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 俺がなにものなのかは最後までわからないのかもしれない、わからないままに終わってしまうのかもしれない。だが、俺が俺であることを決定づけるなにかは、もしかしたら手にできるかもしれない、そんな予感がし始めていた。

 ギンザシックスの地下二階、フーズの階に、俺は満面の笑みで降り立っていた。周りからすればさぞ不気味だったことだろう。

 俺を出迎えてくれたのは、にょろにょろと蛇行するワインの道と、その先に広がる総菜と菓子の展覧会だった。

 網の目をした通りをあみだくじのように巡っていけば、行く先々で「おひとつどうぞ」と声がかかり手を差し伸べられる。笑顔は人を変えるというけれど、おや俺はそんなにも魅力的になったのかと考えてみればただの試食の案内で、だから俺は軽く礼を告げて、肉を、煎餅を、グミを、パンを、次々に味わっていった、はしから食い荒らしていった。

 最後にラング・ド・シャを一口二口かじりながら、さてと笑顔を前に向けると、続く道の奥、突き当たりの壁の並べられた椅子に、黒いTシャツを着た三人の男が座っていた。男たちはおのおのその手に緑色のなにかを握っていた。

 なんだろうと思いながら近づいていくと、それは透明なカップに入れられたなにかだとわかり、そしてなるほど男たちの手前には抹茶専門店があって、そこで売られている甘味のようだった。おいしそうだなとは思いつつも、俺にはそれを手に入れられるだけの余裕はなかった。

 それに、近づいてみてわかったことだが、俺はその甘味よりもなによりも、座っている男たちのほうに心がひかれていた。

 見たことのある三人の男は揃いの柄のTシャツを着て、思い思いの甘味を片手に熱い議論を交わしていた。題はどうやら音楽のことのようで、ひしめき合っていく和音に乗っかっているバニラアイスが今にも溶け出してしまいそう。

 耳に届いてくる男たちの声は、ギンザシックスに響くその音はその歌は「THE XXXXXX(ザ シックス)」の「冷静に暴れていこうか」

 気がつけば俺は目を開けるのがやっとの体躯になっていて、白く冷たくやわらかなベッドに横たわっていた。

「孝之(たかゆき)はどうだろう?」「剛(ごう)がいいんじゃない?」「朝陽(あさひ)でしょう?」「ヨシヒコとかケンタウロス男とか別の仏とかもあるけど」「どれも素敵な名前ね」「決められないな」「どうしようか」「そうだね」「ねえねえ」「お姉ちゃんはどれがいいと思う?」「……」「どうかな?」「……」「……どれもいや」「どうして?」「いやなの」「どうして?」「……」「どうしても?」「どうしても」「理由を教えてほしいな」「……」「だって」「だって?」「全部借りものの名前だから」

 俺はいつだって手を差し伸べられてきた、そうやって生かされてきた、それだけだった。

 こうして差し出されたものを取り込んでいくだけで、こうしてベッドに横になって守られているだけで、裸の王様はありもしない豪奢な服を自慢して、なにかを成し遂げた気になっている。

 与えられているばかりではダメなのだ。

 だが、だが同時に、与えられることを恐れすぎていてはダメなのだ。

 そうだ、いっそのこと与えられるすべてを血肉に変えていくのだ、貪り尽くしてやるのだ、そうやって血に酔って肉に溺れていかなければきっとなにかを成し遂げることなどできやしないのだろう。そんなぽっと出の野心にかられた俺はもしかしたらワインの香りに酔ってしまっているだけなのかもしれない。

 ただ一言だけ断っておくと、ワインの道にアルコールは漂っていなかったし、試食した惣菜や菓子にもアルコールは含まれていなかった。つまりこれはただの場酔いなのであって、熱狂的な音楽狂いなのであって、年ごろ男子のいきすぎた脳内爆発なのであった。

 だから俺はついには甘いベッドごと和音に身体を溶かされ尽くして、おたまじゃくしになって男たちをすり抜けてエスカレーターで

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