第8話「弟たちの目指すもの」
かつて
そこが、
「――という次第にございます」
事の次第を説明し終えた
勝手に兵を動かすことを決したのだ。叱責が飛んでくるかもしれない。
そんな重茂の警戒は、杞憂だったらしい。直義は特に苦言を呈することもなく、ただ頷いてみせた。
「苦労であったな。向かわせたのは
「あとは、案内役として
「うむ。もっともだ」
直義は道理を重んじる性格で、ともすると堅物という側面が目立つ。
しかしその一方で、筋道にはそこまでこだわらないところがあった。
その行いが良いものだと認めれば、その過程で多少の失策があっても、そこまで咎めたてするようなことはない。
もっとも、そういう直義の在り様はなかなか分かりにくい。
重茂も、十分に理解しているとは言い難いところがある。
「酒の振る舞いについても此度は大目に見よう。
「いえ、我らが振る舞ったのは、戦勝祝いとして商人どもの方から差し出してきた分のみにございます」
「商人どもはなにか言っていたか」
「座の保護をお願いしたいと申しておりましたので、直義殿に伝えておくと答えました」
この頃、商人たちは各地で円滑に商売を行うため、同業者間で協力体制を作り上げていた。
それが座である。
座は武家・公家・寺社などに奉仕をすることでその庇護下に入り、そこで活動を行う。
一人一人が自由に商売を行おうとしても、物資を強奪されたり、市場で乱暴狼藉が発生したりする恐れがある。皆でまとまること、有力者の保護を受けることは、彼らにとって自衛のための手段だった。
「兄上にも相談せねばならぬが、保護するということでまず良いであろう。我らに手向かうならともかく、酒を馳走になっては強くも出られぬからな」
「さすがは直義殿。道理というものを弁えておられる」
「お前のようなものが身近におる故、弁えざるを得ないのだ。なあ重茂よ」
「まったくで」
日頃の鬱憤から直義に同調して師泰を非難する重茂だったが、当の本人はまるで意に介した風でもなく「それはそれは」などと言いながら笑っている。
だが、それも束の間のことだった。
直義は居住まいを正し、表情から笑みを打ち消した。
将としての顔になっている。
「師泰。戦況を聞かせてもらおうか」
「はっ」
師泰も気配を切り換えた。その表情から愛嬌というものがなくなっている。
「手の者を走らせて確認したところ、
「自害したという者の身元確認を急がせよ。阿蘇の手の者を生け捕りにはしておらぬか」
「二人ほど。今しがた検分をさせているところですので、じきに報告が届くでしょう」
すらすらと報告をする師泰に、重茂は越えがたい壁のようなものを感じた。
常識も道理もなさそうな振る舞いをする傍らで、師泰はすべきことをきちんとこなしている。
自分に合わないと思ったことは人に丸投げするが、合うと思ったことについては人並以上にこなすのだ。そういうところが油断ならない。
「菊池は?」
「
「分かっている。師泰、重茂。菊池は立ち直ると思うか」
直義の問いかけを受けて、師泰は重茂に目配せした。お前が答えろ、ということなのだろう。
「肥後は菊池の本国とも言える地。我らにとっての
「相分かった」
そう言って直義は颯爽と立ち上がり、外に出た。
大宰府に集った武者の空気を吸い込むと、再び室内へと戻ってくる。
「まだ着到帳はできていないか」
「申し訳ありませぬ。ただいま、
「構わぬ、聞いただけだ。おそらく、まだ打って出るには少し足りぬであろう。ここは兄上にお出でいただき、兵を集め、そのうえで菊池追討を進めるのが良いと思うが、どうだ」
直義は、
素直で一途な言葉を使う。尊氏のようなおおらかさはないが、吹き抜ける風のような心地よさがあった。
「師泰、異存ございません」
「重茂、同じく」
「うむ。では兄上には明朝お越しいただくことにしよう」
おや、と重茂は不思議に思った。
追討はなるべく急いだ方が良い。ならば尊氏にも早く来てもらった方が良いのではないか。
その疑問をぶつけると、直義は「いや」と頭を振った。
「今日、手勢を向かわせたばかりであろう。それをすぐに引き返させては、いかにも忙しない。兄上には勝者として、余裕のある振る舞いをしながらお越しいただいた方が良いであろう」
「そういうものでございますか」
「そうだ。そして、そういう大将の下にこそ武士は集まる。私は、そう思う」
そう告げる直義は、どこか羨むような表情を浮かべていた。
「あの、師久殿」
生駒丸は、やや師久の方に身を乗り出すように声をかけた。
馬が不快を示すように震え、振り落とされないよう慌ててしがみつく。
まだ元服を済ませていない少年ということもあってか、師久や宗匡と比べると馬の乗り方が少々危うい。
「なんでしょう、生駒丸殿」
危なっかしい少年の姿にいつかの自分を重ねながら、師久は側に寄った。
「師久殿は、これまでの戦いで数々の武功を立てられたとうかがいました。どうすれば戦場でそのようにご活躍できるのでしょう」
少年の眼差しは、真っ直ぐで澄んでいた。
何かに夢中になっている。そんな目をしている。
「生駒丸殿は、武人として身を立てるおつもりですか」
「はい。島津の惣領は兄が継ぐでしょうし、私はそのお力にならねばならないのです」
生駒丸は島津氏の惣領・
一族の者は、惣領に従わねばならない。その前提で身を立てることを考えなければならなかった。
「別に武人として身を立てるばかりが道ではないと思いますよ。私の兄――五郎兄上や弥五郎兄上は、足利の家政を担う者として身を立てています」
「それに、所領を分けられて新たに家を立てることになるかもしれない。そうなったら、武の道一つでは立ち行かなくなるぞ」
そう口を挟んできたのは、立花宗匡だった。
「島津殿のところは所領も広い。生駒丸殿にも所領が分けられるかもしれない。分けられれば、そこのことは自らで差配せねばならなくなる」
「宗匡殿も、立花山周辺を分けられて立花を称したのですよね」
「ははは、少し惜しいな師久殿。それは兄上だ。私は兄上の後を継いだだけよ」
宗匡や千代松丸の兄・大友
その後、故あって年少の
その貞載も、この戦乱の中で命を落とした。
「年少の者が家督継承者として選ばれることもある。急に兄が亡くなって自分に出番が回ってくることもある。生駒丸殿はまだ若いのだ。どういうことになっても良いよう、文武ともに励んでおいた方が良いと思う」
「そういうものですか。私は――あまり兄を押しのけてまで、島津の惣領になりたいとは思いませぬが」
「……」
宗匡の話を聞いて、師久は物思いに耽った。
少し、昔のことを思い出していたのだ。
「師久殿、どうかされたか」
「ああ、宗匡殿。いや、実は兄のことを思い出しておりましてな」
「どの兄上のことでしょう?」
四郎師泰か、五郎
その疑問に、師久は頭を振って答えた。
「……実は我ら兄弟には、四郎兄上の上に二人兄がおりまして。私はほとんど覚えていないのですが、宗匡殿の話を聞いて、少しその兄上たちのことを思い出しました」
「何か事情がおありで?」
宗匡の問いに、師久はやや迷いながらも頷いた。
別段隠し立てする程のことではない。ただ、身内のことを話すだけだ。
「元来、父はその二人の兄上に期待をかけていたのです。ですが、お二人とも私が物心つく頃に亡くなられた。それで、父の後は五郎兄上――師直が継ぐことになったのです」
「師泰殿ではないのですか?」
少年故の他意のなさからか、生駒丸が鋭い問いかけを発した。
宗匡は若干気まずそうな表情を浮かべたが、既に放たれた問いを収めることはできない。
師久はやはり少し悩んだが、素直に答えることにした。
「父は元々二人の兄に期待をかけていたので、師泰にはあまり目をかけていなかったのです。兄たちが亡くなった頃、師泰は既に相応の年になっていたので、まだ年若い師直を後継者として鍛えるつもりになったようなのです」
そして、師直は父・師重の期待に応えるように成長していった。
だからか――年少の師久は、あまり気にかけられなくなった。
先に亡くなった二人の兄がどういう人だったか、師久はほとんど知らない。
ただ、父が二人にどれくらい期待をかけていたかは、兄に目をかける父の姿から、おおよそ察することができた。
「生駒丸殿」
「はい」
「こういう話は、そう珍しいものではありません。己が明日、どういう立場になるかは分からない。だから、文武ともに励んでおかれる方が良いのです。惣領にならずとも、そういう弟の方が、きっと兄も頼りがいがあるというものでしょう」
「そういうものですか」
「ええ。実は私も、文の道についていろいろと学んでいるところなのですよ」
こっそりと秘密を打ち明けるように、師久は笑って少年に語りかけた。
「時折、五郎兄上にいろいろと教えてもらっているのです。弥五郎兄上でも良いのですが、弥五郎兄上は少々口うるさいのが玉に瑕で」
「師久殿ほどの勇士でも、そうなのですね――」
生駒丸は感心したのか、目を大きく開いて頷いている。
素直な少年だ。道を誤らなければ、きっと大成する。そんな予感がした。
「……文武ともに励まれるというのであれば、武の道について、少しばかりお伝えしても良いですよ」
「本当ですか!」
「おお。それは私も興味があるな、師久殿」
「宗匡殿は、既に十分な勇士ではありませぬか」
「いや、私もまだまだよ。聞ける話は是非とも聞いておきたい」
「是非!」
生駒丸と宗匡にせがまれ、師久は少しばかり良い気分になりながら、戦場での身の処し方について話し始めた。
師泰に教わったこと。自分自身が戦場の中で見出したこと。それを言葉として紡いでいくことで、師久自身、気づかされることも多かった。
箱崎に向かうまでの、ほんの少しの時間。
それは、有意義かつ貴重な一時だったと言える。
その僅かな一時は、ある人物の姿によって終わりを迎えた。
箱崎からの迎えの者だろう。馬に乗り、何人かの郎党と共に待ち受けている。
旗には、七宝の中に花角が入った紋様が描かれている。
高一族の家紋だった。
「……父上?」
師久の脳裏に、箱崎にいるはずの老父・師重の姿が浮かび上がる。
しかし、近づくにつれてそれが勘違いだということが分かった。
出迎えに来ていたのは、兄・五郎師直である。
「方々、ご苦労でございました」
師直は島津・大友の手勢を見渡して労いの言葉をかけると、師久に向き直り、
「弥四郎。そなたも苦労であったな」
と、静かに肩を叩いた。
師直はいつもと変わらず、何を考えているかよく分からない表情である。
しかし、師久はその所作の中に親愛の情を感じることがある。
(いっそ、五郎兄上が父上であってくれれば良かった)
一抹の寂しさを覚えながら、師久は兄の後に続く。
先を行く師直の背中は、どこか父の背中のように見えた。
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