第5話 墓守と屍人と恋心


「エステルの絵を飾りたい」

 そう申し出たのは僕だった。

「でもウチに額縁なんて無いんだよね」

「では作ってはどうです?コツを掴めば簡単に出来ますよ」

「作り方知らない」

「私がお教えしますよ」

「……………………いいの?」

「勿論」

 技術は人に教わるな、見て盗めというのが我が家の家訓で、墓守の仕事も父さんのやり方を見て覚えた。だから誰かに教えを乞うのは初めてだった。しかもエステルが手ずから教えてくれる。彼女の絵を飾る額縁を、彼女と一緒に作ることが出来る。そのことに僕はすっかり舞い上がっていた。


 翌日、2人で朝食を食べ終えてから、僕はすぐさま出掛ける準備をした。午後から墓守の仕事が2件入っているのだ。その前に町へ木材を調達しに行き、エステルに額縁の作り方を教わらなければならない。


「出来ればウォールナットの木材をお願いします」

「ウォー……?何それ?」

「あの色合いが好きなんです」

「そのウォーなんちゃらって木の種類のこと?」

「あの質感も好きなんです」

「無視しないで……?」

 いつの間にかエステル好みの額縁を作ることになってしまったけれど、それも良いと思う。彼女の喜ぶことをしてあげたい。家にあった金をかき集めて鞄に突っ込んだ。いつでも埋葬しごとに取りかかれるように、小屋の入り口にシャベルを立て掛けておこう。


「誰かが訪ねて来ても外に出ないでね」

「いつもの居留守ですね、わかっています」

「すぐに帰るよ」

「急いで転けないように気をつけて下さい。ルナは鈍臭いですから」

「う、うるさいな!」

 すっかり子ども扱いだ。同い年とほ思えないくらい落ち着いているエステルは、時折幼子を見守るような目で僕を見る。


「それじゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」

 手を振るうエステルに見送られながら小屋を出る。何度か振り返っても彼女はずっと入り口に立っていて、結局姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。



 こんなに楽しいのはいつ以来だろう。

 材木店で買ったばかりの木材を小脇に抱え、僕は早足で帰路に就いた。墓穴を掘ってばかりの毎日でこれほどまでに心踊る事なんてあっただろうか。エステルは灰色だった僕の日常キャンバスを鮮やかに塗り替えてくれた。彼女といるとドキドキする。ワクワクする。チクリと刺すような胸の痛みと、そのあとにくる幸福感。エステルのためならば何でも出来る気さえする。

 恋を知った僕は無敵なのだ。

 途中、曇り雲が頭上に見えた。それは次第に広がり始め、ついにはポツポツと雨が降り出した。 せっかく買った木材が濡れては困る。小走りで小屋へと続く林を抜けると、墓地のなかにポツンと建つ我が家が見えた。


「ただいまー………………エステル?」

 ドアを潜って帰宅を告げる。

 返ってきたのは違和感だった。

 静かすぎる。いつもならエステルが出迎えてくれるのに。少し濡れてしまった木材と鞄をテーブルの上に置き、その辺にあったタオルで水分を軽く拭き取る。窓の外からは雨音が聞こえた。まるでエステルと出会った夜みたいな激しい雨だ。そんなことを考えながら室内を見回すと、ふと足りないものに気付いた。


「………………シャベルが無い……?」

 入り口のところに立て掛けておいたシャベルが無くなっていた。まさかエステルが使ったのだろうか、…………でも何故?

 もしかすると墓地にいるのかもしれないと思い、僕は傘を手に取って外に飛び出した。

 小屋を出て暫く進むと広い墓地の中心部に辿り着く。エステルが星空のデッサンをしていた場所だ。


 エステルは、そこにいた。

 けれど1人ではなかった。


「ああ、ルナ君」

 傍らに神父が立っていた。

 どうして神父が、と思ったが直ぐに合点がいく。死者の鎮魂には神父の祈りが必須だ。午後からの埋葬のために、時間より早く墓地に来たのだろう。神父の足元では、シャベルと首と胴体が離ればなれになったエステルが事切れていた。肉の見えた彼女の首からしとどに溢れ出る赤を見て、屍人ゾンビの血も赤いことを知った。


「いやあ驚いたよ、キミを訪ねてみたら先日埋葬したはずのエステル・ビビッドの屍体がいるじゃないか。しかも動いて、喋るとは!まさか屍人ゾンビなんてものが存在するとは…………あれは人の理を無視した異物、まさに神を冒涜するものだ。ルナ君の家に何故居たのかは分からないが、良からぬ事を仕出かす前に退治しておいた」


「……た、いじ…………?」

「シャベルで数回殴って首を切断したのさ。いやはや、逃げ出すから追い掛けるのに苦労したよ」

 一仕事終えたかのように神父が朗らかに笑う。

 頭が真っ白になった。

 言葉が喉につっかえて上手く喋れない。

 なんで神父は笑っているんだろう。

 なんでエステルは倒れたままなんだろう。

 なんでエステルは起き上がらないんだろう。

 なんでなんでなんで、?


 考えれば分かる事だ。

 エステルの存在は人々に混乱と恐怖を招く。町の人達が知る前に不穏分子を取り除こうとした神父は悪くない。

 それにエステルはすでに死んでるのだ。今まで動いていたのが奇跡なだけで、元の物言わぬ屍体に戻っただけだ。屍人ゾンビの存在をすんなり受け入れた僕が異常なのだ。


 けれど、あんまりじゃないか。

 いつか別れが来るとは思っていたが、こんなにも唐突に、無情にも、第三者にエステルを奪われるなんて想像すらしなかった。

 胸は張り裂けそうなほど苦しくて、気を抜けば足許から崩れ落ちてしまいそうだ。吐き気がする。眩暈もする。ドロドロとしたどす黒い感情が腹の底から沸き上がる。エステルが再び死んでしまった悲しみと、エステルが殺された苦しみと、神父への憎しみに、体が突き動かされた。

 それは衝動的だった。


「さて、またエステル・ビビッドの屍体を埋めなければ。ルナ君、手伝ってくれ」

 神父が後ろを向いた瞬間。

 僕はシャベルを拾い、その後頭部を目掛けて大きく振りかぶった。




「主よ、我等身罷みまかりし者の霊魂の為に祈り奉る。願わくははその全ての罪を赦し、終わりなき命の港に至らしめ給え、アーメン」

 今日も変わらず、神父の祈りが捧げられる。


 前任の神父がで亡くなった翌日。

 聖テレサベル教会本部から派遣された新任の神父は、早速仕事に取り掛かった。

 今日は2人埋葬しなければならないからだ。

 ひとりは前任の神父。

 もうひとりは墓荒らしに遭った画家の少女。

 参列者は誰もいない。少女の屍体を掘り起こし、天罰が下った神父の墓に花を手向ける者など誰もいない。そんな罰当りな人間が聖職者の皮を被っていたなんて、死んで当然だと、少女の呪いだと、町の人達は口々に言った。


 けれど、僕にはそんな事どうでもよくて。

 エステルがいなくなってしまった日常は、急に色を無くしてしまった。何を食べても味がしなくて、何を見ても何も感じない。土を掘って、掘って、掘って。墓守の仕事をするだけの毎日に戻っただけなのに、もうエステルと出会う前の自分には戻れない気がした。


 きっと僕は後悔しているのだろう。

 想いを告げる事なく、彼女は逝ってしまった。どうしてあの時、エステルに好きだと言わなかったんだろう。どうして彼女と過ごす時間が、いつまでも続くと錯覚してしまったんだろう。幼い妹や、両親が白雪病で死んだ時もそうだった。僕はいつだって遅すぎる。大切な人に大切だって、大好きだって伝えられないのが悲しい事を知っていたはずなのに。


 いつだったか、初恋は実らないのだと町の人が言っていたのを聞いた事がある。

 全くもってその通りだった。

 僕が臆病だったばかりに、僕の恋心はエステルに届く前に儚く散ってしまったのだ。

 心にポッカリと穴が空いたような、虚無感だけがそこにあった。


「大丈夫かい?」

「え……?」

 エステルが入った棺を掘った穴に寝かせたものの、上から土を掛ける事を躊躇していた僕に、新任の神父が声をかけた。前任者よりも幾分か若い神父は、心配そうな目でこちらを見ている。

「何か思い詰めているような顔をしていたから」

「ああ……まあ、そうですね」

 心を見透かしたような鋭い指摘にドキリとした。

 シャベルを強く握り締める。

 2人分の血を吸ったそれは、どうしようもなく重く感じた。

 誰にも言うつもりのなかった秘密は、僕のなかに仕舞っておくには少し苦しい。吐き出す事で少し楽になるのではと思い、口を開いた。僕はちゃんと笑えているだろうか。

「昨日、失恋したんです」

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