第4話 花火

午後7時50分。

暗い街頭が1つだけついている小さな公園。

すべり台と砂場とベンチがあるだけの小さな公園に彼らはいた。

入り組んだ通りと通り、大きなビルの谷間にこの公園はあった。

みな祭りに気を取られている。

そのため彼ら以外の人はいないうってつけの場所であった。

「ここならええやろ」

臣人があたりを見回しながら、状況を確認した。

遊具がある場所とは反対側の少し広い場所、その真ん中に立っていた。

少し遅れて綾那が公園に入ってきた。

「何するんですか。ま、待ち合わせでも?」

慣れない浴衣を着て走ったためか、息が上がっている。

胸のあたりを抑えながら、息を整えようとした。

額から汗が流れてきた。手を当てて、ぬぐった。

ちょっと動いてもこの暑さでは汗ばんでしまう。

走ったため乱れた浴衣の裾をそっと直した。

綾那はすっとバーンに近づいていった。

さっき泣き出した男の子のことが心配だったのだ。

「ああ、劔地はバーンから離れてぇな。でないと、危ないで。」

その様子を見て、臣人が止めに入った。

「え?どうしてですか?」

一体何が始まるのかわからないまま、聞き返した。

(あ、まさか!?)

そんなことはお構いなし、説明も加えずに彼らは法術に取りかかろうとした。

ただならぬ雰囲気になってきたことだけはわかったので、綾那は数歩バーンから遠のいた。

両手を軽く組み、口元に持っていったまま硬直したように二人の姿を見守ることにした。

バーンと臣人との距離は約3m程か。

バーンは公園の中ほどに、臣人はそこから少し遊具よりの方に立っていた。

「とりあえず、地を清めてからやな。」

臣人は刀印をつくって九字を切る準備を始めた。

「両手が使えない…」

男の子を抱っこしたバーンが無表情で臣人を見返して言った。

「地の精霊くらい何とかしてや!」

臣人は『見捨てないで』と言わんばかりに本気で叫んだ。

別に手が使えなくても術を使えることは知っていた。

精霊はバーンの魅了眼からは逃れられない。

そこにバーンがいるだけで精霊達は反応してしまうのだ。

それは修業時代、ドイツにいた時に実証済みだった。

バーンも苦笑いをして、ぼそっとこたえた。

「ああ。わかってる」

「成功率悪いんやから。どうなってもしらんで。」

困り果てたように臣人が頭をかいた。

バーンは一度天空を仰ぎ見てた。

「この祭りの『気』と俺を使えば大丈夫さ、心配ない…」

臣人は九字を切り始めた。

男の子はバーンの顔を見上げた。

「パパ~、ママは? たっちゃん、ママにあいたいよぉ。」

「今、会わせてやる。だから、泣くな……」

そう言うとバーンは男の子の頭を大きな手でなでた。

「うん!」

バーンは片手で男の子を抱き、もう片方の手を自由にした。

そして、静かに眼を閉じた。

「ほな、いくで。」

臣人は深呼吸をひとつした。

「ノウボウアキャシャ キャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ……ノウボウアキャシャ キャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ……」

臣人は両手をあわせて、真言を唱え始めた。

それに合わせるように、自由になった手を開いて地面に向け、バーンも呪文の詠唱を始めた。

「…….Ol Sonuf Vaorsagi Goho Iada Balata. Lexarph,Comanan,Tabitom. Zodakara, eka; zodakare oz zodamram. Odo kikleqaa,piape piaomoel od vaoan……」

公園の砂の上に金色に輝く魔法陣が浮かび上がるように出現した。

それは何重にも重なった円陣、その中に七芒星と五芒星が組合わさり不思議な形をしていた。

「!」

綾那は、ついこのあいだの状況を思い出していた。

あの学校でのできごと。

祥香の事件。

(するとこれは、霊が!?)

この二人の先生が祥香を悪霊から救い出してくれた。

死ぬことに取り憑かれていた祥香を元に戻してくれた。

「只今…寄せ来るところの…亡者の冥路語り聞かせたまえ。」

この二人の先生が不思議な力を使って。

(誰が霊なの?)

綾那は自分の目を疑った。

ここにいるのは紛れもなく生きている人間だけのはずなのに。

(まさか)

バーンの手に抱かれた男の子を見た。

(まさかっ!?)

「寄り人は今ぞ寄せ来る…長浜の芦毛の馬に手綱…揺り掛け、

……この子の母なる者を……ここに召しませ。」

臣人が柏手をひとつ打った。

と、あんなに蒸し暑かった空気が急に冷たくなった気がした。

ちょうど魔法陣の中、バーンの眼の前に白い霧のようなものが現れていた。

綾那は目を疑った。

モヤモヤとしていたそれは次第に人の姿へと固まっていった。

「あ、ママだ!ママぁ。」

バーンの手から男の子がその白い影の元へ手を伸ばした。

にっこりとうれしそうに笑いながら、体を寄せていった。

すると男の子の姿も、伸ばした手から身体の方へ向かって次第に透けて、薄くなっていく。

ほぼ人形(ひとがた)に固まった白い影も両手を伸ばしているように見えた。

ふわ…。

男の子の手に結ばれていた黄色の風船が空へと舞い上がった。

「もう、迷子になるなよ…」

抱きかかえていた腕を前に差し出しながら、小声でバーンはそうつぶやいた。

男の子はしっかりと白い女の人に抱かれた。

その姿が次第に空へ向かって上昇していく。

白い女の人が微かに頭を下げた。

男の子は彼女の胸に頭をちょんとのせると、右手を振っていた。

「ばいばい。パパ、おにいちゃん、おねえちゃん」

そう、遠くで声がした。

「たっちゃん!」

綾那は思わず叫んでいた。

バーンは臣人に向かってうなずいた。

それを見て、臣人もうなずいた。

最後の真言に入った。

「ノウボウアキャシャ キャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ  ノウボウアキャシャ キャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ…ウン!」

それっきり、白い影はかき消えるように消えてしまった。

綾那は空を見上げた。

黄色い風船がどんどん上へ上へとのぼっていくのが見える。

やがて黒い点になり、見えなくなってしまった。

突然、ビルの向こうから歓声がわき起こった。

ドーン、ドーンッと色とりどりの花火が打ち上げられ始めた。

臣人もバーンもちょっとため息をついた。

ほっとしたようにお互いの顔を見合った。

「オッド先生…」

狐につままれたような顔で綾那がたずねた。

「たっちゃんは?」

バーンは悲しそうに眼を閉じて語り始めた。

「…何年か前に、この花火大会を見ずに事故で亡くなった子どもだよ」

「え!?」

右手をパーにしたままで口を覆った。

「でも、普通にしゃべってたしっ、綿アメだって!」

さらに、声が大きくなった。

「なんだ、学習能力があらへんなぁ。」

綾那の横から、臣人が横やりを入れた。

「劔地、こないだわいが教えてやったろ。」

「?」

「力の強いもんの側に居ると実体化だってするもんよ。たとえそれが幽霊だったとしてもな。よくあるこっちゃ。」

額に汗を浮かべた臣人が力説した。

それを聞いたバーンも微かにうなずいたように見えた。

そうでなくてもバーンのそばには霊が寄りやすいのだ。

それを承知で臣人も彼のそばにいるのだから。

「そっか。」

何となく納得してしまった。

祥香の件がなければ納得できなかっただろうが、今は違っていた。

そういう世界がある。

目に見えない世界が存在する。

と、いうことだけは認めることができた。

「……」

「いつからわかっていたんですか? たっちゃんが幽霊だって。」

「ん……最初から。」

ぶっきらぼうに答えた。

それを聞いて綾那は驚きを隠せなかった。

(最初? たっちゃんが見えた時から?)

やはり彼の見ているものは、自分たちと違うのだろうか?金色の右眼を持つ彼は?

ふと会話がとぎれた。

しばしの沈黙。

しかし、近くで遠くで聞こえる花火の轟音と途切れることのない歓声が耳に残っていた。

「ねえ、先生?」

「……」

「たっちゃんも、この花火見てますよね。」

ようやく綾那に笑顔が戻った。

そう願った。

あの子がこの綺麗な花火を見ていてほしいと。

「ああ。」

その思いはバーンも臣人も同じだった。

「この空よりもっと高いところから、母さんと二人で見ているさ……」

次々と打ち上げられる花火を見ながら、静かにバーンが答えた。

明日は新月の夜。

真っ暗な空に、いつまでも儚い夢のように花火が上がり続けた。



すべてはルーンの導きのままに

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る