【Episode2−1】3つの選択

「あなたは、どの扉を選びますか?」


 無気味な男が語りかけてきたのは、とある薄汚れた暗晦あんかいな室内。


 目が闇に慣れてくると、すぐそこに1人の男が腕を組み仁王立ちになって、1人の女を見下ろしているのが分かる。


 男の顔は真っ黒で表情がうかがえず、白目だけがギョロリとこちらをにらみつけているし、白と何色かの縦縞たてじまのスーツの白色部分だけがほの白く浮かび上がり、それが男の不気味さに拍車をかけている。それに、どうやら顔よりもひと回り大きな山高帽を被っているようだ。


 この時点では、男はハロウィンの仮装でもしてるのかしら?と女は特に不審に思わなかったのだが、男からは一向に話す気配もない。


 しばらく無言を貫いていた男に、無音の空間に耐えきれず、女の方から話しかけた。


「え…わたし…どうなってるの?」


「あなたは、死んだんですよ」


 思ってもみないほど低い声音が、女の鼓膜こまくを震わせる。


 女は驚きのあまり、勢いよく立ち上がる。小さな身体が、ぐらぐらと激しく揺れる。床はきしみ、大きく建物が傾いたのか、せっかく立ち上がったのに再びその場で尻餅をつく。


「いっ………たぁ。びっくりさせないでよ。冗談きっつ。ああもう、あざになったらどうしてくれんの?」


 尻を激しく打った女は、腰を浮かし患部をさすると、苦々しげに男を見上げる。見越したように、男は口角を上げ、女に笑いかける。男の口元には、まばゆく白く浮き上がった歯が怪しくのぞいていた。


「状況がまったく飲み込めていないようですね。周りをゆっくりご覧なさい」


 ここに来て、ようやく女は周囲を見回す。広さ16畳ほどの、元はオフィスだったのだろうか。不自然に真っ黒になったオフィス用の机と椅子、それに型の古い大型のPCがそこここに転がっている。壁はあたかも火事の焼け跡のようにすすけて、コンクリート製の床は抜け落ちそうにあちこちからギシギシとラップ音を響かせている。


「は?なに言って…」


 女はそこはかとない居心地の悪さを覚え、目の前の男に呼びかけたが、返事はない。それどころか男は、女が眼前にいることもすっかり忘れ、存在を無視して独り言を言っているようだ。


「死んだ?いや、違うな。これでは正確ではない。もっとこう、自発的な他動詞がふさわしいはずだ。そうだそうだ」


 男は1人で納得したのか、うんうんと何度もうなずきながら、女が話の腰を折るのも許さないとばかりに、間髪入れずに続ける。


「あなたが、んですよ」


 “殺した?”なんて恐ろしい言葉なんだろう。女は首を傾げる。女は虫も殺さないと自他共に認める穏やかな性格だし、実際に意識的に虫であっても退治することもなかった。それは、女にとって最も縁遠いと思っていた言葉であった。


「あなた、私とは初対面よね?いきなりなんなの。殺したとか意味不明だし、ちょっと失礼すぎやしない?」


 女は多少口が悪いとはいえ、怒りをあらわにすることはほとんどない。それでも言われのない言葉をぶつけられて、黙っていられるほどお人好しでもない。


 再び立ち上がり、不安定な床でバランスをとりつつ、ゆっくりと男へと近づいていく。失礼なことを言ってくる男の顔を拝んでやろうと思ったからだ。しかし、男に近づくにつれ、男の身長が自分よりも頭2つ分も大きいことに気づき、怖気おじけづく。襟首えりくびでもつかんでやろうと思っていた気持ちが、すっかりえてしまう。


 不意に、不気味な男は手を女に向けてかざす。すると、前進していた女の足が止まる。見えない壁にはばまれるように、ある一定の距離から男には近づけない。


「えっ…なんで!?ちょ…どういうこと!?」


「お前みたいな、げせ(下賤げせんな)…人間に、私は触れられはしない」


 “あなた”と呼んでいた礼儀正しさはどこへやら、男は“お前”とさげすむと、荒々しく


「そんなことより、どの扉を選ぶか、早く決めないか」


苛立いらだちを見せる。すると、その言葉を合図に、男の背後に長方形の板が3つ出現する。


 薄ぼんやりと3つの扉は光り、左から蛍光塗料のようにあざやかなピンク、澄み渡った空のような水色、藤の花のようにあでやかな紫色が映し出される。


「選ぶって?このどれかから、どこかに行けってこと?てか、あんた誰よ」


「質問の多い女だ。お前にとって、私が誰かなんてどうでもいいこと。どっちにしろ。無駄話はやめておけ」


 男はかざしていた手を表にひっくり返す。不可思議な力に動かされ、女の身体はみるみるうちに扉へと引きずられていき、ピンクの扉の前まで引っ張られていく。ピンクの扉の周りから光が放射状に伸び、扉が開くと眩い世界が広がっていた。


「ちょっ!なにこれ!やめて…ああ!」


 女の叫びだけを残し、女の姿は扉の向こうへと飲み込まれていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る