7-3 お願いですから笑ってください!
何時間と歩き続けて。
集結地と定めた地点にようやくたどり着いたあたしたちは、すぐさま拠点の確保と、敵と自分達の状況の確認を行い、班に分けて任務を与えられた。
「レンジャー志鷹とレンジャー小牧は、こちらのルートから。配備されている敵の人員と装具の確認を行え。集合点は地図上のこの点。報告時刻は
「レンジャー!」
小塚さんからの命を受けて、そこから一旦は班全体で前進する。背嚢は拠点に置いてあるため、少しは身軽になった。おかげで、足にかかる負担がぐっと減った気がする。
敵の部隊が近くなったため、慎重に進んでいく。互いに声を出さず、ジェスチャーで素早くやりとりをしていく。
痕跡をできるだけ残さないように、枝葉や足跡にも注意して進まなければならない。普通に進むよりも、ぐっと集中力を使う分、足取りはそれまでよりゆっくりだ。
そして、ようやくの分散後。
あたしとミズキが進むべきルートは、かなりの
もちろん、コンパスと歩数を頼りに――そして、前半の行軍と同じ失敗をしないように、前を歩くミズキがこまめに地図をチェックしている。
その、後ろ姿を見ながら。あたしは、行軍中に自分から進んで動いていたミズキを、思い出して。先程触れられた肩に、そっと自分の手を置いた。
あたしはこんなに、自分のことでいっばいいっぱいなのに。ミズキは、やっぱりすごい。
訓練中、あまり目立つと助教らに目をつけられると言う。もしかしたらさっきので、ミズキもまだ余裕があると思われてしまったかもしれない。
そのリスクも省みないで、さっさっと動いていくミズキは――バディとして、心強く誇らしくもあり。同時に、少し自分を後ろめたく感じてしまう。
だってあたしは。小塚さんにまで、迷惑をかけて。
「なに、暗い顔してんのよ」
振り返ったミズキがふと、あたしの耳元でそっと
「身体に不調があるから、気持ちも暗くなってるだけよ。そんなの、あんたらしくないから。無理にでも、バカみたいに笑ってなさい」
「今、大声出されるのは困るけど」と。
その言葉が涙腺をまたくすぐるくらいには、やっぱり足が不調なんだなと。あたしはそう、自分に言い聞かせて、また茂みを掻き分けながらその背中を追った。
※※※
ルートの行き来は大変だったけれど、足の痛みさえ無視できれば、偵察自体は思ったよりもスムーズに済んだ。
高い位置から、敵兵役の助教たちとその装備品を確認して、集合点にまで戻ると、他のルートから偵察を行っていたバディたちがすでに待っていた。
小石や紐を敵の部隊や地形に見立てて、得られた情報を総合する。
「よし、拠点まで戻る。そしたら――あとは帰るだけや。多分、だけどな」
小塚さんが、助教たちに聞こえないようにそっと付け加えると、みんなお互いに顔を見合わせて、ちょっとだけ微笑んだ。
今日という日の、終わりが見えてきた。それだけで、こんなに心強い。
これが、第一想定だとしたら。小塚さんの言う通り、きっとこれで、帰れるんだ。帰りもまた、何時間も歩くんだろうけど。それでも、終わりがくるんだ。
「あの――戦闘隊長。拠点に戻ったら、あたし。爆薬、持ちますから」
拠点には、結局使わなかった弾薬が、そっくりそのまま残っているはずで。
あたしがこそっと話しかけると、小塚さんは「ええって」と、ぱたぱた手を振った。
「これは俺のけじめやし。それに――これが終わっても、訓練自体はこれからまだまだ続くんやし。大事にしぃ」
その目は、あたしの右足を見ていて。あたしは「でも」と、右足を左足の後ろへと引いた。
「小塚さんだって、大変なはずなのに」
「まぁなぁ。でも、少なくとも俺はケガしてへんし。
――勘違いすんな? 俺は、おまえが女だから手伝ってるわけとちゃうよ? あのとき、おまえがあの子を助けたことに敬意を表しているだけやで」
「かっこよかったやん」と笑う小塚さんに、あたしはそれ以上、なんて言って良いか分からなくて。
「じゃあ……その。お願い、します」
「――任しとき」
優しく笑う、小塚さんの笑顔を。
あたしは、後悔と共に思い出すはめになるなんて。
そんなこと、思いたくもなかった。
※※※
帰り道は下りで。
下りの山道は足に力が入る分、あたしの残りの体力はガツガツと削られていて。
だから。前方で人が倒れたときに、すぐには気がつけなかった。
「レンジャー小塚ッ」
誰かの叫び声で、ようやく顔を上げたあたしは。状況を把握した途端、血の気がさっと引くのが分かった。
「小塚ッ、しっかりしろっ!」
「おいっ、大丈夫かっ?」
周囲の助教たちが、小塚さんの荷物を下ろさせて意識を確認するけれど、反応はない。
あたしは急いで小塚さんの横に駆け寄った。胸を見て、呼吸を確認する。
「息――してませんっ! 心拍停止ッ」
半分、悲鳴を上げるように叫びながら。とにかくあたしは、見た目よりも厚い胸に両手をついて、胸骨圧迫を開始した。
なんで、なんでと。頭の中をぐるぐると疑問が巡る。
だって、あまりにも急で。何時間か前までは、笑ってたのに。笑って、一緒に歩いていたのに。
でも、こういうことは、突然に起こり得ることなんだって――あたしは、知っていたはずで。それなのに、やっぱり頭は「なんで」と問い続ける。
男性にしては少し小さめの鼻をつまみ、顎を持ち上げて、口を口で覆う。二回、息を吹きかけるけれど、反応はない。
あたしはすぐさま、また胸骨圧迫を再開して小塚さんの顔をじっと見つめた。
「任しとき」と、笑った。あの、笑顔が。消えちゃう。消えてしまう。
こんなに強く胸を押しているのに。こんなに息を吹き入れているのに。なのに、目がぴくりともしない。いつもの、軽い口調の関西弁で話しかけてくれない。アッキー、って。他に誰も呼ばないあだ名で、呼んでくれない。
お願いだから。起きて、起きて、起きて――っ。
「代わる」と、救護役の助教が、隣で準備をする。あたしは「はいっ」と頷いて、リズムを取り始めた。
「三、二、一――」
そう、代わろうとしかけたとき。
「ぐふっ」とうめく声がして、あたしはハッと手を止めた。
「小塚さんッ」
意識はまだないけれど。それでも、呼吸が戻ったのか胸が上下し始めた。その場の全員が顔を見合わせ、ほっと息をつく。
「よかった……よかったぁ……ッ」
あたしが、小塚さんの負担を増やしてしまったから。ただでさえ、最悪のコンディションのなか、戦闘隊長まで務めていて、心身ともに大変だったはずなのに。それに追い討ちをかけてしまったのは――間違いなく、あたしだ。
「よしっ! 急いで運ぶぞ」
そう、助教たちが話していると、「ぅう」と小塚さんがうなった。その目が、うっすらと開く。
「小塚さん……!」
「……なんや……アッキー………なに泣いとんねん……」
薄い唇が、そっと微笑む。あたしはあふれでる涙をそのままに、小塚さんの手をギュッと握った。
「ごめんなさい……ほんと、ごめんなさい……ッ」
「……あほ。なにが、やねん……」
助教に背負われながら、「いいか」と、小塚さんは続けた。
「後悔、すんなよ……後悔したら、あかん。だから、そんな顔すんな……俺、戻ってくるからな……」
「っ、小塚さんんッ!」
学生たちと違い、身軽で体力の残っている助教は、あっという間に山道をくだっていった。
あたしたちが呆然と、その後ろ姿を見送っていると。
「――おまえら、訓練再開だ! レンジャー糸川、代わりに指揮とれっ! 全員で、小塚の荷物分担しろッ」
沖野助教の怒鳴り声が、山の中に響き渡る。
言われた通り、小塚さんの残していった荷物を、残りの十六人で分け合う。背嚢の中身が、また一段と重くなる。
分け合う中に、残されていた爆薬を見て。
「あたし……これ、持ちます」
そう言って爆薬を手に持つあたしを、誰も止めようとはしなかった。
使われることのなかった弾薬は。なぜか行きのときよりも重く、あたしの肩にずしりとのしかかってくるような気がした。
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