第52話「武蔵守護・高重茂(弐)」

 三河みかわ国の先、遠き富士の山脈を眺めながら駿河するが国を抜け、伊豆いず国の箱根の坂を越える頃。

 ようやく、彼方にその地が見えてきた。


 源頼朝みなもとのよりともと古の坂東武者が築き上げた夢の都――鎌倉かまくら


 今そこには、足利あしかが尊氏たかうじの子・千寿王せんじゅおうがいる。


「何度来ても、箱根はきつい」

「この天嶮の地があるからこそ、坂東は西国と別天地のような心地がするのかもしれないな」

「なんだおぬしら、だらしないな」


 息も絶え絶えの重茂しげもち憲顕のりあきに比べて、桃井もものい直常ただつねは元気なものだった。

 郎党たちと共に山野を駆け巡り、鍛錬に明け暮れていたからだという。


「鎌倉はもはや目と鼻の先だ。早々に向かうとしようぞ!」


 重茂たちの返事も待たず、直常は自身の郎党を引き連れて駆けていく。

 止める暇などまったくなかった。


「おお、直常殿はお早いことだ。我らも負けぬぞ!」


 その後を勢いよく追いかけていくのは、憲顕の弟・憲藤のりふじである。

 直常ほど余裕があるようには見えなかったが、若さ故に気力が有り余っているのかもしれない。


「ええい、せっかちな奴らめ」

「戦というわけでもなし、一番槍を競う必要もないではないか。我らはのんびりと行こう」


 慌てて追いかけようとする重茂を制するように、憲顕は連れていた馬を撫でた。

 以前憲顕は「戦はどうも性に合わぬ」と口にしていたが、こういう落ち着きようを見ると、存外一軍の大将としての器量を持ち合わせているようにも思えてくる。共に坂東の守護となるこの男に対し、重茂は頼もしさを感じていた。


 憲顕の提案に従ってのんびりと進んでいくと、やがてふくれっ面の直常が見えてきた。

 どうやら重茂たちが追ってこなかったことに気づいたらしい。


「遅い」

「おぬしが早いのだ」

「もっと鍛えた方が良いぞ。我らは坂東へ物見遊山に来たわけではないのだからな」


 一方の憲藤はというと、憲顕にじっと見られて気まずそうな顔をしていた。

 勝手に駆け出したことを怒られると思っていたのかもしれないが、憲顕は何も言わない。

 そういうときの憲顕の方が怖いということを、憲藤はよく理解している。


 そんな折、重茂たちは前方の街道から向かって来る武士団に気が付いた。

 皆揃って武装している。見る者を圧倒するような一団だった。


「あれは、なんだ?」


 警戒の眼差しを向けながら直常が重茂たちに問う。

 武士団が掲げている旗に描かれた家紋に、重茂は見覚えがあった。


「この辺りであれほどの数を揃えられる、あの家紋の家……おそらくだが、河越かわごえ氏・高坂たかさか氏か」

「敵か?」

「分からぬ。いや、聞いた話では千寿王様に仕えているという話だったが」

「なら味方か」

「分からぬと言っておるであろう。立場を鞍替えしたかもしれぬし、河越氏・高坂氏が割れた可能性もある」


 一族のうち片方が足利に味方し、もう片方が足利に敵対する。

 そういう一族内の抗争も今では珍しくない。どこのどの一族かというだけで、安易に敵味方を判断するのは難しかった。


「河越・高坂の両氏はどちらも武蔵むさし国の雄族だな」


 そう言いながら、憲顕は視線を重茂に向けてくる。

 直常も「それなら重茂殿が応対するのが筋だ」などと言ってきた。


 正直、事前連絡もなく威圧するような一団を引き連れてくる相手と相対したくなかったが、今の重茂は武蔵国守護――武蔵国の武士を代表する将という立場である。武蔵国の武士のことは、重茂の管轄だった。


 やむなく先頭に立って一団と向き合う重茂の前に、二人の若者が現れた。

 彼らは重茂の前まで来ると馬を降り、そこで折り目正しく辞儀をした。


「花七宝の御家紋。新たに武蔵守護となられた高大和守やまとのかみ殿とお見受けいたします」

「いかにも。そちらは武蔵国の河越殿、高坂殿で相違ないか」

「はい」


 物々しく派手な鎧をまとった青年が、どこか得意げに頷いてみせた。


「俺は河越直重ただしげ。隣にいるのは高坂氏重うじしげ。先の鎌倉将軍府において関東廂番ひさしばんを務めた河越高重たかしげ・高坂信重のぶしげ殿が子にございます」

「あのお二人の子であったか。話には聞いていた」


 口を開いたのは憲顕だった。


 関東廂番というのは、足利氏が後醍醐ごだいご天皇に従って坂東の統治を任されていた頃、その統治機関である鎌倉将軍府に存在した役職である。足利氏に近しい者や坂東の名族たちが就いていた役職で、そこに名を連ねていたというのは一種のステータスでもあった。

 他ならぬ憲顕も、関東廂番として名を連ねていた一人である。やって来た青年たちの親とは同僚関係にあった。


「しかし、このような軍勢を引き連れて参られたのは、どのような仕儀か」

「御一同をお迎えに参りました。手勢の者を多く引き連れてきたのは、まだこの地に我らの敵がいるかもしれないが故。前もって連絡を入れておけば良かったのですが、御一同が来られると知ったのがつい先日のことでして。まことに申し訳ありませぬ」


 すらすらと事情を説明したのは高坂氏重だった。

 まったく説明に淀みがない。交渉事に長けているタイプなのかもしれなかった。


「敵がいるかもしれぬとのことだが、近頃大きな争いはあったのか?」

「先日上野こうずけ国に執事いえなが殿が出陣されましたが、それ以外は大きな争いはありませぬ。足利殿と帝の和睦の話が効いているのでしょう。ただ、水面下では不審な動きもございます」

「不審な動きとは?」

「はっきりとしたことはまだ言えませぬ。お伝えすべき段になれば、改めてお伝えいたします」


 高坂氏重はきっぱりとそう言い切った。

 誤りであるかどうかの判断は守護にさせず。自分たちで行うという宣言である。

 一筋縄ではいかぬ相手のようだと、重茂は気を引き締め直した。


(今こやつが申した理由などは大方作り事であろう。実際のところの目的は、我らに対する示威か)


 坂東武者は誇りを重んじる。河内源氏の名門・鎌倉幕府有数の御家人である足利氏ならともかく、その家人ごときに顎で使われるのは我慢がならない、というところがあるのだろう。それ故、最初に自分たちの実力を見せておきたかった。そんなところだろう。

 関東廂番について語ったのも、本来は同格であって風下に立つような立場ではないということを言いたかったのかもしれない。当主ではなくその子息をよこしたというのも、そういった自負の表れなのだろう。


 実際、この相模さがみの地まで武蔵の武士団が仰々しくやってくるというのは、相応のインパクトがある。武蔵国の武士ではあるが、周辺諸国への影響力も持ち合わせていることを示すからだ。


「相分かった。しかし、大したものだな。そなたたちが味方だと思うと、まこと頼もしい限りだ」


 ここは相手を乗せておいた方が良いだろう。

 そう思って、重茂は彼らの軍容を大いに褒めた。


 称賛の言葉に、直重と氏重は嬉しそうに相好を崩した。

 誇りを重んじる面倒さがある反面、こういう素直さは坂東武者の美徳なのかもしれない。

 そう思うと、重茂も自然と表情が和らいだ。




 河越・高坂両氏に案内され、一行は鎌倉へと辿り着いた。

 かつて源頼朝と坂東武者が築き上げた夢の都は、鎌倉幕府の滅亡と共に大打撃を受けたものの、少しずつ復興が進んでいた。

 往時とは比べようもないが、それでもかなり都市としての形を取り戻してきている。


 もっとも、まだ世上が平穏になったとは言い難い。

 鎌倉の復興も、都市機能の回復より要害の地としての復旧が優先されているところがあった。


「お待ちしていました、上杉うえすぎ殿、高殿、桃井殿」


 鎌倉に入った三人を出迎えたのは、直重・氏重と同程度の年齢であろう年若い青年だった。

 もっともこの青年は、年若くして奥州総大将・関東執事という大役を尊氏から任されている。


 尾張足利氏の当主、足利高経たかつねの子・家長いえながである。


 重茂たちは年少である家長に対して、恭しく辞儀をした。

 三人と家長とでは家格が違う。主である尊氏に準ずる家柄の家長に対しては、礼を尽くさねばならない。


「若輩者故至らぬ点もあるかと思いますが、どうかよろしくお願いします」


 家長は家格の高さを笠に着るような素振りを微塵も見せず、三人に対しても丁寧に応対した。


「大きな御役目を任されているだけで、私自身は青二才ですよ。だから、頼れる人を師として頼みにする。そうしなければとてもこの大任をこなすことはできません」


 家長はそう言うが、人を頼りながら役目を果たせるというのも一つの才覚である。

 少なくとも、彼は今のところ本宗家である尊氏・直義からの期待に応え続けている。

 家長の謙遜は本音なのかもしれないが、彼という人物をその言葉通りに受け取るべきではない。


 家長に先導されて、三人は鎌倉の道を往く。

 名高き鶴岡八幡宮寺を通り過ぎ、そこから東へと進んだところに、足利氏の邸宅があった。

 ここが、現在の鎌倉の中心である。


 三人は邸宅の大広間に通され、しばし待たされた。


「千寿王様、御成り」


 近習の声が高らかに響く。


 やがて、まだ年若き少年が数名の武士を連れて姿を現した。

 少年が現れると同時に、広間に控えていた重茂たちは一斉に頭を下げる。

 それは、家長ですら例外ではなかった。


 この少年が、今の鎌倉の主。


「足利――千寿王である」


 足利尊氏と北条ほうじょう氏の娘の間に生まれた子・足利千寿王だった。

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