【3】
(はー、すんごい大企業感……)
溜め息をつきながら思わず語彙力を失う冴子は、新宿駅から徒歩七分。
三丁目駅からなら徒歩二分の『四菱セントラルタワー』の三十階にいた。
ドーナツ型のオフィスビルは二階から四十八階まで吹き抜けになっており、内璧はガラス張りだ。
見下ろせば一階のステンドグラス張りの天井が見える。
今日はしゃけさんの面接当日だ。
この超高層ビルの三十階から三十三階までが『四菱システムホームランドセキュリティ』のオフィスだった。
政府の獣人への対応は意外と手厚い。
派遣社員とはいえ、ハ○ーワーク職員の対応もまたしかりで、ただ面接の場をセッティングするだけでなく実際に面接への同行と、そしてもう一つ、『推薦人』としての役割があった。
振り返ると、白い扉の前に待合用の椅子が並んでいる。
この扉の向こうで今、しゃけさんは戦っているのだ。既に一時間が経過していた。
筆記から面接のハードコースだ。
(筆記の穴は対策済み。性格診断はブレない解答をすること、あとは面接だけど……)
心配だ。伝えられる限りのことは伝えたし、対策もした。それでも懸念はある。
気弱な性格もあいまってか、しゃけさんは圧迫面接に弱い。
などと考えているうちに、扉の向こうからお礼や挨拶の声が聞こえてくる。
終了の気配。
がちゃり、とドアノブが回り、ずんぐりむっくりとしたスーツと毛皮の巨体が出てくる。
部屋を出た後にもう一度室内を振りかえり、
「ありがとうございました。是非ともよろしくお願い致します。それでは失礼致します」
挨拶の三段活用を決めて扉を閉める。
ドアノブから手を離したしゃけさんは大きく息を吸って、吐いて、こちらを振り向いた。
「お疲れ様でした。しゃけさん」
「田嶋さん……」
冴子を見た彼は張っていた肩肘の力を抜いてがくりと落とす。熊面はくしゃりと歪んだ。
もうそれだけで、分かった。冴子は柳眉の端を吊り上げる。あえて、不敵に。
「あとはお任せください」
鼻面にコーヒー缶を突き付けて言う。にやっと笑う意外性もつけておく。
今はたぶん、それが必要だと思ったからだ。
「それじゃちょっこし、社長面接でももぎ取ってきますよ」
親指を上げて面接室に向かう。
コーヒー缶を受け取ったしゃけさんの表情はどんなものだったのだろうか。
冴子には分からないが。ここからが自分の仕事だった。
「失礼いたします」
ノック三回を決めた後、冴子は面接室に入る。
冴子の通う古ぼけた公共のオフィスビルにも大会議室というものがある。
三十人程度が卓を丸く囲んで座れるようなスペースだが、この部屋も広さは似たようなものだった。
ただし、置いてある机は三つ、椅子は四つ。つまりは面接官との三対一。
(えーと……左から人事ヒラ、人事課長、部門長)
適当にあたりをつけながら、冴子は一礼。
まずは軽いジャブだ。定型の挨拶を投げる。
「公共職業安定所・『獣人病』案件等対策室の田嶋冴子と申します。この度は新巻鮭昇さんの推薦人として参りました。選考の機会を頂きましてありがとうございます」
「伺っています。どうぞ」
「失礼いたします」
正面に座る人事課長(仮)に促されて席につく。眼つきの鋭い男だった。
一呼吸置いて、冴子から言う。
「面接を終えてみて、いかがでしたか?」
「そうですね。経歴は申し分ないかと思います。知識の面でも充分に弊社の水準を満たしているかと」
「ありがとうございます」
「ただですね……」
人事課長の眉根が寄る。表情の使い分けが上手い人物だ。
一瞬で不安感を煽って来る。
「彼の症例に照らしてみると、弊社の求める技術者としてのスキルの面でやや不安材料が残りますね」
「スキル――と言いますと、具体的には『どの動作』になりますでしょうか?」
冴子は努めて限定的に言う。相手の反応が想定内だったからだ。
人事課長よ、次にお前は『マウスとキーボード』と言う。
「そうですね。端末への入力動作、端的に言えばマウスとキーボードの操作に支障がないかどうかということです」
「はい。その点については本人も対策済みのようです。通常のデバイスですと確かに端末操作に支障があるようですが、専用のパッドを使うことで解決しています」
「それがですね? 同じ質問を彼にもしたんですが、どうにも自信がなさそうな受け答えが返ってきまして……手前共としてもいまいち確信が持てないのが現状です」
どうやらしゃけさんはここで詰まったらしい。
しかし、これもまだ想定内。冴子は明るいトーンで心がけながら口を開いた。
「そうでしたか。おそらく面接されてお分かりになったかと思いますが、新巻鮭さんは内向的な性格です。ですがそれは、『獣人病』の発現からなる、他人を過剰に刺激しないためのもの。御社の業務を遂行する上での協調性とスキルは十分にあるかと思いますし、私どもとしましても、彼の確かな職務経験と、再取得した資格で判断して頂ければと」
「まあ、確かに彼の症状ではどうしても、周囲に威圧感を与えてしまいますからね」
相手の意見を決して否定せず、過剰に下手には出ず、あくまで対等に。これが鉄則だ。
自分で敏腕だとは思わないが、冴子にも積み重ねた実績がある。
「えー、と。田嶋さんでしたっけ? ちょっといいですか?」
右から声がかかる。
オフィスカジュアルな格好をしているから多分、現場責任者だろう。
「僕らとしても一緒に仕事をする仲間になるわけだし、中途での採用になるでしょ? 書面だけの判断でならいくらでも採用するに足る履歴書は集まるわけですよ」
「――それは、その通りかと思います」
これは火の玉ストレート。本命は右だったか。
裏をかかれたような気になるが、冴子は怖気づかない。
頭の中をぐるぐると回しながら、冷静に空気を作る。
この場は次に繋げることが重要だ。
「であれば、どうでしょう」
目の前の三人を一度見渡し、
「技能面での選考機会も頂けないでしょうか」
帰り道。夕焼けに照らされる美女でもないし野獣でもない二人が往く。
お互いに満身創痍の体。色んな意味で疲れ切っていたが、ひとまずはやり切った。
「あとは結果を待ちましょう。話し合いには持ち込んだんで、すぐに社長面接は無理でも実技試験に進めそうです」
「はあ。ですか……」
冴子の言葉に曖昧な頷きを返すしゃけさん。
疲れているのかいつも以上に覇気がない。
熊と言うよりは最早ポメラニアンのよう。
公務から外れるようだが、たまにはいいだろうか。
「一発気合入れましょう。飲みにでも行きます?」
「いや、はは……この身体になってからあんまりお酒には酔えなくて」
「あー……そうでしたね。すみません」
「いえ、気持ちだけ受け取っておきますよ」
なんだか気配りのできる男とできない女みたいになってしまった。
いつか同じ土俵でまたリベンジしよう。と冴子は心の中で誓う――と。
「お?」
不意に響き渡るトラディショナル・メタル。
社用携帯の着信音である。
これについて公私混同と言われたら冴子に反論の余地はない。
メールが来ていた。
発信元は『四菱』のsaiyoうんたらかんたら……。件名は、
「次回選考のお知らせについて! 返信はや! やりましたよしゃけさん!」
「え――」
その時の彼の表情は、やはり熊面だけに分かりづらいものだったが。
冴子には何だか気だか魂だかが抜けたように見えて、それを驚きの表情なのだと思った。
「やったやった! これは脈アリですよ! 内定の道も見えてきましたね!」
「え、ええ……本当に? 田嶋さんのおかげかな」
「これは、チームワークの勝利です!」
「ああ、はは……ですね」
しゃけさんも実感が出てきたのか。いつもの苦笑じみた表情に戻る。
一方的にテンションも高く駅まで一緒に歩いて、そこでお開きとなった。
冴子は地下鉄、しゃけさんはジェイ○ールということで、自然と改札前で分かれる流れとなる。
「それじゃあここで。しゃけさんも今日はゆっくり休んで下さいね」
「はい。お世話様でした。それでは」
男が背を向けて、改札へと歩いて行く。
……そこでふと。
「しゃけさん?」
「はい?」
振り向いたのはいつもの熊面だ。
「ええと、実技試験もきっちり対策していきましょう!」
「大丈夫――現役時代の爆速プログラミングを見せつけてやりますよ!」
ぐっと太い腕を上げて去っていく。頼もしい背中だ。
冴子は、もう声をかけなかった。
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