8-3 任務遂行が最優先です!

 それが例え、焼け石に水という程度だったとしても。水分を取れたことで、ほんの少し、学生たちの顔に明るさが戻った――というのも、つかの間のことで。


 日が沈みきる頃には、全員ぐったりとしながら、まるでゾンビのような足取りで、暗闇の山中を歩いていた。


 ひどく足場が悪い、道とも言えないような場所を行く。目印になるのは、前を行く仲間の背面に付けられた、蓄光テープだ。想定訓練が始まる前の外出の際、百均で購入したものを、みんなで鉄帽と背嚢につけている。


 その明かりも、ふとした瞬間に見失いそうになる。頭がぼんやりしてきて、視線が定まらなくなってきた。

 お腹が鳴る。少し、気持ち悪い。日が沈んで、どれくらい経っただろう――さっき確認した気もするけれど、思い出せない。


 もしかしたら、もう真夜中だろうか。疲れきった身体が重くて、足を引きずるように歩いてしまう。


 休憩なんてない。ひたすらに、歩いて、歩いて、歩いて――ふと、目の前に現れたのは、コンビニだった。そうだ、あたしはコンビニに行きたくて。だってそろそろ、夏の間は売っていなかった中華まんとかが出始めるし。そう、あたしはそっちに足を向けて――。


「おいっ! 寝てんじゃねぇッ!」

 頭への軽い衝撃と、腕の痛み。それから、耳元での大声にハッとする。


 どうやら、瞬きをした瞬間に夢を見ていたみたいで。あたしの足は、あやうく進路を外れて崖に向かうところだった。


「す――みません」

 腕をつかんで止めてくれた助教にお礼を言い、あたしは慌てて自分の顔を叩いた。よく見れば、助教のメンバーが入れ変わっている。どこか中間地点についたときにでも、交換したらしい。足取りも軽く、元気そうだ。


 あたしは、まだドキドキしている胸を抑えて、周囲をちらっと見回した。

 とは言っても、暗闇の中、なにかが見えるワケではない。後ろを歩いているミズキの顔だって、よく見えやしない。


 ただ――更に後ろから、急にドタッと音がした。


「おらなにしてんだよッ、立てよ!」

 助教の怒鳴り声に対して、お決まりの返事が聞こえてこない。助教が、学生の名前を怒鳴ると、それでようやく、うなるような声が聞こえた。


 意識がなくなったわけじゃない――そのことにホッとして、あたしは朦朧もうろうとしながらも歩き続けた。立ち止まれば、もう一歩も踏み出せないような気がした。


※※※


 中間地点で状況を確認していると、学生が一人離脱したことを知った。ケガなどではなく、自分から申し出たらしい。


 ―― さっきの、か。


 あたしは思い出し――胸がちりりと痛むのを感じた。

 あのとき、戻って励ましてたら……もしかしたら、なにか違ったかもしれない。

 離脱者の荷物が分配されて、その分、背中の重みが増した。


 出発の合図がかかり、また前に進み出そうとしたときだった。

 近くにいた、レンジャー瀬川の呼吸音がおかしいことに、あたしは気がついた。

 引きつるような、なにかを堪えるような。


「レンジャー瀬川……大丈夫?」

「っ、大丈夫……だから」

 そう答えるレンジャー瀬川の顔は、塗りたぐったドーランと夜闇のせいでよく見えない。


 そして――異変が起きたのは、空の端にうっすらとしたオレンジ色が、現れ始めたときだった。


 前から、嗚咽おえつのようなものが聞こえてくるのには、少し前から気がついていた。泣きながら、誰かが歩いている――。


 その、が転んだ。荷物の重さもあって、ドタンっとすごい音がした。

「レンジャー瀬川っ!」

 糸川三曹の声だ。近づくと、泣きながらレンジャー瀬川が横倒しになっていた。


「……っ、う、ぁう……ッ」

「しっかりしろっ! レンジャー瀬川っ」

 バディである糸川三曹が、レンジャー瀬川を励ます。助教の「なに寝っ転がってんだよッ」という怒鳴り声がする。


「俺……っ、俺……もぉ……ッ」

 えぐっえぐっと泣きながら、レンジャー瀬川がうめいた。その声は、あきらめに染まっているようにも感じる。


 ダメだ……このままじゃ、また一人仲間が減っちゃう……!


「レンジャー瀬川……おまえ……っ」

 糸川三曹が、苦しげな声をあげる。その、腕を、あたしはつかんだ。


「あのっ、あたし……レンジャー瀬川の荷物、持ちますからっ! 全部は、無理ですけど……でも、少しくらい軽くできるかも……!」

 そうだ―――確かレンジャー瀬川は、出発前に石を、ただでさえ重すぎる荷物に加えられていたから。


「せめて、石だけでも。あたし――」

「……っやめ、ろ」

 レンジャー瀬川が、呻くように口を開く。

「俺は……おまえらの、足引っ張るなんて……俺……ッ」


 えぐえぐっと、泣き声が強まる。あたしはどうしたら良いか分からなくて、後ろを振り返った。ミズキが、無言で首を振る。


「おい――行くぞっ」

 戦闘隊長の声がした。

「任務遂行が優先だ……もう出発しないと、指定された時間に間に合わないッ」

「でもっ」

 言いかけたあたしを、「止めなさい」とミズキが制する。

「レンジャーは、いかなる状況でも任務を遂行することが最優先……でしょう?」

「……っ」


 ――苦しい。

 確かに、このままだと隊全体が、任務を遂行することができなくなってしまう。でも、だからって。倒れている仲間を、置いてくなんて。


「――自分が持ちます」

 不意に、糸川三曹が呟くと、レンジャー瀬川の背嚢を開き始めた。

「おい……止めろよぉ……ッ」

 泣きながら、レンジャー瀬川が弱々しく腕を振った。それを、「うるせぇ」と糸川三曹が跳ね返す。


「どうせ、おまえがここで離脱を選んだら、全員におまえの荷物が加わるんだ。足を引っ張りたくないって言うなら――あきらめるな」

 そう言って、糸川三曹はレンジャー瀬川の荷物から、石を取り出した。ずしりと重そうなそれを、自分の背嚢に加える。


 「良いか」と、背嚢を背負い直した糸川三曹が、レンジャー瀬川の目を見た。


「この訓練は、永遠に続くわけじゃない。終わる。終わりが来る。必ずだ。どんなにしんどくても、終らないなんてことは、絶対にない」

「っ、糸川ァ!」

 レンジャー瀬川が、声を上げた。


「そんだけ声が出んなら――その分の力使って、追いかけてこいよ」


 糸川三曹が、微笑む。それを、目に涙をためたレンジャー瀬川が黙って見つめる。

 あたしは――それを見て、言いかけていた言葉を飲み込んだ。


 隊列が歩き出す。うずくまる、仲間を置いて。


 そして――空が白みだした頃。あたしたちはようやく、拠点となる場所に、たどり着いた。

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