第3話「松浦党処遇」

 多々良浜の戦が一段落ついた頃、足利方の諸将は箱崎の寺に集まっていた。


 箱崎の地には、武神・八幡神を祀る筥崎宮はこざきぐうがある。足利氏を含む河内源氏は、八幡神を厚く尊崇していた。

 今日の戦に勝てたのは八幡神の加護があったからではないか――と、重茂しげもちら足利方の諸将は思わずにはいられなかった。


 本陣には、足利氏累代の家人である重茂ら高一族、足利氏の縁戚である上杉一族が顔を連ねている。他の足利一族は、諸国に散って帝の軍勢を抑えていた。


(どいつもこいつも猛々しい面をしている)


 戦に加わり損ねたからか、重茂は今一つ周囲に馴染めず疎外感を味わっていた。

 皆、激戦の余韻か、鬼神のように恐ろしげな顔つきになっている。奇跡のような勝利を得たのも大きいのだろう。きちんと戦に加わっていれば、重茂も同じような面になっていたに違いない。


 そんな諸将のざわめきがぴたりと止んだ。

 本陣の幕の中に、二人の人物が入ってきたからだ。


 赤地の直垂に唐綾威の鎧をまとった堂々たる風格の男は、足利氏の惣領・足利尊氏あしかがたかうじ

 その脇に控えるのは、尊氏の側近として辣腕を振るう足利氏の執事・高師直こうのもろなお


 帝に追われながら今なお各地に多大な影響力を持つ足利氏の総大将と、その第一の側近である。


(思ったほど喜んではおられぬか)


 二人は興奮気味の諸将と比べて静かだった。尊氏に至ってはどこか物憂げですらある。

 これ以上ないほど追い詰められた戦だったが、尊氏はむしろ戦の前の方が清々しい顔をしていた。


「皆、奮戦、誠に見事であった」


 床几に腰を下ろすと、尊氏はまず諸将にねぎらいの言葉をかけた。


「此度の戦、勝てたのは皆が死力を尽くして戦ってくれたからだ。この尊氏、心から礼を言う」


 尊氏という男は不思議なところがある。

 普段何を考えているか分からないような、どこか呆けたような印象を人に与えるのに、なぜか口から出る言葉には誠のものを感じさせるのだ。


 尊氏からの謝意を受けて、奮戦していた諸将は歓喜の表情を浮かべている。

 とても京を追われた朝敵の一行には見えない。諸将は希望を胸に抱いていた。


 そんな中にあって、重茂はなんとも居たたまれない気持ちになっていた。

 なにしろ奮戦していないのである。居心地が悪くて仕方がない。


 尊氏の側に控える師直が、ちらりと重茂の方に視線を向けた。

 師直は実兄だが、重茂は昔からこの兄のことが苦手である。


(愚弟めと言いたいのであろう。言われずとも分かっておる。放っておいてくれ)


 胸中の訴えが届いたのか、師直はすぐに重茂から視線を外した。

 何を考えているか分からない――という点では師直も尊氏と良い勝負である。そして、師直には尊氏のような誠を感じさせるものがない。虚というわけでもない。読めないのである。


「ときに、今後のことでございますが」


 そう切り出したのは師直だった。


「現在、御舎弟殿が大宰府まで敵を追って進軍しております。報せによれば秋月備前守の一党は既に討ち果たしたとのこと」


 今回の多々良浜の戦いで、最前線に立って戦ったのは尊氏の実弟・直義ただよしだった。

 彼の率いる軍勢は、勝利の余勢をかって南の大宰府まで突き進んでいるらしい。


 尊氏の近辺で戦った者たちですら、こうして意気軒昂となっている。

 前線で戦った直義たちは、戦鬼のごとく昂っているに違いない。


 吉報に沸き立つ武者たちを諫めるように、師直はすっと手を挙げた。


「菊池・阿蘇の者どもも既に散り散りになっているとのことなので、明日は我らも大宰府まで進むことになります。今、我らは寡兵。くれぐれもご油断めされるな」


 元々足利氏の兵力は心許ない。戦える者の大半が直義に付き従っているため、現在尊氏のいるこの箱崎は手薄とも言えた。なるべく早めに直義たちと合流する必要がある。


「急ぎ決めたいのは、此度の戦の降参人――松浦党の扱いをどうするかだ」


 尊氏が物憂げにその名を口にした。


「この者たちは戦の中で突如降参してきた。一戦も交えずにだ。不審と言えば不審よ。このまま大宰府まで連れていっても良いものかどうか」


 尊氏は松浦党の処遇を決めかねているらしい。


 元々味方になると約束したわけでもなく、戦って負けた結果降参してきたというわけでもない。

 戦っていないため松浦党は十分な兵力を残している。一方の足利方は、勝利したとは言え兵力が心許ない。


「信頼できぬというなら、大将を呼び出して斬ってしまえばよろしい」


 事もなげにそう告げたのは、上杉重能うえすぎしげよしという男だった。

 重能は尊氏・直義の叔母の子で、従兄弟という関係にある。

 涼しげで整った顔立ちをしているが、その顔も今は戦塵によって汚れていた。


「大将さえ斬れば、あとは郎党など烏合の衆。従うなら我らの下に加えれば良い。逆らうなら皆討ち取ってしまえば良いでしょう」


 乱暴な理屈だが、異論を唱える者はいない。皆、勝利の後で気が昂っているからかもしれない。

 命のやり取りが日常茶飯事の武士にとっては珍しい物言いでもないが、過激と言えば過激な意見である。


「我らに逆らえばどうなるかの見せしめにもなりましょう。なんでしたらこの重能がやりますぞ」

「軽忽な物言いではないかな、重能殿」


 重茂は思わず口を挟んだ。

 重能の案はある種武家らしいやり方ではあるが、今この状況においては問題がある。


 異議を唱えたのが重茂と分かると、重能は眉を大きく吊り上げた。


「おやおや、これは重茂殿。此度の戦では御不幸なことでしたな。武功の一つも立てられぬとは御気の毒なことでござった。それで、その武功なしの重茂殿は何を仰せられるのか」


 明らかな嘲りの言葉に、重茂は顔を紅潮させた。


「随分な物言いですな、重能殿」

「先に『軽忽』などと言ったのはそちらであろう」

「軽忽な物言いを軽忽と言って何が悪い」

「まだ言うか」


 重茂と重能は互いに引かず、ゆっくりと腰元の刀に手を伸ばしていく。

 この時代、侮辱によって面子を潰されることを武士は何よりも嫌う。

 自らを嘲笑う者に対しては、弓矢や刀で応じることも珍しくなかった。


「重茂殿」


 一触即発の雰囲気の中、重能の隣にいた男が声を上げた。

 中肉中背、平均的な容貌の、言ってしまえば目立たない男である。


「まず、ご意見を伺いたく存じます」

「――」


 横から口を挟んだ男に対し、重能は何かを言いかけて口をつぐんだ。


「……おう、憲顕のりあき殿。承知した」


 上杉憲顕。

 尊氏・直義、そして重能の従兄弟である上杉氏の男だった。


「我らの目的は京に戻るための味方を集めること。ここで松浦党の何人かの大将を討ち取ったところで、それで味方集めに益するとは考えにくい」

「なぜだ」

「重能殿は逆らうなら斬れば良いと申されるが、はっきり言って今ここにいる者たちだけでは勝てるかどうかも分からぬ。勝ったところで『足利は降参しても許さない』などという風聞が立てば、我らの味方になろうという者も足踏みをする。見せしめというのは、こちらが一歩抜きん出た力を持っているときにやらねば意味がなかろう」


 疑問を口にした重能に、重茂は苛立ちを抑えながら言葉を選んで説明した。


「加えて申さば、松浦党が戦わずして降参してきたのも、取り立てて疑うようなことではございませぬ」


 と、今度は尊氏に向かって言った。

 尊氏に矛先を変えたことで師直が顔をしかめたが、重茂は無視した。


 言うべきことは、言わねばならない。


「弥五郎、なぜそう考える?」


 尊氏は気にした風でもなく、自然な調子で問い返してきた。

 こういうときに周囲の意見をきちんと聞くところは、尊氏の持つ美徳の一つである。


「元々此度の戦は、菊池どもが我らの不意をついて仕掛けてきたもの。一旦凌げば、九州各地の少弐・大友・島津といった武家が我らに合流します。そうなればたちまち菊池どもは我らの味方に囲まれる形になりましょう」


 九州の地図を広げて、重茂は中央部から北西部に位置する黒石を、東と南から白石で囲んで見せた。

 多々良浜の戦いは菊池勢が圧倒的に優勢な中で始まったが、広域的に見ると、菊池勢はむしろ危機的状況にあったとも言える。自分たちの敵となり得る者が動き出す前に、大将である尊氏を討ち取る。それが今回の戦における菊池方の動機だった。


「松浦党がこの動きを掴んでいたとすれば、どちらに味方するか迷うのも道理。そんな中、此度の戦いで直義殿の奮戦ぶりを見た。菊池勢は我らを倒しきれないと判断し、咄嗟に降参したのでしょう」

「まるで松浦党になったかのような語り様ですな」


 重能が忌々しげに鼻を鳴らす。

 重茂は思わず再び刀に手を伸ばしそうになった。

 しかしその直前、尊氏が「道理である」と口にしたので、その手は引っ込めざるを得なくなった。


「弥五郎の話を聞いて得心した。松浦党を罰する益は薄く、その理由もほとんどない」

「しかし見方を変えれば、またこちらが不利になれば寝返る可能性もある、と言えます」


 師直が釘をさすが、尊氏はそれを笑い飛ばした。


「ならば不利にならなければ良い。そうであろう、皆の者」


 尊氏の言葉に、重茂や重能たちは揃って首肯した。


「そのためには松浦党――否、これから馳せ参じてくる武家の力を存分に借りなければならぬ」

「でしたら、彼らに先陣を頼むのが良いでしょう」


 上杉憲顕が、静かな口調で意見を述べた。


「この辺りは我らにとって馴染みのない土地。大宰府に向かった大友・島津共々、案内を頼むのが得策かと」

「うむ。松浦党を上手く使えば、九州の地の武家も功をあげようと馳せ参じるであろう。良き案じゃ」


 尊氏の言葉によって、松浦党の扱いは決した。

 否、これから参集してくるであろう大小の武士の扱いも決まったと言っていい。


「――やるものですな」


 ふん、と鼻息を荒くしながら重能は腰を下ろす。

 そんな従兄弟の振る舞いを詫びるように、憲顕は重茂に頭を下げた。

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