第3話 風船

「パパ、だいすき。たかいーたかいーしてるね。!」

両手でバーンの髪の毛をむんずと掴んでいた。

「あれ、なーにー?」

たくさんの出店の横を通たびにその男の子は、身を乗り出しながら指をさして尋ねた。

見るもの見るものが全て珍しいようだった。

「ねえ、ボク、お名前言えるかな?」

綾那がバーンのそばに来て聞くと男の子はうなずいた。

「たっちゃん!」

得意げに胸を張って、言った。

「そうか、たっちゃんっていうんだね。お年は言えるかな?」

「みっちゅだよ、たっちゃん。」

右手の指を3本大変そうにゆっくり立てて見せた。

「そうか!とってもおりこうさんですね、たっちゃんは。」

年令を示した小さな手を綾那は握った。

とても熱かった。

「綾がそんなに子どもが好きだとは、私、知りませんでしたわ。」

そんなに意外そうな口調でもなく、淡々と美咲が言った。

「だってかわいいじゃない。」

これ以上ないくらいの笑顔で綾那は答えた。

本当に子どもを見る目は輝いていた。

と、前方右手にある小さな出店ではモーターの音が響いていた。

カンカンカンという金属音が聞こえたあと白い糸状のものが内側に現れ始めた。

「うわぁ!?」

その様子に男の子は目を奪われた。

パチクリ、パチクリと何回もまばたきをしていた。

「あれ、なーにー? しろい、ぷあぷあ、グルグルしてるの?」

男の子は目をまん丸にして、小さな手で指さして叫んだ。

「あ、あれ?」

綾那もバーンもその方向を見た。

バーンにとっても初めて見る代物だった。

彼もちょっと眼を見開いた。

「綿アメだよ、わたあめ。食べたい?」

綾那がゆっくり大きな声で、バーンと男の方を見上げながら説明した。

「たっちゃん、たべるーぅ!」

口を尖らせて、訴えていた。

もう食べたくて食べたくて仕方がないように、バーンの肩の上でパタパタと足を動かしていた。

「食い意地だけは一人前やなぁ。よし、わいが買うてやるわ。」

臣人が財布を出すと、すかさず祥香や美咲がすり寄ってきた。

「先生!私も食べたい。おごって!」

「かわいい教え子に綿アメのひとつくらい、ごちそうしてくださいますよね?」

臣人の両側を挟むように二人は身体を寄せてきた。

なんだコイツらは!?という顔で臣人は両側に視線を飛ばした。

「おまえらダイエットしとるって、この前言うとらんかったか!?」

サングラスの上にかろうじて見える眉毛が怪訝そうに歪んでいる。

「ええ。言っていましたわ。」

あっさりと美咲が言った。

「甘いものは別腹なんですぅ。もちろんじゃないですか。」

祥香は勝ち誇ったように笑いながら言った。

おごってもらえるなら何でもいいという感じだ。

臣人は今更ながら女子高生より恐ろしいものはないと思った。

バーンもあきれていた。

「まあ、ええ。」

ふんっと短いため息をつくと財布から何枚か紙幣を取り出した。

「劔地、人数分買うてこい。バーン、おまえも食うか?」

「……今は、両手が使えない。」

臣人の方を見て、抑揚のない声で答えた。

「それもそうやな。」

肩の上にいる男の子の両足をしっかりと押さえる姿を見て、妙に納得した。

その言葉を聞いて、綾那が彼らの側から小走りに駆けていき、出店の方へ向かった。

店のおじさんに指を立てて、欲しい本数を伝えているのが見えた。

すぐさま手際よく綿アメが白い渦をなして、割り箸に雲のように形を成した。

「臣人先生はともかく。オッド先生が綿アメ食べてる姿って想像つかないわ」

しみじみとバーンを見た美咲がぼそっとつぶやいた。

その言葉を聞いて、臣人が悪いことを思い出したようににんまりした。

「そんなことないで。コイツなんか昔……(:*o*:)//」

ゴン!

鈍い音がした。

バーンが右手を拳にして、臣人の頭を殴っていたのだ。

『余計なことは言うな』と言わんばかりに。

「てぇええ!何も言うとらんやないけ。体で表現するより、口で言ってもらいたいもんやな。身がもたんでぇ。」

バーンが臣人の顔を睨みつけた。

頭をさすりながら、苦笑いをした。

反応を示した彼が、臣人にとっては新鮮であり、喜ばしいことだった。

そうこうしているうちに綾那はすぐ人数分の綿アメを持って帰ってきた。

人の流れに逆らうように、買った綿アメが他の人にくっつかないように気を付けながら戻ってきた。

「はい、たっちゃん。」

まず始めに綾那は男の子に綿アメを差し出した。

バーンは肩車をはずし、胸のところに抱きかかえた。

「わあ、ありまとう。」

男の子はうれしそうに手を伸ばした。

割り箸の部分を両手で持ち、綿アメに顔を突っ込んだ。

よだれでアメがどんどん溶けていく。

口の中でも形が消えていくその感触と残る甘さにとても驚きながら食べていた。

「おいしいね。おいしいね。パパ、これすごいおいしい。」

満面の笑顔でバーンを見上げた。

ちょっとバーンも笑ったように見えた。



午後7時45分。

花火開始まであと15分と迫ってきた。

どこからこんなに集まるのかと思うくらいにますます人は増えるばかりだった。中央公園まではあと徒歩5分といったところか。

人の流れにのってバーン達も同じように歩いていた。

食べ終わった割り箸を振り回しながらバーンの肩にのっていた。

綾那は男の子も食べ終わったことに気がついた。

口の周りがベタベタだった。

「たっちゃん、もうおしまい?」

「おしまいー。」

とても満足した顔で笑った。

「お口、きれいきれいしようか?」

「うん。」

彼らはちょっと横見それて立ち止まった。

バーンが男の子を道路に降ろしてやった。

綾那は巾着からウエットティッシュとハンカチを取り出た。

しゃがみ込み、男の子の目線に立つと口をふいてやった。

バーンがあたりを見回した。

さっきと何かが違うことに気がついていた。

さっきより自分たちの周辺が静かなことに気がついていた。

「劔地…」

「はい?」

生返事をした。

男の子の世話で大忙しといったところか。

「はい、おしまい。きれいになりました。」

口のまわりを拭くのを一通り終えて、頭上の彼を見た。

「あ、バーン先生のシャツにまで綿アメつけて。今、拭きますね。」

別なウェットティシュを取り出した。

男の子と左手を繋ぎつつ、右手で彼のシャツについた綿アメのあとを拭き取ろうとした。

「……瀧沢たちはどうした?」

臣人も自分の周りにいないことに気がついた。

「?」

あれ!?という顔で、首を傾げた。

「そう言えば、声が聞こえないような、」

前や後ろを振り返って見るが、彼女たちの姿を見つけることはできなかった。

人の流れに流されてはぐれてしまったようだ。

「でも、大丈夫です。集合場所を決めてましたから。」

「おねえちゃん、手って。」

男の子は小さい手を差し出した。

綾那はまたしゃがみ込むと男の子の両手を拭いてやった。

それも終わると急に男の子は走り出そうとした。

「あ!ダメよ。ひとりで行っちゃ。危ないわよ。ほら!」

綾那が男の子の腹部に両手をかけ、引き戻した。

「パパ、じぶんであるく。」

やりたいことを主張しながら、バーンを見上げた。

そう言われて、困った顔で男の子を見ていた。

こんなに小さいのでは踏み潰されそうである。

そこへ臣人がイカ焼きを口に、たこ焼き、牛串を両手に持って戻ってきた。

「おっと。おった、おった。」

ガツガツ食べながら、ようやく臣人が合流した。

「…臣人。」

バーンが後ろを振り返った。

「ん? あの姦しい二人組はどないした、劔地?」

牛串を食べ終え、空いた手をバーンの肩に置き、後ろから覗き込むようにしながら周囲を見た。

「はぐれたんか?」

「みたいです。」

「これだけの人出だから仕方へんやろな。」

臣人はまた思いきりがっついて食べ始めた。

それをバーンは半分あきれ顔で見つめていた。

綾那は集合場所のことを臣人に話した。

それで納得したのか、さして心配するふうでもなく臣人は頭をかいた。

「ビールも欲しいな。さてと、どれ、いこか。」

先頭を切って臣人が歩きはじめた。

バーンは立ち止まったまま綾那とその男の子を見ていた。

「たっちゃん、おねえちゃんが抱っこしてあげる?」

両手を広げて、おいでおいでのポーズをしてみた。

「やだ、じぶんでぇ。」

イヤイヤしている。

「でもいっぱい人がいて危ないよ。ほらおいで。」

男の子は渋々綾那に抱っこした。

立ち上がると結構ずっしり来る重さだった。

「きゃああああ、かわいいよー。ほっぺたが、ぷにぷにしてる。」

うれしい悲鳴を上げて、頬ずりした。

「おー、珍しく人見知りしないでなついたな。」

臣人が驚きながら言った。

おなじように父親に抱っこされている親子がその横を通り過ぎた。

抱かれていた子がピンク色の風船を持っているのが見えた。

「おねーちゃん、ぷーせん。ぷーせんあるよ。」

「今度は風船がいいの?」

「たっちゃん、ふうせんがいい。」

「よし、おねえちゃんに任せなさい。何色がいいですか?赤?青?緑?」

片手で男の子を抱きながら、胸を叩いた。

「きいろ。」

「OK。じゃ、買いに行こう。あそこの店のおじさんに言ってみよう。」

「うん。」

ぎこちない手で男の子を抱っこした綾那は、店に向かって歩き始めた。

「なんや母さんみたいだな」

人差し指であごをこすりながら臣人が言った。

そんな彼女の姿を見ながら、バーンも眼を細めた。

しばらく黙り込んでいたが短いため息をついた。

「……臣人。おまえ『魂寄せみたまよせ』できるか?」

突然、本業の話を振られて面をくらった。

なぜそんな話になるのか予想できなかった。

「? できのうはないが、あまり成功率はようないで。」

綾那を気遣って少し小声で話し始めた。

一度、祥香の除霊に同席させてしまったとはいえ、これ以上本業には巻き込みたくなかった。

「……」

無言で臣人の顔を見ていた。

「なんで『魂寄せ』なんぞ」

臣人は首を傾げ、しばらく考え込んだ。

何かが頭の片隅に引っかかっていた。

「!?」

臣人はもしかして!という顔をした。

そんなことをしている間に綾那たちは戻ってきた。

「きいろいぷーせん!パパ、みてっ」

「手を放すと飛んでいっちゃうから、お手てに結んであげるね。」

綾那は男の子の左手に二、三回糸を巻くと片結びにした。

「さあ、いいわ」

綾那が結び終えた手で軽く男の子の背中をたたいた。

しかし、あんなに欲しいと言っていた風船を手に入れて、喜ぶかと思いきや男の子の表情が冴えなくなってきた。

「パパぁ」

手に結んだ風船を引っ張りながら、急に不安そうな面もちになりバーンの方へ近づいた。

まわりをきょろきょろと見回している。

「パパぁ~、ママ、どこ~?」

バーンのズボンの裾を引っ張りはじめた。

片方の手の親指を口に持っていき、何かを訴えるようにしゃぶりはじめた。

「たっちゃんのママ、いない…。おまちゅりにいっしょにいくっていってたのに…ママぁ!!」

とうとう泣き出してしまった。

「たっちゃん。」

綾那はおろおろして、どうしたらよいかわからなくなっていた。

「おいで」

バーンが優しく男の子を抱き上げた。臣人もようやく事の『真相』に気づいた。

「臣人…」

バーンが何かを眼で合図した。

臣人もこくっと頷いた。

「OK。やっぱ修行がたりんなぁ。こっちや。確か小さい公園があったはずや。」

臣人が案内するようにバーンを導いた。

二人のあいだで交わされる会話を理解できずに、綾那はただただあとを追いかけた。

「え、迷子センターに行かないんですか? あ、待って!先生!!」

3人は遊歩道をあとにした。

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