第4話「着到」

 軍議の後、尊氏たち諸将は明日に備えて休息を取ることにした。

 ただ、重茂しげもちは例外である。彼は寺の一角を借り受けて、今回の戦において足利方の味方として参陣した者たちへの対応を行っていた。


「すまないな、重茂殿」


 重茂と共に筆を動かしながら礼を述べたのは、上杉憲顕のりあきである。

 本来、今日は憲顕の担当で、重茂はその手伝いを申し出たのだった。


「気にするな、憲顕殿。本格的に忙しくなるのは直義殿の軍勢と合流してからよ。今日はその下準備だから、そこまできつくはない」


 それに、戦に加われなかった重茂としては、何かしらの仕事をしておかないと気まずい。

 脳裏には、先程重能しげよしから言われた『武功なしの重茂殿』という言葉がこびりついていた。


 二人が書き連ねているのは、足利方の呼びかけに応じて参陣した武士たちの名前である。


 戦と言っても、適当に招集をかけ、適当に集まり、適当に争う――というわけにはいかない。

 戦の中心となる勢力は各地に味方を募る。それを受けて、各地の武士はどちらに味方するかを決め、参陣したことを報告する。重茂たちが今行っているのは、その報告を受けて記録する仕事だった。


 余裕があれば戦が始まる前に終わらせておく仕事だが、最近の足利勢は転戦に次ぐ転戦のため、適宜やっていくしかない。


「某は筑後国ちくごのくに生葉郡いくはぐんの住人、問註所もんちゅうじょ康為やすため。兇徒菊池きくち武敏たけとし討伐のため手勢を引き連れて参陣仕りました」

「私は長門国ながとのくに串崎若宮くしざきわかみやから参った白山道渓と申します。大宮司から出立の命を受けましたが、支度に手間取り――」


 参陣した武将たちは、出身や参陣した理由、引き連れてきた手勢について報告する。

 重茂たちはそれを着到帳ちゃくとうちょうに書き留め、着到したことを確認したという証明書――着到状ちゃくとうじょうを相手に渡す。

 それらを現状把握や後日の論功行賞で活用するのが、この仕事の意義だった。


「某、肥前ひぜん松浦党まつらとう志佐しさたもつと申す。この度は降参を認めていただき、まことにありがたく――」


 先程話題に上がった松浦党の者も、降参を認めた以上は着到帳に名を記すことになる。

 彼らは、尊氏が一時抱いた疑念を知らない。それを取りなしたのが重茂であることも、当然把握していない。


(それで良い)


 重茂に恩を感じる必要はないのだ。

 松浦党は、足利に恩を感じれば良い。そうして足利氏の力になってくれれば、それが重茂のためにもなる。


「志佐殿。我らが殿は、貴殿らの降参を殊の外喜んでおられた。この辺りは何分不案内故、是非とも案内を頼みたいと仰せであった。明日、改めて下知があることと存ずるが、よろしくお頼み申す」


 重茂たちが頭を下げると、志佐有は恐縮したように平服してみせた。


 案内を務めるということは先鋒を務めるのと同義である。

 武士の名誉である一方、危険が伴う立場でもあった。志佐が本心から納得しているかどうかは、今のところ何とも言えない。ただ、今すぐ何かしようという様子は見受けられなかった。


 志佐有が去った後、重茂と憲顕は顔を見合わせて小声で言葉を交わした。


「あれはどうであろうな、重茂殿」

「分からぬ。このあとの働きで見極めるしかなさそうだ」


 今は敵味方の判別も難しい。

 参陣してきた武士の様子に不審な点があれば、それを漏らさず大将に報告する必要がある。


 その後も何組かの武士が顔を出し、着到状を受け取っては去っていく。

 重茂たちは、彼らがきちんと割り当てられた宿所の方に向かうか注意深く見つめていた。

 中には、着到状だけもらって帰ってしまう者もいる。


 現在の味方がどの程度いるのか。

 誰がいつ頃から味方となったのか。

 そういった基本的な情報が確認できなければ、戦略の立てようがない。

 表に出ないだけで、こういった事務仕事も立派な役目である。


「今日のところはこんなものか」


 着到の報告をしに来る者がいなくなり、重茂は筆をおいて肩の力を抜いた。


「重茂殿、少し気になったのだが」

「うん?」

「何度か、重茂殿は報告を受ける前に着到帳に筆を走らせていたように見えた。お知り合いでもおられたのか」


 報告を受ける前に名前を記載するというのは、相手のことを知っていなければできないことだ。

 しかし、重茂にしても憲顕にしても、九州の地を踏むのは今回が初めてのことである。


「いや、知己というほどの間柄の者はいなかった。ただ、帝が船上山せんじょうさんから京に戻られるまでの間、我らが奉行所を開いたことがあったであろう」

「ああ、そんなこともあった」


 鎌倉幕府を滅ぼした元弘の乱において、今の帝――後醍醐ごだいご天皇は伯耆国ほうきのくにの船上山を拠点とした。

 そこから帝が凱旋するまでの間、京に集まった武士をとりまとめるため、尊氏は一時的に奉行所を開いていたのである。重茂や憲顕も奉行所の一員として、当時は右も左も分からぬような忙しさに見舞われていた。


「もしや、そのとき顔を見た者がいたと?」

「ああ。殿の奉行所で見た顔もいれば、御新政のとき見た者もいた。こう見えて、物覚えは良い方でな」


 憲顕は、信じがたいものを見るような目で重茂を見た。


 当時、京には鎌倉幕府が滅んだあとの世情に置いていかれぬようにと、全国津々浦々の武士が集まっていた。九州から来た武士も大勢いる。しかし、その大半は結局のところ他人である。普通、いちいち顔など覚えていない。


「変わった特技だ」

「逆に物事をなかなか忘れられないのが困りものよ。それに、戦ではとんと役に立たぬ」

「大将の姿を見分けやすくなるのでは?」

「大将の顔が見えるところまで出られた試しがないのだ。……いや、うむ。次回はそうならぬよう尽力するつもりだがな」


 着到帳の中身を確認して、重茂は席を立った。

 憲顕も筆一式をまとめて隣を歩く。


「重茂殿は意気盛んだな。私はどうも、戦そのものが性に合わない」

「ほう、それは意外だ。今日は憲顕殿も奮戦されたと聞き及んでいるが」

「かかる火の粉を払っただけだ。奮戦というなら、重能の方がよほど」

「……まあ、そうだな」


 先程のことがあるので重茂は素直に認めたくなかったが、重能の勇戦ぶりは見事なものだったらしい。

 憲顕共々直義から尊氏の警固を命じられていたが、前に前にと出続けて、そのまま直義たちに合流しかねない勢いだったという。


「先程は申し訳なかった。重能も普段はああではないのだが、どうも重茂殿たちに妙な対抗意識を持っているようなのだ。今は我らでいがみ合っても詮無きことだと、改めて言って聞かせる」

「俺は気にしておらぬ。憲顕殿も今は大変なときであろう。あまりあれこれと気にかけずとも良いと思う」


 嘘である。重茂はまだ先程のやり取りを引きずっている。

 だが、あまり個人的なことで憲顕に迷惑をかけてはいけないという気持ちもある。


 上杉氏はいくつかの系統に分かれているが、足利氏の縁戚としての上杉氏をまとめていたのは憲顕の父・憲房のりふさだった。憲房は重能の養父でもある。

 しかし、その憲房は足利勢が九州に落ち延びるまでの戦の中で戦死していた。今の上杉氏は、扇の要を失って揺らいでいる。そんな上杉をまとめる新たな要となるのが憲顕だった。


「俺などは上に兄が二人もいるから、気楽なものだ。一族の切れ端のようなものよ。そんな奴のことをいちいち気にせずとも良い」

「そういうわけにはいかない。些事を疎かにしていては、いつか大きな綻びになってしまう」

「うむ……ん、些事?」

「どうかしたか、重茂殿」

「些事……いや、うむ。なんでもない」


 いくらか腑に落ちないものを感じつつ、重茂は曖昧に頷いた。

 重茂の存在が些事かどうかはさておき、憲顕にはこういう生真面目なところがあった。重茂も兄弟の中では細かいことを気にする方だが、憲顕には到底及ばない。


 そういう生真面目さが、重茂は嫌いではなかった。


「しかし、憲顕殿の言う通りだ。細かいことからしっかりとしていかねばな。特に、今のようなときは」

「戦いに次ぐ戦いで、味方も合流したり離れたり、寝返る者も少なからずいる。今、我らがどこでどのようなことになっているか、自らを見失わぬよう、しっかりと把握しておかねばならない。この着到帳は、その一助となるものだ」


 書き上げたばかりの着到帳を大事そうに見つめる憲顕に、重茂も大きく頷いた。


「――高弥五郎! 高弥五郎はおられますか!」


 そのとき、寺に大音声が響き渡った。

 参陣してきた武士たちも静かになっていただけに、その声は良く通った。


「呼んでおられるようだぞ、重茂殿」

「ああ……。まったく、俺のまわりには声のでかい者が多いな」


 やや嫌そうな顔をしつつ、重茂は「ここだ、こっちにおるわ!」と叫び返す。

 すると、重茂を探し求めていた声の主が嬉しそうな顔で姿を現した。


「おお、ここにおられましたか、兄上!」


 高弥四郎やしろう師久もろひさ。重茂の弟で、長兄・師泰もろやすと並び、最近の戦で大いに名を上げつつある有力武将である。

 既に三十を越えて妻子を持っているのだが、顔つきは若々しく、生やした髭がどこか浮いていた。


「弥四郎。お前、直義殿と一緒ではなかったのか」

「ええ、大宰府から来たばかりです」

「何か変事でもあったか。問題はないと聞いていたが」

「問題は――あります」


 師久は険しい顔つきで、重茂をじっと見つめた。

 並々ならぬ問題を抱えていそうなその様子に、重茂と憲顕は揃って表情を硬くする。


「それで、どうした」

「……大宰府は、このままだと収拾がつかなくなるかもしれませぬ」

「なぜだ」

「――」


 師久は何かを堪えるように口を閉じると、重茂たちから視線を逸らした。

 収拾がつかなくなるほどの問題とは、何を指すのか。

 重茂はいくつかの可能性を考えたが、結局師久に聞かねば分からないと気づき、雑念を振り払った。


「どうした。それほどの問題が起きているのか。直義殿は御無事なのだろうな?」

「ええ」

「いったい、何が起きている。早く言わぬか」


 重茂に急かされて、師久は再び面を上げた。


「御味方が――増えてきているのです」

「……は?」


 予想外の返答に、重茂は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 隣にいた憲顕も、さすがに困惑した様子を見せた。


「師久殿。それのどこが問題なのだ?」


 解せぬ様子の憲顕が問い質すと、師久は「失礼、言葉が足りませんでした」と説明を始めた。


「此度の戦を見て、足利につかんとする武士が大宰府に集まり始めているのです。菊池らに頭を押さえつけられていた者どもが多かったのでしょうな。今は近隣の武士のみですが、それでも多い。その上、島津殿や大友殿所縁の者たちも近くやってくるそうで、諸事準備を進めておかねばならぬのです」

「それは、お前や兄上がすれば良かろう」


 読み書きが覚束ない武士も多いが、足利氏の家政を務める高一族の者は、基礎教育として基本的な読み書きを叩き込まれている。事務仕事の心得もなくはないはずだった。


「四郎兄上は、自分はこの手のことに疎いからお前がやれと。しかし私も私でそういった経験が疎く……五郎兄上か兄上のお力を借りたいのが正直なところなのです」

「困ったお人だ、四郎兄上も」


 高四郎師泰――重茂たち兄弟の長兄は、かつて建武政権で雑訴決断所ざっそけつだんじょの職員に任じられていた時期がある。

 雑訴決断所とは、土地の訴訟問題等を取り扱う事務方なのだが、師泰はそこでの勤務を「わしには合わぬ」と散々愚痴り、挙句弟の師直もろなおを推挙する形で自分と交替させたことがある。


「とは言え、どうでも良いと流せる話でもないな」


 参陣した武士への対応をきちんとこなせなければ、足利氏がみくびられてしまう。

 帝から朝敵とされた足利氏にとって、武士の支持は強力な武器の一つだった。

 それを、こんな形で失うわけにはいかない。


「仕方あるまい。なら俺が行く。五郎兄上は御役目がある故、殿の御側を簡単には離れられん。これから殿の元に着到帳を届けにいくところだったから、お前の口からそのことを報告するが良い」

「助かります、兄上。やはり持つべきは頼れる兄ですな!」


 邪気のない笑みを浮かべる師久に、重茂は頭が痛くなった。

 師久は単純で快活な性分の持ち主だ。重茂が抱いている劣等感には気づいていないのだろう。


「重茂殿一人では大変であろう。私も助太刀しようか」

「恩に着る」

「憲顕殿もご一緒であれば、尚更心強い! 百人力ですな!」


 能天気に「では参りましょう!」と先頭を歩く師久。

 そんな弟の背中を見ながら、ふと重茂は問いかけてみた。


「弥四郎、向こうに紙と墨はどの程度ある?」

「……」


 師久はぴたりと足を止めて、ぎこちない動きで重茂たちの方に振り返った。


「……あの名高き大宰府ですし、十分あると、思いますよ?」

「分かった。こちらからも少し多めに持っていこう」


 先が思いやられる。

 向こうでの忙しさを想像して、重茂は思わず溜息をこぼした。

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