第57話「荒涼たる坂東(壱)」

 千寿王せんじゅおうらの住まう鎌倉の足利あしかが邸からいくらか西に行った場所に、鶴岡つるがおか八幡はちまん宮寺は存在している。

 言うまでもなく、坂東随一の存在感を誇る寺社の一角である。


 古の時代、奥州での大戦に源氏の者が勝利した際、京の石清水いわしみず八幡宮寺から勧請したのが始まりとされている。

 元々は別の場所にあったらしいが、後年平家打倒を目指すみなもとの頼朝よりともが現在の場所に移し、初期鎌倉幕府の中心となった。

 それ以来、坂東武者にとって「鶴岡」の名は特別なものになったと言って良い。


 坂東の寺社は戦火に遭ったところも少なくないが、鶴岡八幡宮寺は比較的被害が少ない方だった。

 中心となる鶴岡若宮、そしてそれを取り巻く鶴岡二十五坊は、いささか勢いの衰えを見せつつ、今も威容を示し続けている。


「よくぞ参られた、こうの大和やまと権守ごんのかみ殿」


 重茂しげもちを呼びつけたのは、そんな鶴岡八幡宮寺のトップである若宮別当の頼仲らいちゅうという僧だった。

 小僧に案内されて奥まで通された重茂の前に、頼仲は足取り軽く現れたのである。


「こうして顔を合わせるのはいつ以来かな。あの弥五郎が大和権守とは、えらくなったものだ」

「頼仲殿が言うと嫌味に聞こえるな、別当殿。鶴岡八幡宮寺を取り仕切るのに比べれば、俺など大したことはない」

「これでも苦労が多いのだぞ。御坊の連中は何かあると反発しようとする」


 頼仲は足利の支族である仁木にっき氏の出で、丹波たんば後醍醐ごだいご方に抵抗していた頼章よりあきや九州で奮戦中の義長よしながたちの叔父にあたる。頼章・義長兄弟は遅くに生まれた子のようで、叔父である頼仲は二人よりかなりの高齢だった。もっともかなり若々しく、見た目だけで言うと四十そこそこにしか見えない。

 時折足利家中の若手に教育を施す役を引き受けていたこともあって、重茂や頼章たち世代からすると師匠筋にあたるような存在である。


「そなたはそなたで、せっかく坂東まで来たのにこちらに顔を出しもしない。薄情なことだ」

「遊びで来ているわけではないのだ。自由気ままに過ごせる時間はそう多くない」

「今日こうして来ているではないか。来ようと思えば来れたという証拠であろう」

「口の減らぬ御坊だ」


 頼仲はとにかく弁舌軽やかで話し相手を振り回すようなところがある。

 まともに弁で対抗しようとしても無駄である。重茂は子どもの頃の経験で、それを嫌というほど悟っていた。


「しかし、旧知の間柄とは言え鶴岡若宮の別当が武蔵むさし守護を呼びつけたのだ。なにか用件があるのだろう?」


 鶴岡若宮の別当職といえば、坂東の寺社トップクラスの地位である。

 今の坂東を代表する人物の一人と言って良い。それが武蔵国の武士を取り仕切る守護を呼び出したのだ。単なる雑談ということはないだろう。


「うむ。……もしや驚かせてしまったか?」

「当たり前だ。急に来いと言われて、俺の周囲もざわついていたんだぞ」

「その割にそなたは落ち着いているようだが」

「別当が頼仲殿ということは聞き知っていたのでな。行くしかないのだろうと腹を括ってきた。それだけよ」

「その思い切りの良さ、嫌いではないが、いささか心配にもなるな」


 まあ良いと、頼仲は重茂に手招きをした。

 それに応じて膝を進めると、頼仲は難しい顔を浮かべて声を低くする。


「私は今、この鶴岡八幡宮寺を手中に収めるべく動いている」

「――殿の指示か?」

「正確には直義ただよし殿からの指示であったが、要するに御宗家からの指示ということだ」

「まあ、鶴岡を手中に収めればその影響力は大きなものとなるだろうが」


 坂東の武士から尊崇を受ける鶴岡八幡宮寺を足利氏が手中に収める。

 それは、坂東に足利氏が加護を与える、という印象を持たせるのとほぼ同義だった。

 国守や守護と言っても、あくまで職に応じた権限を行使できるだけで、人々を心から従わせるような効力はない。

 人々を心服させるためには、寺社の力が必要となる。


 足利氏は大勢力でこそあるものの、本来は武家の代表でもなんでもない。

 鎌倉幕府の価値観で言えばあくまで「将軍家に仕える御家人」である。同格の武士は少なからずいた。

 勢力の大きさと惣領・尊氏たかうじの官位によって武家の代表のような顔をしているだけで、他の武家がどこまで心服しているかは分からない。

 そういう問題点を解消するための、鶴岡八幡宮寺掌握である。


「鶴岡は若宮と数多の御坊で構成されている。私は若宮別当だが、それだけでは鶴岡全体を掌握したとは言えぬ。御坊を制していかねば思うようにできんのだ」


 この点は西の興福寺こうふくじと少し似ている。

 中心となる一条院いちじょういん大乗院だいじょういんと、大小様々な付属寺院で構成された興福寺。

 あちらは一条院派・大乗院派といった派閥が形成されていたが、鶴岡の場合はもっと混沌としていた。

 かつては北条ほうじょう氏による影響が強かったのに、それが一掃されたからである。

 往年の秩序は崩壊し、若宮とそれぞれの御坊のトップは自らの勢力を増やさんと暗闘を繰り広げている。


「勢力を得るためには、より多くの味方を作らねばならん。正直なところ鶴岡で味方をこれ以上増やすのは厳しいので、坂東諸国の寺社と関わりを持とうとしているところだ」


 強力な後ろ盾があれば、鶴岡内部でも自派を増やしていくことができる。

 すぐ側に千寿王という強力な味方もいるが、寺社のことであればまず寺社をより多く味方につけた方が良い。


「――で、武蔵国の寺社から要望があってな。復興に力を貸してもらいたいというのだ」

「復興か……。確かに近年戦続きで、寺社も大変なことになっていると聞くが」

「なんだ、そなたは見ておらぬのか」

「寺社のことは寺社でなんとかしてもらいたいというのが正直なところだ。こちらも奥州への備えで余裕がない」

「とは言え、奥州への備えは一段落つきそうなのだろう」


 頼仲はさらりと言うが、重茂は彼に近況報告などまったくしていない。

 少しばかり背筋が冷えるのを感じながら、重茂は若干表情を引きつらせた。


「なぜそれを?」

「言ったであろう、今は味方を作るため各地と繋がりを持とうとしているのだ。必然、私の目はあちこちに向く。そなたの近況も当然目に入る。だからこそ今こうして呼び立てたのだ」


 おそらく頼仲の目となっているのは、彼の配下の僧たちなのだろう。

 僧などそこら中にいるし、様々なところに出向いてもさほど不思議ではない。


「いや、確かに一段落つきそうではある。だがそれはようやく体裁が整うという程度の話で、余裕がないのは本当だ」

「だから支援はできぬと」

「うむ。まことに心苦しい限りだが」


 なるほどと頷きつつ、頼仲は首を傾げる。


「ところで弥五郎。近頃武蔵の寺社が苦しいのは、武家から得られる礼銭が減ったからというのもあるそうでな。どうも依頼の数が激減しているらしい」

「……」

「祈祷の依頼は仕方ない。が、文書作成や葬儀などの依頼も近頃はぱったりと途絶えて非常に困っているそうだ。それをアテにしていた寺社も少なくないのでな」

「い、いや。葬儀については俺は知らぬぞ」

「なるほど。葬儀については、か」


 妙に圧のある頼仲の頷きに、重茂は嫌なものを感じた。

 武蔵武士への読み書きの教育は、隠し立てせず堂々と行っていた。寺社はどうせ何も言ってこないだろうと見込んでいたからだ。

 しかしこうして頼仲を相手にすると、後ろめたさを感じてしまうところもある。


「まあ、読み書きできる者が増えるのは良いことなのだろう。ただそれで寺社が困っているのも確かだ」

「しかしな、頼仲殿。武蔵の武士とて寺社憎しで礼銭を払わぬわけではない。本当に余裕がないのだ。銭もなければ武具もない、農作物とて十分ではない」

「それは分かっている。今この坂東において余裕のある者などおるまい。私とて飯は常に粗食ばかりよ」


 確かに頼仲はあまり贅沢をしているようには見えなかった。

 身に着けている法衣は立派なものだが、やや使い古されているように見える。

 ここに来るまで目にした室内にも、贅を感じられるような代物は一切なかった。


「だが、武家が工夫次第で体裁を整えられたなら寺社についても何らかの方策はあるはずだ。銭がないなら、人をやって寺院の復旧に従事させるという手もあろう。無論、寺院の方もそれに対して報いる形で加持祈禱を行う。そういう互助関係を作り上げることが大事だとは思わぬか」

「……確かに、寺社を復興させれば安堵する者も多い。それは間違いない」


 寺社は武家や百姓の生活と密接なかかわりを持っている。

 それを復興させるというのは、決して寺社側の一方的な我侭ではなかった。

 社会全体のことを考えると、必要不可欠な事業と言っても良い。


「分かった。すぐに回答するのは難しいが、こちらでも寺社の復興については検討させてもらう。それで良いか頼仲殿」

「うむ。ああ、妙案が出なくとも五日に一度は頼りが欲しいな。こういうことは、一度連絡が途絶えるとそのまま風化しかねないところがある」


 抜け目のない人だと、重茂は苦笑いを浮かべた。


「承知した。ただ頼仲殿、これだけは言っておきたい。今は落ち着いているかのように見えるが、事実上まだ戦の最中にあるようなものだ。いざとなれば俺は戦支度の方を優先させてもらう」

「おう、それで良い。復興が成っても、そなたらが負ければその労が水泡に帰すかもしれぬからな」


 頼仲も武家の出だけあって、その辺りは心得ているようだった。

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