただ、千寿王は常に相手の話を理解しようとしている。
こういう気質は、もしかすると得難いものなのかもしれない。近頃重茂はそう思うようになりつつある。
「それで、椿殿はどの寺を選んだのだ」
「はい」
椿は登子や葵に視線を向ける。
二人が頷くのを確認すると、重茂に向き直った。
「五郎殿とも相談しまして、京の立派な禅僧から推挙されたので――
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