第10話「兵粮はいずこ」

 再び京に戻ると宣言した尊氏たかうじたち足利あしかが勢は、多々良浜たたらはまの勝利の勢いに乗ってただちに東上した――というわけではない。

 半端な手勢で戻っても帝の軍勢に返り討ちにされてしまう。そのため、彼らは軍勢招集に全力を注いでいた。


 そんな中、重茂しげもち筑前国ちくぜんのくに夜須郡やすぐんに来ていた。


 夜須郡は大宰府だざいふからそこまで離れておらず、馬を走らせれば一時間前後で行けるような距離にある。

 この辺りは、先日の多々良浜の戦いで敗れ去った秋月あきづき氏の本領でもある。


 秋月氏の残党は夜須郡東部にある堅牢な古処山こしょさんに籠って出てこない。

 単独で大宰府の足利勢とやり合うのは無謀だと考えているようで、今のところ動きは静かなものだった。


「ここは山も程近く、田畑も多くて良さそうな土地だな」


 重茂は正面で頭を下げている男に穏やかな口調で語りかけた。

 もっとも、その穏やかさは親しみから来るものではない。


道月どうげつといったな」

「はっ」


 夜須郡の名主と名乗った男は、雑に剃られた頭をあげた。

 重茂は努めて感情を動かさず、淡々と続ける。


「我ら足利勢は、無理に秋月殿を攻め滅ぼそうとはしておらぬ。むしろ、帝への忠節に感じ入っていると我らが主は言っている」

「それは――」

「妙なことだと思うであろう。帝から逆賊とされたのにと。だが、我が主が逆賊とされたのは奸臣どもの讒言によるものでな。我が主は、今でも帝第一の忠臣という心積もりでいるのだ」


 そう口にしつつ、重茂自身、おかしな話だ――と首をかしげたくなる思いがした。

 そういう建前を掲げるのは分かる。ただ、どうも尊氏は帝への忠誠を捨てきれていない節がある。


 どういう経緯があれど、帝は尊氏を朝敵として認めたのだ。

 元の鞘に収まることなどないだろう、と重茂たちは思っている。

 帝は分かってくれる。そう信じているのは、尊氏だけのようにも見えた。


 道月は「はあ」と曖昧に頷くだけだった。そうするよりほかにないのだろう。


「また、この地に定住するつもりもない。遅かれ早かれ、我らは京に戻る」

「左様でございますか」


 京に戻ると告げたとき、道月の表情に微かな安堵の色が見えた。


「ただ、そのためには軍勢を整える必要がある」

「――何かを差し出せと、そういうお話でしょうか」


 とっくに察していたのだろう。

 道月は控え目な物腰のまま、本題に切り込んできた。


「人と馬と、兵粮ひょうろう。夜須郡全体で、これだけ欲しい」


 重茂は要求をまとめた目録を道月に差し出した。

 道月は恭しくそれを受け取り、「失礼いたします」と内容を確認した。

 一通り内容に目を走らせると、道月はその表情を曇らせる。


「……これは」

「揃えるのが難しいものがあるなら、他のものに替えても良い。ただ、兵粮に関してはそこに記載されている分は必ずいただきたい。応じてくれるのであれば、濫妨らんぼう狼藉ろうぜきを禁じることを約束しよう」


 道月の言葉を封じるように、重茂は要求について補足を入れた。

 この点については、尊氏・直義ただよしとも打ち合わせ済みである。


「足りるかどうかは道月殿のみでは判断も難しいであろう。我々は明後日の正午までこの地で待つ故、それまでにご返答をいただきたい」

「……」


 最後まで、道月は難しい顔をしていた。




 本命は、兵粮だった。

 次いで人。馬は最悪なくとも良い。


 多々良浜の戦いでの大勝の成果か、足利勢の元に集まってくる武士は増えている。

 一色いっしき道猷どうゆう頼行よりゆき兄弟や仁木にっき義長よしながによる菊池氏の追討の効果も大きい。

 九州において、足利は圧倒的有利な立場を築きつつあった。


 ただ、人が集まり過ぎた。

 参集した武士たちはそれぞれ兵粮を持参してはいるが、京までの戦は長丁場になる可能性がある。

 途中で兵粮不足が起きれば、一気に瓦解しかねない。それでは大軍の持ち腐れである。


 今、尊氏は少弐しょうに島津しまづ大友おおともに命じて軍備を整えている。

 だが、それだけで足りるかどうかは分からない。

 そのため、味方の所領以外からも徴収する必要が出てきたのである。


「はたして、あの坊主は素直に応じるかな」

「道月殿が応じるつもりだとして、百姓が応じないということもあり得る」


 重茂たちは、道月の邸宅の側にある民家を借用していた。

 夜、食事の後で懸念を口にしたのは大高だいこう重成しげなりみなみ宗継むねつぐだった。


 大高氏と南氏は重茂たち高一族の親戚筋で、重成・宗継は重茂ら兄弟からすると又従兄弟(親同士が従兄弟)にあたる。また、重成と宗継は従兄弟関係だった。

 三人は、手勢を引き連れて秋月氏の領地から徴収を行うよう命じられている。


「古処山への道は手勢で塞いでおいた。秋月の者どもを呼び寄せて襲い掛かってくることはない。ならば、ゆるりと徴収を進めれば良いだけだ」

「呑気なものだな、弥五郎よ」

「お前はあれこれと気にし過ぎなのだ、次郎」

「お前にそれを言われるのは心外だな」

「まあまあ」


 互いに軽口を叩き合う重茂と次郎重成の間に、宗継が割って入る。

 宗継は重茂たちに酒を注ぐと、杯を静かに掲げてみせた。


「今、あれこれと気にしても仕方があるまい。今宵は程々に飲んで、程良い頃合いに休む。それで良いではないか」

「うむ、そうだな」


 宗継に合わせて重茂が杯を掲げると、重成も渋々といった様子でそれに倣った。


「しかし次郎よ、お前はすっかり調子が戻っているようだな。安心したぞ」

「ん? ああ、あの件か」


 重茂が切り出したのは、多々良浜の戦いで重成が大将である直義から嘲笑された一件である。

 敵の軍勢を見て総大将である尊氏の身を案じた重成は、一旦尊氏のところに引き返そうとした。

 それを見た先鋒の大将である直義は、その心根を潔くないものだと罵ったのである。


「あの件については、俺は今も怒っておるぞ」

「なんだ、まだ引きずっておるのか」

「お前、戦の最中であんなことを言われて水に流せるか? いや、流せるわけがなかろう」

「ううん、まあ、実際に言われれば俺もそうかもしれんな」


 中世武士にとって、面目や名誉というのはとても重い。

 命を惜しむな名こそ惜しめ、という言葉もあるくらいである。


「一度は伊予権守いよのごんのかみにまで任じられた俺が、臆病者だと罵られたのだぞ。河野こうののやつめ、今頃ざまあみろとほくそ笑んでいるに違いない。どんな顔して会えば良いんだ」


 酒が回っているからか、重成は平素よりも口が回るようになっていた。


 重成は鎌倉幕府との戦で、伊予の武士・河野一族の若者を討ち取り武名をあげた。

 その活躍ぶりによるものか、鎌倉幕府を打ち倒した建武政権では伊与権守という官途を得ている。


 ところで、その河野氏は今度尊氏の招集に応じて足利勢に合流することになっている。

 一族の仇である重成とも味方同士になるのだが、重成の醜態を聞きつければ、どんな反応をするのかは想像に難くなかった。


「直義殿は、かっとなると心にもないことを言ってしまうことがある。それは次郎とて分かっていよう」

「分かってはいるが、それをなあなあで済ませられん」


 なだめるような宗継の言葉に、重成は膝を叩いて応じた。


「しかし、直義殿の立場からするとそう気楽に謝罪の言葉を口にすることもできんだろう。内心ではきっと言い過ぎたと思っている。そういう御方だ、あの方は」

「分かっている。しかし、分かっておらぬ奴らもいる。そういう奴らからすれば、俺は臆病者だ。そんな風説に耐えろというのか」

「臆病者ではない。今後の戦で皆にそれを示せば良いではないか」


 重茂と宗継は聞き役に徹していた。

 元々、この席は宗継が重成のストレス発散のために設けようと重茂に提案したものである。


「だいたい、殿も御舎弟殿も――」


 いろいろと溜め込んでいたのだろう。重成は、とても素面では口に出来ないような文句を次々と繰り出す。

 重成の辛さを紛らわせてやろうと決めていた二人は、それを辛抱強く聞き続けたのだった。




「兵粮だけか」

「はい」


 約束の日時、再度訪れた重茂に対する道月の回答は、そういうものだった。


「馬は、差し出せるほどおりませぬ。人も、これ以上減っては今後の生活に支障が出てしまいます。その分、兵粮を差し出しますので、どうかこれでご容赦いただきたく存じます」


 丁寧な言葉遣いだが、道月からは不退転の意志を感じた。

 これ以外の選択肢はない。言外にそう告げているようである。


 この時代の百姓は、領主から一方的に搾取されるだけの存在ではない。

 自分たちが不当な扱いを受けていると感じれば、武器を手に立ち上がる可能性を持っていた。

 重茂が行っているのは、命令ではなく交渉なのである。


「分かった。良かろう」

「乱暴狼藉禁止については――」

「無論、忘れてはおらぬ。兵粮を受け取り次第禁制を記す故、札を持参してくるが良い」


 兵粮は五日のうちに大宰府へ運び込むということになった。

 その間、重茂たちはこの地に残って兵粮調達の様子を確認していくことになる。


「大丈夫か」


 重茂から交渉の結果を聞いた重成は、疑念の眼差しを道月の邸宅に向けた。


「なにか不安でもあるのか」

「いや。何がどう、というわけではないのだが――どうも順調過ぎる気がしてな」


 元々この辺り一帯は敵地である。

 今は足利勢が優位に立っているとは言え、こうも上手くいくものなのか。


 そういう疑念は、重茂の中にもあった。


「警戒はしておこう。道月の邸宅は、交替で見張らせるなりしておけば良い」

「……弥五郎。今更だが、無理矢理奪った方が良くないか? どうせここが我らの領地になるわけでもない。後々困るというようなこともなかろう」

「まあ、それは俺も考えたが」


 今は戦時中であり、ここは敵地である。

 敵の領地にある物資を強奪するのは、常識からそう外れた行いというわけでもない。

 交渉で解決しようという重茂のスタンスは、かなり穏便な方なのである。


「ここで揉め事になって秋月の残党が山から出てきたら、面倒なことになるかもしれん。大宰府の軍勢を動かせば勝つのは難しくないだろうが、今はできるだけ無駄に兵力を損ないたくないのだ」

「……そういうことなら、仕方あるまい」


 重成が不承不承頷く。

 重茂は、遠くに見える古処山を見た。

 頼むから降りてくるなよと、心の中でそう念じながら。




 血相を変えた宗継が重茂たちのところに駈け込んで来たのは、それから三日後のことだった。


「弥五郎、次郎。不味いことになった」

「どうした、そんな慌てて」


 朝の鍛錬を終えて庭で身体を拭いていた重茂と重成に、宗継は早口で告げる。


「逃散だ。各村に派遣していた者たちから連絡があったが、倉に溜め込んでいた兵粮ごと、この辺りの百姓たちが姿を消したらしい」

「――なんだと!?」


 話を聞いた重茂たちは、急ぎ支度を整えて道月の邸宅に向かった。

 表にいたのは、重茂の郎党の治兵衛じへえである。


「治兵衛、道月はいるか」

「私はまだ今日は見ておりませぬが……出かけた様子もないですし、いるのではないでしょうか」


 治兵衛の話を聞き終えるや否や、重茂は勢いよく邸宅の中へと飛び込んだ。


「道月。道月はいるか。話がある!」


 しかし、反応はまったくない。

 家の中を駆け回ったが、道月だけでなく、一緒に暮らしていた家族の姿も見えなくなっていた。


「くそ、どこにもおらん」


 逃散とは、百姓が領地から逃亡することで領主に対抗することをいう。これは絶大な効果を発揮した。

 百姓がいなければ領主としても困る。領地からの徴収がまともに行えなくなってしまうからだ。

 無論、百姓側にも相当な覚悟がなければできない手段だが、道月はこの辺り一帯の百姓と組んでそれを実行に移したのだろう。


「……治兵衛、見張りの兵たちを集めて話を聞いておけ! もしかすると道月――いや、秋月に通じている者たちがいるかもしれん!」

「はっ」


 治兵衛に命じて邸宅から出ると、そこには重成と宗継が待っていた。


「どうする?」


 宗継の問いに、重茂は必死に頭を働かせた。

 道月たちの行方も気になるが、そちらにばかり注意を向けてもいられない。

 重茂たちの目的は、軍備の充足である。そして、この場の責任者は重茂だった。


「兵粮は全部持っていかれたのか?」

「いや、一部だけだ。残っているものもある」

「なら、それらだけでも確保するぞ。動かせる手勢は各村に散って、急ぎ兵粮を大宰府まで運ぶのだ」

「やはり、そうするしかないか」


 本来、重茂たちの手勢は兵粮が円滑に大宰府に運ばれるよう運搬警固にあてるつもりで連れてきている。

 彼ら自身が運搬を行うとなれば、道中敵の奇襲を受けたときのリスクが大幅に跳ね上がってしまう。


 しかし、今はそれでもやるしかない。

 手ぶらで大宰府に戻るのは、最悪の選択肢だった。

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