第11話「猶子」

 室内は重苦しい雰囲気に包まれている。

 深く頭を下げる重茂しげもちと、その両脇に控える大高だいこう重成しげなりみなみ宗継むねつぐ

 彼らに対座する形で話を聞いているのは、重茂の兄である高師直こうのもろなおだった。


「――話は分かった。確保できた兵粮は、これだけということだな」


 師直の手には、重茂が書き上げた兵粮の目録があった。

 どこの村からどの程度調達したのか。それは記録として残しておかねば管理ができない。

 しかし、そこに記された兵粮の数は、当初想定していた分の一割しかなかった。


「此度の一件、責任はすべて俺にあります。まことに面目次第もございません」

「そうだな」


 師直は深謝する弟を励ますでもなく、いくつかの書を見比べていた。

 重茂たちとしては、ただじっと堪えるしかない。


 どれくらい、その重苦しい沈黙が続いただろうか。

 師直は「ふむ」と頷くと、重茂たちに静かな眼差しを向けた。


「弥五郎。そなたらはもう下がって良いぞ」

「は?」

「聴こえなかったのか? 下がって良い。殿と御舎弟殿には俺から報告しておく」

「……」


 師直に申し出に、重茂はしばらく動きを止めた。

 素直に従うべきか、迷いがあったのだ。


「……しかし兄上。これは俺の失態です。俺も同席してお詫び申し上げねば」

「面目次第もないのであろう。そう思うならしばらく殿たちの前に出るのは控えておけ。無理をしても仕方あるまい」

「確かに、そうは申しましたが」

「他のところで調達した兵粮と調整すればどうにか帳尻は合わせられる」


 そう言って師直は、重茂の前に先程見比べていた書を差し出した。

 そこには、重茂たち以外が獲得してきた兵粮についてまとめられている。


 物資調達については、大友おおとも氏がかなり頑張ったらしい。

 想定以上の量を調達してきたようで、これなら重茂たちの失態分も埋めることができそうだった。


「無論お前の失態がなかったことになるわけではないが、全体としては問題ない。ならば、お前の謝罪のために殿や御舎弟殿の手を煩わせても意味はなかろう。俺から簡単に報告しておく。汚名返上は別の働きをもって成し遂げよ」


 師直の真意は分からないが、その言葉は重茂の心を抉った。

 尊氏たちに謝罪したいというのは重茂の自己満足でしかない。

 本当に悪いと思っているなら、相応の働きをしてみせよ。

 重茂は、師直の言葉をそう捉えたのである。


「ともかく、苦労であった。今は下がって休め。次の仕事については殿と相談してから追って伝える」

「――兄上」


 悔しさを押し殺して、重茂は僅かに膝を進ませた。


「殿に報告するなら、こう添えておいてくれ。大高重成は高重茂の方針に異見を唱えていた。力ずくで物資を奪取する。彼の案を呑んでいればこうはならなかっただろう、とな」


 重茂の進言に、重成が「おい」と口を挟んだ。


「俺に恩でも着せるつもりか、弥五郎。そういう余計な真似は要らんぞ」

「恩を着せるも何も、事実を言っているだけだ。お前は事実俺のやり方に反対していただろう。それを正しく伝えず、俺の失態の巻き添えを喰えば、お前に恨まれるではないか。俺はそれが嫌なだけだ」


 これ以上話すことはない。

 それを示すかのように重茂は立ち上がり、「ではお言葉通り、俺はこれで下がらせていただきます」と踵を返した。


「弥五郎」


 そんな重茂を後ろから呼び止めたのは、師直だった。


「夜は父上の宿所に来い。内向きのことで話がある」

「――承知」


 振り返らず、短い返事だけを残して、重茂は足早にその場を離れる。

 怒っているのではない。居たたまれないが故の行動だった。




「俺は、なにが駄目なんだろうな。治兵衛じへえよ」


 自らの宿所の庭先で、重茂は汗を拭いながらぼやいていた。

 気晴らしにと弓の鍛錬を行っていたが、まったく気分は変わらない。


 矢を抱えながら、治兵衛は「そうですなあ」と考え込む。

 この家人は、重茂が幼い頃から側で仕えてきた。ある意味では、もう一人の親とも言える存在である。

 弱ったとき、本音を漏らせるのはこの治兵衛くらいのものだった。


「そうやって考え過ぎるところですかな。うじうじといつまでも引きずる。もう少しさっぱりとした気風を持たれた方が良い」

「相変わらず声も態度もでかいな、お前は」

「なにを言われるか。聞かれたから答えたまでですぞ」


 治兵衛からすると重茂は主筋に当たるのだが、必要以上におもねるような素振りは一度も見せたことがない。必要最低限の敬意は払うが、それだけである。


「此度のことも気にするなと?」

「反省はされたのでしょう。ならば次に活かせば良い。他に何ができますか」

「確かに何もできん。だがな、できんのが歯がゆいのだ」

「弥五郎様は理屈っぽい割に、感情の波が大きゅうございますな。一度仏門に入って修行されてみては?」

「そうだな。その方が良いのかもしれん」


 縁側に腰を下ろして、重茂は遠くの空を見上げた。

 空の広さを感じると、自分がちっぽけな存在だということを否応なく思い知らされる。


「弥五郎様は、先代様に随分と期待をかけられてましたからな。一旦それを忘れるため、俗世から離れた方が楽になれるかもしれませぬ。その際はこの治兵衛もお供しましょう」

「いらん。お前の顔を見たら家のことを思い出してしまうではないか」


 どうせ離れるなら、俗世の関係者との縁はすっぱり切るくらいでなければ意味がない。

 だが、本当に切れるのか――という懸念もある。


「俺が期待をかけられていたのはな、治兵衛。五郎兄上に何かがあったときの備えなのだ」

「備え……でございますか」

「ああ。上の兄上二人を続けて亡くされたからな。一人だけ育てようとしても不安があったのだろう」


 四郎師泰は、執事として育てるには年を重ね過ぎていた。

 弥四郎師久は、まだ幼かった。また、三人に教えを授ける余裕はなかったのだろう。


「だから俺は、五郎兄上と共に父から教えを受けた。同じことをできるようになれと言われながら育った」


 兄・五郎師直の顔を思い浮かべる。

 平時・戦時問わず、動じるということがなく、常に冷静沈着な態度で隙のない振る舞いをする。

 とっつきにくさはあれど、その仕事振りに疑問を抱く者はいない。


「昔は良かった。家中での仕事だけなら、俺とて兄上と同じことができた。いや、学びさえすれば誰でもできただろう。すべきことは決まっている。その決まり事に則って働けば良い。それだけなのだからな」


 だが、今は平時ではない。戦乱の世だ。

 重茂のようにルールを遵守して働く者にとっては、生きにくい世になってしまった。


「俺は兄上のようにはなれん。代わりにはなれん。と言って、戦働きも満足にできん。四郎兄上や弥四郎のようにもなれん。どっちつかずの役立たずだ。他の誰でもない、俺自身がそう思うのだ」


 肩を落とす重茂に、治兵衛は「そうですなあ」と頷いてみせた。

 そんなことはない、と励ますようなことはしない。

 そう言っても今の重茂にとっては無意味だと、この長年の従者は理解している。


「弥五郎様。正直申し上げますと、私にもどうするのが良いかは分かりませぬ」

「そうか」

「分かりませぬ故、分かるようになるまで弥五郎様にお付き合いいたしましょう」


 治兵衛も良い年だ。そろそろ隠居してもおかしくない。

 だが、今しばらくは付き合うという。そのなんでもない言葉が、今の重茂にはありがたかった。




 夜半、師重もろしげの宿所に集まったのは師泰もろやす・師直・重茂・師久もろひさの四名のみだった。

 重成や宗継といった親戚筋や、治兵衛たち家人の姿は見えない。本当に内々の話のようだった。


「何の話でしょうか、兄上」

「さあ、俺は聞いていないな。お前は?」

「私もさっぱり」


 雑談を交わしながら、重茂と師久はちらちらと師直を見た。

 ここに来るよう伝えてきたのは師直である。なにか知っているのではないかと思ったが、師直はというと、目を閉じたままじっと師重の到着を待っていた。


 師泰は、どこか退屈そうに耳垢をほじりだしている。


「待たせたな」


 兄弟四人が集まってからしばらく経った頃、父・師重が姿を見せた。


「いかがでございましたか」

「ああ、殿も異論はないとの仰せであった。良い話だと言っておられたぞ」


 師直の問いかけに応じながら腰を下ろすと、師重は一同を見渡した。

 親子だからそう思ってしまうのかもしれないが、上座からの師重の視線は、どうにも圧のようなものを感じてしまう。失態を犯したばかりということもあって、重茂はどこか居心地の悪さを感じていた。


「今日はそなたら兄弟と、我が一族にかかわることで話がある。なに、そこまで大事ではない」

「縁組かなにかですかな」

「そんなところだ」


 師泰の問いかけに頷いて、師重はじっと師久を見た。


「――弥四郎。そなたは今日より五郎の猶子ゆうしとなれ」

「……え?」


 突然の宣告に、思わず弥四郎師久は間の抜けた声を上げてしまう。


 驚いているのは師久だけではない。

 重茂も、頭の中が真っ白になるような衝撃を受けていた。


「今、我らが高一族の惣領は五郎となっている。しかし五郎にはまだ子がなく、その上我らは戦乱の中に身を置いている。五郎に何かあったときのための備えとして猶子を決めておくべきだと思っていたが、決め切れぬまま今日まで延ばしてしまった」


 猶子は「実子同然である」という義理の親子関係を築くことをいう。

 尊氏も、九州の大族である大友氏を味方につけるため、幼少の当主を猶子としていた。


 ただ、猶子の意味合いは場合によって異なってくる。正式な親子関係となって相続にも影響が生じるような養子同然のケースもあれば、単なる後見役というケースもある。他氏族との関係強化を目的とするものもあれば、同族間で名代となるような者を猶子にすることもあった。


 師直・師久の場合、師久を師直の名代とするような意味合いらしい。

 戦乱が続くようなご時世である。子がいない惣領が討死したときに備えて、兄弟の中の有力な者を猶子とすることは、さほど珍しいことではなかった。


「……一つ聞いておきますが、なぜ弥四郎と決まったので?」


 ほんの一瞬だけ重茂に視線を向けた師泰が、師重に問いを発した。


「武功については言うまでもなく、文の道においても近頃は成長著しいと聞いている。更に言えば子がいる。万一、五郎・弥四郎が共に討死したとしても、お前と弥五郎でその子らを盛り立てていけば良い」


 この兄弟は、四人とも既に妻帯者である。

 しかし、そのうち子が生まれているのは師泰と師久だけだった。


「なるほど、道理ですな」

「不服か、四郎」

「いいえ。わしには不服も何もありませぬよ。ただ、確認しただけです」


 師泰はどこか皮肉めいた笑みを浮かべたが、師重はそれを黙殺した。

 この二人のこういう関係性は、今に始まったことではない。


「弥五郎はどうだ」

「……は」

「異論はあるか」


 異論もなにもあったものではない。


 師直になにかあったときの備え。それは重茂の役目のはずだった。

 そうあるべきだと重茂に叩き込んだのは父である。

 重荷だった。しかし父のいうことだからと耐えてきた。


(全部無駄だったのか。俺の、これまでは)


 馬鹿にするなと吼えたい衝動に駆られる。

 しかし、一方でそんな自分を冷めた目で見つめるもう一人の重茂もいた。


(要するに、俺は兄上の備えにはなれなかったのだ)


 役立たずと、自らそう評したではないか。そう何かが脳裏で囁いた。


「異論は、ありませぬ」


 出たのは賛同の言葉だった。

 口にしてみると、少し楽になったような気がする。


 突然のことに戸惑う師久を見て、重茂は笑みを浮かべた。

 この弟であれば仕方あるまい。そういう思いがある。


「しっかりせぬか、弥四郎。そのようなことで兄上の名代は務まらぬぞ」

「は、はあ。いや、あまりのことに頭が追いつかず……」

「頼りないことを言うでないわ。支えるこちらとしてもやりにくい」


 重茂の反応を見て、師重は大きく息を吐いた。


「ささやかだが、祝いのための馳走を用意した。男ばかりでむさ苦しいが、久々に身内だけで飲もうではないか」


 師重の言葉を皮切りに、膳が運ばれてくる。

 戦乱の真っ只中だということを考慮すると、なかなかに豪華なものが取り揃えられていた。

 師重なりに、息子たちへの労いの意図を込めているのだろう。


 身内だけということもあってか、食事の席は穏やかなものだった。

 誰かが踊り始めるわけでもなく、酔っ払った誰かが騒ぎを起こすわけでもない。

 こういう席も、重茂は嫌いではなかった。


 ただ、その晩食べたものがなにか、重茂はどうしても思い出すことができなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る