9-4 限界の、その先です!

 本格的にきつくなってきたのは、歩き出して二十四時間ほど経った、夜明けの頃だった。


 空は白んできたけれど、あたしたち学生の黙々と歩き続ける姿は、どんよりと暗く重い。

 仮眠もとれず、もちろん食事もなく。文字通り重たい足を引きずりながら、黙々と歩くあたしたちを追うテレビ局の人たちも、いつの間にか満身創痍というていだ。すでに、隊から少し離れたところを歩いている。


 夜、歩いていた助教たちはの助教らと交代し、そのため助教たちだけが今日も元気に怒鳴り続けている。


 また、いつかのように、瞬きと同時に夢を見てしまいそうな。そんなふらふらとした状態で、中継地点に辿り着いたときだった。


 ――ふと、視界に入ったに。あたしはてっきり、夢か幻覚を見ているのだと思った。


 地面から、ちょこんと生えている、きのこ。否――きのこはきのこでも、フォルムが完全にである。


「これ……って……」

 おそるおそる手を伸ばすと、それは確かに触れることができた。と言うことは、幻覚ではない。


「きのこ……の……山だった? ここって……」

 頭が回らないあたしの、頭が回っていない疑問に。ミズキが「は?」と声を上げる。


「あんた、なに言って――」

 その声が、途中で止まり。一緒になってマジマジと見つめる。


のきのこ……ね……」

きのこだよねぇ……」


 ぼそぼそと言い交わすあたしたちの周りには、いつの間にかみんなが集まり始めていた。


「え、きのこが生えてるって?」

「俺、きのこよりたけのこのが好きなんだけど……」

「マジかよそういう争いを呼ぶ発言は慎めよ。味方同士で戦争になるだろ……」

「まぁ今は秋だからな。たけのこはいくらなんでも自生したりしないだろ」

「待て待て。自生してるきのこは、慣れてないヤツが採るのはけっこう危険だぞ。きのこ狩りはプロに任せないと」


 みんな、頭が動いているようで動いていない。とにかくそこには、例のお菓子きのこが十三個――つまり、学生人数分していた。


「とにかく、食べるなら助教たちに気づかれる前に早く……!」

 バカ真面目に言うあたしに、みんながバカ真面目に頷いて、慌ててきのこたちを採る。そして――助教たちに気づかれないうちに、全員がぱくりと口に頬張った。


 ――甘い。チョコレートがほんのり柔らかくなっているけれど、充分美味しい。チョコレートの甘味が、ガツンとエネルギー空っぽの脳に殴りかかってくる。


 最高に味わうために、粉々に砕けても、何度も何度も噛み締める。中には、二十四時間以上ぶりの食べ物に感極まって、泣き出すやつもいて。あたしたちまで、ついもらい泣きしそうになる。


「てめぇらっ、なにやっている!」

 近くにいた沖野助教が、なぜだか少し肩を震わせながら、怖い顔で怒鳴ってきた。


「勝手にものを食いやがって! 全員、腕立て用意ッ」

「レンジャー!」

 あたしたちは、妙なハイテンションで返事をし。ただでさえ狭い場所でぎゅうぎゅう詰めになりながら、なかばつぶれるように腕立てを始めたのだった。


※※※


 ――まずい。しんどい。


 二日目のお昼頃になると、一度ハイになって体力を無駄に消耗したツケが回ってきた。


 肩に食い込んだ背嚢の重みが、背中まで痛みを与えてくる。疲労とむくみでパンパンになった足は、ふくらはぎから足の先までズキズキと痛んだ。


 なにより――やっぱり、水分が足りない。これは、今までの訓練中に何度も経験したことだけど、脱水は口の痛みから身体全体のだるさや、頭痛を生む。

 さすがに二日目となると、水分を補給することも許されたけれど、それもおちょこ一杯分などのわずかな量で。失われている水分量には全然足りない。


 あたしは、自分の荷物だけだけど。これで重い装備品を担当している学生は、大丈夫だろうか。


 地図を見ると、そろそろ川が現れるはずだった。その川を越えないと、目的となる場所には辿り着けない。耳をよくすませると、水の流れる音もする。


「――っあ」

 行く手をふさぐ葉っぱを掻き分けると、目の前に大きな川が現れた。近くに、谷嶋教官がいて、その隣にはボートも並んでいる。


 谷嶋教官は茶色い服に、茶色の豚鼻、そして茶色の耳をつけていて。日本人にしては彫りの深い顔には、真っ茶にドーランが塗られている。


「えっと……豚?」

「惜しいなレンジャー小牧! ここは山だ!」

「えっと。じゃあ、猪ですか」

「また、なんというかマイナーなあたりを攻めてきたわね……」


 あたしとミズキの言葉に、谷嶋教官は「ははは」と鷹揚おうように笑った。


「ここに、小道具も多少用意させてもらった。自由に使うが良い。さぁ、キミたちの力の集大成を見せてもらおう――!」

「つまり、なにか一発芸をしないと、そのボートが借りられないってことですか?」


 レンジャー瀬川の確認に、谷嶋教官が頷く。

「その通り」

「この疲れてるときに……ぶん殴って奪うんじゃダメかしら……」

「いや、でも教官やたら元気そうだし……今のあたしたちじゃ返り討ちじゃないかな……」


 溜め息をつきながら、前に進み出たのは糸川三曹だった。

「では、自分が」

「ほう。キミかね」

 きらりと、谷嶋教官の目が光る。


「やめときなさいよ、あんた笑いのセンスなんてないんだし」

「分かってる」


 頷きながらも、疲れからかどこか剣呑けんのんな目で小道具へ近づく糸川三曹。ごそごそと、なにかを取り出したかと思うと、さっとそれを身につける。


 オレンジ色の布を身体に巻きつけ、頭にはスポーツ用の明るいオレンジ色の帽子を被り。

 小銃を、にぴたりと向けた。


「――レンジャー糸川……それは」

「猟友会です」

 きっぱりと、据わった目で谷嶋教官を見つめる糸川三曹に、「それ、脅迫じゃない」とミズキが唸る。


「ふ――たとえ弾が込められていなくとも、平時に銃口を他者に向けるのはご法度はっと

「他者ではありません、猪です。やはり、弾を込めないと真に迫りませんか」

「話は最後まで聞きたまえ。ご法度だが、芸にかけるその心意気や良し。ボートはキミらの物だ。使いたまえ」


 いつもより早口に言う谷嶋教官に、糸川三曹が「レンジャー!」とようやく銃口を下げ――あたしとミズキは顔を見合わせた。


「やっぱり……」

「脅迫よね」


※※※


 流れがある分、川でのボートはプールや湖で行うよりも、ずっと力がいるし集中力も必要だった。

 ボートが引っくり返らないよう、慎重にボートを操り。向こう岸についたときには、あたしたちはもうくったりとしていた。


 地図で再び、現在地を確認し歩き始めるけれど、あたしたちの足取りはとても重かった。助教たちの叱咤しったも、怒鳴り声も、頭の中にまで響いてこない。


 ぐわんぐわんと視界が歪むのは、たぶん今まさに眠りかけているからなんだろう。寝ちゃダメだ――寝ちゃダメなのだけれど、身体はもう限界で、身体を動かしている頭は限界を通り越して休止している。


 二日目の太陽が、落ちようとしている。

 空っぽのお腹が痛くて、気持ち悪い。

 ドタッと音を立てて誰かが転ぶ度に、みんなで起き上がらせて、落とした物がないか確認して、また進む。


 そんなことをしていると、あたしも転んで。

 泥まみれになりながら、「大丈夫?」と声をかけてくれるミズキと、レンジャー瀬川に支えられて起き上がる――いや、起き上がろうとするけれど、足に力が入らない。


「ほら、つかまれよ」

「……ごめん」

 その言葉に甘えてようやく、あたしはなんとか立ち上がることができそうだった。


「あたし……」

「気にすんなって」

 レンジャー瀬川が、自分も疲れきった顔をしているのに、真っ直ぐ前を見てあたしの身体を支えてくれた。


「もう誰もおまえのこと、足手まといだなんて思ってねぇよ」

 ほんのり、照れ臭そうに。どこかばつが悪そうに、レンジャー瀬川が呟く。

「……うん」

 胸にじわりと温かいものが、よみがえるような気がして、それがわずかでも身体を動かす力になる。


 あたしはレンジャー瀬川から離れると、また地図と、周囲と、コンパスを見ながら歩き出す。


 自分の力で。でも、みんなと一緒に。支え合って、だからこそ限界の中を歩き続ける。

 挫けそうな誰かの重たい小銃を、まだ前を向ける誰かが持ってやる。そんな誰かを、また別の誰かが声をかけて励ます。


 あたしたちは、そうやって進んでいくしかない。そうやってきたから、地獄の中でだって這い進んで来られた。


 テレビ局の人たちは、いつの間にかすっかり姿が見えなくなっていた。もしかしたら、途中で置いてきてしまったのかもしれない。それとも、一度帰ったのだろうか。


 ふっと。鼻先に、濃い緑以外の匂いがして。あたしたちは、くんくんと鼻を盛んに動かした。


 草を掻き分け、地面を踏み蹴って、ようやく辿り着いた場所で、あたしたちを待っていたのは。


「おまえたち、一旦ここで休憩だ。ありがたく食え!」

 そう言って、手作りの豚汁を用意して待っていてくれていた助教たちが、そのときばかりは神さまみたいに感じられて。


 あたしたちはかすかに残っていた力を振り絞って、泣きそうになりながらそっちへと走り出した。


 こうしてあたしたちは――二日ぶりに、休息と食事を手に入れたのだった。

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