第二章 第119装甲旅団

車窓から     三月二五日 〇九二六時

 帝国軍は鉄道を輸送任務の中核としており、カール・シュナイダー中尉はそのひとつに便乗した。

 列車は三月二二日に本国入りし、彼はそこから目的地めがけて一般列車を乗り継いでいった。現在カールが利用している便は、帝国南部の田園地帯を駆けている。

 周囲の天候は、小春日和といって差し支えないものであった。青空のもとで草木が生い茂り、温かみの混じりはじめた風がそれらを静かに揺らしつづける。機関車が黒煙を吐きながら走るその風景は、さながら一枚の絵画のようだ。いまだ雪が残っているであろう、東方戦域とくらべれば天国のような場所であった。

 黒い戦車兵服姿のカールは、二人掛け座席の窓側にすわっていた。

 客車内には今のところ、彼のほかは誰もいない。私物をおさめたスーツケースを隣に置き、食べ終えたサンドイッチの袋と、山岳帽が窓際にポツンと載せられていた。

(しかし、任地のことがさっぱり分からん)

 ぼんやりと窓の外を見やりながら、カールは何度目になるか分からぬ疑問を脳裏に思い浮かべた。入院中に周囲へ尋ねたこともあったが、新設部隊らしいという以上の情報は得られていない。

(そもそも旅団規模の装甲部隊なんて、いまさらどう使うつもりなんだ?)

 小刻みな振動の続く車内で、カールはそんな思いを抱いていた。


 陸軍における部隊規模の序列は、おおむね上から順に 師団―旅団―連隊―大隊―中隊―小隊 となっている。原則として連隊以下は単独の兵科――たとえば歩兵連隊は歩兵、通信大隊ならば通信兵だけで組織され、これらを一定の規則にしたがい、組み合わせたのが師団および旅団である。

(軍や軍団といった、より上位の機構については省略する。これらは作戦上の都合などに応じて、傘下の部隊をその都度入れ替えるからだ。ここでは言及するのはあくまで、『固定された編制をもつ部隊』の立ち位置である)

 各国では現在、戦力の主軸を師団におくケースが多い。人員には幅があり、おおむね一万から三万だ。

 その構成は多種多様であるが、おおむね歩兵や戦車、騎兵などの三~四個連隊を核に、砲兵連隊や工兵大隊、補給隊といった支援部隊をくみあわせて組織される。各種作戦に必要な兵力・機材をひと通り揃え、兵站部門も完備した自己完結型の組織だ。中核となる戦力により歩兵師団、山岳師団、装甲(戦車)師団といったバリエーションが存在する。

 いっぽうで旅団のほうは、その大半が補助的な役割をはたす。師団の傘下で兵力を分割指揮する中間機構として機能するか、独立部隊の形で個別に組織されるかのいずれかだ。こちらも兵員数のバラツキは大きく、二千名から一万名ほどと様々である。

 帝国軍では後者のパターンを採用しており、重砲や工兵といった支援部隊の管理組織や、占領地の警備隊などが旅団編制をとる事がおおい。前線配置の戦闘部隊というのは、皆無でないものの珍しい存在だ。

 そして戦車を中心とする装甲部隊は、基本的に最前線でたたかっている。すくなくともカールの認識では、旅団の運用スタイルにどうも合わない。

 手持ち無沙汰なのもあり、カールはこの問題を脳裏で反芻しつづけた。

 間もなく彼は、列車が減速し始めた事に気づく。

 列車はホームと改札口があるだけの、いたって簡素なつくりの駅に横づけされた。駅には客らしい人の姿がいくつか見え、そのうち二人組の中年男性が、カールのいる客車へとはいってくる。

 くたびれたジャケットを着た二人は、カールの斜め前にある席へ腰かけた。帝国軍の現状をかんがみれば、彼らも近いうちに招集されるのかもしれない。

 列車が動きはじめると、二人組はなにか話をし始めた。

「北の……市が三日前に……製油所がやられ……」

「……にある鉄道操車場も……そこで働いていた従兄が……」

「いったい軍の連中は何を……」

(空襲の話か)

 漏れ伝わってくる声に、カールはふかく溜息をついた。

 連合王国への帝国各地への爆撃は、日を追うごとに激しさを増している。遥か遠方に所在するかれらの友邦――『皇国』も昨年から航空隊を送っているらしい。いまのところ南部一帯は無傷だが、それも時間の問題であるかもしれなかった。

 しばらく聞き耳を立てていると、二人がカールのほうを見てギョッとした。身の危険を感じたのか、すぐにそっぽを向いて沈黙する。

(おれは憲兵じゃないのだが……)

 カールは思わず苦笑した。

 彼は視線を外にめぐらせると、窓からみえる風景を眺めはじめた。


 カールが列車を下りたのは、一三〇〇時をすこし過ぎた頃である。

 公衆電話で配属先に連絡すると、三〇分ほどで迎えがやって来た。徴発した民生品とおぼしき、丸みを帯びた黒い乗用車だ。運転席から姿をみせたのは、いまだ少年と呼ぶべきであろう若い兵卒である。

 運転兵は不動の姿勢をとり、敬礼するとカールに尋ねた。

「シュナイダー中尉殿でありますか?」

「そうだ」

 返答を確認した後、彼はさらに言葉を続ける。

「旅団長からの命令で、お迎えにあがりました。どうそお乗りください」

「ああ、よろしく頼む」

 カールは挨拶を済ませると、車のほうへと歩きはじめた。ドアを開けた運転兵にスーツケースを渡し、そのまま体を滑り込ませて席にすわる。

 乗用車はカールをのせると、田舎道を目的地めがけて走りだした。辺りは芽吹いてすぐの小麦畑に囲まれており、軍務で移動中という事をおもわず忘れそうになる。しばらくすると、目前に広大な――文字どおり視界いっぱいに広がる森が見えてきた。

 運転兵の話では、この奥に演習場があるらしい。

 その言葉を証明するかのように、奥へすすむ道には検問が設けてあった。数名の衛兵が経っており、いずれも左肩にボルトアクション式小銃をかけている。

 乗用車は検問の前でいちど止まり、カールの身分確認を済ませてからふたたび発進した。木々の間を通り抜け(外部の目を遮るため、意図的に残されたものだ)、視界がひらけると一階建ての兵舎がいくつも見えた。

 車から降りたカールは、運転兵の誘導でそのひとつに入っていく。

 案内された執務室では、二人の士官が彼の到着を待っていた。

 ひとりは野戦服を身につけて、デスクの椅子に腰かけた陸軍中佐であった。痩身で灰色の髪を撫で付けており、右腕だけデスクの影に隠れている。ふたり目はカールよりも年上の戦車兵で、制帽を目深に被ったまま中佐の後ろに控えていた。

 カールは踵を打ち鳴らすと、真っ直ぐのばした右手の指先を制帽のつばに添え敬礼する。

「カール・シュナイダー中尉、着任いたしました」

 申告をきいた中佐は立ち上がり、後方の士官とともに返礼した。彼があげたのは左手で、フィールドグレイの制服は、左袖が空っぽになっていた。

「旅団長のフランツ・ゼッケンドルフだ」

 ゼッケンドルフ中佐は手をおろし、ニッコリと微笑みながら言葉をつづける。

「中尉、よく来てくれた。第119装甲旅団は、きみの事を歓迎する」

「ありがとうございます、中佐殿」

 そう答えるカールの視線は、無意識に旅団長の右腕へと向けられていた。

「ああ、これかね?」

 ゼッケンドルフは、何も入っていないほうの袖をかるく振った。

「四年前に乗っていた戦車が被弾してね。その時に大怪我を負って切断したのだ」

「四年前……共和国での戦いですか?」

 あわてて向きなおったカールは、目前の上官にそう尋ねてみせる。共和国は帝国西部に接する、大陸沿岸地域でも随一の陸軍を有していた勢力だ。

『有していた』と過去形なのは、現時点で帝国の占領下にあるからであった。装甲部隊をもちいた大規模な機動戦術により、彼らはひと月ほどで降伏に追い込まれたのだ。カールが徴兵検査に合格し、入隊する少し前の出来事である。

「そうだ。当時は大隊長を務めていたよ」

 旅団長のこたえに、カールは驚いて目を見開いた。帝国軍戦車がはじめて真価を発揮した、あの戦いの生き証人に会えたのだから無理もない。

 ゼッケンドルフは苦笑した。

「そう固くならなくていいぞ、なにしろ昔の事だからな」

 彼はそういうと、後方に控えるもうひとりの士官を指し示した。

「ここに居るオッペルン少佐が、きみの直属上官となる。少佐、前へ」

「はい」

 少佐はうなずくと、カールのいるほうへと歩きだした。旅団長とは対照的なガッチリとした体形で、制服には多数の勲章や記章類が留めてある。一部はカールも授与されたものだが、数や等級ははるかに上だ。

 なかでも特に目を引くのは、襟元にかがやく黒鉄十字章であろう。帝国軍における最高位勲章で、少佐のそれは二度の授与を意味する、銀色の柏葉章が添えられていた。

 オッペルンはカールの前に立つと、制帽をぬいで表情を柔らかくした。

「ヘルマン・フォン・オッペルンだ。第1119装甲大隊を任されている」

「はっ、宜しくお願いいたします」

 カールは新しい上官に、さっと敬礼してみせた。名乗りに『フォン』という語が含まれるので、おそらく彼は貴族出身なのだろう。

「さて、顔合わせは以上だ」

 ゼッケンドルフ中佐はそう言うと、カールのほうに目をむけた。

「ここに関する事は、少佐が詳しく説明してくれるだろう。夕食時にほかの士官へ紹介するから、なにか挨拶を考えておいてくれ」

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