7-2 みんな迷子です!
空が明るくなる頃には――あたしたちは、山の中を歩いていた。
一列になって、コンパスと地図と歩数、そして周りの景色を頼りに黙々と歩いていく。
想定訓練――それは文字通り、有事を具体的に想定し、対応力と実戦力、そして応用力を身につけるための訓練だ。
教所に集合したあたしたちに与えられた状況は、敵部隊が山中に侵攻したということ。そして、その偵察任務だった。
コンパスを見ながら、列の先頭が進んでいく。その後ろを、別の学生が歩幅を確認しながら歩いていく。
そしてあたしは――背嚢と一緒に、任命された重たい爆薬を背負って、ひたすらそれについていく。
本来、偵察だけなら爆薬までは要らないのだけれど。通常は偵察後の襲撃まで行うため、それを念頭に置いた上で加わった荷物だった。
身につけている全部を合わせると、自分の体重と同じくらいか、それ以上か。
あまりの重さに肩だけじゃなくて肩甲骨のあたりまで、さっきから痛みが続いている。腕が、ぴりぴりと痺れる感じだ。
右足はあいかわらずどころか、痛みが増していて。頭にまでずくんずくん響く。それを変に庇ってしまっているのか、左足の付け根にまで痛みが出てきた。
目指すのは、集結地に定めた地点。そこまでの道のりは、今回、戦闘隊長に命じられた小塚さんが立案したものだ。
重い背嚢に、重い小銃、重い爆薬、そして傾斜のある山道。おまけに、疲労と寝不足ともう一つ疲労と――とにかく日中から夜間までぶっ続けで痛めつけられた身体は悲鳴をあげていて、気を抜くとふわりと意識を手放しそうになる。
加えて――口が、痛い。夜間の非常呼集前から、水分を全然とることができていない。喉が痛いのを通り越して、口全体がピリピリと痛みを訴え出している。
あたしの頭を、水分不足から熱中症で原隊復帰したレンジャー小野田が
そう言えば、夕飯も朝ご飯も食べていない。どうりで、余計にくらくらするはずだ。
あぁ、足が痛い。足首だけじゃなくて、足の裏も、ふくらはぎも。半長靴が重くて、一歩踏み出すのが辛い。
右足を出したら、左足を出す。そしてまた、右足を。――これを、あと何千回、何万回、繰り返せば良いんだろう。
「おい――道、間違ってないか?」
そんな声が聞こえて。先頭が、不意にざわつき始めた。
「いや、でも歩数的に……」
「なんだてめぇっ! 歩数が当てにならねぇなら、他に現在地の根拠言ってみろほらぁ」
「れ、レンジャー……」
戦闘隊長である小塚さんが、その輪の中に入っていく。副戦闘隊長である糸川三曹は、話を聞いて重い身体を引きずるように別の場所へと歩き出した。尾根とか、そういう目印になるものを探しに行ったのかもしれない。
あたしはと言えば。立ち止まった途端、膝がガクガクと震え出して、その場にがくりと両膝をついてしまった。
「なにやってんだレンジャー小牧ッ! 待機中について良いのは片膝だけだろうがっ。そんなんで、なんかあったときすぐ動けんのかッ?」
「れ、レンジャー」
答えながら、あたしは体勢を立て直そうと立ち上がりかけて――やっぱり膝に力が入らなくて、またがくりとバランスを崩し――今度は頭から地面に突っ伏した。
「おい、レンジャー小牧っ! なにやってんだよッ」
駆け寄ってきた沖野助教が、ぐいっと戦闘服の襟をつかんであたしを引き起こす。猫が首もとをつかまれてるみたいになりながら、あたしは動く手をばたつかせた。
「おい――大丈夫か?」
鋭い声が、すぐ耳元でする。あたしは迷いなく「大丈夫ですっ」と掠れた声で叫んだ。喉が切れたのか、それとも倒れ込んだときに唇を切ったのか、口の中に鉄錆っぽい味が広がって気持ち悪い。
「敵地で、でけぇ声出すなッ。立てんのかよっ?」
「レンジャー!」
「だったら立ってみろ、ホラッ」
今ので少し間が空いたからか、がくがく震えながらも、あたしの足は地面を踏んだ。途端、ズキンッと激しい痛みを右足に覚える。
その顔を、見られて。
「本当にいけんのかよッ、レンジャー小牧?」
「いっ、いけますっ! レンジャー!」
「――昨日からずっと動きっぱなしで、さすがにしんどいだろ。良いんだぞ、おまえはよく頑張った。ここらで、辞めても良いんだぞ?」
やけに優しい声で、沖野助教が言う。
「見てみろ――」
そう言って、沖野助教が指したのは、現在地確認をしているメンバーだった。あぁでもないこうでもないと、話し合っているが、進まない様子だ。
「案の定、道を途中で間違えたみたいだな。こんだけ歩いたのもいくらかが、ムダになったってことだ」
ただでさえ、平地と斜面とでは、同じ歩幅で歩いているつもりでも、ズレが出てくる。更に、重い荷物を背負えばそれだけ歩幅も小さくなりがちだ。そしてそのズレのままに歩き続けると――こうして、本来のルートから外れてしまうこともある。
本当なら、こうなる前に気づくべきだったのだろうけれど。みんな辛くて、しんどくて。あたしも含めて、自然とそういう動きも鈍くなってしまっていた。
「ふ――ッ」
思わず、涙が出かけて。あたしは片手で顔を覆った。ともすると、
分かってる。沖野助教の言葉は、ワナだ。こんなところで、原隊に復帰なんて。あたしは。想定訓練だって、始まったばかりなのに。
それなのに。隠したはずの涙は、頬をポロポロと流れ落ちて。嗚咽は噛み殺そうとする口の端から漏れ出て。
周りを見ると、みんなぐったりとしている。片膝をついたまま、感情の見えない目で行軍の進退を待っている。なかには背中の重さに引きずられるように倒れ込んで、他の助教に怒鳴られている学生もいる。
「あの――」
すいっと、自分から先頭集団に入っていったのは、ミズキだった。
「さっき、目標物になり得る鉄塔が見えました。地図で言うと――」
地図の判読には、歩数や方角以外に、目標物が目当てになる。
ミズキが輪に加わり、話し合う姿を、あたしは――ただ呆然と、見つめて。
「ここまで、おまえは頑張ったんだ。やれるとこを見せたじゃねぇか。今辞めても、誰も――おまえを責めたりしねぇよ」
「……ッ」
沖野助教の優しい言葉……いや。甘い誘惑に――あたしは。
両袖で顔を乱暴に拭い、鼻をすする。そして。
バシンッ、と。
自分の両頬を思いっきり叩いた。ジンジン、痛むほどに。
「っあ、あたしッ! 大丈夫ですっ」
力を込めて、宣言する。「ふぅん?」と沖野助教の手が、あたしから放され。その顔にちらっと、嬉しそうな、でも難しげな――なんとも言えない色が過った気がした。
「ならっ、てめぇの足でしっかり立てッ! 飾りじゃねぇんだろうがその足はよぉ」
「レンジャーッ!」
震えも、痛みも、グッと飲み込んで。あたしは、改めてその場に立った。
荷物の肩紐が、両肩に食い込む。そこに、話し合いを終えた小塚さんが、駆け足で来た。
小塚さんは、あたしを見ずに沖野助教へ姿勢を正した。
「レンジャー小塚ッ! レンジャー小牧より、爆薬を引き継ぎますッ」
「は――?」
あたしがなにか言う前に、「なんでだよっ」と沖野助教が噛みつくように言う。
「爆薬任されたのはレンジャー小牧だろうがッ! 進路間違えたことにも気づけねぇてめぇがしゃしゃり出んのかよっ」
「はいっ! 進路の誤りに気づけなかったのは、戦闘隊長である自分のミスですっ! よって、ミスの責任を一端でも担いたいと思いますッ」
「っそんな!」
あたしの叫びは、無視されて。
「そんなん背負って、戦闘隊長が勤まんのかよッ? 任務遂行に支障はねぇのかッ」
「はいっ! ありませんっ、大丈夫ですッ」
小塚さんは真っ直ぐに沖野助教を見つめていて。沖野助教はそれを受け止めると、またさっきみたいな、複雑な顔をした。
「なら――好きにしろ」
「レンジャー!」
小塚さんがようやくこっちを向いて、無表情に「爆薬、引き継ぎます」と言った。
「だ、ダメです、レンジャー小塚……! これは、あたしが」
「聞いてたやろ。俺のミスや。俺が許せへん。良いから、渡し」
「でもっ」
「――レンジャー小牧、渡せ」
怒鳴るでもなく。キッとした口調で言われて、あたしはぐっと黙った。ゆっくりと弾薬を下ろすと、肩がふっと楽になる。もちろん、それは一時の錯覚で、実際には相変わらず、重たい荷物を背負っているのだけれど。
小塚さんはそれを受け取ると、ちらっとだけあたしを見て。
「――頑張るぞ、ええな」
そう、呟いて。また、先頭の方へと歩いていった。
あたしは、それに返事するタイミングを逃して、じっとその背中を見送り――戻ってきたミズキに、通りすぎ際にポンと肩を叩かれた。
行軍再開の合図と共に。あたしは、荷物が減った分、いくらか軽くなった足にグッと力を込めて。痛みを食いしばってまた一歩、前へと踏み出した。
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