第51話「武蔵守護・高重茂(壱)」

 京から鎌倉に向かう途中にある、三河みかわ滝山寺たきさんじ

 その側近くにある小さな民家にて、重茂しげもちは腹に重苦しさを感じながら、二人の女性と向き合っていた。

 一人は自らの妻であるあおい。そしてもう一人は、先の戦で討死した弟・高師久もろひさの妻である椿つばきである。


「――最後まで、弥四郎は立派な武士として生き抜いた。俺は、そう思う」


 椿は既に書状で師久の死を知っていた。

 しかし、身近な者が口頭でもしっかりと説明するのが誠意というものだろうと、重茂は改めて事の顛末を語って聞かせたのである。

 重茂の話を聞き終えた椿は、静かに重茂と正面から向き合った。


 普段から寡黙で、口を開けば毒素の濃い言葉が飛び出てくるこの義妹が、重茂はいささか苦手である。

 そんな彼女に旦那の死を報告しなければならないというのは、いかにも気が重かった。


 旦那の死に関してどんな罵詈雑言が飛び出てくるか。

 そう身構えていた重茂に対し、椿はゆっくりと頭を下げた。


「ありがとうございます、義兄上。私が聞きたかったことは、すべて今のお話に含まれておりました」

「……え、そう?」

「はい」


 なおも警戒心を解かない重茂だったが、椿の口から文句が飛び出てくる様子はない。

 これは大丈夫そうだと分かった途端、重茂は逆にこの義妹の様子が心配になってきた。


「椿殿、言いたいことがあれば遠慮なく言ってもらって構わぬ。今日、俺はいかなる怨嗟の言葉をも受け止める覚悟で参ったのだ」

「……」

「さあ、遠慮なく」

「……」


 椿は口を開かない。黙って重茂を見据えるのみである。

 逆にそれが、八十の言葉よりも重みのある怨嗟の表れのように思えてくる。


「貴方に文句を言っても仕方ないって、椿は理解しているのよ。だから何も言わない。あれこれ言わせようとするのは、却って良くないわよ」


 停滞した場を動かしたのは、それまで黙っていた葵だった。

 確かに、重茂の知る椿という女性は、口は悪くとも真実のないことは吐かない性質だった。

 彼女がなにかを悪く言うときは、大抵言われる側に非があるのである。


「――弥四郎殿も武士。戦で討死されるかもしれないという覚悟は、夫婦となる前から持っておりました。武士とはそういうもの。それは私も理解しております。故に、誰かを恨むというようなことはしません」


 椿は聡明な人です。

 かつて得意げにそう語っていた弟の言葉が脳裏をよぎる。

 だが、それは哀しい聡明さである。今の重茂には、そう思えてならない。


「椿殿」

「はい」

「今後、なにか困ったことがあれば俺か葵を遠慮なく頼ってくれ。弥四郎亡くともそなたは我らの身内だ。困ったことがあれば力になろうぞ」


 この場で余計な問答をしても意味がない。

 必要なのは、椿が今一人きりではないということを改めて伝えることだった。


「義兄上、それでは一つお願いしたいことがございます」

「ん?」

「私は近々、弥四郎殿の菩提を弔うべく出家をしたいと考えております」


 それは特別奇異なことではない。

 身内に不幸があったとき、誰かが菩提を弔うというのはそう珍しい話ではなかった。


「どこの寺でというのは義姉上と共に思案しております。ただ、一つ気がかりなのはあの子のことです」


 椿の視線の先には、すやすやと眠る幼子の姿があった。

 師久と椿の子である。


「あの子を武士として育てることに、正直なところ、今はいささかの躊躇いがあります。しかし弥四郎殿はあの子に強き武士となること、自分の跡を継ぐことを期待しておりました。その思いを私の我侭で打ち消すこともできません」

「ふむ」


 武士として身を立てるのであれば、誰か有力な後見人が必要になる。

 出家するということであれば、養育の面でも差しさわりが出てくるだろう。


「武士とするのであれば、まずは五郎の兄上に相談するのが筋であろう。俺も書状を添える故、椿殿も書かれると良い」

「ありがとうございます。義兄上の添え状があれば、私としても安心できます」


 師直もろなおは忙しい身の上ということもあり、椿とはあまり接点がなかった。

 一族のことであればまず師直に相談すべきということは分かっていても、いきなり切り出して良いか不安に思うところがあったのかもしれない。


「五郎殿が難色示すようだったらうちで育てても良いわよ。子どもいないし」

「うちではきちんと身が立つかどうかが心許ないだろう」

「なに言ってんの、大和権守殿。きちんとした官職を持ってて心許ないなんて口にしたら、他の家から嫌味かって言われるわよ」

「それはうちが凄いのではなく、あくまで足利あしかがの御家の凄さよ」

「それって、やっぱりうちも凄いってことにならないのかしら」

「ああ、いや――うん、まあ、そうだな」


 それはどうだろうと重茂は思ったが、これ以上反論するのはやめておいた。

 口喧嘩になると、この妻に勝てた例がない。

 口が回り強情でいざとなると一歩も引かない。そういうところも愛らしいと思う反面、敵に回したくないとも思う。


 困った妻だと常々思う重茂だが、傍から見れば似た者夫婦だった。




「どうしたんだ、重茂殿。なにか元気がないようだが」


 翌日。

 葵・椿に別れを告げて出立した重茂は、どことなく気落ちしているように見えた。

 同行していた直常ただつねが気にして声をかけるくらいである。


「昨日は奥方のところへ行っていたのだろう。久々に会えて意気軒昂となるなら分かるが」

「……いや、我ら夫婦、まだ子どもがおらぬのでな」

「うむ、そうなのか」

「久々に会えたことだしちょっとどうだと声をかけたのだが、義妹のことを考えろ、盛ってる場合かと一喝されてな……」


 嗚呼、と直常が微妙な表情を浮かべる。


「そんな気配を察したのか、義妹は義妹で『別宅に移りましょうか』と気を利かせてきてな」

「気遣いが却って辛いな、それ」

「うむ……。なんだか己の浅慮が恥ずかしくなってきて、どうにも、こう」


 一喝されたことではなく、自己嫌悪で気落ちしている。

 そういうところが重茂らしいと、側で話を聞いていた憲顕のりあきは笑みを漏らした。


「だが、師久殿の奥方が御健勝なようで俺としても少し安堵した。いささか、引け目を感じるところもあったのでな」


 桃井直常は、師久が死んだ戦で同じ陣にいた。

 師久の状況は知らなかったらしく、敵の奇襲を受けて早々に撤退したらしい。

 無理からぬことだと重茂は捉えていたが、本人としては後味の悪さがあるようだった。


「次こそは情けない姿を晒さぬようにせねばならぬ」

「次、か」


 関東に向かう以上、重茂たちの仮想敵は奥州の北畠きたばたけ顕家あきいえ率いる陸奥むつ鎮守府の軍になる。

 先日出会った北畠親房ちかふさの「和睦するのだから戦う理由はない」という言葉は、理屈で言えばその通りだが、現実的なものかと言われるとはなはだ怪しいものがある。


 例え後醍醐が足利と和睦しても、顕家がそれを受け入れるかどうかは別問題だった。

 顕家が後醍醐に忠誠を誓う性格だったとしても、「その和睦は帝の本意にあらず」とみなせば、和睦を無視して仕掛けてくる可能性はある。

 そうでなくとも、顕家の意向を無視して奥州の反足利方が勝手に動き出す可能性も考えられる。足利と後醍醐の和睦は、東国情勢の安定化にさほど寄与しないだろう、というのが重茂たちの共通認識だった。


「今更だが、北畠卿を本当にあのまま伊勢に行かせて良かったのか、重茂殿」


 直常の疑問に、重茂は渋い顔で頷いた。


「捕らえたところでどうしようもない。京に送り届けたところで揉め事を増やすだけだ。少なくとも今現在、北畠卿は反抗の意志を示しておらぬ。帝に従っていただけ。処罰する理由に欠ける」


 名分というものは大事だった。

 まして、親房は重茂たちより高位の公卿である。軽々しく現場の判断で手を出せるような相手ではない。

 親房が堂々たる態度で重茂たちに相対したのは、そういう前提もあってのことである。


「京に連絡は入れておいた故、殿も警戒はされると思うが……」


 憲顕の言うように、彼らはただ親房を黙って見逃したわけではない。

 出会ったその日のうちに、同行者の一人を京に戻らせたのである。

 北畠親房の伊勢入りは、尊氏たかうじ直義ただよしたちも把握していることだろう。


「俺たちは関東のことに集中しよう」


 重茂は、自らの中にある動揺を振り払うように言った。


「東国に向かう我々が西国のことを気にしても仕方がない。まずは坂東静謐。そのことに専念せねば」


 重茂の言葉に憲顕と直常も頷く。

 向かう先は、古来より勇ましき坂東武者たちの割拠するあづまの地。

 舐めてかかれば何が起きるか分からない。


 緊張感を新たに、一行は東へと進み続けた。

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