9-5 あと少しのはずなんです!

 二日ぶりの仮眠は、バディ同士で背中合わせになり、周囲を警戒しながらのものとなった。

 木々の隙間からは、満点の星空が覗いている。それをぼんやりと見つめ――あたしは目を閉じてしまいそうになるのを堪えながら、小銃を握り直した。もうしばらくしたら、別のバディたちと警戒役を交代だ。それまでは、眠気を堪えるしかない。


「ミズキ……起きてる?」

「ん……なんとか」

 後ろで、ミズキが仮眠覆いをもぞもぞと動かす気配が伝わってくる。あたしはほっと息を吐いて、周囲に耳を澄ませた。男子学生たちの疲れきったいびきが聞こえてくるおかげで、ほんの少し眠気を紛らわせる。


「あと、どれくらいかな……」

「どれくらい……? 交代なら、えっと」

「あ、違くてミズキ。交代じゃなくて……この訓練が終わるまで、どれくらいかなって」


 この二日間。時間の感覚すら狂いそうになりながら、それでもなんとかやってきた。短いようで――やっぱり長い。この道のりを、あとどれくらい歩けば、あたしたちはこの地獄から抜け出せるんだろう。


「……考えたって、しょうがないでしょ」

 ミズキが、あくびを堪えながら囁いてくる。

「て言うか、考えると嫌になるし。――前に、糸川もレンジャー瀬川に言ってたでしょ。絶対、いつかは終わるんだから。だから――それがなのかなんて、考えても仕方ないじゃない」

「……うん」


 ミズキの言葉に頷いて、あたしはぎゅっと小銃を抱き締めるように握った。ミズキが、小さく息を漏らす音が、背中越しに聞こえる。


「それより、訓練終わったらあんた、したいことある?」

「え? うーん……」

 訓練が終わったらしたいこと――その言葉に、ほとんど固まっていた頭が驚くほど動き出す。


「あれ。なんか、訓練終了後に駐屯地の喫茶店で、レンジャーに大きなパフェ食べさせてくれるって聞いたから、それ食べたい」

「あー、らしいわね。あたし、一度食べてるの見たことあるけど、あれはヤバかったわ」

 ミズキの声が、心なしか弾んでいる。「ヤバいって」と笑うあたしの声にも、少し力がこもった。


「わたしは、食べ物よりやっぱりお風呂ね。ゆっっっくり湯船につかりたいし。もう駐屯地の大浴場なんかじゃなくて、岩盤浴行ってじっくり横になって、そのあと垢すりしてもらって、仕上げに露天風呂にでもつかりたいわ」

「垢すり……なんかいっぱい出そう」

「言わないで、怖くなるから」

 途端に、げんなりした声になるミズキに、あたしはくすくす笑い。


「……楽しみだね」

「そうね、楽しみ」

 そんなことを言って、もう二、三言くらい、言葉を交わした気がするけれど。

 その記憶すらあいまいになるくらい、いつの間にか。あたしは、泥のように眠ってしまっていたのだった。


※※※


 想定三日目。

 久方ぶりの食事と、短時間の仮眠で多少回復したはずの体力は、しかし突然降り出した大雨にことごとく奪われてしまった。


 水分を吸った戦闘服も背嚢も、ぐんと重さを増して、全身にのしかかってくる。単純に、その冷たさとじっとりした感覚も不快で、更には地図を確認するのも一手間で。


 中継地点についても、みんなぐったりとして顔も上げられなくなっていた。

「みんな。あと少しで、集結地に着くから……」

 集結地に着けば、拠点を確保して荷物を降ろせる。すぐに作戦行動には移るけれど、今よりもずっとマシなはずだ。終わりに、一歩近づくことになる。


 あたしがなんとか顔を上げられているのも、単に戦闘隊長っていう役割を与えられているからにすぎなくて。ただそのことが、あたしの意識を緊張で引き上げてくれている。


 大丈夫。終わる。終わる。この地獄は、永遠なんかじゃない。足を一歩進めれば、終わりに一歩近づくんだ。終われ。早く、終われ。


 ――ようやく辿り着いた集結地で拠点を確保すると、ほんの少し、みんなの目に光が戻ってきた。

 交換要員の助教たちと一緒に、テレビ局の人たちも来たことに気がつくと、ちょっとげんなりした気分にはなったけれど。すぐに、作戦を確認する。


 今回、あたしたちに与えられた任務は二つ。

 一つは、敵にとって交通の要所となる橋の爆破。そしてもう一つが、敵拠点の襲撃。敵拠点はもっと先になるから、今回は橋を落とすことに集中する。


 橋の爆破自体は、そう難しくはなかった。橋の構造によって、バランスを崩すところにピンポイントで爆薬を仕掛ける。もちろん、普段使う人がいるはずのそれを本当に壊すわけにはいかないから、代わりに仕掛けるのは爆竹だ。


 その――撤収の最中さなかだった。


 ぬかるみに足を取られたミズキが、ぐらりと倒れかけ――それを、踏みとどまろうとしたせいでかえって無茶な体勢になってしまった。がくっと倒れ込み、「水溜り」と言うよりは「泥溜り」に顔から突っ込んだ。


「ミズキっ」

 慌てて助け起こすと、ミズキの顔が痛みのせいか歪んだ。テレビ局のカメラがそれを映そうとするのがなんだか嫌で、あたしは間に割り込むような位置に膝をついた。


「大丈夫っ!?」

「ん……」

 身体を動かそうとしたミズキの身体が、びくりと跳ねる。よく見ると、ふくらはぎにじわりと赤い血が染み出していた。

「これ……ッ」

 ミズキの身体のすぐ横に、先が尖った太めの木枝が転がっていて。きっとこれが、足を傷つけたんだろう。

 

「ッ、ちょっと待って」

 怪我の位置を確認すると、あたしは常備していた布でぐるりときつく、傷口を縛った。

「傷口をちゃんと確認するまでは、自分で歩かない方が良いかも」

「――だったら、自分らが運ぶので」

 あたしの言葉にすぐさま反応したのは、糸川三曹だった。レンジャー瀬川と腕を組み、そこにミズキを座らせて、簡易的な担架の代わりにする。


「……ごめん」

 珍しく弱々しいミズキの言葉に、「気にするな」と糸川三曹。

「背嚢よりは、重いけどな」

「悪かったわね、レンジャー瀬川……」

 そんな軽口を叩きながら、道を戻っていく。


 ――そうだ。とにかく、これで一つ終わったんだから。

 終わりまで、これでまた一歩進めたんだ。


 ドキドキと鳴る心臓に、そう言い聞かせる。落ち着け。落ち着け。大丈夫だから。きっと、大丈夫だから。


 拠点に戻ると、救護の助教がミズキの怪我を確認した。その顔が、難しいものになる。


「これは……結構、深いな。どうする」

「歩きます」

 間髪入れず、ミズキが答える。その声には、迷いは一切感じられなかった。


「けどなぁ。俺がここでしてやれるのは、応急処置くらいで」

「充分です。お願いします」


 その様子を、あたしたちの後ろで見ていたテレビ局の人が。「はぁ」と声を漏らすのが聞こえた。

「なんつーか……よくあんなんなって頑張ろうと思うなあ……?」

 それは独り言か、それとも仲間との会話に過ぎなかったのだろうけれど。


 あたしは苛立ちを振り払うように、処置中のミズキのそばに寄った。

「ミズキ。次の集結地までだって、ここまで歩いてきた距離を考えたら、あとちょっとだし。一緒に頑張ろっ」

「……うん」


 頷いたミズキの顔は――なぜだか思っていたよりも、少しだけ暗い笑顔だった。

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