2 ちょっと落ちついて

「あんた、なに言ってんの?」


 帰還式後。まだあちこちで、労いと祝い、そして再会の喜びを分かち合う空気も冷めやらぬなか。


 不意に近づいてくるなり、「一緒に住もう」だなどと言い出した糸川に、ミズキは思いきり怪訝な顔で訊き返した。


 営内に住む若い独身自衛官にとって――「一緒に住む」という言葉は、特別な意味をはらんでいる。


 基本的に彼らが営内を出てに住むことが許されるのは、家庭を持つとき――結婚するときだ。


 つまるところ、糸川の言葉は同棲どころかプロポーズを意味しているわけで。ミズキはじとりと、満身創痍なわりにやけに目を輝かせているをにらみつけた。


「最後の想定中――ずっと、考えていたんだ」

 怯みもせずに、糸川はきっぱりと言う。

「俺はやっぱり、この先もミズキといたい」


 まるで、今にも手を握ってきそうな勢いの糸川から後ずさり、ミズキはちらっと周囲を伺った。


 さすがに、騒ぎの中心からは外れた場所での会話ではあるが――この場では主役であるメンバーのうち二人が話しているのだから、いつ誰が近寄ってきてもおかしくない。


「……分かったから、とりあえず落ち着いて」

「それじゃ……!」

「違うから。あんたが言いたいことが分かった、って言ってるだけ。イエスじゃないから、そこのところ勘違いしないで。て言うか、イエスなわけないでしょ。こんなときに、急に言われて」


 いや、確かに帰還式に際して、告白などするカップルもよくいるとは聞くが――それとこれとは、少し違う気がする。


 自分たちの場合は、訓練期間中、離ればなれになっていたわけでもないし、そもそもの前提として――

(あたしたち……まだ、付き合ってから半年くらいしか経ってないじゃない)


 同じ部隊ということもあり、元より知り合いではあったが、あくまでそれは職場の一同僚としてであり。

 しかも付き合っている期間の半分はレンジャー訓練中だったし、その前の一ヶ月くらいは訓練へ行くための追い込みをしていたから、デートどころか会話もろくにしていない。


 だいたい付き合ったのだって――一般人の彼女に振られた糸川を哀れんだ先輩に、ほとんど無理矢理セッティングされた飲み会で、喋っていてなんとなく――というぐらいのものでしかなく。


 正直、話が合うのは「お互いレンジャーを目指している」という点だけで、他はさっぱりだった。


(見た目は、まぁ、悪くないけど――)

 思考が脱線しかけた自分に気がつき、ハッとして首を振る。駄目だ。少なくとも三日三晩ほとんど寝ていないような今のコンディションで、考えるべき話ではない。


「……あんた、ちょっと今、最終想定終わったばかりで頭のネジぶっとんでんのよ」

「そういうわけじゃ」

なの。

 悪いけど――わたしも、ものすっごぉぉく、疲れてるから」


 「ミズキぃぃ!」と、アキラの呼ぶ声がする。それに応えるかたちで、「またあとで」とだけ一方的に言うと、ミズキは身をひるがえし、糸川が立つのとは反対方向へと歩き出した。

 糸川の顔は、あえて見ないようにして。


 ――それ以来。可能な限り、糸川のことは避け続け。スマホに送られてくるメッセージも適当に受け流しながら、現在に至るのだが。


(そろそろ……避け続けるのも限界かなぁ)

 最近は、仕事中の態度から、周りには喧嘩でもしたのかといぶかしまれる始末だ。仕事自体に支障が出ないよう気をつけてはいるものの、少なくとも、良い空気ではないだろう。


 スマートフォンが小さく鳴り、画面に新着メッセージが表示される。


『週末、昼飯でも食べに行かないか?』


 こういった誘いも、最近は宿直など仕事にかこつけて断っていたのだが。


 画面をタップし、オッケーの文字を送ると、すぐに既読のマークがつく。それを確認し、ミズキは溜め息をついてスマホをポケットにねじ込んだ。

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