第十話 これがハッピーエンドですっ!

10 可能性はいつだって無限大です!

 トラックに乗り込んだあたしたちは、半ば放心状態だった。


 限界だった身体を動かしていた緊張感が一気に切れて、ぽーっと宙を見る。その目の前に、「ほれ」と差し出されたのは、おにぎりだった。


「とりあえず食っとけ」

「れ――レンジャー!」


 原助教が配るコンビニのおにぎりを、全員無言でバクバク食べる。そのうち――誰かがぐすぐすと泣き始めると、だんだんとそれが伝染して。悲しくもないのにみんなで大泣きしながら、おにぎりをたいらげた。


 ぐずぐずと鼻をすするあたしたちに、「おまえら、ドーラン直しとけ」と沖野助教が言う。その顔がにやっとして、あたしたちを見回した。

「そんなでろでろの状態じゃ、カッコつかねぇからな」


 それを聞いて、あたしたちは涙で味が分からなくなったおにぎりを飲み込みながら、全員で顔を見合わせた。


 ――もうすぐだ。

 もうすぐ、全部終わるんだ。


 やがて。トラックが停まり、降ろされる。そこはもう、見覚えのある場所だった。

「ここからは走っていく。あとほんの一踏ん張りだ――良いな?」

「レンジャー!」


 原助教の言葉に、全員で声を合わせて――走り出す。


「イチ、イチ――イチ、ニィッ!」

「レンジャーッ」

 糸川三曹を先頭に、声を合わせながら全員で駆け足をする。重い背嚢と、小銃を担いで走るのもあと僅かだと思うと、自然と足に力が入った。

 糸川三曹の後ろを走るのは、レンジャー瀬川で。その手に持つ、ダイヤと月桂樹が描かれたレンジャー隊旗が、風に揺れてはためいている。


 いよいよ、届くんだ。あの、憧れの徽章に。


 駐屯地が見えてくると、ずらっと迷彩服姿の隊員たちが並んで、花道を作ってくれていた。その足元に置かれた缶では爆竹が鳴らされ、煙がもくもくと上がる。音楽隊の演奏が響いて、まるで凱旋がいせんパレードのように――あたしたちは、迎え入れられた。


 駐屯地の門をくぐると、更に多くの人たちが出迎えてくれた。私服姿の人たちは、学生たちの家族や、大切な人だろう。並んでいる人たちの中に、ちらっと小花二尉や田端さんの姿が見えた。


 拍手と、笑顔が溢れている。ありがたい、って言うのはこういう感情なんだろうか――温かいものが、胸にぐっと溢れてくる。


 たくさんの人たちに見守られながら、あたしたちは整列した。

 ――とうとう、帰還式このとき始まる来たのだ。


「――無事全ての任務を完遂し、帰隊いたしましたッ」

 前に進み出た糸川三曹が、大声で報告し、敬礼する。それに、向かい合うようにして前の檀上に立つ鵬教官が、敬礼を返した。


「……私ははじめ、きみたちにこう言ったと思う。

 レンジャーとは――自衛隊そのものの誇りであり、戦闘時の窮地においてもより遠く、速く機動できる兵士であり、他の隊員への模範であり、仲間と祖国を誰よりも重んじ、そして。ダイヤのように堅く、不屈の精神をもって任務を遂行する存在、だと」


 鵬教官が、マイク越しに静かな声で、そう話し始めたのを。あたしたちはじっと見つめ、聞き入る。


「この三か月間。きみたちは常に窮地に追い込まれ、心を削られ、時に身体を傷つけながら、極限の中を過ごしてきた。その結果、二十二名いたきみたちは、今や十三名となった」

 そう言うと、鵬教官は少しだけ目を伏せた。


「途中で原隊へ戻った彼らは、決して恥じる必要などない。『根性』というものは――とかく、分かりやすい努力の象徴として、もてはやされがちではあるが。必ずしもそれが最善だとは、私は思わない。その下に潜むあらゆる条件や状況というものを省みず、思考停止さえもたらしかねない単語だとすら思う」


 その鵬教官の言葉は。どうしようもない状況で、原隊へ戻る道を選ばざるを得なかった学生らと、選ぶことすらできず戻されてしまった学生らと――そして、それを見送ることしかできなかったあたしたちの心を、優しくそっと、すくい上げてくれる。


 「だが」と。次に顔を上げた鵬教官は、これまでに見た中で一番温かな笑顔で、言葉を続けた。


「それでもやはり、ここに残った十三名は少なくとも、『根性』以上のなにかを、その胸にしっかり抱いているのだろう。それこそが不屈の精神であり――そんなきみたちを、私は誇りに思う」


 言って――敬礼をする鵬教官に。あたしたちは、「レンジャー!」と声をそろえ、敬礼を返した。鵬教官がにやっとする。


「それではここに――レンジャー徽章を授与する!」


 鵬教官は壇上を降りて、学生たちの列に近づいてきた。

 糸川三曹を先頭に、リボンをつけられたレンジャー徽章を、一人一人名前を呼んで首へとかけていく。


「――レンジャー小牧!」

「っ、レンジャー小牧ッ」

 正面から呼ばれ。あたしも、残りかすみたいな力を振り絞って、おうむ返しに怒鳴った。

 鵬教官が、あたしの首にリボンをかける。同時に、あちこちから拍手が上がった。


 ほんのりと、首に増した重み。これが――地獄のような九十日間を、やりぬいた証。


「おめでとう」

 鵬教官が手を差し伸べてくる。その厚い手を握り返すと、自然とまた、涙がこぼれそうになった。

「――ありがとうございますっ」

 目尻を拭い、元気よく答える。背中は相変わらず重いし、服はぐっちょりと不快に濡れたままだし、身体はあちこち悲鳴を上げているけれど。

 それでも今は、最高の気分だった。


※※※


 帰還式が終わると、学生たちはそれぞれ、自分のために来てくれた人たちの元へと散って行った。


 糸川三曹は、家族に囲まれていた。お母さんと――高校生くらいの男の子は、弟だろうか。歳の離れた弟に見せる目は、あたしたちに見せるものよりも更に柔らかくて、どこかイタズラっぽい。


 レンジャー瀬川は、女のコと一緒にいた。何故か女のコの足元にしゃがみ込んで、泣きだしている。それを部隊の人たちが遠巻きに取り囲んで笑っていて、あたしまで思わず笑ってしまった。ちょっと怒った顔の女のコは、きっと彼女なんだろう。なんだフラれてなかったんじゃん、と背中を叩いてあげたいけれど、多分その必要はないんだろう。


 見回して――見つけたミズキは、お母さんと一緒にいた。自衛隊あがりだというお母さんは、思ったよりミズキに似ていなくて、でもその透き通るような眼差しだけはよく似ていた。手には、なにか写真を持っていて。向かい合うミズキがそっと、その写真を撫でた。


 ふと。ミズキと目が合う。本当は、駆け寄ろうと思ったのだけど。足は大丈夫? とも訊きたかったのだけれど。

 でも。その合わさった視線だけで、充分な気がして。あたしたちはどちらからともなく、フッと笑った。


「――アッキー、おつかれぇッ」

 明るい声と共に冷たい水を思い切りかけられ、あたしは「ぎゃあっ」と声を上げて振り返った。


「っ、みなさん!」

 そこにいたのは、小塚さんをはじめとして、小花二尉、田端さんなどの同じ部隊の人たちだった。

 それぞれの手に、炭酸水のペットボトルが握られている。シャンパンシャワーならぬ、炭酸水シャワーだ。


「全身全霊をかけて、やりぬいてきたか――小牧三曹」

「っはい!」

 あたしが敬礼を返すと、小花二尉は「声のでかさに磨きがかかったな」と笑った。


「アッキーは、誰か呼んでへんの?」

「あー。うち、地元九州なんで。さすがに遠いから、呼ぶの誰もお願いしてないんですよねー」

「九州なんかぁ……九州男児じゃあ親父さんとか怖そうやなぁ……」

「なんで小塚三曹が、小牧三曹の親父さんを気にするんです?」

 田端三曹の言葉に、小塚さんが「うっせ」と唸り。


「まぁ。よぉ最後まで頑張ったなアッキー」

「っはい! ありがとうございますッ」

 小塚さんに、あたしは胸を張って頷いた。

「来てくださって……本当に嬉しいですっ!」

「約束したやろ、帰還式で待っとるって。俺は、約束は守る男やで」

 わざとらしく胸を張り返す小塚さんに笑って。あたしは心の底から――今、重い荷物を降ろせたような心地がした。


「――レンジャー小牧ぃぃッ」

 叫びながら走ってきたのは――沖野助教だ。目にいっぱいの涙をためて、「良かったなぁ、頑張ったなぁっ」と叫ぶ。


「何度も、もうダメなんじゃねぇかと思ったけどよぉッ! マジおまえ頑張ったぞよくやったっ」

「沖野……さん。ちょっと、ギャップありすぎで頭が切り替わんないんですけどー」

 と言うか、まだ反射的に身構えてしまうくらいには、という人はあたしにとってでありだったわけで。神様と言っても、だいぶ荒ぶってる感じの神様だけれど。


「三ヶ月、ありがとうございました! 助教たちには……まぁ、正直うらみもありますけど。でも――やりぬけたのも、助教たちのおかげですから」

 あたしの言葉に。沖野さんは鼻をすすりながら「おうっ」と笑った。


「小牧三曹……その、悪かったな」

 そう、一歩進み出て言ったのは、田端三曹だった。少し罰の悪そうな顔で、炭酸水を持っているのとは反対の手で、頬を掻いている。

「出発前に、あんなこと言ったの……取り消すわ」

「あんなことって……なんでしたっけ?」

 首を傾げるあたしに、「だから」と少し早口になって、田端三曹は付け加えた。


「女には、レンジャーは無理だって言ったの。取り消す」

「……田端さん」


 呟き。あたしは、横に首を傾げた。

「そんなこと、言ってました?」

「え……まぁ、まるっきりそのまま言ったわけじゃねぇけど。そういう意味を込めてだな――いや、もう良い。バカには遠回しな言葉は通じないんだったな。もう良い忘れろ」

「むしろ、田端さんは行く前の訓練について、アドバイスをくださったくらいですし」

「だからっ、レンジャー祝いに焼肉でもなんでもおごってやるから、その件はもう忘れろって!」

 頭を抱え込む田端さんに、あたしは首を傾げたまま。


「だったら、あたしは次のレンジャー訓練を目指される激励として、小塚さんに焼肉おごらないと」

「ほんまか。それなら俺は、田端におごったろ」

「……? なんで俺がおごられるんです」

「田端はもうレンジャー持っとるから。次に目指すんは特殊作戦群特殊部隊やろ。自分、高み目指すなー」

 「あれもキッツいからなぁ」としみじみ言う小塚さんに、「他人の希望を勝手に決めないでくださいよっ」と田端さんが焦り気味に抗議の声を上げる。


「そっかぁ……特殊作戦群っていうのもありましたねー。そう言えば」

 あたしが腕を組んで呟くと、手塚さんと田端さんが二人で顔を見合わせてから、ほとんど同時にあたしを見た。

「まさか……目指す気なのか?」

「アッキー、ほんまタフやなぁ……」


 「おいおい」と割って入ってきたのは、小花二尉だった。

「今はまだ、レンジャーの帰還式が終わったところだろうが。うだうだ喋る前に、ガス欠隊員は祝いの飯でもかっ食らえ!

 空きっ腹にカロリー詰め込んで腹下すまでが、帰還式の様式美だからな」


 そう言って、小花二尉が示した先には。差し入れのチキンやピザ、ケーキなどが、芝生の上に置かれたテーブル上に、所狭しと並べられていて。

 笑顔の小花二尉と、小塚さんと、田端三曹と。それから、まだぐすぐす言っている沖野さんに見守られ。あたしはピッと敬礼した。


「――レンジャー!」

 高く青い空に。

 あたしの声は、たぶん。どこまでもどこまでも、遠くへと響き渡った。









状況終了おしまい

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