【6】審判のとき

「すべての扉を開いた感想は?」


 男は床にへたり込んで放心状態の遥香を見下ろし、静かに語りかける。遥香はうつむいたまま、それでも涙を流すことはなく淡々と言葉をつむぐ。


「ええ、見えなかったものが見えました。悠人が亡くなった理由も、はっきりと思い出しました。あの子、こんなこと考えてたんですね」


 遥香は目を閉じると、悔しさをにじませて、ぽつりと言う。


「でも、わたし…がんばった」


「まだ言うか」


「でも、でも…。これがわたしにできる精一杯だったの」


「これを見ても、まだそんなことが言えるのか。愚か者」


「じゃあ、どうすれば良かったっていうの!?貧しい生活でも耐えた。人から陰口を言われようと、後ろ指をさされようとも耐え切ったもの」


「それを、無用な“プライド”というのだ。お前のその“プライド”のせいで、悠人は死んだんだ」


「プライドなんて…そんなもの、どこにもなかった!恥も外聞も捨てて、生きてたわ!わたしのせいじゃない!」


「いいや、お前がんだ!」


「やめて…お願いだからやめて!」


「1人で育ててみせるという“プライド”。義両親に頼らなかった“プライド”。悠人の父親にすがりつかなかった“プライド”。公的機関から施しを受けなかった“プライド”。プライドプライドプライド。ああ、無駄だ無駄だ。本当に人間ってやつは愚かだ。救いようもない」


 ここにきて、ようやく遥香ははっと息を飲む。


 遥香は人から施しを受けるのが嫌だったのだ。人からどう言われようとも、周囲の助けを乞うべきだった。“迷惑だ”なんて、都合の良い解釈で、周りに拒絶される恐怖から逃げたかっただけだ。本当は自分が傷つきたくなかっただけだったのだ。


 悠人の幸せ、将来を思えば、そんな恐怖なんて払拭ふっしょくできたはずなのに。それをできなかった…しなかった自分を恥じた。後悔した。後悔しても仕切れない想いで、遥香は床に突っ伏すと、そのまま泣き崩れた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 とめどなく涙がこぼれ落ちて止まらない。なにもかもが、手遅れなのだ。いくら悔やんでも、悔やみきれない。いくら謝っても、もう届かない。


 それでも、今の遥香には謝ることしかできない。一番大切なものを自らの手で失ってしまった想いが、痛みが、遥香の全身を駆け抜ける。


「ごめん…ごめんね…悠人」



   ◇ ◇ ◇



 遥香は十分すぎる時間、泣き続けた。涙が枯れて、ふたたび水が注がれても涙を流し尽くし、ようやく涙が止まってあたりを見回す。男が水色の扉にもたれかかるようにして、目をつぶっている。


 遥香は男に、ずっと不思議に思っていた問いを投げかける。


「どうして、わたしを助けてくれるんですか?」


「助けた?これはまた心外」


「でも、ここは天国なのでしょう?」


「いいや、違う。これは、だよ」


 男は“罰”なのだという。遥香は地獄に落ちても仕方ないと、うなだれた。しかし、男はフッと口の端を持ち上げると


「とはいえ………これは見せてやっても良い」


と、手をかざす。遥香の脳裏に、1つの映像が、映写機で流されるように、ゆっくりと再生される。



   ◇ ◇ ◇



 遥香は、とあるビルの前に立っていた。そのビルは外壁が今にも崩れ落ちそうに傷み、窓もあちこち割れていた。打ち捨てられた廃ビルのようだった。


 そこに、1人の男の子が遥香の前を横切る。男の子は年の頃は7歳くらいだろうか。肌寒い日には見た目にも寒そうな半袖短パン姿で、背中にはランドセルを背負っている。学校帰りに寄り道をしたのだろう。


 男の子はビルを見上げると、深呼吸をし、ぼろぼろにシャッターの下りかかった入り口をくぐると、おそるおそる入っていく。肝試し感覚で、軽い気持ちで廃ビルに入っていっているのかもしれない。


 遥香はぼーっとした頭で、その男の子の後を追う。狭い入り口をなんとか通り抜けると、中はかすかに明るく、裸電球がちかちかと点滅していた。先に入っていった男の子の姿はない。


 中を進んでいくにつれ、なんだか周囲がガス臭い気がする。あの独特な鼻をつく匂いで、思わず遥香はむせる。


 と、ある1つの部屋から明かりが漏れ出ている。突き当たりにあるその部屋を覗くと、中に男の子がいた。窓ガラスは少し開いており、曇ったガラスの向こうからは陽の光もわずかに注いでいる。


 男の子はなにを思ったのか、ランドセルを床に下ろすと、中をごそごそと漁り、中から細長いものを取り出した。季節外れの花火のようだった。


 遥香は働かない頭ながらも、なんだか嫌な予感がし、男の子に呼びかけようとする。「あぶない!」と。


 しかし、躊躇してしまい、一瞬反応が遅れてしまった。


 花火に火をつけた少年の手元が、眩く光る。部屋中に充満したガスに、火が引火し、室内にけたたましい爆発音が響く。部屋中に炎が上がる。と、直後に崩れかけていた天井がバラバラと音を立てて、地面へと落下してくる。


「あぶない!」と遥香は中に飛び込む。


 気づけば、男の子に覆いかぶさるようにして、遥香は瓦礫がれきの下敷きになっていた。


「はやく…はやく逃げ…」


 それが遥香に言える精一杯だった。煙を吸い込み肺がしゅーしゅーいっているし、もしかしたらあばらで肺が潰されてしまったのかもしれない。それ以上に話すことができない。


 男の子はわーっと泣き出すと、遥香の下からっていき、部屋から逃げ出した。


 その後ろ姿を見ながら、遥香は安堵あんどのため息をつき。静かに目を閉じた。



   ◇ ◇ ◇




「わたし…自分をんですね」


「ようやく気づいたか」


「心を………」


「ああ。だが、お前は最期には人を助けたのだ。


「良かった。あの男の子を助けられて、本当に良かった」


 遥香は満面の笑みを浮かべると、男に心からの感謝の言葉を述べた。


「ありがとうございます。最後に素敵な映像を見せてくれて、本当にありがとうございます。わたしの心が救われる思いです」


 男は不思議そうに首を傾げる。男の姿を見て、遥香は再度尋ねる。


「これがわたしへの罰なんですか?救いに見えますけど。なぜ、わたしを救ってくれるのですか?」


「これは救いなどではない。ただ単に、私の人間に対する興味だ。映像を見せたあと、どんな反応をするのか見たい。それに、知りたかった。自分の息子でもない子供を助ける、その心境をな」


「そんなの、決まってます。困ってる人がいたら、無条件に助けてしまう。それも、人間なのです」


 そうして、遥香は男にふたたび笑いかけると、男に問いかける。それが、男には答えようのない質問だと分かっていても。


「悠人は………しあわせだったのでしょうか?」


「さぁ。それは、自分の目で確かめればいい」


「それって…」


「第4の扉を開けてやろう」


 男が大きな手をかざすと、3つの光を失った扉の前に、白い純白よりも白い美しい扉が出現する。


「ここに行けば、やり直せる」


 死神はそれまで見せたことのないほど優しい表情で遥香を見下ろす。そして、決まり台詞のように厳かに敬礼をすると、ゆっくりと最後の言葉を告げる。


「再び、巡り合うことがなきよう、切に願う」


 その言葉を聞き、遥香は静かにゆっくりとうなずくと、白い扉を開け、光の中へと向かっていった。

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