田端三曹は答えを模索する

1 アイロンがけ

 「くたくた」なんて言葉じゃ表現できない。痛みと疲労を全身に背負い込みながら戻って来た部屋でを見た瞬間、俺は今度こそその場で崩れ落ちそうになった。


 レンジャー訓練。それは、陸上自衛隊の8%しかいない精鋭「レンジャー」になるための、90日間の教育課程。


 狭い居室には、参加している学生たちのベッドがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。とはいえ、当初二十人程度いた学生たちも脱落者が出て、残り期間もわずかとなった今、残っているのは半分にも満たない人数だ。


 俺は自分のロッカーの前に立ち、扉を開けた途端――違和感を覚えた。ロッカーにはそれぞれの私物が入っているわけだが、一着だけある予備の戦闘服、それがやけに綺麗にアイロンがけされて、ハンガーにかかっていた。

 極めつけは、その胸元あたりに弱弱しく貼り付けられた付箋だった。少し歪んだ文字でメッセージが書かれている。

「――っ」


 思わず、隣のロッカーを乱暴に開けた。今朝まで自分のバディが使っていたそのロッカーは、すっかり空だった。

 ぽん、と後ろから肩を叩かれる。その手の重みで、身体が床に沈み込みそうだった。手の主――学生長が、低い声で呟く。

「……残念だったな、田端」

 ぎりっと、俺は奥歯を噛み締めた。「仕方ないっすよ」と吐き出した声は、少し掠れてしまった。


 仕方がない。俺のバディは、訓練を降りた。見れば、みんなロッカーを前になんとも言えない表情を浮かべている。きっとヤツは、全員分の戦闘服を、最後にアイロンがけしていったのだろう――最後に見たバディの姿を思い出そうとするけれど、正直あのときは、自分のことで精一杯でそれどころじゃなかった。


 ザック症――自分の体重の半分以上も思い荷を長時間背負い続けることの多いレンジャー訓練では、血流が止まり肩や腕が麻痺を起こすことがある。それを、我慢し続けてしまったのだろう。俺のバディであったレンジャー糸川は、教官からのストップがかかり、先程の想定では途中で下山することになった。その背に俺は――なにも、声をかけることができなかった。

 目の前で振り分けられる新たな荷物と、それまでの疲労と、これからの行程とに、ひたすら気持ちを持っていかれていた、。そうしなければ、今度倒れるのは自分だと思った。


「でも、糸川らしいよな。全員分にメモまで貼り付けてさ。『お世話になりました。自分の分も頑張ってくださいって』……ったく、どんな気持ちで書いたんだか」

 茶化そうとして失敗したような、少し震える声で学生長が言う。俺は少しだけ目を見開いて、自分の戦闘服に貼りつけられていた付箋を見返した。


『ごめん』


 そう、小さくたった一言だけ。

「……馬鹿野郎」

 ぼそりと呟いた言葉は、不甲斐ない自分に向けたものだったか、それとも自分を置いて去ってしまったバディに対する八つ当たりだったのか。それすわも分からなかったが。


 七十日以上の苦楽を共にした相棒が急にいなくなるというのは、こんなにもポカリと穴が開くものだったのかと。そんな、どうしようもなく泣きたい気持ちになるのは、じいちゃんの葬式以来だった気がして――俺は泣く代わりに、付箋をぐしゃりと握りしめた。

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