第3話 墓守と星降る月夜①

 エステル・ビビッドが生き返って2週間が経った。彼女に殴られた僕の頬の腫れも随分と引いた。そのあいだもエステルは呼吸して、会話をして、僕の作った料理を美味しそうに食べていた。家族を白雪病で亡くしてからずっと独りだった僕にとって、屍人エステルという奇妙な客人は決して嫌なものではなかった。誰かと言葉を交わし、一緒に食卓を囲むことがこれほど心安らぐことを、エステルは思い出させてくれた。彼女といるとあたたかい気持ちになるのだ。まるで普通の人間のように振る舞うものだから、僕はよくエステルが死んでいる事を忘れそうになる。けれど彼女の顔色は血の気がない真っ白で、時折腕を蛆虫が這っていたりするから、やはりエステルは屍人ゾンビなのだと思い知らされる。



「ルナ、ふたつめのお願いが…………」

 水が飲みたいと言ったエステルが次に要求したのは、筆とキャンバスだった。


「まだ途中までしか描けていない絵が家にあるのです。どうしても完成させたいのですが、取って来て頂けませんか?」

 エステルの家は町の外れにあり、僕の住む小屋とは真反対の位置にあった。有名な画家だったエステルが死んだことは町中の人間が知っているから、当然屍人ゾンビの彼女自身に取りに行かせるわけにもいかず。エステルが生き返った事が知れたら町は大パニックだ。とくに神父様は信仰深いから、屍人ゾンビの存在を認めないだろう。神への冒涜だ云々と騒ぎ立てるに決まってる。

つまり、必然的に僕が取りに行くことになる。正直面倒だったけれど、彼女の絵を見てみたいと思っていたので断る理由もない。二つ返事で使いっ走りを引き受け、その日の夕暮れに未完成のキャンバスを持って帰った。


「それは何の絵?」

「夜空ですよ。此処は私の家から見えた角度と同じところに月があるので助かります。配置を変えずに済むので」

 エステルが絵を描くのは決まって夜が更けてからだった。墓地の真ん中を陣取り、立てたイーゼルにキャンバス乗せ、空を眺めながら筆を動かす。最初、人の目があるから日中は外でスケッチするのを止めているのかと思ったのだがそうではないらしい。

 エステルが描いていたのは月の輝く夜空だった。日に日に塗り潰されてゆくキャンバスを眺めるのが面白くて、完成が楽しみで、いつしか夜更かししてエステルの作業を隣で見るのが日課となっていた。


「うーん…………」

「どうかした?」

 いつもは紅い目を輝かせながら生き生きと(死んでいるけれど)した顔で絵を描くエステルにしては珍しく、思案顔でキャンバスを睨んでいた。


「足りない……」

「足りない?何が?」

「スパイスです」

「へえ…………?」

 彼女の言うことは、たまに意味が分からない。芸術家というのはそういうものなんだろうか。


「夜空を彩る、星というスパイスが足りません」

「じゃあ描けばいいじゃん」

「私の専門は模写です。見たものしか描けません。しかしこの絵を描いている途中で倒れたので、星空を見る前に死んでしまいました」

「つまり…………星が降るのを見ないと、絵は完成しないってこと?」

「そういう事です」

 なるほど。画家というのは難儀な生き物らしい。自分がこうと決めた事は死んでも曲げず(もう死んでいるけれど)、融通が利かない。驚くほどに頑固な性格だ。エステルに限るのかもしれないが。そんなもの適当に想像で描けばいいのにと思ったが、言ったところで彼女が聞く耳を持たないことを僕は知っている。ならば言うだけ無駄だ。口を出す代わりに手に持ったランタンを持ち上げる。彼女の手元が少しでも見えやすくなればいいけれど。


「そうだ」

 ランタンに照らされたエステルの顔がパッと明るくなる。何か思い付いたらしい。そのまま黙って見つめていると、突然、エステルが両手を頭上に突き出した。一瞬ぎょっとなる。え、何こわい。


「星よー!」

 そして、夜空に向かって大声で叫んだ。

 この子は馬鹿なのかな。


「ちょっと!?叫ぶの禁止!」

「星よー!」

「誰かに見られたらどうするのさ!」

「星よー!」

「……ねぇ無視しないで?」

 やはり言うだけ無駄らしい。仕方ないので実力行使で口を塞がせていただきます。


「何してるの!」

「もがもが」

「…………何もしないでね?」

「もが」

 静かにしろよと視線で殺してから、押さえていたエステルの口を解放する。


「…………で、何してるの?」

「星を呼んでいます」

 やっぱり馬鹿なのかもしれない。


「私は至って真面目です」

「真面目に呼んでも星は来ないからね?」

「来ますよ」

「ありえないから。脳内お花畑かよ」

「ルナ、脳内にお花畑は在りませんよ?」

 何を言ってるんだコイツは…………と言いたげな顔をしたエステルが僕を見上げる。突拍子のない発言ばかりする彼女にだけは言われたくないんだけど。


「しかし、お花畑はありませんが、奇跡はありますよ」

 エステルは確信を持って言った。


「奇跡はあります」

 彼女が重ねて言う。僕を見つめ、子供に言い聞かせるようにエステルが優しく微笑むと、僕の心臓がチクリとした。彼女と一緒にいると胸が痛んでばかりで不思議だ。


「私が生き返ったのですから、呼べば星が降るくらいの奇跡も起きますよ」

「……エステルが言うと説得力あるね」

 死んだ人は生き返らない。

 それこそ奇跡でも起きない限り。

 けれど、その奇跡が僕の目の前にいるのだ。

 奇跡の存在に言われると、本当に星が降るような気さえしてきた。

 それに、見てみたいのだ。

 完成したエステルの絵を。

 誰もが恋する彼女の絵を。

 そうしたら、何だかこの胸の痛みの正体がわかるような気がするのだ。エステルを真似て、月がポッカリ浮かんだ夜空を見上げる。彼女のいう奇跡が起こればいいのに。

「ですから、ルナも一緒に叫びましょう」「それは遠慮する」

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