第八話『車中のクライムファイター』・「ハイタカと呼べ」

 ワゴン車の荷室の側面に座ってると背中で揺れを感じた。

 床にはロープや道具も転がってる。

 ここから見える運転席のガラスの外はもう暗い。

 荷室で座席の後ろに陣取る。その鋭い視線を感じながらも、バンに乗るまでの光景が頭によぎった。



  *



「もしもし」

『ナオヤさんもしもし』

「ああフライヤ。ごめん今トワカちゃんがいる」

『ウン。用事あって。スグ切る』

「私あの、直也さんが手をあげてくれたら耳ふさぎます」

「しなくていいよ。フライヤ、どんな用」

『ナオヤさんに伝えろって。ニチジには必ずコイと」

「そうか」

『文で送るネ』

「わかった」

『……』

「用は終わりかな」

『ナオヤさん』

「うん」

『イッちゃダメ』

「ああ」

『シラナイけど危ない』

「ありがとう」

『ムシして』

「できない」

『どーして』

「重要だから」

『わたしは……』

「ごめん。わかったって彼氏に伝えて」

『彼氏。

 彼氏じゃ、

 ナイ』

「やっぱり。そうか」

『ウン……だから』

「なおさら俺が」

『ナオヤさん』

「うん」

『助けて』



  *



 ホステスみたいな服になった師匠セックが戻った。兎羽歌ちゃんが帰ってから居残り会も始まった。

 仁王立ちで満足げに言ってくる。


「二人の面構えでわかる。情動伝染でが成功したね。トワカ嬢の人柄も前より理解できたか」


 意味はわからないが複雑になったよ。


「じゃあ俺たちのが狙いだったんですか」

「どこまでもあたしの思惑さ。キミらは良い弟子だよ」

「はあ、いいんですかね」

「おかげでフローも芽吹いたろう。その調子で技能スキルを高めるがいい。不必要な情報は遮断して必要な感覚に回せるように」

「頑張ります」


 眉をひそめた彼女が声を張り上げてきた。


「冴えない顔して! 一つ忠告。あの子はナオヤ君が思うほど愚かではない。最初からキミをしっかり見てる。イヌ科は人間を嗅ぎ分けるんだよ。狼の嗅覚も伊達じゃない。己に必要なモノはなおさらだ。彼女イヌでもな。それをゆめゆめ忘れるな」


 見透かされたのか。

 それでもまた考えだしたら人生が後退する気がした。

 だから今はなにも考えない。


「さてナオヤ君にをあげる約束」


 紫色のフェイスベールが揺れて彼女が身をひるがえした、

 と思ったら黒い塊が床に投げ落とされてる。

 俺のスーツとマスクか。


「少し拝借してた。馴染みに器用な小人ヤツがいてね。借りもあるから改良させた。急造だから。そうね、ナオヤ君にならえば、Verバージョン.1.5」


 無意識に手を伸ばす。


「まだだ! いい子ならまだ見ておけ。人生で一度拝めるどうかの魔法わざ。このビッグ・セックによる秘術、神秘の贈り物ギフトを」


 彼女は左手を突きだしていた。

 右手にはうちの包丁を携えて。



 呪文めいた言葉が響いたら風切り音がした。

 五回。

 右手の刃を左手に向けて五回振ったのか。

 速すぎたせいで遅れてボトボトと落ちる音がした。

 スーツの上に。


 兎羽歌ちゃんの顔が浮かぶ。


『ヤクザ屋さんの映画みたいに』


 指が。


 五本は多すぎる。


 また言葉が響いて、



 すぐにザンッと音がした。

 指のない手の甲がマスクの上にベタっと落ちる。


 異様な状況なのにある一点に目を奪われた。

 突きだしてる左手首の断面、


 てらてらと波打つ、銀色――シルバー


 もう違って断面がリアルな血肉や骨の、


 なん、だ。ショックで錯覚を見たのか。


「ナオヤくぅん心配してくれてるの」


 師匠セックがブリっ子みたいに体をくねらせてる。わざとらしく左腕を後ろに隠しながら。


「大丈夫だよぉーほらっ」


 前に出された左手。

 元に戻ってる。

 女子高生みたいに手を振りながら。

 まるで手品だマジック

 急いで床を見た。

 マスクやスーツの上に落ちた指や手がなくなってる。


「なに、これ」あっけにとられすぎた。

「胸が一気に縮んだ。男はやはり大きいほうがいいよな」


 彼女は両目をつむり残念がってる。

 右側の青い眼だけ開けると真剣な目線で告げてきた。


「だがそれで、Ver.1.5セックタイププロメテウスだ」



  *



 小学生の兎羽歌ちゃんをひいたのはこんなバンだったかもしれない。

 荷室で揺らされた俺の単なる想像だったが燃料にはなって怒りも揺れた。

 同時に二人の男の会話を聴き取ってもいた。


「しっかしマジすか今回のネタ元」

「ああ。オレが寝てやった社長の口から聞いたから確実だ。あのババアが寝言で気持ちよさそうに金庫の番号を復唱してた」

「どれぐらい入ってるもんすか」

社長ババアをおだてて中身を見た時は一千万以上」

「すげえ」


 運転中の男は前を見ながら座席の後ろに向けて喋ってる。

 座席の後ろに座ってる。夏を迎えるには厚着すぎるだ。短髪も金から黒に戻したのか。

 また運転手が喋りだす。まるでお喋り野郎。


「その女社長よっぽど久々で気持ちよかったんすね。さっすが床上手のだわ」


 一ノ瀬が座ったままで座席の後ろをドンと蹴った。


「おい。事務所に着く前に殺されたいか。今回は本名で呼ぶなと言ったろ」

「あ、すみません……」

「全員の名前を決めたよな。と呼べ」

「もうしくじりませんので」


 震える声の調子で察せた。ヤマと呼ばれてる男は一ノ瀬を恐れてる。


「ヤマ。根谷ねたにとはあれから連絡とれたか」

「それが根谷さん入院したらしいです。頭の病院に。化け物を見たって騒いでるとかなんとか」

「薬でもやったのかあいつ」

「根谷さんが高坊と強請ゆすりやってる時に相手からボコられたって噂で」

「やられて頭を打ったのか。ガキとつるむからそうなる」


 根谷って佐藤さんの時の。

 一ノ瀬と知り合いだったのか。

 偶然か。


「ハイタカさん。川畑かわばた組の件はどうしますか」

「繋ぎ役の根谷がいないとパァだ。それに組は最近手酷い損害を受けてる。もう動けないだろうな」

「ですかね」

「代わりにこの件をオレたちでやれる。やつらのシマで堂々と。だからわざわざ根谷の穴埋め役も用意した」


 運転席の男が振り向いて俺を見た。次はちらりとの一ノ瀬を見た。


「後ろにいるコスプレ男のアレほんとに大丈夫なんすか」

「黒いアレか。夜なら身バレ防止にもちょうどいいだろ。オレも金髪から黒に戻したからな。それに。だからいいか。オレにボコられたくないなら服の話は二度とするな」

「わ、わかりました」


 男が疑問を持つのも当然か。俺は全身が黒いスーツで黒いマスクも着けてるんだから。

 俺だけじゃない。ハイタカと名乗ってる一ノ瀬の格好も妙だ。

 ヤツは身を包むように灰色のロングコートを着ていた。

 顔の下半分も紫色のネックウォーマーで包んで隠してる。

 鋭い眼光だけ動かして頻繁にこっちを見てきた。


「ハイタカさん。事務所が見えてきました」

「そろそろ出るぞ」


 一ノ瀬が中腰になった。


「わかってるな田な。いいや


 なにも答えず中腰で立ち上がる。

 車が止まると後部のドアを開けて外に出た。




 夜がふけたから辺りは静かだ。

 三階建てのビル全部がヴィーナス芸能の事務所らしく中では音もしなくて明かりもついてない。

 ヤマをバンに残した一ノ瀬ハイタカが三階のドアから室内に入る。そして俺も続く。

 マネージャーをしてるだけに予め鍵の用意や防犯装置を切ってるのか。苦労もなくすんなり室内へ侵入した。

 一ノ瀬ハイタカに先導されて社長室へ向かう。

 金を入れるバッグを持たされてるから丸っきり盗人ぬすっとていで情けない。

 でもこの先で必ずタイミングは訪れるから汚名返上のチャンスはある。

 一ノ瀬ハイタカが社長室に入って金庫を探っていた。

 番号は正しかったらしくガチャリと音もした。


「バッグに金をつめろ」


 言われるまま金庫の中の見たこともない大金をバッグにつめこむ。

 まだ我慢しろ。

 今じゃない。まだだ。


 唐突にドアが動く音が聞こえた。


 見られた。

 反射的に悟った。

 人が立ってる。

 女の子か。


「あのわたし、なんトナク、きてみたの。キニなった、カラ」


 電話でも聞いたその声は震えてた。

 予期はできたのに予想ができなかったのはお互い様だ。

 薄暗い中でも褐色の顔や青い右の目が歪んでるのを感じた。

 その彼女の死角から、

 一ノ瀬ハイタカが躍り出てきた。

 右手に持つ長い棒を、

 彼女の綺麗な顔に向けて。


「クソアマが」


 棒に気づいた彼女は顔をそむけたが棒の先からすぐに火花が散った。

 聞き覚えのある破裂音。

 眼帯側の顔半分がふき飛んだ。

 そんな光景が瞬間で目に焼きつく。

 同時になにかを見た気もした。

 けど見てるのが精一杯で頭の処理が追いつかない。

 彼女が後ろ歩きでよろめいて倒れた。

 一ノ瀬ハイタカの棒が半分折れてスコンと黄色い物が宙へ飛ぶ。

 同じ形の青色の物を棒に入れてシャコンと音がした。長い棒に戻ってる。

 素早く動いた一ノ瀬ハイタカが上から彼女の体を眺めていた。

 また棒の先も向けて。


「クソアイドルの分際で。オレの邪魔をするな売女ビッチ


 こっちが叫ぶより先に破裂音が俺の耳を裂いた。

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