【Episode3-1】第3の選択

 男はひどい痛みで目を覚ました。頭が割れるように痛い。実際に割れているのかもしれない。頭をさすっていたてのひらを見ると、赤黒い血のようなものがべったりとこびりついていた。


 とりあえず男はその場で立ち上がると、周囲を見回す。


「どこだ?ここ」


 思わず独りごちる。あまりにも不思議な場所にいたからだ。天秤状の2つの丸い皿のようなはかりの一方に男がおり、もう一方にはたたずんでいる。


「うわあ!」


 思わず叫び声を上げる。がいきなり振り返ったと思えば、それは人間のようであるが、見るからに怪しい。なにしろ、男の顔には目も鼻も口もなかったからだ。なにもないキャンバスのように真っ白であった。


 それに男は妙な服装をしている。白と黒のストライプ柄の上下のスーツに、巨大な高さのあるシルクハットを被っている。そのスーツから異常に長い手足が伸びており、その指先からは長い爪が覗いている。


「好きな扉を選びたまえ」


 口もないのに、のっぺら坊の方から声が聞こえてくる。低くくぐもった声。


「言ってる意味が分からないんですが?」


 実際、のっぺら坊の言っている意味がまったく分からない。好きな扉というが、扉なんてどこにもないじゃないか。


 周囲をふたたび念入りに見回すものの、どうみても扉らしきものは見当たらない。だだっぴろい空間———空間とえて呼ばせていただくが———に天秤があるだけである。しかも、その天秤らしきものは、なんとなく宙に浮いている気がする。


「いいから、もっと目をよく凝らして見ろ」


 のっぺら坊は焦れたように舌打ちすると、妙に長い手を男に向けてかざす。その手の指が指し示す方角を見ると、なるほど、のっぺら坊の言っていた“扉”というものが3つせせり出しているではないか。


 左から、薄汚れたわずかに黄味がかったホワイト、すべての色彩をごちゃ混ぜにしたようなグレー、漆黒よりも黒いブラック、の3つの扉が等間隔に並んでいる。その扉は一見どこにでもある長方形のものだが、どう見てもそれだけがぶらんと、宙に浮いているようにしか見えない。


「うっわ。気持ちわる」


「私からしてみたら、お前たち人間の方がずっと気持ち悪いがね」


 男はのっぺら坊に対して気持ち悪いと言ったわけではないのだが、のっぺら坊は虫の居所が悪いのか、ふたたび舌打ちをすると


「どうでもいいが、とっとと扉を選んでくれないかね」


と荒い息を吐き出している。その動作は、どうみてもこの世のものとは思えない奇妙な動きをしており、男は初めてのっぺら坊が“気持ち悪いな”と思った。


 男は自分の置かれている状況があまりにも不自然で、どうしても聞かずにはいられない。


「ここはどこですか?それに、あなたはなんなんですか?」


「お前も聞くのか。答えても意味がないから、聞いても無駄なんだがな」


などと、のっぺら坊は言っている。いよいよのっぺら坊は苛立ちを覚えたのか、腕を組むと、その腕に乗せた指をとんとんと叩き始め


「で?どの扉選ぶんだ?」


と鼻息を荒く、今にも男につかみかかりそうににらんでいる。とはいえ、のっぺら坊には目がないので、にらんでいるかは定かではないが。


 ここで男は3つの扉を順番に見比べる。白い扉はなんとなく薄汚れて古びているので、なんとなく扉の向こう側に行きたくない気がする。グレーの扉は————


「ああ、もう!まどろっこしい!選ばないなら、私が選んでやろう」


 のっぺら坊は先ほど差し出した手とは反対側の手を頭上高く掲げると、扉のひとつがぎいっと音を立ててゆっくりと開いてくる。


 そして、完全に扉が開ききったときには、男の体は扉の向こうへと吸い込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る