第5話「大宰府への道」

 尊氏たかうじの許可を得て、重茂しげもち憲顕のりあきは大宰府に向かっていた。

 数少ない馬を貸し与えられての急行軍である。


 先導するのは、師久もろひさと護衛の曽我そが師助もろすけだった。


「しかしそなたら、二人で来たとは大した度胸だな」


 言いながらも、重茂は注意深く周囲を睥睨している。

 そのせいか、思い切り馬を走らせている師久たちに置いていかれそうになることもあった。


 足利勢が制圧しつつあるとは言え、ここはついさっきまで敵地だった場所だ。

 元々足利に味方している少弐しょうに氏の影響力が強い土地ではあるが、敵対する菊池勢がどこに潜んでいるかも分からない。


「師助殿がいればまず問題はないでしょう」

「はは、師久殿は持ち上げますな!」


 鮮やかな赤の鎧を身にまとった師助の姿は、多々良浜の戦いの風景として重茂の脳裏にも焼き付いていた。

 彼は相模国さがみのくにの武家で、足利氏の家人というわけではない。しかし、朝敵とされた尊氏に九州まで付き従ってきてくれた、信頼のできる武士である。

 武芸の腕も確かなものがあり、同じ武辺ものとして師久や師泰とは馬が合うようだった。


「治兵衛は大丈夫か」

「なんの。まだまだ弥五郎様には負けませぬぞ」


 重茂のすぐ前を行くのは治兵衛である。

 かなりの年のはずだったが、まったく息が上がっている様子を見せない。


「しかし、おぬしも着いてくるとはな」


 重茂は振り返り、憲顕と並走する重能しげよしを半眼で見やった。


「念のため言っておくが、そなたらのために着いてきたわけではない。平一郎(憲顕)の付き添いだ」

「すまんな、与次郎(重能)」

「私には謝るな、平一郎よ」


 付き合わせたことに謝罪する憲顕に、重能はつれない反応を示した。

 もっとも、それで憲顕が気分を害した様子はない。どこか困ったように微笑むだけだった。


「――御一同。お待ちあれ」


 先頭を駆けていた師助が、不意に馬を止めた。

 見ると、大宰府の方から武士と郎党らしき一団が向かってくる。

 既に日は暮れており、相手が持つ松明が、おぼろげにその姿を映し出していた。


 すかさず師助と師久が弓を構える。重茂たちもすぐ射かけられるよう、弓に手を伸ばした。

 敵か味方か分からない。そういう相手を前にしたときは、いつでも討てる準備をしておかねばならない。


 向こうも気づいたのだろう。

 警戒するような構えを取りつつ、足を止めた。

 人数はざっと十人以上。数の上では向こうの方が多い。


「其の方らは何者か。我らは足利将軍の使いである」


 意気揚々と己の素性を明かす師久に、重茂は苦い顔を向けた。

 無論、後ろからの兄の視線に師久は気づく由もない。


(まずは相手から名乗らせ、それによって敵か味方か判断する方が安全だろうに)


 もっとも、そういう策を考えず、堂々とした立ち振る舞いをするからこそ、師久は戦場で武功を立てられるのかもしれなかった。

 重茂も臆病ではないが、ついあれこれと考えてしまうくせがある。


「我らは……薩摩国さつまのくに島津しまづの一族、山田忠能ただよしの家人である」

「ほう、山田殿の」


 島津一族と聞いて、師久や師助は安堵した。

 島津は足利氏が朝敵とされても味方についてくれた、南九州の有力武家である。

 今回の戦でも惣領・島津貞久さだひさが、六十を過ぎた老体ながら参陣していた。


 薩摩国は遠い。

 しかし、島津貞久は九州に来る前から足利勢と共に行動をしていた。

 国許に使いを出して兵を寄越すよう命じていたと考えれば、ここで遭遇することも十分あり得る話だった。


 しかし、重茂はかすかな違和感を覚えた。

 現在、老将・島津貞久は足利直義ただよしたちと共に大宰府にいるはずである。島津一族の手の者なら普通惣領である貞久の元に向かうのが筋ではないのか。


「……では、そなたらはこれから上総入道かずさにゅうどう(貞久)殿の元に向かわれるのかな」


 含むところのある重茂の物言いに気づいたのは、師久と治兵衛だけだった。

 振り返った弟に頷くと、重茂は一行の先頭に立って相手と向き合った。


「左様。殿はまだ本国に残られているが、じきに参陣できる見通し。その旨を上総入道殿にお伝えするのが我らの役目。ご承知いただけたのであれば、お通しいただけますかな」

「承知、承知した。――であれば向かうべきは我らと同じであるな」


 そう言って重茂は大宰府の方を指差す。

 そのとき相手が表情をこわばらせたのを、重茂たちは見逃さなかった。


「ところで」


 世間話をするかのように、重茂はゆっくりと語りかける。


「俺は建武の御新政の折、山田殿をお見かけしたことがある。家人や郎党の方々もだ。しかし――そなたらは初めて見るな」


 所謂はったりである。

 重茂が初めて見たからと言って、それで相手がどうということはない。

 やましいことがなければ、それがどうした、で済む話だった。


 しかし、重茂が言い終わるや否や、相手は弾かれたように飛び退いて弓矢を構えた。

 相手は徒歩。重茂たちは騎馬である。剣よりも弓矢の方が良いと咄嗟に判断したのだろう。


「重茂殿!」


 護衛役の師助が重茂を守ろうと弓矢を構えようとした。

 しかし、相手の方が僅かに早い。重茂の首元を狙って、至近距離から矢が放たれた。


 だが、矢が重茂を貫くことはなかった。

 重茂が咄嗟に引き抜いた刀が、目にもとまらぬ速さで矢を叩き落としたのである。


 ほんの少し対応が遅れれば、矢は重茂の顔に突き立っていただろう。

 しかし、重茂は一切動揺した様子を見せず、にやりと笑ってみせた。


「怯むな、射かけよ!」


 山田の家人を名乗った武者が、郎党たちに呼びかける。

 しかし、郎党たちがそれに応じるよりも早く、重茂は武者に馬をぶつけ、その勢いのまま後方の郎党を切り捨てた。


 馬に激突されて倒れた武者は、起き上がる前に治兵衛が組み敷いて首を取った。

 他の郎党たちは、戸惑っている間にすべて師久・師助・重能が射貫いている。


 決着は、あっという間だった。


「ふん、意外にやるものですな」

「意外でした。重茂殿、御強いのですな」


 重能と師助が素直な感想を漏らす。

 重茂は、内心悪い気がしなかった。特に重能の鼻を明かすことができたのは痛快とさえ感じる。

 ただ、それを素直に表情に出すのはみっともないという思いがあり、ふん、と自制のため鼻を鳴らすのみである。


 かわって意気揚々と語りだしたのは師久だった。


「兄上は私よりも強いのだ、師助殿。下手をすると四郎兄上よりも強い。未だ武功を立てられていないのが不思議でならない」


 放っておいてくれと胸中で毒づきながら、重茂は弟の言葉を補足した。


「五郎兄上に言わせれば、俺の強さは将としての強さではないそうだ」


 いかに力があろうと、それだけで戦はできない。

 戦をするために必要な何かが自分には欠けている。近頃、重茂はそういう風に考えるようになっていた。


「しかしこやつら、どこの手の者でしょうね。菊池の残党でしょうか」

「山田殿の名を持ち出した辺り、おそらく山田殿と何かしら因縁のある武家の家人かなにかであろう」

「谷山の者かもしれないな」


 倒れた武者を見下ろしながら、そう推察したのは上杉憲顕だった。


「薩摩の山田・谷山の相論は京でも話題になっていた。山田・谷山両氏の先代は弘安の頃から所領について相争っていたそうだ。代替わりによって今は小康状態になったと聞いているが、何十年もの間争い続けてきた間柄。今も内々ではわだかまりがあろう」

「弘安って……蒙古が攻めてきた頃ですか。なんというか、途方もないですね」


 師久はげんなりとした顔をして、やや憐れむような眼差しを倒れた者たちに向けた。


 蒙古が攻めてきた頃というと、既に半世紀は昔のことである。源平合戦ほどの古の時代でこそないが、重茂たちにとっては遥かなる過去の出来事という印象しかなかった。


「そのように長々と恨みつらみを溜め込んで、なにが楽しいのやら。それに巻き込まれたと思うと、この者たちも気の毒なことだ」

「所領についての争いは、そう珍しい話ではありませんよ。皆、一所懸命なのです」


 師久の独りごとに反応を示したのは、曽我師助だった。彼も曽我荘という所領を持つ武士である。

 この時代、自らの所領は法や権力が保護してくれるわけではない。保証はしてくれるが、最終的に実効支配できるかどうかは己の裁量にかかってくる。


「師久。我らは足利の家人として、足利の所領の差配を任されている。それ故、己が所領を持たぬ。それを守らねばならぬ苦労は知らぬ。知らぬ以上、とやかく口にするのは控えた方が良い」

「……すまぬ、兄上。確かに、軽率なことを口にした」


 師助や重茂の言葉から、自分が迂闊なことを言ったと悟ったらしい。

 師久は素直に頭を下げた。師助は気にした風でもなく「頭をお上げくだされ」と爽やかに言ってのけた。


「しかし、彼らは何をしようとしていたのでしょう」

「それは無論、殿の首を狙っていたのだろう」


 憲顕の疑問に答えたのは重能だった。

 癪ではあるが、重茂もこの点については重能と同意見である。


「もはや殿を正攻法で狙うのが難しいと見たのだろう。おそらく、殿を暗殺しようとしていたのではないか」

「まさか重茂殿が私と同じ意見とはな」

「俺とて嫌だ。嫌だが、他の可能性は考えにくかろう」


 二人の見解を受けて、師助が心配そうな眼差しを箱崎の方へと向けた。


「大丈夫でしょうか、将軍は」

「問題あるまい」

「そうだな、気に喰わんが、心配の必要はあるまい」


 互いに嫌そうな視線を向け合いながら、重茂と重能は同時にその理由を述べた。


「殿の側には――高五郎師直がいる」




 足元に倒れ伏す複数の骸を見下ろして、足利尊氏の執事・高師直は大きく溜息をついた。


「片付けておけ。何かあれば報せよ」


 配下の者たちに命じると、自身は尊氏が待つ宿所へと戻った。

 尊氏は一人、重茂たちから預かった着到帳ちゃくとうちょうを確認していた。


「師直か。賊は片付いたか」

「はっ。しかしこれで終わりかは分かりませぬ。殿も御用心くだされ」

「うむ」


 ちょうど見終えたところだったのだろう。

 尊氏は着到帳を閉じて、かすかに微笑んだ。


「流れが来るかもしれんな、師直」

「……と申されますと?」

「朝敵として落ち延びてきた我らだが、早くも今日味方として参陣してくれた者たちがいる。今日の戦を知ればもっと増えるであろう。今日が、切所であった」


 今日の戦いは正真正銘の窮地だった。

 戦の準備も十分でない状態でよく菊池どもの大軍に勝てたものだ、と師直も不思議な思いである。


 布石は打ってあった。島津・大友といった有力武家は既に味方につけてある。

 ただ、兵力は十分ではなかった。国許の家人・郎党らと合流できるかどうかが問題だった。

 すぐにはできない。ただ、今日の戦に勝ったことで余裕は生まれた。


 今日参陣した者は、元々味方しようと駆け付けた者、あるいは今日の戦場をじかに見て味方すると決めた者くらいだろう。九州にはもっと多くの武士がいる。ここから、大きな波が来るだろう。


「刺客を差し向けてわしの命を狙おうとする――ということは、正面きっての戦で勝つ自信がなくなっているということだ。師直、明日からは攻めるぞ。生まれつつある流れを逃してはならぬ」

「承知しました」


 主である尊氏は、流れに乗ったときに無類の強さを発揮する。

 その流れを断ち切らせないようにすることこそが自分の使命だと、師直は自負していた。

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