第一章 転属辞令

伏撃       二月一〇日 一〇一四時

 帝国が連邦への侵攻を開始したのは、今から三年ほど前の事である。

 当時の大陸沿岸地域は、すでに戦争のさなかにあった。帝国は西の諸邦を軒並み手中におさめた後、獲物を狙う目を東側、すなわち広々とした国土と地下資源を誇る連邦へと向けていく。(実際には西方沖の島国である『連合王国』上陸を断念し、戦略面で行き詰まりが生じた影響も大きいであろう)

 作戦は六月初頭、大規模な奇襲により始まった。

 これに対し連邦は混乱しつつ、果敢に抵抗をこころみた。そのほとんどは無残な結果に終わるものの、帝国軍も各所で少なからぬダメージを負ってしまう。進撃自体は一見すると順調だが、戦力は着実に目減りしつづけた。国境から離れるにつれて悪化する、補給の停滞がそれに拍車をかけていく。

 そして十二月にはいり、豪雪のただなかで帝国軍はついに動きを止める。その隙をついて、連邦軍が積極的な反撃を敢行した。

 帝国側はこれをなんとか打ち破るが、大幅な後退とさらなる戦力の消耗を強いられた。これ以降、連邦と一進一退のたたかいを続けるなかで、帝国軍の勢いは日に日に衰えていった。


 カール・シュナイダーは二三歳の陸軍少尉で、中隊の第2小隊長も務めている。

 その出で立ちは白の防寒アノラックに黒い略帽、そしてマフラーと皮手袋といった具合であった。零下をはるかに越える低温と、乾燥によって顔は赤らんでいる。髪とおなじ色の略帽は、ボタン留めの耳覆いを備えたいわゆる山岳帽だ。冬季における帝国戦車兵の一般的な服装で、その上から通話用のヘッドフォンを被り、胸元に双眼鏡をさげていた。

 カールの21号車は砲塔を右後ろに向けており、彼自身はキューポラ(司令塔)から身を乗り出して、青い瞳を周囲に巡らせていた。周囲ではエンジン音と、風の唸り声が延々と鳴り響いている。

 突然、ヘッドフォンから声が響いた。

『〈パンテル01〉より各小隊』

 声の主は列の先頭、01号車に乗る中隊長である。〈パンテル〉は中隊に与えられた、通信用のコードネームだ。

『横一列に展開しろ。第1小隊は本車の右翼、第2小隊は左翼だ。送レ』

 カールは首から伸びるケーブルへ手を伸ばし、中ほどにあるスイッチを押した。

「〈パンテル21〉、了解」

 喉元に取り付けた咽頭マイクが、声を電波に置き換えて上官のもとへ送り出す。口からはき出される吐息は、寒さで雪のように白い。つづけて通話モードを車内に切り換え、無線手に周波数を変更するよう命じた。

 相手は後方をすすむ、第二小隊の部下たちである。

「〈パンテル21〉より各車、〈01〉の左横にならべ。本車が先行する」

『〈パンテル22〉了解』

『〈パンテル23〉了解』

 通信を終えたあと、カールは操縦手に呼びかける。「ハインツ、中隊長車の左につけろ」

 21号車はわずかに増速し、進路を左に寄せていく。

 カールは視線を左右に巡らせ、僚車のうごきや地面の様子を注視した。操縦手はせまい覗き窓を通して外を見るため、車長によるサポートが不可欠なのだ。

「いいぞ、進路もどせ」

 カールはタイミングを見計らい、操縦手へそう伝えた。21号車はまもなく、中隊長車と並走しはじめる。主砲の向きを正面に戻すよう指示したあと、左側に僚車が次々にならんでいった。

 中隊は整列を終えたあとも、ゆっくりと進みつづけた。降り積もった雪を踏み越え、時おり車体を上下に揺らす。正面をみると道路の盛り土が、行く手を塞ぐように左右へ伸びていた。

 道路まであと20メートルという所で、中隊長の号令が届いた。

『〈パンテル01〉より各車、ただちに停止』

「ハインツ、止めろ」

 すこし間を置いてブレーキ音が鳴り響き、カールはわずかに体をのけ反らせる。

 カールは停車を確認すると、視線を左右へ順繰りにむけてみた。小隊、そして中隊の各車が、おなじようにブレーキをかけている。いずれもPz37G――37式戦車G型だ。

 37式は八年ほどまえに生産がはじまった、帝国陸軍の主力戦車である。乗降用ハッチを側面に備えた多角形の砲塔と、長方形型の車体が外見上の特徴だ。主武装として射程と装甲貫通力を重視した、長砲身の七・五センチ砲を装備する。採用からそれなりの時を経た『老兵』だが、度重なる改良により現在も運用されている。


『各車、警戒しつつそのまま待機』

 中隊長からの指示に応答すると、カールは小隊各車にそれを伝達した。

 つづけて彼は上着の左袖をまくり、腕時計にちらりと目をむける。

 時針と秒針はそれぞれ、一〇二四時の部分を指し示していた。中隊が出撃したのは、いまから一時間半ほど前のことである。友軍防衛線にたいして連邦軍の攻撃があり、一部が突破に成功してしまったのだ。それを迎え撃つことが、中隊に課せられた任務である。

 カールは顔をあげ、周囲の地形をチェックした。

 目前にはすでに述べた道路の盛土が存在し、左側四〇〇メートルほどの地点に、雪化粧に覆われた針葉樹の林が広がっている。道は未舗装だが車四台分ほどの幅があり、盛土は高さ五〇センチぐらいだろう。37式の車体の半分ほどで、遮蔽物としての役割をあるていど期待できる筈だ。

 事前情報がただしければ、敵は道をはさんだ反対側から姿をみせる筈だ。中隊はここで彼らを待ち伏せ、奇襲をかける事になっている。

 またここにいる六両のほかに、林の北側へ第3小隊の二両が、歩兵小隊を連れて急行中だ。カールたちが敵を引きつけている間に、回り込んで挟撃するのである。

(さて、いよいよだ)

 周囲をひと通り眺めた彼は、内心でそう呟くと双眼鏡を手に取った。

 カールの軍歴はいまから四年前、開戦直後に徴兵されてから始まった。初等訓練ののちに戦車兵へ選ばれ、連邦との戦いには兵卒として当初から参加している。

 少尉になったのは下士官への昇進後、速成の指揮官課程を修了した昨年のことであった。将校としては未だルーキーだが、場数自体は相応に踏んでいる。緊張感や恐怖といった感情は当然あるが、彼にとって戦場はもはや、日常の一部であった。

 それからカールは双眼鏡の向きをゆっくり変えながら、変化の乏しい純白の風景を凝視した。わずかな兆候も見逃すまいと、みずからの意識を集中させる。

 努力が実を結んだのは、それから五分ほど経った頃であった。

「……来た」

 カールは呻くように声を漏らすと、通話マイクをカチリと鳴らした。

「〈パンテル21〉より〈パンテル01〉へ。一〇時方向、距離三五〇〇に敵戦車一九両を視認。時速二〇キロほどで南西方向に進みつつあり」

『確認した、すこし待て』

 すでに発見していたのか、上官の反応は素早かった。通信を終えたカールは、相手の姿をもう一度確認する。彼我の距離はまだ遠いが、双眼鏡を通してなら問題ない。

 雪原上をはしる敵戦車は、カールたちの37式とおなじ白色迷彩でその身を包んでいる。二列縦隊をくむ六両を中心に、その左右と正面に展開する四~五両ずつのグループに分かれていた。車両は丸みを帯びた砲塔と、傾斜装甲をそなえた車体をもつT-33である。武装は長砲身型の七六・二ミリ砲で、中央グループの車体後部には何名かの歩兵が確認できる。

(せめて)

 双眼鏡をおろしたカールの脳裏に、ふとした思いが湧きあがった。

(せめて四日……いや二日後に来てほしかったな)

 中隊はもともと四個小隊と本部をあわせた、二二両が戦車の保有定数である。だが任務中の喪失や故障により、現在の兵力はその半分以下しかない。実をいえば修理中の車両が明日、何両か戻ってくる予定なのだ。

 とはいえ、無い物ねだりを続けても仕方ない。

『〈パンテル01〉より……』

 カールは中隊長の声が聞こえると、雑念を振り払ってそちらに耳をかたむけた。ひと通りの伝達が終わり、「了解」と答えた彼は無線の周波数を変更させる。

「〈パンテル21〉より小隊各車。距離一〇〇〇で射撃開始、俺たちは敵の右翼縦隊を担当する」

 彼は部下たちに呼びかけた。「車列前方への集中射撃で、連中を混乱させる。本車と〈22〉は一両目、〈23〉は二両目を狙うこと。射撃開始の合図を待て」

『〈パンテル22〉了解』

『〈パンテル23〉了解』

 通話マイクのスイッチを切ると、カールは上半身をキューポラのなかへ潜り込ませた。それまで足場にしていたシートの、すこし上にある段差へ腰をおろす。こうすればキューポラのハッチから、顔だけを外に出すことが可能だ。


 彼はいったん視線を下げ、車内の様子を一瞥した。

 砲塔の中は二メートルほどの幅しかなく、奥行きもさほど変わらない。くわえて中央部に据え付けられた七・五センチ砲が、狭苦しさに拍車をかける。

 乗員たちの座席は、その隙間へねじ込むように存在した。砲塔後部のカールから見て、左側に砲手が、右側に装填手がすわる。残りの二名――操縦手と無線手は、車体前方の左右にそれぞれ配置されていた。

 カールは通話マイクを、車内モードにセットした。

「聞いての通りだ、距離一〇〇〇メートルで発砲する。ハンス、左翼縦隊の先頭に狙いをつけろ。ロルフ、次弾の準備はすこし待て」

『了解』

『わ、分かりました』

 すぐ近くにいる事もあり、砲手と装填手の返事は肉声でも確認できた。付き合いの長い砲手は、いつも通り落ち着いている。いっぽうでまだ一〇代の装填手は、緊張のため声が多少うわずっていた。

 すこし間を置いて、金属音とともに砲塔が旋回しはじめた。目標に狙いを定めるため、砲手が動かしているのだ。

「ハンス、距離一五〇〇を切ったら知らせてくれ」

 カールはそう言うと顔をあげ、双眼鏡を手にして車体をながめ見た。

 白色迷彩が雪原にまぎれて分かりにくいが、彼我の距離は三〇〇〇メートルといった所だろう。先ほどまでの中隊とは比べ物にならぬスピードで、滑りやすい雪上を物ともせず駆けている。

(攻撃まで、あと五分くらいか)

 カールは白い吐息をはきながら、戦闘までの残り時間をざっと計算する。

 彼我の性能を単純比較すると、残念ながら連邦のT-33が優位にある。機動力はご覧の通りなうえ、防御面でも装甲の厚みに倍近くの差が存在するのだ。どうにか拮抗しているのは、せいぜい火力ぐらいである。

 しばらくして、砲手が報告の声を発する。

『目標、距離一五〇〇』

「了解」

 カールは短くそう答えた。

 多少の不安はあるものの、彼自身はさほど悲観していなかった。この状態で戦いつづけて、もう数年になるのである。

 なにより戦闘の勝敗は、カタログスペックだけで決まる物でもない。運用ドクトリンの差や兵員の質、そして指揮官の判断力で覆すことは出来る。(もちろん優れた装備があるなら、それに越した事はない)

 視界を車内に転じたカールは、次弾を準備するよう命じた。装填手が座席から立ち上がり、しゃがみ込んで弾薬庫から目当ての砲弾を探しだす。一〇キロ以上の重みがあるそれを、彼は両手で抱えて立ち上がった。

 カールはキューポラの後ろに取り付けられた、円形ハッチに手を掛ける。

 彼は車内の座席に腰かけながら、金属製のそれをゆっくり閉じた。しっかり固定されたことを確かめたあと、キューポラの覗き窓に顔を近づけて外を見やる。

 防弾ガラスの向こう側は、いささか視界が歪んでいた。だがそれでも豆粒のような、敵戦車の群れが遮二無二前進している様子が確認できる。カールが腕時計に目をむけると、一〇三五時を過ぎたところであった。

 彼は命令が下るのを、息を殺してじっと待った。


『中隊、三連射。撃ち方はじめ』

 ヘッドフォンから号令が響いたのは、それから二分後のことであった。

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