戦車、前へ    七月一二日 〇〇〇〇時

 その瞬間は、音もなくしずかに訪れる。


(まもなくか?)

 折り畳み式の小さな座席の上で、カールはうつむきながら左腕をあげた。手首に巻いた、夜光塗料付きの時計を見やる。ふたつの針は、一一時五八分を指し示していた。

 しばらくして、長針がカチリと動く。

「作戦開始、一分前」

 抑え気味の声で部下たちに告げると、カールは文字盤にじっと目を向ける。カチッ、カチッ……と、薄暗い明かりに照らされながら秒針が時を刻みつづけた。緊張に耐えかねたらしい、装填手の呻きが車内で一瞬だけ響きわたる。

 一二時を指した瞬間、カールは腰をかがめて前方――車体右側に座る無線手へ尋ねた。

「大隊本部から連絡は?」

「ありません、流れているのはノイズだけです」

「そうか」

 無線手の返答に、カールはこくりと頷いた。作戦開始後からしばらくのあいだ、無線は封止される予定である。

「第1中隊の出発にあわせて動く、合図するまで待機しろ」

 操縦手にそう命じると、開け放ったままのハッチから顔を出す。

 それから暗闇に目を凝らし、六〇メートルほど先の車列を観察した。識別灯により位置は判別できるが、今のところ動きはない。耳を澄ませても聞こえるのは、301号車のちいさなエンジン音だけだ。

 光がかすかに揺らめき、遠ざかり始めたのは一〇秒後であった。

「前進用意。時速五キロ、第1中隊との間隔に注意しろ」

 絞り出すような声で、操縦手に命令をくだした。

「戦車、前へ」

 301号車は無灯火のまま、履帯をガタガタと鳴らし這うように進みだす。

 カールは身をよじり、周囲の様子を見まわした。

(これだから夜戦はやりづらい)

 彼は心の底で、おもわず悪態をついた。中隊各車は動き出しているようだが、相変わらずの暗闇ではっきり視認できない。車間距離三〇メートルはかなり近いが――昼なら最低でも、五〇メートル間隔をあけるよう定められている――直近の僚車をどうにか確かめるので精いっぱいだ。

 カールは砲塔内に視線をうつすと、緊張した面持ちの装填手へ声をかけた。

「エーリヒ」

 車内いちの若手は、体をビクリと震えさせる。

「な、なんでしょう?」

「ハハ」

 部下の反応に、カールはおもわず苦笑した。

「今のうちに、装備をもういちど点検しておけ。まだ時間はあるからな」

「分かりました、すぐ終わらせます!」

「急がなくていいぞ。……ハンス、お前もだ」

「了解、念入りにやっておきます」

 アイスナー軍曹は振りかえり、目配せをしてみせた。しばらくの間、装填手の面倒をみるつもりだろう。緊張したまま待機するより、忙しいほうが精神的な気晴らしになる。

 カールは頷き、顔をあげて視線を車外に向けた。予定では一キロ先の未舗装道を横切るまで、敵に気取られぬようゆっくり移動する。

(残り時間は、一〇分といった所か)

 腕時計を見やったあと、カールは内心に湧き上がる焦燥感を抑えつけた。間もなくアイスナーと装填手から、異常なしとの報告が届く。エンジンと履帯から響く走行音をのぞき、車内はまったくの静寂につつまれていた。


 不気味さすら感じる静けさのなか、中隊はゆっくり進む。カールは前後左右に視線をめぐらせ、それを四度ほど繰り返したあと正面をふと見やった。

「ん?」

 第1中隊の車列に、あきらかな変化が生じていた。それまで一定の高さにあった識別灯が、次々に揺れ動いている。おそらく、牧草地の土手をくだり始めたのだろう。

 彼は操縦手へ、土手の高低差に注意するよう伝える。

「ハンス」つづけて砲手に言った。「砲の安全装置を解除しろ」

「いよいよ、ですか……エーリヒ、始まったらしっかり弾を込めるんだぞ」

「はい!」

 まもなく301号車は、土手沿いに密集する草むらを踏み越えた。そこから三〇センチほどの短い坂を下りて、整地された砂利道を横切りだす。

 さほど間をおかずに、道向こうの土手にたどりついた。

 西側には針葉樹の列が伸びており、記憶通りならその奥に、激戦で消耗した歩兵中隊の陣地が存在する。現在地を挟んで東にも同様の拠点があり、先行した装甲偵察小隊が待機中だ。第一目標の集落まで、あとは四キロほどである。

(そして、ここから先に味方はいない)

 ハンスが言ったとおり、いよいよ本番を迎える訳だ。

 そんなことカールが考えているうちに、斜面をまたたくまに登りきる。収穫する暇がなかったらしい、牧草を踏みつけながら更に進んでいった。

 しばらくすると、第一中隊が動きをとめた。

 カールが停車を命じると、301号車はわずかな反動のあと、静かにうごきを止めた。時刻はまもなく、〇〇二一時になる所だ。

『中隊長殿!』

 突然ヘッドフォン越しに、無線手の声が聞こえてきた。

『無線封止が解除されました、大隊本部から通信です!』

 すかさず通話モードを切り替えると、耳元にノイズ交じりの大隊長の声が流れる。

『……続けて〈フォーゲル01〉より各局へ、集結終わり次第報告せよ』

 集結状況をたしかめさせると、返答まで二〇秒ほどの間があった。

『各小隊は集結完了。落伍車なし』

 その旨を大隊本部につたえると、まもなく新しい命令が発せられる。

『〈フォーゲル01〉より各局、行動予定に変更なし。送レ』

『〈ファルケ01〉了解』

『〈オイレ01〉了解』

「〈アドラー01〉、了解」

 カールは第1、第2中隊長につづいて応答すると、部下の小隊指揮官たちへ呼びかけた。

「〈アドラー01〉より各小隊。その場で左に四〇度旋回、完了後ただちに報告せよ。こちらの合図で前進はじめ」

 続けて通話モードを車内にもどし、操縦手へ旋回を命じる。一〇秒ほどの時間をかけて、301号車は車体を左側へ向けた。

『各小隊、方向転換終わりました』

「よろしい」

 カールは目を閉じると、深々と息を吸いこんだ。

 さあ、始まりだ。

 彼は目を開き、操縦手と小隊長たちに命じる。

「前進用意、時速三〇キロ…………戦車、前へ!」

 301号車は暗闇のなかでエンジンを吹かし、排ガスを勢いよく吐き出しながら前進を開始した。部下たちが乗る一〇両の四四式戦車も、それにつづいて動き出す。

 作戦は、ついに実働段階へと移行したのだ。


 第3中隊は、真っ暗な田園をならんで駆けていった。

 中隊へ最初に与えられた任務は、要するに牽制攻撃である。集落近辺の敵陣地を砲撃するあいだに、前衛主力は集落を迂回して北上。旅団本隊が西側から集落へと突入する。射撃役と移動役に分かれ、役割を交代しながらすすむ『交互躍進』の応用だ。

 よって今の段階において、一刻もはやく射撃地点に達する必要がある。さいわい経路上に目立った障害は存在せず、戦線の固定から日が浅いため、地雷なども(情報どおりなら)存在しない。

 各車は地面の凹凸にあわせて車体を揺らし、牧草を踏みにじりながら前進した。カールはキューポラの縁を掴み、座席から落ちぬよう注意しながら周囲に目をくばる。

 まもなく正面遠方の空に、光りかがやく三つの球体があらわれた。

 球体は旅団本隊――擲弾兵大隊の一二センチ重迫撃砲が打ち上げた照明弾だ。パラシュートによりゆっくり地面へ下りながら、正面の彼方を淡い光で照らしだす。

 カールはそちらを一瞥した。

「ハンス、見えるか?」

 彼は車外を見据えたまま砲手に尋ねる。

『正面の敵陣地を視認。ここから一キロ半ちょっとでしょうか』

「三〇秒後に停車する、砲撃にそなえろ」

 腕時計をみやると、〇〇二六時を過ぎようとしている。

 カールは車外と時計を交互に見やり、タイミングを見計らった。

「〈アドラー01〉より各小隊、停車!」

 301号車は勢いよく動きを止める。

 彼は急ブレーキの反動をどうにか堪え、無線で各隊へ呼びかけた。第1小隊に本車右翼への展開を命じ、擲弾兵は後列で待機するよう伝える。

 正面では姿を消した初弾にかわり、あらたな照明弾が撃ち上がっている。

 中隊の左側には並木道が伸びており、その先にレンガ造りの家々がみえた。並木道の端と東側の牧草地に、地面を掘りかえした塹壕線も確認できる。旅団では前者に拠点A(アントン)、後者にB(ベルタ)の呼称を与えており、視界外に位置する西側のそれはC(ツェーザル)だ。

「〈アドラー01〉より各小隊、砲撃目標はAおよびB」

 第1小隊が動き出すと、カールは攻撃部署を無線でつたえた。拠点Aは第2・3小隊にまかせ、本部と第1小隊が拠点Bを担当する。

「エーリヒ、始めるぞ」

「お任せください!」

 装填手の元気な声にうなずくと、つづけて砲手のほうを見る。

「ハンス、聞いてたな」

『勿論です』

 アイスナーは既に、照準レンズを覗き込んでいた。

「拠点Bには対戦車砲があるらしい、そいつを見つけろ。距離一五〇〇」

『了解』

 そう答えたアイスナーは、足元の右側にあるペダルを踏みつけた。備え付けのモーターにより、一〇トンちかい重さの砲塔が右に旋回しはじめる。

 数秒ほどで、砲塔はピタリと動きを止めた。

『確認できません。適宜照準します』

「まかせた」

 カールはコクリと頷いてみせた。拠点Bの防衛線は南北に伸びており、幅も五〇〇メートル以上ある。対戦車砲は死角に位置するか、偽装によって姿を隠しているのだろう。

 アイスナーは手元のハンドルで、砲の向きをわずかに調節する。

「照準よし」

 報告がとどくと、カールはしずかに命じた。

「撃ち方はじめ」

「了解……発射ぁ!」

 砲手の叫びとともに、車外で轟音が響きわたる。

 カールは一瞬目を細めたあと、正面に視線を据えて初弾の行方を見守った。移動中の第1小隊をのぞく各車も、順次あとに続いて発砲する。

 初弾は塹壕を逸れ、敵陣後方で土の柱が噴き上がった。

「着弾修正、右に二〇」

 着弾点を確認したあと、カールはマイクを通してアイスナーにそう伝えた。

 アイスナーはすばやく調整し、ふたたび「発射」とさけびながら次弾を放つ。

 車内では轟音にあわせて、主砲の尾栓が衝撃で激しく前後した。火薬の燃焼ガスと空薬莢が勢いよく吐き出され、独特の焦げ臭いにおいが漂いだす。換気装置によってそれらが排出されるなか、装填手は抱えていた砲弾をすぐさま尾栓へ押し込んだ。

「いいぞ、別命あるまで射撃を継続」

 まもなく第1小隊から、砲撃開始との報告が届けられる。

 カールは胸元の双眼鏡を手に取ると、周囲の様子をしずかに観察した。左右から砲声が響きわたり、照明弾の輝きのもと続々と着弾する。炸薬を充填した榴弾なので、爆風と破片が飛び散っているはずだ。残念ながら命中率はそれほどでなく、目標をおおきく飛び越える射弾もしばしばみえる。

 相手からの反応は、今のところ皆無であった。

(対応できる火器がないのか?)

 双眼鏡を構えたまま、カールはそんな疑問を思い浮かべる。拠点Bにあるはずの対戦車砲も、まったく反応をみせていない。射角の関係で、狙いを定められないのだろうか。

(とにかく今は、一発でもおおく撃ち込むだけだ)

 そう考えていると、無線手の声がヘッドフォンから流れてきた。

『〈アドラー11〉より入電。右後方に照明弾複数、距離およそ一五〇〇』

 彼は背筋をのばし、報告があったほうへ目をやった。第1小隊長が知らせたとおり、小さな光が遠方にいくつか見える。照らされているのは、オッペルン少佐直率の前衛主力だ。

 そのあいだも周囲では、絶えず砲声が響きわたる。

 敵陣では土埃があちこちで噴き上がり、小規模な火災もいくつか発生した。さすがに固定目標なので、いまは射弾のほとんどが敵陣へ吸い込まれている。

 カールは双眼鏡を下ろし、腕時計を一瞥した。

(頃合いだな)

 彼はそう判断すると、移動準備を命じるため通話スイッチに手を伸ばす。

 とつぜん、拠点Bのほうで閃光がきらめいた。

「発砲炎あり、数は三つ!」

「ただちに排除しろ!」

 大声で知らせてきたアイスナーに、カールは慌ただしくそう命じた。十中八九、対戦車砲による射撃だろう。放たれた敵弾は、東をすすむ前衛主力へと伸びていく。

 予定を変更すべく、第1小隊長と連絡をとった。

「〈アドラー01〉より〈11〉、対戦車砲火らしきものを視認。そちらはどうだ?」

『見えました、ただちに集中射をかけます』

「頼むぞ。……〈アドラー01〉より〈21〉へ」

 つづけて彼は、第2小隊長に呼びかける。応答がないのでもう一度繰りかえし、フォン・メッケン少尉に目標の変更を命じた。第3小隊には引き続き、拠点Aを砲撃させる。

 まもなく大隊本部から、前進を援護せよとの指示がとどいた。

 周囲は相変わらず轟音が鳴り響き、敵陣へ次々に砲弾が送り込まれている。だが三門の対戦車砲は、かまわず射撃を継続した。牧草地のわずかな起伏で身を隠しているらしく、土壁のせいで効果を発揮できていない。

 とはいえ結局の所、モノを言うのは手数である。

 まもなくカールは敵陣の一角で、砲撃とはことなる大きな光を目撃した。アイスナーからも、爆発が起きた旨の報告がもたらされる。対戦車砲を撃破できたかは分からないが、すくなくとも弾薬などに引火したのは確実だ。

「そのまま射撃を継続しろ」

 カールは砲手席にむけてそう命じた。

 だが敵陣からの発砲は、明らかに止む様子がない。砲火はひとつ減ったようだが、依然として前衛を盛んに撃ちかける。ついには前衛左翼――第2中隊の一両が被弾した。

 そんななか、不意に無線手が知らせてくる。

『大隊長殿が呼んでおります』

「すぐ代わる」

 カールはそう言うと、通話モードを切り替えた。「こちら〈アドラー01〉、どうぞ」

『〈フォーゲル01〉より〈アドラー01〉』

 ヘッドフォン越しに、オッペルン少佐の声が流れてきた。

『〈フォーゲル〉以下はまもなく停車、拠点Bにたいし砲撃を行う。〈アドラー〉は頃合いをみて前進、〈オイレ〉の後方一〇〇メートルに展開せよ。以後は交互躍進にて北上の予定』

「〈アドラー01〉了解しました。砲撃を確認でき次第、ただちに移動します」

『頼むぞ。〈フォーゲル01〉、以上』

 カールは各小隊長に指示をつたえると、砲弾の使用状況を確認する。装填手によると、消費したのは一四発だ。その間も敵味方双方が発砲をつづけ、さきほど停車した第2中隊の戦車が、トドメの一撃を受けて炎上した。

 前衛主力が動きを止め、発砲を開始したのは通信から一分半後のことである。

「右に旋回、第1小隊の後方を通過しろ」

 小隊長たちに砲撃を停止し、順次移動するよう伝えたカールは操縦手にそう命じた。ただちにエンジン音が響きわたり、301号車は方向転換を経てうごきだす。左隣に位置する302号車も、おなじ動作であとに続いた。

 まもなく彼は、無線で302号車に尋ねる。

「〈アドラー02〉、他の様子はどうだ」

『〈アドラー1〉各車は右旋回を実施中、まもなく動きはじめるかと』

 五秒ほど間を置いてもたらされた報告に、カールは安堵の溜息をもらした。直後に第3小隊から、旅団本隊のそれと思しき砲火を確認したとの報告もとどく。

 しかしその思いは、大隊長からの通信によってかき消された。


『〈フォーゲル01〉より〈アドラー01〉、正面に敵戦車を視認した』

 ヘッドフォンから聞こえる上官の声は、一見すると冷静であった。

『数はおそらく一〇両前後、砲撃を行いつつこちらへ接近しつつある。貴官らは〈ファルケ〉の右前方へ急行し、側面攻撃を実施せよ』

「了解、ただちに向かいます」

『急げよ。なお敵戦車はおそらく〈ゾウガメ〉だ、注意してかかれ』

「承知しました。〈アドラー01〉、以上」

 カールは通信を終えると、各小隊長へあらたな命令を伝達した。

 それが終わると302号車へ、後続の様子をふたたび尋ねた。すくなくとも第1小隊の各車は、こちらに追従しているらしい。

 視線を巡らせると、すでに前衛主力の真後ろに位置していた。

 王国側が断続的にはなつ照明弾の光のもと、前衛各車は大隊長の命令により二手に分かれて射撃を実施中だ。正面の第1中隊は接近する敵戦車を、左翼にならぶ第2中隊が拠点Bをそれぞれ狙っている。最後尾に展開する自走カノン砲小隊もSPW六両の車体を左に向け、車体に固定された七・五センチ短砲身砲を盛んに撃ちかけていた。

 301号車はそのまま、前衛主力のうしろを通りすぎる。

「進路を左に、すこしずつ旋回しろ」

 頃合いをみて、カールは操縦手にそう指示した。

 カールは後続各車にたいして、進路を誤らぬよう無線で注意をうながした。そのあいだに装填手が砲塔後部のハッチを開き、邪魔な空薬莢を次々に外へ放り投げている。

 カールは腕時計をかるく一瞥した。

(〇〇三九時……作戦開始からまもなく四〇分か)

 カールは顔をあげると、周囲をぐるりと見回した。辺りは相変わらずの牧草地だが、暗がりの向こうに雑木林が広がっているはずである。

 そして左側――前衛主力の前方に『それ』はいた。

『発砲炎を視認、敵戦車。一〇両以上います』

 砲手席から報告の声が届くと、カールは操縦手にむけて命じる。

「減速後に左折、林に飛び込まないよう注意しろ」

 彼はつづけて砲手を見やった。

「ハンス、停車したら直ちに発砲。手近なヤツを狙え」

『分かりました』

 301号車はスピードを下げ、進路を左に寄せていく。まもなく敵の後方に、旅団本隊からの照明弾が姿をみせた。

 おぼろげな光を頼りに、カールは双眼鏡で正面を観察した。

 敵戦車は七〇〇メートルほど先を、横隊で横切りはじめた所であった。その数は一四両で、友軍や連邦のそれとはシルエットが大きく異なる。長い木箱のような車体に、正方形の砲塔がポンと載せられているのが見て取れた。

『〈アドラー31〉より入電』

 突然、無線手が知らせてきた。

『〈アドラー32〉にてエンジントラブル、乗員はすでに脱出済み』

(こんな時に!)

 内心で罵りをあげながらも、カールは「了解」とだけ答える。

 301号車は牧草を踏みにじりながら、夜の田園を駆けつづけた。

「停車!」

 つんのめるように動きをとめると、301号車は砲塔を右に回し始める。左手で302号車がすこし間を置き、おなじく狙いを定めようとしていた。

 彼我の距離は、おおむね五〇〇メートルほど。

「発射ぁ!」

 七・五センチ砲が、轟音と閃光を周囲にまき散らす。

 徹甲弾は秒速九〇〇メートルで、ほぼ水平な弾道を描きながら飛翔した。一秒もせずに目標へ達したが、わずかに届かず手前の地面に落下する。

 アイスナーはすぐさま、照準をすこし上向きに修正した。

「装填よし!」

 装填手の知らせが聞こえると、ただちに発射ボタンが押される。

 次弾は目標――いちばん手前に位置する敵戦車の砲塔に飛び込んだ。しかし今度は装甲に阻まれ、あさっての方角へはじかれる。そこから更に二度射撃し、一発当たったが貫通しない。別車両をねらった、302号車も同じようだ。

 敵はこちらを無視し、ゆっくりと前進を続けている。

(固い)

 はじめて相対した敵に、カールはおもわず舌打ちした。王国軍の歩兵戦車で、帝国においてはもっぱら〈ゾウガメ〉と称されている。

 彼らの主な任務は、歩兵部隊にたいする火力支援だ。最大時速を二〇キロへ抑えたかわりに、味方の盾となるべく最大一五〇ミリにもなる装甲を備えている。44式はせいぜい一〇〇ミリなので、規格外の防御力といっても過言でない。

 まもなく第1小隊が左翼に展開し、すぐさま砲撃を開始する。敵もさすがに動きをとめ、三両ほどが砲塔をまわして応射をはじめた。

 どうやらこちらを狙っているらしく、周囲で爆音とともに牧草と土が舞い上がる。

 不意に、装填手の動きが一瞬止まった。

「エーリヒ、手を緩めるな!」

「は、はい!」

 叱責を済ませたカールは、ふたたび覗き窓のむこうを見やる。

 そのまま砲火の応酬が続くうち、敵戦車群の四〇〇メートル先に位置する前衛主力が〈ゾウガメ〉二両を炎上させた。だが第3中隊はアイスナーが、ようやく一両を撃破したきりである。いっぽう302号車が被弾したが、幸運なことに被害はない。極端な重装甲の割に、〈ゾウガメ〉の主砲は威力がどうもイマイチらしい。

 上空で光をはなつ照明弾は、いつの間にか味方のモノだけになっていた。

「くそっ」

 白い排煙がただよう車内で、カールは小さく毒づいた。敵の重装甲も悩みのタネだが、それ以上に命中率がよろしくない。ざっとみた限りは一割以下。夜間とはいえ照明弾の明かりがあり、腰を据えての射撃にも関わらずだ。

(更に近づくべきか?)

 そのうちに無線手から第2小隊、そして第3小隊到着の報がもたらされる。了解と返答した直後に、アイスナーが大声で知らせてきた。

「敵の一部が下がりはじめています!」

「なに?」

 驚いたカールは、目線を車内から外のほうに向けなおす。

 動いているのは敵戦車のうち、いちばん手前に位置に並んでいた三両だ。他は停止したままなので、後退を開始した訳ではない。射撃位置を調整するための、配置転換だろうか?

 もっとも装甲の厚い、正面を向けられては堪らない。

 カールは全小隊へ、移動中の敵に砲火をむけるよう命じる。

 各車は立て続けに三、四発撃ち込むが、大半が付近に着弾するか、むなしく空を切る結果におわった。いくらか命中したものの、これまでと同様に弾かれてしまう。アイスナーが足回りに狙いをさだめ、一両を行動不能にしたのがせいぜいだ。

(距離を詰めるしかない)

 彼がそう結論付けたころ、のこる二両の〈ゾウガメ〉がこちらを向く。

 前衛主力の先頭に位置する、第1中隊の砲火が彼らへ襲い掛かったのはその時だ。

 比較的距離がちかい事もあり、敵は三連射ほどのうちに大きな損害を被った。二両の〈ゾウガメ〉は糸が切れたように動きを止め、最後の一両もあっけなく炎上する。

 カールはその光景を、ただ呆然と眺めていた。

『中隊長殿』

 不意に無線手から、大隊長が呼んでいるとの知らせがくる。

 通話モードを切り替えると、オッペルン少佐の声が聞こえてきた。ただちに敵後方へまわりこみ、敵戦車隊の退路を遮断せよとのことだ。集落からの対戦車砲火は、すでに沈黙してしまっている。

「了解、ただちに移動します」

 カールは上官にそう答え、通信が終わるとちいさく溜息をついた。すでに敵の半数ちかくが無力化されたが、中隊の働きはお世辞にもスマートと言い難い。もっと距離を詰めるか、あるいは最初から後方に回り込むべきだっただろう。

「〈アドラー01〉より各小隊」

 彼は後悔の念を抱きながら、新しい指示を伝達する。

 戦闘は、それから一〇分ほどで終結した。

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