第6話「篝火の中の大宰府」

 篝火かがりびに照らし出された威容に、重茂しげもちらは息をのんだ。

 彼らの前にそびえ立つのは、九州が誇る一大行政拠点・大宰府だざいふである。


 平安時代、菅原道真すがわらのみちざねが左遷されたことで有名だが、大宰府は長く大陸との交流の中心となった重要拠点でもある。この頃は大陸貿易の拠点として博多が勢いづきつつあったため、往時に比べると活気が衰えつつあったが、九州有数の拠点であることに違いはなかった。


「なるほど、確かに人が多い」


 師久もろひさの言葉通り、大宰府には武士たちが集まりつつあるようだった。

 ただ、目に入る武士たちの顔は皆赤らんでいる。どうも酔っぱらっているようだった。


「弥四郎。これはなんだ、宴会でもしているのか、ここでは」

「さあ。我々が出たときはもっとしゃんとしていたように思いますが」


 大宰府には武士以外にも多くの商人やその護衛人たちがいる。

 彼らは今が儲け時だと言わんばかりに、酒をあちこちで振る舞っているようだった。


直義ただよし殿がこのようなことを許すとは思えんな」

「となると……」

「――おお、戻ったか弥四郎」


 重茂と師久の話に、突如割って入る声があった。

 遠慮という言葉を知らなさそうな、鼻息だけで天竺まで人を吹き飛ばしてしまいそうな自由人を思わせる声である。


「四郎兄上!」

「おう。なんだ連れてきたのは弥五郎か」


 姿を見せたのは、重茂ら兄弟の長兄・高師泰こうのもろやすだった。

 重茂もがっしりとした体躯の持ち主だが、師泰はそれに輪をかけて身体が大きい。

 まるで熊を思わせるような男だが、顔つきに妙な愛嬌があり、それほど厳つい印象はない。 


「俺では不満か、兄上」


 言葉を返す重茂だったが、師泰はそれを鼻で笑い飛ばした。


「予想通り過ぎてつまらん。五郎が来たら面白かったんだがなあ」

「五郎兄上が殿の御側を離れるわけなかろう」

「だから予想通りでつまらんと言うておるのだ。それくらい分かっておる。お前は相変わらず頭が固いな」


 苛々する重茂に気の毒そうな視線を向ける師泰。

 悪気はないと分かっていても、常識を屁とも思ってなさそうな兄の言動に、重茂は頭を抱えたくなった。


「お、なんだ憲顕のりあき重能しげよしも来ていたのか。どうだ、一杯」


 重茂たちの後ろに控えている上杉憲顕・重能の義兄弟を見つけて、師泰は目を輝かせた。


「叔父上、盛り上がっているようですな」

「その振る舞いは、いかがなものかと思いますが」


 苦笑いを浮かべる憲顕と苦言を呈する重能。

 二人の反応を面白がるように、師泰は相好を崩した。


 師泰の妻は、憲顕たちの叔母にあたる。

 そのため、師泰は高兄弟の長兄であると同時に、上杉一族の婿でもあった。


「この乱痴気騒ぎ、兄上の仕業でしょう。どういうおつもりですか」

「なんだ、証拠もないのにわしの仕業と決めつけるのか」


 しかめっ面を浮かべる師泰に、重茂は思わずたじろいだ。

 確かに、言われてみれば特に証拠があるわけではない。


「……では違うのですか?」

「いや、わしの仕業だ」

「――」


 あっけらかんと言い放つ兄に思わず殴りかかってやろうかと思ったが、重茂は必死に自制した。

 どうせ殴りかかったところで返り討ちにされるのがオチである。師久は「重茂は師泰に勝るとも劣らない」と評したが、実際のところ、昔からこの兄相手に勝てた例がない。


「いや、こちらの勝ち戦に乗じて集まってくる連中が多くてな。どいつもこいつも我先にと着到報告しようとするし、喧嘩し始めようとする連中も多い。放っておけばすわ一大事と思い、親睦を深め剣呑な雰囲気を和らげようとしたのだ」

「おお、そんな深い考えがあったのですね兄上!」

「うむ。わしの深謀遠慮を見習えよ弥四郎」


 素直に感心する師久に、重茂は痛ましげな眼差しを向けた。

 単純すぎる。純粋と言えば聞こえは良いが、少しは疑うことを覚えないとこの先危ういのではないか、と思わざるを得ない。


「酒の席だからこそ喧嘩が起きる、ということは?」

「そういう場合はわしを呼ぶように言ってある。五、六件片付けた辺りから皆大人しくなってきたな」


 師久ともども武名を馳せている師泰だったが、年季の差なのか、どうにも捉えどころがない。

 自分が飲みたかっただけではないかと思う反面、師泰の言うような効果が出ているのも確かなのだ。


「まあ、確かにこの調子なら当面は大きな揉め事は起きないでしょうが――よく直義殿が許されましたな」

「いや、許しは得ておらん」

「は?」

「あの堅物の御舎弟殿が、こんなの許すわけなかろう」


 この先鋒の大将は足利直義である。

 軍の大将であることを抜きにしても、師泰や重茂ら高一族は足利家に仕える立場の身だった。

 そんな師泰が、直義の許可も得ず勝手に宴会じみたものを始めている。

 その事実に、重茂や重能は頭を抱えた。


「……その直義殿はいずこに? 黙っておられる御方とは思えませんが」


 周囲の様子を見ながら憲顕が尋ねた。

 確かに、直義は無許可の騒ぎを微笑ましく見守ってくれるような人物ではない。

 いざというときは思い切ったことをする一面もあるが、基本的には規則を遵守しようという性質の人である。当然、師泰もそれは承知しているはずだった。


「死んだように眠っておられる。流石に今日――いや、もう昨日になるか。あの大戦は疲れたのであろう」


 多々良浜の戦において、足利直義の戦振りは鬼神の如きものだった。

 直義は、この戦乱が始まる前に要所・鎌倉を守護していた。しかし鎌倉幕府の残党・北条時行によって鎌倉を追い落とされ、そのことが足利氏の朝敵認定の遠因となっている。


「御舎弟殿は口にこそ出さんが、鎌倉の敗戦の件を今も気にされておった。此度の戦ではその汚名を返上せんと、本気で身命を賭していたのであろう。大宰府に到着して戦勝を確認すると、その場で崩れ落ちるように眠られたわ」

「命に別状はないのだな、兄上?」

「ああ。傷は負っていない。気力を使い果たしただけだろう」

「ならば良いが――起きたときこの惨状を見たら、また気力を使い果たすまで激怒されるのではないか」


 重茂の指摘に、師泰はそっぽを向いた。あまりそこは考えたくないらしい。


「しかし、これだけの人数がいるなら箱崎の方に少し回した方が良いかもしれませんな」


 上杉重能が、参集した多くの武士を見やりながら言った。

 現在、尊氏の本陣である箱崎の寺は手薄である。来る途中に遭遇した刺客の件もある。

 尊氏の側に控えている師直らも警戒はしているだろうが、護衛の数は多いに越したことはない。


「せっかくなら殿がこっちに来るとき、派手な行軍にしたいところですね」

「おお、良いことを言うな弥四郎。我らの勝利を喧伝する意味でも、足利の御大将には派手にお越しいただいた方が良かろう」


 どうだ、と言いたげに重茂の方を見てくる師泰。

 実際、その案はそう悪いものではないように思えた。


「まあ、そうした方が今後味方しようという者も増えるだろうな。俺としても異論はないが――」

「が?」

「どこの者たちを向こうにやるのだ? 流石に参集してきたばかりの者たちだけ向かわせるのは危険だろう。と言って、信頼できる者を皆箱崎に回してはこっちが危うくなる」


 重茂の懸念に憲顕も頷く。

 味方と一口に言っても、信頼できるかどうかはそれぞれで違ってくる。

 信頼できないものをいきなり重用することはできないが、信頼できるものばかりを重用していては信頼できる相手がいつまで経っても増えない。人員配置はなかなか難しい話なのである。


「ううむ。御舎弟殿はまだしばらく御目覚めにならんだろうし、そうなると副将のわしがどうにかするしかないな。一色殿と仁木の弟御とも相談しておいた方が良いだろうが」


 一色・仁木は共に足利の支族である。

 他の足利支族は全国各地に散って帝の軍勢と相対しているが、一色・仁木は尊氏ら本隊に付き従って九州まで行動を共にしていた。話を通しておいた方が、後々拗れなくて良いだろう。


「だが、わしはそういうのがあまり得手ではない。うん、おぬしらも存じているとは思うが」

「……」


 重茂は猛烈に嫌な予感がしていた。

 このパターンは、以前もどこかで見た覚えがある。


「わしがやったところで却って話がまとまらぬであろう。それは困る。なあ、そう思わぬか弥四郎」

「え、あ、はい。そうですね兄上!」

「だよなあ」


 師久をそれとなく味方につけながら、師泰はちらちらと重茂に視線を向けてくる。

 実際、師泰に任せては不安がある。とにかく仕事振りが大雑把なのだ。


「弥五郎」

「――なんだ、兄上」

「うむ。責任はわしが持つから、頼んだぞ」


 何か言い返してやりたい。

 そう思ったが、師泰の提案が最善だろうということが理解できてしまっているので、何も言えることがなかった。


「相変わらず兄上は勝手な御人だ」

「兄というのはそういうものだ。覚えておくと良いぞ」

「いや、もう十分に理解している」


 まずは参集してきている武士たちの構成を把握しなければならない。

 気が重くなりそうだったが、重茂はどうにか頭を切り替え、篝火の中の大宰府を歩き出した。

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