3 まったくバカなんだから
「で?」
土曜日の
約束した店の前にやって来たミズキは、先に来て待っていた二人をじとりと見た。
「どういうこと?」
「どういうことって?」
キョトンとした顔で訊ねるのは瀬川だ。まるであたりまえのように、なんの疑いもなく、糸川と一緒に来た彼は。本当に意味が分からないという様子で、首を傾げた。
「なんか、あったん?」
「なんかあったって言うか……」
じろっと糸川に視線をやると、糸川は糸川で真正面からミズキを見返してきた。
「送っただろ。お疲れ会兼ねて、瀬川も誘うって」
「そうだった?」
記憶を探るもあやふやで、ミズキは軽く眉を寄せた。場所と時間のやり取り以外はほとんど流し読みをしていた自覚はあるため、強くは言えないが――。
(それにしたって。こっちは、この前の話の続きを覚悟してきたのに)
それともやはり、前回のはただ糸川がハイになっていただけで、その件をあやふやにしてしまいたいのだろうか。
(それはそれで、腹が立つのだけれど)
空気を察した瀬川が、「えっと」と戸惑いの声を上げた。
「もしかして、俺、オジャマ……?」
「いや」
「そういうわけじゃないけど」
ほぼ同時に、瀬川の腕を片方ずつつかみ。ミズキは糸川と目を合わせた。
「まぁ……立ち話もあれだしな」
「そうね。中に入りましょ」
「あの。俺、引っ張られなくても歩くけど……」
そんな瀬川のうめきは無視し、ミズキと糸川はそれぞれ瀬川の腕を引きながら、店内へと入っていった。
※※※
店は、レンジャー訓練中、想定訓練が始まる前に学生らで集まったところだ。あのときよりも二回りくらい小さな個室で、ミズキは男二人と向き合うように座り、メニューを眺める。
「糸川はメニュー見ねぇの?」
「俺はいつも刺身と焼き魚の定食って、決めてるから」
「冒険心がないのよね」
ミズキがぼそりと言うと、糸川がむっと口を閉じた。瀬川が「えぇっと」と早口で付け足す。
「俺は焼肉定食かなーっ! 志鷹は?」
「わたしは……うーん、薬膳カレーで」
「ひとのこと言えないじゃないか」
それ見たことか、とでも言うような糸川の言葉を、ミズキはメニューを閉じて無視した。少なくとも、メニューを確認して吟味している分、糸川よりずいぶんマシでいるつもりだ。
「それじゃあ、お茶だけど。改めておつかれー!」
瀬川の音頭で、糸川とミズキも湯飲みを手に、「おつかれ」と唱和する。注文した品が来るまでまだ間があるが――さっそく、テーブルが静かになる。
「え……っとぉ」
瀬川が、慎重なんだか軽率なんだか分からない調子で、「それでさぁ」と訊ねてきた。
「二人は、なにをケンカしてるん?」
「別に喧嘩なんて」
「してないけど」
うっかり声がそろってしまい、ミズキはちらっと糸川を見た。糸川は目が合うと、わざとらしくメニューに目を向けたりする。メニューを見るなら注文前に見ろよ、と。ミズキは心の中でツッコんだ。
「そぉ……してないなら良いけどさぁ。ほら、この前、テレビで例の放送が流れただろ? 彼女がそれ観たらしくてさぁ。俺が志鷹と二人で歩いてるシーンとかで、変に勘ぐられちゃって。
いやいや、この
あはははは、と笑う瀬川の声音が、だんだんと乾いていく。ミズキと糸川の顔を見比べ、首を左右に振り。
「えーと……?」
「結婚なんて」
先に、ふっと笑ってみせたのはミズキだった。
「少なくとも。彼女にそんな話をふっておきながら、次会うときまるでなにごともなかったように、それとは全く関係ない食事会に誘ってくる男なんて。あんまり結婚に向いてなさそうだと思わない? ねぇ、瀬川?」
「え、え?」
戸惑う瀬川を挟み。糸川が無表情のまま、すかさず口を開いた。
「男の立場からして。気持ちを振り絞ってした告白を、まるで気の迷いのように言われて。その上、連絡しても無視され続けたんじゃ、相手がどう考えてるかも分からないと思わないか? なぁ、瀬川?」
「いや、まぁ。それは」
「そもそも、付き合って短期間の中、彼女が今後結婚するつもりがあるかどうかも意思確認しないで、不意討ちみたいなプロポーズって、ありえないわよ。ねぇ、瀬川」
「付き合ってるからには真剣に向き合いたいと考えるのは、当然だろ。なぁ、瀬川」
「だいたい、真剣に付き合うイコール結婚、っていうのがもう古い価値観なのよ。仕事で成果を出して、さぁこれから! ってときに、結婚なんて言われたって困るわよねぇ瀬川?」
「結婚したから、仕事ができないわけじゃないだろ。だいたい、好きな相手とこれから先も一緒にいたいって考えるのは自然なことだよなぁ瀬川?」
「あーもうっいい加減にしろよおまえらっ!」
瀬川が怒鳴ったのと、「失礼しまーす」と店員が個室の扉を開けたのは、ほぼ同時だった。
若い女性の店員は、なにごともなかったかのようにかちゃかちゃと音を立てながら、盆を並べていく。
「焼肉定食の方ー?」
「あ、ハイ。俺ですー」
「えぇっと、薬膳和風カレープレートの方ー」
「はい……」
「それと、こちら焼き魚とお刺身定食ですー。以上でおそろいでしょうかー?」
『はーい……』
伝票を置いて、「失礼しましたー」と去っていく店員が、ぱたんと扉を閉め。
ミズキらは目を合わせ、一拍置いてから、瀬川が「えーっと」とうなった。
「なんだ。まぁ、俺が言いたいのはだなぁ」
「ねぇ、長くなりそうなら先食べても良い?」
「確かに……冷めたら、もったいないからな……」
「あーもう。お好きにどーぞ、お好きにッ」
「俺も食うしッ」と瀬川もおもむろに肉を口に運び。もぐもぐと
「――とにかく、だなぁ。お互い思うことがあるんなら、俺を挟まないで喋れば良いだけのことだろ。そりゃ、言いにくい話なんだろうけどさぁ」
瀬川の言葉に。ミズキと糸川は、互いにちらっと視線を送り合った。
「確かに、まぁ。それはその通りだな」
「その通りなんだけど、正論言ってるのが瀬川だと思うと、腹が立つわね」
「なんでだよ……」
げんなりとする瀬川をさておき、ミズキはお茶を一口飲むの、糸川に向き合った。糸川も、真面目くさった顔で、見返してくる。
「瑞葵。俺と結婚してほしい」
「イヤよ」
糸川の直球を、きっぱりと瑞葵が打ち返す。
「勇気出ないからかなんか知らないけれど、こういう場に友達連れてくるのもなんだかなって思うし。て言うかそもそも、わたし結婚願望ないのよね」
瑞葵の言葉に、糸川がぎゅっと眉間に力を込めた。その隣で、瀬川が「うわぁ」ともらしているのは、この際無視する。
「あんたは一緒にいたいから、って言うけれど。それだけで結婚って、できるものなの? 結婚って、基本的に長期間の契約じゃない。あの訓練期間含めて、まだ半年しか付き合っていないわたしたちが急いでするものでも、ないと思うけれど」
「あの訓練を一緒にしたからこそ、強く思ったんだ。瑞葵となら――これからどんな苦労があっても、お互いに支えられるって」
「ふうん」と、瑞葵が気のない返事をこぼす。
「それって結局、極限状態を一緒に過ごしたから情がわいただけなのと、なにが違うの?」
「違う。俺は……目が覚めたんだ、ようやく。
ほら訓練中、瑞葵が蹴ってくるくらい俺に怒ったらことがあっただろ。それで――」
「やだ。Mに目覚めたってこと」
「違う、茶化すなよ」
さすがに、糸川がムッとした顔をした。
「俺はそれまで、瑞葵のことも女性として、守らなきゃいけない存在だと思っていた。
けど……違ったんだ。そうじゃなくて、もっと対等なって言うか……お互いの力を尊重し合うべき相手なんだって」
「それで」と。糸川はお茶に口をつけ、一つ息を吐いた。
「……それからも、瑞葵の様子を見てて。特に最終想定で、怪我をしても絶対に諦めない姿を見て、心から思ったんだ。
瑞葵となら、どんな苦しいことがあっても、お互いに支え合っていけるって。一緒に、未来を作っていけるって」
それを聞いて。ミズキは一つ、息を吐いた。糸川の隣では、瀬川が両手で顔を覆っているが――まぁ、それはどうでも良い。
「これは、多分なんだけど。レンジャー訓練の辛さと、家庭生活上での辛さって、全く別物だと思うのよ」
ミズキの言葉に、糸川がちょっとだけ、目を大きく開く。
「飲まず食わず寝られずの想定訓練は、確かに、本当に死にそうになるくらい辛かったけれど。でも――日常じゃない」
想定訓練は、いつか終わる。それを励みに、がむしゃらに進むことができた。
「生活上のでの苦労って、もっと地味で、普遍的で、終わりなんて見えなくて。だから、あの訓練で全部分かったつもりになったって意味ないし。わたしも、それであんたを判断しようとは思えない」
そうだ。二十五年生きてきて、それなりにミズキだって人生というものを見てきた。生きていくっていうことは、そんなドラマチックでもなければ、底のない辛さがある。
ましてや結婚なんて、綺麗な感情だけで済ませられるものではないし――実際のところ、誰よりも自分が、堪えられる気がしない。
「それにわたしは……結婚以上に、今のところ子どもだってほしいとは思えない」
「そんなの、別に」
「今のところって言うのは、今後もほしいと思えるかは分からない、ってことよ。本当に――それでも、良いの? あんたが望んでる未来は、そういう形じゃないでしょ」
じっと見つめるミズキに。糸川は、ぐっと言葉を飲み込み。
「俺は……瑞葵ほど、深く考えられてないかもしれない」
吐き出すように、そう呟く。
「まぁ……焦るのは分かるけどね。わたし、良い女だから引く手あまただし? それに――どっちかが異動すれば、一緒にいるっていうだけでも厳しいしね」
自衛隊の異動は、全国各地だ。場所によっては、何年も離れられない場合だってある。極端な話、ミズキと糸川の片方が北海道で、もう片方が九州へ行くことだって充分ありえるのだ。
そのせいか、確かに自衛隊員は相手さえいれば、比較的短いスパンで結婚を決める者も多い。
だから――ミズキだって、糸川の気持ちがまったく分からないわけでも、ないのだけれど。
「……まぁ、そう言うわけだから」
「でも。俺は」
ミズキの言葉を遮るように、糸川が声を大きくする。
「俺は――やっぱり、気持ちは変わらない」
「あんた……話、聞いてた?」
「ミズキの言いたいことは分かるし、正しいんだと思う。好きだなんだっていう、一時の気持ちで上手くいくとは限らないっていうのもよく聞くし……」
隣でうんうんと頷く瀬川を、糸川はうるさそうに軽く押しやる。
「未来が望んだ形になるか分からないってのも、まぁそうなんだろうなって思う。でもさ。でも――そもそも未来なんて、そんなもんじゃんか」
きっぱりと言いきる糸川に。今度は、ミズキが目を大きくした。
「子どもだとか、苦労だとか、考えたらきりないし。その都度、考えてかなきゃならないことだってたくさんあって……思い通りにならなくて、辛いことだってたくさんあるだろ。でもさ」
「でも?」と、瑞葵が思わず呟く。その声が、少しだけ震える。
「でも――そんなときに隣にいてくれて、一緒に悩んだり支え合ったりするのは……やっぱり、ミズキが良いんだ」
そうきっぱりと言う糸川の目は、いつも通り真っ直ぐで。その真っ直ぐさなんて、とっくに見慣れたもので。なのに。
「……しょうがないわね、バカなんだから」
こんな大事なことで。今さら情に流されるなんて、それこそバカみたいだと思いつつ。
ミズキは溜め息と共に、大きく頷いた。
本当に、バカみたいだ。バカみたいだけど――しょせん、そんなものかもしれない。
「えっと……?」
「決めたからには、やることは山積みよ。社宅なりアパートなり探さなきゃいけないし、互いの家に挨拶だっていかなきゃならないし、上への報告もあるし、結婚式やるかやらないかも決めないとだし、価値観のすり合わせとか、とにかくいっぱいいっぱい……」
「分かっている。月々の家計の出し方とか、家事の分担だとか、将来設計とかもだな」
たたみかけるように言うミズキに、糸川が心なし嬉しそうに、頷きながら付け足す。
その様子を見ながら、瀬川が結局冷めてしまった肉を箸でつつきつつ。
「なんつーか……おまえら、なんだかんだで似た者同士だよな……」
ぽつりとそう言うのを、ミズキは聞こえない振りをして。
なんだか笑いそうになりながら食べた、冷めかけたカレーだって。不思議と、いつもより美味しく感じてしまうのだった。
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