9-6 これが全部です!

 歩く。歩く。歩く。

 ひたすらに、歩き続ける。

 雨は一度止んだかと思えばまた降り出すのを繰り返し、全身泥と雨でどうしようもない。


 夜はただでさえ冷え込むのに、濡れた身体はどんどん熱を奪われて、寒気さえする。それでも、歩き続けるしかない。


 足を引きずるミズキの身体を押し、山道を行く。その顔色が悪くなっていくのが、傍目にも分かっていた。そもそも、ケガをする前から体力は限界を越えていたのに。出血したことと絶え間ない痛みで、ミズキがどれだけ辛いか、その半分くらいは想像できた。


 次の目的地まで、あとどれくらいだろう。三日目の夜はやたらと長く感じる。早く、早く。早く、朝になってほしい。誰ももう、脱落なんてする前に。早く。


「……わたし、後から行くわ……」

 ミズキがそう言ったのは、まだ夜が明けきる前のことだった。次の中継地点までもう少しというところで、苦しそうな声で、囁くようにあたしに告げる。


「なに言ってるの。一緒に行かないと。もうすぐなんだから」

「……わたしのせいで、ペース落ちてるでしょ。このままだと、全員を巻き込むことになる。だから、わたしのことを置いて、先に行ってほしいの」


 こんなに辛そうなのに。ミズキの言葉は、芯があって強かった。あたしは、ただただ首を振る。


「無理だよ。ミズキのこと、置いていけるわけないじゃん。置いていけない」

「……バカ。レンジャーは、任務遂行が最優先でしょ?」

「レンジャーだから……レンジャーだから、バディだって最優先なのっ!」


 当然だ。ずっと支え合ってきたバディミズキを、ここで見捨てていくなんて、できるわけがない。

 こんな暗くて寒い場所に、独りぼっちで置いていくなんて。そんなの絶対に、絶対にイヤだ。無理だ。だって、あと少しなのに――。


「あんたは戦闘隊長でしょッ、感情に流されて全体をを守れなくてどうするのっ!?」

 ミズキが。

 どこにそんな力が残っていたのか分からないくらい、強い口調で。あたしに、怒鳴った。


 弾かれるように、後ろを見る。そこには、疲れきった眼差しを地面に向けて、立ち尽くしている学生仲間たちがいて。あたしは胸から込み上げてくる痛みを、イヤイヤと首を振って必死に散らそうとした。


「だって……だって。一番、辛いときに……支え合うのが、バディでしょ……? 守らなきゃいけないのが、バディでしょう……っ?」

 声が震える。お願いだから。頼むから、「そう」だと言って。


 なのに。ミズキはふっと微笑んだりなんかして。元気なんてこれっぽっちもあるはずないのに、優しく笑ったりなんかしながら、「バカね」ともう一度言った。


「わたしは今、辛くなんてない。確かに足は痛いけど――一番辛いときなんて、もうとっくに乗り越えたわ……あんたのおかげで」

「あた……し、の?」

「そう。あんたがこれまで支えてくれたから、わたしは今、ここにいるの。

 だからあとは――わたしを信じて。わたしは、折れたりなんかしない。絶対に。

 わたしは、諦めるために置いてけって言ってるんじゃないの。ペースは遅れたとしても、最後まであんたたちと行きたいから、今は置いて行ってって、言ってるだけ」


 「必ず追いつくから」と。

 ミズキが、真っ直ぐにあたしの目を見つめる。


「だから――あんたのバディを、信じなさい」

「……っ」


 ずるい。

 そう言われたら、あたしは。頷くしか、ないじゃない。


「分かっ、た……」

 あたしの返事を聞いて、ミズキがふっと力を抜く。よろけたその身体を、レンジャー瀬川が後ろからポンと押して支えた。


「なら。俺が、レンジャー志鷹と一緒に行くわ」

「な……なんで、あんたが」


 「別に良いから」と言うミズキに、レンジャー瀬川はへらっと笑う。

「俺も、このまま行くとまた、前みたいに泣き出しそうなくらい今、つれぇし。それに、さすがにその傷の仲間を、一人きりで山歩かせるわけにはいかねぇでしょ」

 「俺なら、前に追いついた実績もあるし」と。軽い口調で言うレンジャー瀬川に、納得したのかそれとも反論する元気もないのか、ミズキが黙る。


 でも確かに――レンジャー瀬川がついていてくれるなら、少し安心だ。


 ちらっと糸川三曹を見ると、太目の眉をぎゅっと寄せ、レンジャー瀬川をじっと見つめていた。

「……レンジャー瀬川。レンジャー志鷹を、頼む」

「なんであんたに頼まれなきゃなんないのよ」

 納得いかない口調でミズキが言うと、その場のみんなが少しだけ笑って。


「……待ってるから」

 あたしの言葉に、ミズキが頷く。

「襲撃が始まるまでには、追いついてみせるわよ」


 そう、約束を交わして。

 あたしたちは、歩き出した。


 そしてまた――歩いて、歩いて、歩いて。

 ミズキの欠けた後ろが、スースーとさっきまでよりもっと寒い気がする。

 思えば想定訓練中、あたしがしんどいときにいつも、励ましてくれていたのはミズキで。そのミズキがいないんだから、あたしだってもう、泣き言なんて言っていられない。


 頭も、顔も、首も背中も、胸も、お腹も、足も――身体全部が痛くて悲鳴を上げているけれど。止まるわけにはいかない。



 ――よくあんなんなって頑張ろうと思うなあ。



 ふと、テレビ局の人の呟きが、頭にぽつりと蘇る。


 道のない山道を歩く学生あたしたち。みんな、これ以上ないくらいに身体を酷使こくしして、痛めて、それでもやっぱり、歩き続けている。頑張り続けている。


 ――なんで頑張るの?

 だってそれは、レンジャーだから。

 ――なんで進むの?

 だってやっぱり、レンジャーだから。


 だってだって――あたしは。あたしたちは。

 レンジャーに、なるんだから。

 答えはもう、それが全て。それが、全部。


 いつの間にか、また雨が止んでいて。ぬかるみを、重たい足を持ち上げながら進んで、進んで、進んで。


 そして。

 空が白んできて――四日目の朝を迎えた頃。ようやく、あたしたちは辿り着いた。

 次なる、拠点へと。

 ――あたしたちのおそらく、最後の任務の場所へと。


※※※


 第三次偵察が持ち帰ってきた報告を聞きながら、あたしたちは地面にヒモと小石で敵地の簡易図を作り、作戦を立てていた。


 拠点を制圧してから、もう六時間程度経っていた。それだけ偵察を重ね、準備をし――襲撃自体は、ほんの十分間程度のこと。逆に言うと、それ以上の時間はかけられない。


「突撃班の五人は、こちらの経路で突入位置まで行き、制圧射撃終了後突入。支援班はこの位置から射撃し、突撃班を支援すること」

 あたしの言葉に、残りの十名が頷く。みんな眠そうだけれど、湧き出てくるアドレナリンでなんとか意識を保っている。


「作戦開始時刻は――」

 言いかけた、そのとき。


「……追いついてきたぞッ」

 ハッと顔を上げて、糸川三曹が言った。慌ててあたしもそちらを見ると、小銃を二つ持ったレンジャー瀬川と、足を引きずりながら歩いてくるミズキがいた。


「ミズキ!」

「どうだ……なんとか、間に合ったろ」

 その場にへたりこみながら、レンジャー瀬川が言う。


 あたしは何度もそれに頷きながら、駆け寄りたいのをガマンして、ミズキをじっと見つめた。ミズキもまた、疲れきった顔で軽く手を振ってくる。


 あたしは腕でぐいっと顔を拭って、もう一度口を開いた。

「襲撃開始時刻は一一〇〇ひとひとまるまる。総員、準備開始ッ」

「――レンジャー!」


 こうして。全十三名での最後の作戦が、いよいよ始まった。


※※※


 空砲を敵地に一分間撃ち鳴らし続け。あたしは笛を吹いた。

 その合図で、糸川三曹を班長として、レンジャー瀬川ら突撃班が敵地へ突入する。あたしやミズキの支援班が、それを横から援護する。


 糸川三曹たちが横一列に進みながら、敵役の助教らを掃討していく。

 ――やがて、突撃班の離脱の合図が鳴った。次いで、敵地のあちこちから、突撃班が天幕や車に仕掛けた爆竹の煙が一斉に上がる。それにならって、あたしも再び合図の笛を吹いた。


「離脱――!」

 みんなが駆けて行く。あたしも、前を行くミズキを押しながら駆ける。拠点にはもう戻らず、集合地に置いた荷物を回収して、離脱のためにそのまま歩き続ける。


 昨日の雨でぬかるんだ道を蹴って、あたしたちは歩き続ける。どこまでそれが続くかなんて、分からないけれど。それでも、終わりを目指して歩き続ける。


 終わる。終わる。終われ。早く、終わって。あたしたちが止まらないうちに。誰も欠けないうちに、早く。早く。


 そう念じながら歩き続けていると、奥から車の音が聞こえてきた。あたしたちは顔を見合わせ――音のする方へと走っていく。


 森を抜けた、そこに。

 見覚えのある、モスグリーンのトラックが、あたしたちの目の前で停まった。車体の横には、白い横断幕が張られていて。


状況終了訓練終了!』


 そう、でかでかと書かれた文字に、あたしたちは――顔を見合わせることすらも忘れて、その場に倒れるようにへたり込んだ。


「や――ったぁぁぁぁぁぁッ!」


 誰からとなく、声を上げる。雄叫びのような、泣き声のような、そんな声を。

 それに応えるように、開けた空は青く澄んで、高い。


 ――こうして、あたしたちの地獄の三か月は。長い長い想定を経て、ようやく、終わりを迎えたのだった。

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