2 イラつく女
「部隊の看板を損なわないよう、必ずレンジャーになって帰ってきますッ」
やけに耳に障るデカい声が聞こえてきて、俺は少しだけ顔をしかめた。
声が聞こえたのは、尾花二尉の席からだ。喋っている相手は、同じ衛生科の小牧三曹。救急救命士でもある彼女は、俺の一年後輩だ。身長が特に低いわけではないが、どこか小型犬を思わせる女で、本人が気づいているのかいないのか、喋るたびにぶんぶん両手を振り回していて、とにかく落ち着きがない。
(レンジャー訓練を受けるのか)
母体保護のため、長いことレンジャーに女性はいなかったが、去年からとうとう女性隊員にも訓練の門戸が開かれた。ただし、質と公平性の担保のため、男女同じ基準で行われる訓練は、彼女たちにとってかなり厳しいもののようで、結局昨年は女性レンジャーが誕生しなかったそうだ。
(そりゃそうだろ……男ですら死ぬ思いなんだ)
そもそも、訓練に参加するには厳しい素養試験と適性検査に合格する必要がある。希望したところで、スタート地点に辿り着けるわけでもないのが、レンジャー訓練なのだ。
(部隊での選抜に合格したからって、スタートの更に手前に立つことが許されたってだけの話だしな)
きっと、
「レンジャー!」
尾花二尉の言葉に、そう返事をする小牧の声が聞こえ、思わず俺はそちらを振り返ってしまった。続けて、「バカ」と呆れた声を上げる尾花二尉の声も聞こえた。もっと言ってやって欲しい。
レンジャー訓練中、学生は教官・助教という指導役を「神」と仰ぎ、「レンジャー!」と返事をすることしか許されない。だからこそ、特別な意味をもつ言葉でもあるのだ、これは。
それなのに。
不意に、へらりと笑う小牧と目が合う。思わず目を逸らしたのは、そのマヌケな笑顔にイラついたからに他ならない。
(あんなヤツに――女なんかに、レンジャー訓練が務まるもんかよ)
なにせ、俺が一番認めていた男でさえ、途中で脱落したのだから。もう一歩のところで、心を折られてしまうほどの過酷さなのだから。
左胸につけている、レンジャー徽章が不意に重く感じられ。俺はぐっと、唇を噛み締めた。
二年前。俺はレンジャー訓練を受け、晴れてレンジャーとなった。帰還式で徽章を受け取ったときの、あの気持ちは今でも忘れられない。
もちろん、晴れやかな気持ちや達成感がなかったと言ったらウソになる。ようやく終わった、という安堵。どこか現実味のない高揚感――それらと同時にふと、途中で
おそらく、ヤツも帰還式には来ていたはずだったが、俺は敢えて会わないように避けてしまった。顔を見たらどんな気持ちになるか、どんな行動をしてしまうか。考えるのも怖かった。
尾花二尉にたしなめられている小牧の姿を、もう一度ちらりと見る。
同僚としてもちろん普段から喋りもするし、勤務中の様子だって知っている。体育会系の割りに気が利くタイプではないが、うるさくて、元気とやる気は人一倍ありあまっていて、普段からぱたぱたと走り回っている
もし、レンジャー訓練に参加することができたなら、おそらくその持ち前のやる気で訓練にぶつかっていくんだろう。そして――ぶち折れる。一度どころか、何度でもへし折られ、最後には心がぽっきりといく。
山中を睡眠食事なしで歩かされ続ける訓練後半で折られる者もあれば、意外と前半の体力を削られていく時点で、「ついていけない」と折られてしまう者も多い。参加者は誰もかれもが、それぞれの部隊から選ばれてきた精鋭であるにも関わらず、だ。
バディとなった相手とは、二十四時間トイレまで一緒。スケジュールは分刻みで、普段の食事も五分で掻き込む。極限まで身体を酷使し、ようやく眠れると思えば不意打ちで夜中に召集。
そういった、地獄。その地獄が90日間ひたすらに続く。
それが、レンジャー訓練なのだから。
(こいつが……折れて、帰って来たら。どんな顔すんだろうな)
常にへらへらとしているあの顔――イラつくその顔が。だが、どうしようもなく襲いかかってくる理不尽に歪んで戻ってくるのは、なんだか見たくないな、と。
俺は小さく、ため息をついた。
そのときだった――スマホに、懐かしい名前が表示されたのは。
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