第9話「再起を告げる」

 建武けんむ三年、三月四日。

 世に言う多々良浜たたらはまの戦いの二日後、足利あしかが尊氏たかうじは多くの武士を引き連れて、大宰府に辿り着いた。


 帝の政権から離反して京を一時占拠したときに比べると、軍勢の規模は小さくなっている。

 しかし、九州に落ち延びて菊池きくちの大軍に襲われたときのことを思うと、重茂しげもちはこれだけ人が集まったのが奇跡のようにも思えてくる。


 大宰府の直義ただよしは、兄を笑顔で出迎えた。


「兄上。よくぞ御無事で」

「直義――」


 二人は感極まったように抱擁を交わした。

 兄弟揃って再会できたのも、神仏の加護によるものと思えてくる。

 菊池の大軍相手に突撃を敢行した直義など、あの戦いで命を落としてもおかしくはなかった。


 足利の総大将とその弟が再会を喜び合う中、重茂たち高一族の兄弟も二日ぶりに勢揃いを果たしていた。


「五郎兄上、弥四郎。ご苦労様でした」


 重茂が声をかけると、五郎師直もろなおは「そなたも苦労であったな」と頷き返した。

 弥四郎師久もろひさは「これでもう箱崎と大宰府を往復しなくて済みます」などと笑っている。


「五郎には昼餉のあとの軍議について、少し話しておきたいことがある。飯を食いながら話そう」


 再会の挨拶もそこそこにそう切り出したのは、長兄・四郎師泰もろやすだった。


「では、父上もお呼びしましょうか」

「いらんいらん、親父殿を混ぜると話が面倒臭くなる。もう執事の職も五郎に譲ったのだ、親父殿は御隠居らしく適当にお過ごしいただけば良い」


 師久の提案を一蹴する師泰に、重茂と師直も頷いた。

 父・師重もろしげは高一族の古くからの被官に囲まれて何かを話している。

 重茂たちのことを気にしている素振りはなかった。


「兄弟忌憚なく話し合うなら、兄弟だけの方がやりやすい」


 兄弟の代表格である師直の言葉に、師久も遠慮がちに頷いた。




 昼餉のあとから、重茂たちは大忙しだった。

 尊氏の到着に合わせて奉行所を開くことになり、着到の確認、そして軍功の確認をしなければならなくなったからである。


 着到確認は自分たちの軍勢の規模を確認したり、近辺の諸勢力の敵味方を判別するために必要な仕事だが、それにも増して重要なのが軍功の確認だった。


「白石彦太郎。こちらが軍忠状にございます」


 奉行所にやって来た武士は、自身の名を名乗り、自らの軍功について記した軍忠状という書類を提出する。

 重茂たち奉行は、その内容を確認し、武士たちの軍功の妥当性を判断しなければならなかった。


 武士たちは手柄欲しさに軍功を盛ることもあるし、記憶違いや誤認によって誤った報告をすることもある。相手の言うことを鵜呑みにしては恩賞を過剰に与えることになるし、ケチをつけて軍功を減らせば武士の心が離れていく。

 軍功確認を誤れば、味方が減るどころか敵に転じる恐れすらある。そういう意味では、この軍功確認は「味方を相手にする第二の戦」とも言える仕事だった。


「……白石殿」

「はっ」


 提出された軍忠状を見て、重茂は苦い表情を浮かべた。


「申し訳ないが、この軍忠状、よく読めませぬ」

「……やはりそうでしたか! 頑張って書いたのですが」


 白石は照れ臭そうに笑ってみせた。

 この時期、文書作成は誰にでもできることではなかった。ある程度の教養が求められるため、自力で文書を作成しようとしても、出来が悪くなってしまうということも多い。簡単な読み書きができるとしても、公文書作成はまた違った技術が必要となる。


「誰かに頼めなかったのですか」

「いやはや、故郷であれば知己の坊主に頼んでいたところなのですが。生憎、こちらには知り合いがおりませんでして」

「……では口頭で報告をお頼みします。文書はこちらでしたためますので」


 文書作成のプロフェッショナルと言えば、この時期は公家、寺社関係者、そして重茂たちのような文書を扱うことを生業とする一部の武士である。文書作成を不得手とする者たちは、こういったプロに依頼して文書をしたためることもあった。


「――以上が、此度こたびの戦におけるそれがしの働きにございます」

「……ふむ」


 白石の報告を受けて、重茂は白石の後ろに控える彼の郎党ろうとうたちの様子を見た。

 皆、自らの身体に残る傷跡を見せつけてくる。戦で傷を負うことも、軍功の一つになるのだ。


「そこの者」


 重茂に指し示された郎党の男は、僅かに表情を強張らせた。


「その腕の怪我は、前も見た覚えがある。京の戦で負ったものではないか?」

「へ、へえ」

「そのときの軍功については、前に取り上げているぞ」

「そうでございましたか?」

「ああ。足の方は今回初めて見るな。そちらは今回の軍功として認めよう。腕の怪我について不審があるようなら、白石殿に発行した過去の軍忠状を確認してみると良い」

「しょ、承知しました」


 更に、重茂は白石が討ち取ったという武士の首を確認した。


(臭っ)


 近づいた途端、思わず鼻をつまんでしまう。

 戦から少し時間が経過しているということもあり、嫌な臭いが漂い始めている。

 あまり見たいものでもないし嗅ぎたい臭いでもなかったが、仕事なので正面から向き合って確認するしかない。


「……確かに、申告の通り首二つ。素性は分からないのですな?」

「ええ。身に着けていたものからすると、大将とかではないと思いますがね」

「素性の確認までは不要ということでよろしいのですな」

「異存ありません」


 ほっとしながら、重茂は首から顔を離して鼻を開放させた。

 どことなく、まだ鼻腔に臭いが残っているような気がしてしまう。


 こうした地道な作業を一つ一つこなしていくのが軍功確認の仕事である。

 これを疎かにすれば、例えばこの白石なども、不満を持って帝の方に寝返る可能性があった。


「では、此度の確認はここまでとします。このあと大将にも確認を取り、改めて軍忠状の発行の是非を決めることになりますので、しばしお待ちいただきたいと存じます」

「承知しました。よろしくお頼みします」


 退出する白石たちの背中を見送って、重茂は溜息をついた。

 白石一人でおそろしく疲れたが、軍功の申請をしようとしてきている武士は他にも大勢いる。


 これを重茂だけで捌き切れるはずもなく、奉行所では他に師久や上杉うえすぎ憲顕のりあき重能しげよしたちも奮闘していた。

 ちらりと隣の区画にいる師久の様子を見ると、多少不慣れ故に危なっかしいところもあったが、思っていたよりは真っ当に奉行としての任をこなしている。


「なんだ、できているではないか」


 この分なら今日中に一段落つくかもしれない。

 そう安心する反面、数少ない自分の得意分野を弟が越えていかないかという不安が重茂の胸中に生じるのだった。




 夕刻。

 仕事を一通り終えて、着到帳ちゃくとうちょう・軍忠状をまとめた重茂たちは、尊氏たちが待つ部屋を訪れていた。


「――うむ。皆、苦労であった。期待していた通りの集まり様じゃ」


 着到帳に一通り目を通した尊氏は、満足そうに頷いてみせた。


「では、予定通りになさいますか」

「ああ。動くなら早い方が良い。――道猷どうゆう頼行よりゆき義長よしなが


 直義の問いに応えた尊氏は、部屋に控えていた一色いっしき道猷らを呼んだ。

 三人が尊氏・直義兄弟の前に並ぶと、尊氏は手にしていた着到帳のうち二つ――重茂と上杉憲顕がまとめたものを三人に示してみせた。


「ここに記載されている者たちを引き連れて、菊池・阿蘇あそ等の残党を追ってくれ。あまり間を置くと奴らも力を取り戻すかもしれぬ。急ぎ、頼むぞ」

「ははっ!」


 尊氏の言葉に、仁木にっき義長は勢いよく応じ、一色道猷・頼行兄弟は静かに頭を垂れた。


「その間、我らはこの地において兵を集める。重茂・憲顕の両名を奉行の責任者とする故、手抜かりなく仕事に励むように」

「ははっ」


 内心やや辟易としつつ、重茂は頭を下げた。憲顕も表情を引き締めている。


「殿。兵を集め、その後はいかがなさいます」


 上杉重能に尋ねられて、尊氏は不敵に笑ってみせた。


「決まっておろう、重能。――上洛よ」


 上洛。

 それを聞いて、居合わせた諸将の表情がさっと変わった。


 京から追いやられ、九州まで落ち延び、逆賊の汚名を着せられた。

 しかし、それで終わるつもりなど毛頭ない。そのことを、はっきりと尊氏は口にしたのである。


「京に戻り、足利の名誉を回復する。わしは足利をかつての平家の如く滅ぼすつもりはない。再び返り咲き、天下静謐のための柱となろう」


 昼餉の折、重茂と師久はこの大方針を師泰から既に聞いていた。

 だが、それでも尊氏の口から聞かされると、改めて身体が打ち震えるような思いに駆られる。


 足利勢を破竹の勢いで駆逐した奥州おうしゅう北畠きたばたけ親房ちかふさ顕家あきいえ親子。

 卓越した戦略眼で帝を支える河内かわち楠木くすのき正成まさしげ正季まさすえ兄弟。

 そして、足利と同じ祖を持つ新田にった義貞よしさだ脇屋わきや義助よしすけ兄弟。


 足利が返り咲くために倒さねばならぬ敵は数多く、そして手強い。

 それでも、重茂たちの中に不安はなかった。


(そうだ。我らは――ここから再起する)


 足利一門が力を合わせればできないことはない。

 その確信が、重茂たちの中に芽生えつつあった。

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