第56話「武蔵守護・高重茂(陸)」

 重茂しげもちは、僅かな供回りを連れてある屋敷を訪れていた。

 守護所と見紛うほどの、立派な建物である。

 庭も広く、中で弓馬の稽古もできそうだった。


 門にいた郎党に来訪を告げると、洒落た柄の着物をまとった若者が姿を見せた。

 重茂たちが鎌倉入りした際に出迎えにきた、河越かわごえ直重ただしげである。


「おお、これは大和やまと権守ごんのかみ殿ではないか。今日はどうされた?」

「うむ。先日こちらに参った際は御父君と挨拶が出来ずじまいだったのでな。改めて来たというわけだ」

「ほう」


 直重はなにかを探るような視線を重茂にぶつけてきた。

 実のところ、今日直重の父である高重たかしげが屋敷にいることについては調べがついている。

 ここ数日外出していたのだが、昨日の夜に戻ってきているはずだった。


「丁度良いときに来られた。たまたま父は昨晩戻ってきたばかりでな。しばしお待ちいただけるだろうか」

「うむ、お取次ぎをお願いしたい」


 一旦屋敷に戻る直重の後ろ姿を見送りながら、重茂は傍らにいる治兵衛じへえに笑いかけた。


「どうやら今日は会えるようだ」

「和やかな挨拶で済めば良いですが」

「さあ、それは相手次第だからな」


 重茂としては、事を荒立てるつもりはない。

 ただ、ここ最近のこちらの動向を先方がどう思うかは何とも言えないところがあった。


「大和権守殿」


 治兵衛たちと他愛ない話をしていると、直重が戻ってきた。


「お待たせした。こちらへ」


 直重に先導されていく重茂たちに、屋敷の郎党から視線が注がれる。

 敵視しているわけではないが、歓迎しているわけでもない。妙な緊張感が、屋敷全体を覆っていた。


「これまでご挨拶が遅れたこと、お詫び申し上げる。私が河越次郎高重だ」


 対面した河越高重は、何種類もの草花が描かれた派手な着物をつけていた。

 子息・直重の格好は父の影響によるものらしい。もしかすると、代々派手好みな一族なのかもしれなかった。


「高大和権守重茂だ。よろしく頼む」

「せっかくお越しいただいたのだ、この機会にいろいろとお話を伺っても良いだろうか?」

「無論」


 話題は、昨今の情勢から始まり、武蔵むさし国のこと、河越氏の歴史のことなどに及んだ。

 かつての河越氏の繁栄ぶりは、高重にとって誇りになっているらしい。存外重茂が詳しいと見るや、徐々に口が回るようになっていった。


「左様。頼朝よりとも公は偉大な御方だが、我が祖先への仕打ちについては正直納得しかねているところがある。結局のところあれは兄弟の争いであって、我ら一族は巻き込まれたに過ぎぬのだ」


 源頼朝・義経よしつね兄弟の争いに巻き込まれ、河越氏は当主が殺害されたことがある。

 殺害される原因となった義経にも、誅した頼朝にも、複雑な思いがあるらしい。


「故に我ら一族、縁戚関係については慎重でな。まずは同じ平氏で強い結束を持つことを優先しておる」

「この辺りは平氏の流れを汲む一族が多いですからな」

「左様。しかし、北条ほうじょうが滅んで後、新たに入ってきた者も多い」


 建武政権で抜擢されて、北条氏の所領を獲得した――所謂新参者たちのことである。


「ときに大和権守殿――どうやら近頃、そういった者たちと親しくされておるそうだな」

「うむ。私は武蔵守護として、有事の際はこの国の武士を率いる御役目を任されている。彼ら新参領主は問題が多い故、いろいろと相談に乗っているのだ」

「相談、か」


 高重は重茂の杯に酒を注いだ。

 その目は、先程までとは違う光を放っている。

 闇夜から得物を窺う獣が放つ光だ。


「それは――」

「とは言え」


 高重が口を開いたところに、重茂は言葉を被せた。

 僅かに場の空気が緊張感を増す。しかし重茂は構わず続けた。


「ろくに力になってやれぬ故、こちらとしても難儀している。所領問題を相談されても私にはどうしようもないし、銭や武具の不足を訴えられても皆の分を世話する余力はない」

「しかし、その割に近頃新参領主はいささか身なりが良くなったと聞くが」

「一応、口添えの成果が出たのだろう」

「口添え?」

「わしには難儀している者たちを直接助ける力がない。ゆえに、助けられそうな者を紹介してやったのだ」


 武具に困っている者には、武具が多少余っている者を。

 食料に困っている者には、食料が多少余っている者を。

 銭が足りぬ者には工面できそうな者を。

 無論、互いに対立していないことが前提条件である。


 太田おおた時連ときつらからもらった書状と郎党たちの調査結果を突き合わせ、支援関係が構築できそうなところを一つずつ繋いでいく。

 ここ最近新参領主と親しくしていると高重が評したのは、その様子の話を聞きつけてのことだろう。重茂の期待通りである。


「しかし、それは助ける側が一方的に損をするではないか」

「助ける側も大抵は別のことで困っている。だから礼として、それをなんとかしてくれそうな者を別途紹介するようにしている」


 新参領主たちは皆なにかしら困っている。

 互いの不足を、どうにか補い合えるような関係性を構築する。対立関係にある者同士を避け、問題の少ない者同士を繋いでいく。

 それが、ここ最近重茂が行った対策であった。


「だが、それも限界が来てな。新参領主同士の互助だけでは、さすがに限界が来ている」


 重茂は高重の顔を大きく覗き込んだ。

 悪だくみを楽しむような表情を隠そうともせず、にんまりと笑ってみせる。


「いかがであろう。武蔵国随一の武家である河越氏に、力を貸してもらいたいのだが」

「……我らは別に困っていることなどないが」

「だが、欲しいものはあるのではないか」


 高重は口元をきつく結んで押し黙った。

 否定の言葉はない。それが答えである。


「とはいえ私も殿から武蔵守護を拝命した身。これについてはどうこうできぬ。だが『武蔵平氏の惣領』なら話は別だ」

「――ほう?」


 武蔵平氏は、河越氏を含む、平氏の流れを汲む有力武家のことである。

 現状、明確に惣領――トップといえる家は存在しない。河越氏が優勢ではあるが、惣領といえるほどの強い権限は持ち合わせていないのが実情だった。


「此度我らが備えるべき相手は奥州の北畠きたばたけだ。高重殿も御存知であろうが、奥州勢の勢いは並々ならぬ者がある。無論個々の武勇においては坂東武者こそ第一であろうが、軍としては、まとまらねば勝てぬ」

「それは、確かに」

「しかし、よそ者である私が号令をかけたところで、どこまで皆がまとまるだろうか。否、まとまらぬであろう。ならば、この国の半数をまとめることのできる副将がいる」


 ごくり、と高重が唾を呑んだ。

 重茂の持ち掛けてきた提案が、にわかに現実味を帯びてきたからである。

 重茂には、高重を推挙するだけの理由がある。それも、極めて切実な理由が。


「無論、武蔵平氏の惣領について本来一族ならざる我らがどうこう言うのは筋違いだ。実際に惣領としての力を示すのは高重殿に任せるほかないが、足利あしかががそれを容認しているというのは、河越氏の現状を打破する一つの力になる」

「……」

「ちなみに私は、まだ他の武蔵平氏の当主とは顔を合わせていない。ここだけだ。対面したのは、高重殿だけだ」


 既に河越氏への支援は始まっている。

 重茂の言葉を高重は理解したらしく、やや表情を強張らせた。


「……他の者のところに行く予定は?」

「今はまだない。が、月が変わる頃にはまた状況も変わっているかもしれない」

「分かった。それまでには返答すると約束しよう」


 即答を避けたのは、重茂の言葉の裏を取るためだろう。

 頼朝・義経の対立に巻き込まれて失敗した祖先の二の轍を踏みたくない。

 だからこそ、上手い話には慎重になっている。


 もっとも、その点についても重茂は十分に準備をしていた。

 河越氏からの支援は問題なく得られると見て良い。確かな手ごたえに、重茂はつい悪い笑みを浮かべた。




「大和権守殿には、改めて礼を申さねばなりますまい」


 守護所で対面した山内やまのうち経之つねゆきが、居住まいを正して頭を下げてきた。

 周囲には他の武家の姿もある。彼らも揃って、重茂に頭を下げてくる。


 彼らの側には筆、硯が置いてある。

 先程まで、ここで書き取りの練習をしていたのだ。

 重茂は、彼らが書いた書状の添削をしているところである。


「礼を言われるようなことはしていない。俺はそれぞれの縁を繋いだだけだ。礼を言うなら助けてくれた相手に言うと良い」

「それはもう皆済ませています」

「そうか。ならもうそれで良い。……それより経之殿、ここの書き方が間違っている」

「なんと」


 経之が書いた書状の問題点を指摘すると、重茂は他の武士にも同じように問題点と改善すべきところを説いて回った。


 武具・食料・銭については互助可能な武士だったが、書状の方はそうもいかない。

 一時的に銭を用意して寺社に書状を用意してもらうことは可能だが、書状というのはどれだけ必要になるか読めないものである。

 何度も依頼する必要が出てきた場合、銭がいくらあっても足りなくなってしまう。


 そこで、重茂は読み書きが覚束ない武士の訓練することにした。

 自分である程度文章を読み書きできるようになれば、寺社に謝礼を用意して書状を作ってもらう必要は薄れていく。

 これについては河越氏にも同意を得ている。むしろ「うちのモンにも教えてやってくれ」と、何人かの若者がやって来ていた。

 その中には、河越直重や高坂たかさか氏重うじしげの姿もある。


 そのため、まるで守護所に武蔵国の武士が集まったかのような状況が出来上がっていた。

 河越氏のような有力武家は子息をよこす程度に留まっているが、それでも最初の頃に比べると大きな進歩である。


「しかし大和権守殿。我らにこのようなことをしていては、寺社から咎め立てられないでしょうか」


 そう疑問を口にしたのは高坂氏重である。

 彼は「なぜ今更この場に?」と重茂が思うくらい、読み書きをものにしていた。

 空き時間を使って詩作に励んでもいる。


「寺社に? なぜだ?」

「武士が読み書きできないからこそ、寺社はそれを飯のタネにすることができている。ここで行われていることは、寺社の飯のタネを奪うことにもなるのではありませんか」


 その指摘はもっともだが、重茂はそこまで気にしていなかった。

 書状作成の謝礼は、言ってしまえば寺社の本業ではない。寺社がそこに目くじらを立てるようなことはないだろうと、そう考えている。


「なに、むしろ寺社の手間を減らしてやっているのだ。特に文句を言われるような筋合いではあるまい」


 氏重の懸念を笑って流そうとしたとき、「弥五郎様」と治兵衛が駆け足でやって来た。


「どうした治兵衛、そんなに慌てて」

「は。それが……」


 治兵衛は周囲にいる数多の武士の視線を気にしているようだった。

 が、急ぎの用件ならこの場で早々に聞いた方が良い。


「構わん。どうしたのだ」


 重茂に促され、治兵衛は「それが」と困惑した様子で続けた。


「――鶴岡八幡宮寺から、弥五郎様に話がある故来ていただきたいと、使者が来ております」

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