第37話「雲母坂にて(弐)」
建武三年六月七日、早朝。
どこからか鬨の声が聞こえてきた。
眠りを妨げられた
僧兵たちの集団が慌ただしく駆け回っている。
戦の匂いがした。
「恵清殿」
駆け回る僧兵たちの中から、立派な武具を身にまとった男が足を向けてきた。
「敵か」
「ああ。本格的に仕掛けてくるなら大手からと思っていたが、こちらから攻め寄せてきたらしい」
「こちらには軍が通るのに適した道があるのか?」
「ないことはないが、大手ほど展開することはできない。故に少数で大軍を食い止めるのに適した場所と言える」
「少数、か」
恵清や道三がいる西側には、そこまで兵力を回していない。
「実は、先日もこちらで小競り合いはあった。戦というほどのものではなく、犠牲というほどの犠牲も出なかったが」
「帝は兵をくださらなかったのか」
「帝が命じても、こちらに来たがる者が少なかったのだ。全軍を率いる将がいない。皆、己の立場で動こうとする」
「
「湊川で負けた将として侮る者が多い。従う者も多いが、叡山の僧兵や帝の側近からの評価は厳しいものがあるな」
「おぬしもか」
「俺は、気の毒に思っているよ。嫌いではない」
ではな、と言い残して道三は僧兵を率いて出ていった。
一緒に来てくれとは言われなかった。調子が戻ってきたとは言え、戦場で戦い続けられるほどの体力はない。
周囲を見渡すと、どことなく不安そうな面持ちの老僧・学僧の姿が目に入ってくる。
伝教大師・
狭隘な
何か嫌な予感がする。何度か戦を経験してきたが、こういう直感は無視すべきではないと思っていた。
「太郎左殿、四郎左。脇道から回り込んで周囲の様子を探って来てもらえないだろうか」
「脇道?」
太郎左衛門尉
道らしき道などない。鬱蒼とした森林が広がるばかりである。
「弥四郎。まさかおぬし、あの中を突っ切って行けと言うつもりではないだろうな」
「そのつもりで言いました」
「いや、しかしな」
「このまま一直線に進むだけでは不安があるのです。少し軍を展開させておきたい。太郎左殿たちの働きが、全軍を救うことになるかもしれないのです」
「兄上」
そうまで言われては断るに断れない。
師秋と四郎左衛門尉
「相変わらず太郎左は文句が多いな。弥五郎の奴みたいだ」
「そう言うな、次郎。あれで良いところもある」
「お前まで弥五郎みたいなこと言うな」
重成と
今頃は
戦は下手だが、側にいてくれれば心強い。早く戻って合流してくれないものかと思ってしまう。
それからしばらくして、先頭を行く
両者とも、叡山の防衛部隊と遭遇したらしい。
ただ、義盛は苦戦中、直常は問題なしと言ってきている。
「おいおい、どっちの言ってることが本当なんだよ」
「二人の性格の違いというのもあるのだろうが……」
「加えて、直常殿は義盛殿への対抗意識もあるでしょうし、それが報告に反映されている可能性はありますね」
同じ桃井でも、義盛と直常は何代も前に分かれた遠い親戚である。
そのせいか、同族として連携して動こうという意識はない。
むしろ、直常は気の強いところもあってか義盛に対して強い競争意識を持っていた。
義盛以上の手柄を立ててやろうと気が昂っている、ということは十分にあり得る。
「どちらの報告も正しいということもありますし、どのみち増援は出しておいた方が良いでしょう」
「増援と言ってもこの道じゃあな……」
「道ならあるじゃないですか」
そう言って、師久は重成と宗継に両脇の森林を指し示した。
「歩いて進めるならそこは道です。幸い太郎左殿と四郎左の部隊が先行しているので、お二人も合流して敵を包囲してください」
「いや、しかしな」
「おや、次郎。さては文句を言うつもりか?」
「……」
いたずらっぽく言ってくる宗継に、重成は憮然とした表情を浮かべ、渋々頷いてみせた。
僧兵たちは、よく従ってくれていた。
かつて鎌倉幕府を相手に戦ったときなど、配下の者たちは思うように動いてくれなかった。
だから、指揮を執るときはいつも苛立っていたような気がする。
後がないからかもしれない。
目的が単純だからかもしれない。
この地を守る。
それ以外、道三や僧兵たちにできることはないのだ。
こちらは三百程度の軍勢。敵はその何倍もいるのだろう。
道が狭いからか、どうにか膠着状態にはできている。
無論、このままずっとこの状況を維持できるとは思っていない。
既に、帝へ援軍要請を出してもらうよう使者を出していた。
「道三殿も、なかなかやりますなあ」
戦のさなか、
既に老境に差し掛かっている悪僧である。
かつて叡山が鎌倉幕府や他の寺社と揉めた際に暴れ回った経歴の持ち主だが、今は老いさらばえている。
だが、血気に逸る若い僧兵たちを巧みに制御している辺り、往時の姿が垣間見えるようでもあった。
「豪誉、ここはあとどれくらい持つだろうか」
「さて。敵がこのまま正面から攻めてくるだけなら当面は持ちこたえてみせますが――」
「他からも来るか。道らしき道はないが」
「人が歩ける場所なら、どこからでも人は来ます」
「そうか。そういう発想が出てこない辺りが、俺の限界なのかもしれない」
「それが出来る者が側にいれば良いのです。そういう者の言葉を採り上げられれば」
敵の勢いは凄まじいものがあった。
誰かは知らないが、猛将と言うべき相手のようである。屈強な僧兵たちが次々と傷を負っては後ろに下がっていった。
だが、敵軍の負傷者も増えているようだった。次第に勢いが失われていく。豪誉はそれを見越していたのだろう。
「確かに、これなら援軍が来るまでは――」
道三がそう口にしたときだった。
両軍が激突している正面の両脇から、僧兵たち目掛けて矢の雨が浴びせかけられた。
突然の不意打ちに、さすがの僧兵たちも動揺を見せる。
「やれやれ。こうなるとまずいですな」
「これ以上は持たんか」
「撤退するよりほかにありますまい」
「しかし、ここで退けば一気に攻め込まれる恐れがある。……一所懸命の心構えで、俺はここに来たのだ」
後醍醐は叡山東部にいるため、西側から攻め込まれても危害を受ける恐れは少ない。
だが、叡山西部には多くの僧がいる。戦う力などないような者も、少なくない。
「ここで全滅しても、結局皆蹂躙されるばかりです。ここは、少しでも被害を抑えて反撃の機会を作るべきでしょう」
「やむをえない、か」
かつてない高揚感があっただけに、道三の失意は大きかった。
結局、己の力で戦に勝つことはできなかったのだ。
公家としての在り様は父に否定された。
はぐれ者として後醍醐に近侍しつつ、どこか鬱屈としたものを抱えていた。
公家として生きられないならと、武家の真似事をし始めた。だが、それも所詮は真似事に過ぎなかった。
「道三殿、気落ちされるな。わしなど数え切れぬくらいの失敗をした。だからこんなところで老いた身に鞭打って戦ったりなんぞしている。それでもこの人生、悪くはないと思っているのです」
道三は、周囲の僧たちの顔を見た。
俗世から弾き出された悪僧たちは、皆どこか鬱屈としたものを持ちつつ、それを認めて生きている。
道三に対しても、仲間として接してくれる。彼らがいるならば、またやり直す機会もあるだろう。
「……よし。撤退だ!」
道三の言葉に、僧兵たちは「応!」と声を返す。
その景気の良さに、道三の気分も僅かに晴れた。
「怪我人から退け! 動ける者は敵を抑えるのに専念しろ、無茶をしてはなら――」
そこまで言葉を紡いだところで、不意に、道三の声が止まった。
喉元に、矢が突き刺さっている。
両脇の敵兵が放っていた矢ではない。道三は、そこまで前の方には出ていなかった。
矢は、道三たちが撤退しようとしていた方から来たのである。
道三が最期に見たのは、遥か高き地にたなびく、二つ引き紋の旗だった。
「ううむ」
「どうした、兄上」
「おそらくだが、指揮をしていた者を仕留められた。見ろ、敵の動きが一気に鈍くなった」
道三たちの後方――叡山の高地から戦場を見下ろしながら、
時氏の言う通り、敵の防衛部隊は目に見えて崩れつつあった。
「おお、やったではないか兄上!」
「いや、駄目だ」
喜色を浮かべる兼義とは対照的に、時氏は渋い顔をしている。
「あんな僧どもなど討ったところで、誰が誰だか分からぬ。もっと分かりやすい形で戦功を立てねば、ほれ、桃井らに手柄を持っていかれてしまう」
先頭の桃井義盛・直常の隊が敵の僧兵を次々と討ち取っていく。
急がねば、戦功第一は彼らのものになるだろう。
「急ぎここから降りる。矢を射かけるばかりでは分かり難い。直接討ち取るぞ」
「分かった。しかし兄上、仏罰は怖くないのか」
軍議の席での兄の様子を思い出しながら、兼義が疑問を口にする。
しかし、時氏はそれに迷うことなく応えた。
「怖いに決まっておる。しかしそれより手柄よ」
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