6-2 「走るスプリングボック」とはあたしのことです!
歩いて十五分もすると、目当てである百均の看板が見えてきた。
「ついたー!」
小走りに店の方へと駆け出すと、「アッキー、走ったら転ぶでー。ケガするでー」と後ろから声が飛んでくる。
「どこの幼児とおかんだよおまえら」
「やだなぁ二人ともー。かつて陸上競技時代に『走るスプリングボック』と呼ばれてたあたしを、なめないでくださいよー」
「なんやそのあだ名」
「てかスプリングボックってなに」
そのときだった。
――ドデッ、と。
地面に転ぶ音がして、あたしは振り返った。見ると、駐車場で小さい男の子が倒れていた。
離れたところから、お腹の大きなお母さんが「ちぃちゃんッ!」と叫んでいる。その声が、切羽詰まっていて、あたしは奥から車が結構なスピードで走ってくることに気がついた。
――危ない!
あたしはすでに軽く駆け足していた足に力を入れて、そちらに向かって走り出した。店と歩道の間に立っている白い柵をそのままの勢いで跳び越え、転んで痛かったのか泣き出した男の子へと駆け寄る。
「小牧ッ!」
小塚さんの、鋭い声。車の運転手はスマホでもいじっているようで、気づかずに迫ってくる。
「――っ」
あたしは右足に力を込めて、もう一歩跳躍するようにして男の子の身体に飛びつく。そのままぎゅっと男の子を全身で抱えて、ズザッと音を立てて転がった。
――よし! 現役から遠ざかって五年以上経ったけど、「走るスプリングボック」は健在ですッ。
その横で、今更になって車がきぃッと停まった。腕の中の男の子は、一旦泣き止んでキョトンとしている。
「ちぃちゃん……ッ!」
真っ青な顔をして、苦しそうに駆け寄ってきたお母さんに、あたしは「大丈夫ですよ」と声をかけた。
「良かった……っごめんね、ごめんねちぃちゃんっ」
男の子はお母さんを見た途端に、キョトンとした顔を一気に涙に歪めて、「ぅあーんっ」と泣きながら手を伸ばし出した。
あたしが男の子をお母さんに渡すと、後ろから「レンジャー小牧!」と、レンジャー瀬川が駆け寄ってくる。小塚さんは、トラックの運転手になにか言ってるようだった。
「大丈夫かよ、おまえ」
「大丈夫ですよー。ほらっ、ほら!」
ピョンピョンとその場で跳んでみせるあたしに、「なら良いけどよぉ」とレンジャー瀬川がうなる。
「あの……すみませんでした、ありがとうございますッ」
泣きじゃくる男の子を抱えるお母さんに、「大丈夫ですよー」とあたしは手を振った。
「お腹大きいと、身体を動かすにも不自由だし。男の子は力あるから、大変ですよね。
ボクも、転んで痛かったねぇ。お
――ほら!」
あたしはしゃがんで鞄をあさり、中からキャラクターがプリントされた
幸い、傷口はちょっとした擦り傷で済んでいたため、ウエットティッシュで軽く汚れを落として、ぺたりと貼ってあげる。
「すみませんそんな……良かったねぇ、ちぃちゃん。ありがとうは?」
男の子はお母さんの顔を見上げると、まだちょっと涙のたまった目であたしをじっと見て、それから小さく頭をこくんと動かした。
「どーいたしましてー」
頭を撫でると、少なくてふわっとした髪が柔らかくて、あたしは思わずにまにま笑ってしまった。
そんなあたしを見て、男の子もちょっとだけにこっとして、舌足らずに「ぱんまん」とあたしが貼った絆創膏を指差す。そのはにかんだ顔が超絶に可愛くて、あたしは「うはぁ」と思わず声を上げてしまった。
「おい、大丈夫か?」
珍しく険しい顔でやって来た小塚さんに、あたしは「はいっ」と立ち上がった。
男の子のお母さんも「本当にありがとうございました……」と立ち上がりかけ――ぐっ、と息を詰まらせるとそのままうずくまる。
「どうしましたっ?」
「い、いえ……大丈夫、です」
真っ青なその顔は、どう見ても大丈夫ではない。男の子が、不安げにお母さんに抱きつく。
「もしかして……陣痛、ですか?」
「……多分」
お母さんはためらいがちに、こくりと頷いた。
「さっき、この子を車から降ろしとしたときに……ちょっと、破水したみたいで……」
お母さんの言葉に、あたしたちは顔を見合わせた。
「き、救急車っ!?」
「他に異常がなければタクシーですっ! レンジャー小塚、タクシー呼んでくださいっ。あたし、おっきめのタオルかなんか買ってくるのでお母さん、車で休んでて……レンジャー瀬川はお子さん見てて!」
「レンジャーッ!」
バタバタと動き出すあたしたちを、一旦陣痛が収まったお母さんが、冷や汗をかいた顔でキョトンと見ている。
その身体を支えながら、「大丈夫ですよ」と、あたしはにっこり微笑みかけた。
「あたしたち一応、人助けのプロなんで」
※※※
何度もお礼を言いながらタクシーに乗ったお母さんと男の子を見送って、あたしたちはようやく息をついた。
「びっくりしましたねー」
「久しぶりの外出で、こんなことになるとはなー……」
タクシーが来るまでの短い間だったけれど、男の子をみていたレンジャー瀬川はすでにぐったりとしていた。
「でも、今から赤ちゃんが産まれるんですもんね……それってすっごく、なんて言うか……おめでたい場面に出会えたってことですもんね!」
「そうだなぁ……そう考えると、俺たちついてんのかもなぁ」
そう、あたしとレンジャー瀬川がテンション高めに話していると。
「なぁ、アッキー」
「なんです? 小塚さん。そんな、怖い顔しちゃって」
いつものほほんとした笑顔を絶やさない小塚さんが真顔なだけで、なんだか迫力がぐっと増す。あたしはちょっと引きぎみに首を傾げた。
「おまえ、ケガしたやろ」
真っ直ぐに見つめてくる小塚さんの言葉に、レンジャー瀬川も「えぇっ!?」と声をあげる。
「やだなぁ、そんな」
「じゃあ、さっきやってたみたいにジャンプしてみ。ほれ、高く」
「うう、そんなチンピラみたいなこと言わないでくださいぃ……ポケットにお金なんて入ってないですよぉ」
「そうそう、チャリンチャリン音ゆーの全部出しやー……って、なんでやねん」
のりツッコミをする顔も真顔のままなので、あたしはしぶしぶ「はい……」と認めた。
「実は、さっきからちょぉぉっとだけ、足首が痛くてですねぇ……」
「マジかよっ! おまえ、そろそろ想定訓練始まんのに……ッ」
「大丈夫です! ちゃんと処置しとけば、そんな酷くならないですって」
胸を張るあたしに、小塚さんは深く息を吐いた。
「瀬川、買う予定だったもんと一緒に、テーピングと冷やすやつ買ってこい」
「おうっ、分かった」
店内に走っていくレンジャー瀬川の背中に、あたしが「すみませんー!」と声をかけていると。
「一度、駐屯地戻って、医務室でみてもらうか」
「えぇっ!? 大丈夫ですよ、自分で処置できますから。あたしだって、端くれですけど一応、医療従事者ですしー」
慌てて両手を振るあたしに、小塚さんは引きつった笑顔を見せた。
「そぉかそぉか。なら、移動中はこれやで」
途端。あたしの身体が、ぐいっと持ち上げられ、宙に浮いた。
「うぇえっ!?」
「公衆の面前でお姫様抱っこはしんどいぞー。えぇんか? レンジャー志鷹に指差して笑われるからなー?」
「ま、マジで勘弁してください……」
いたたまれなくて両手で顔を隠していると、店の方から「おーい」と息をきらせた声が聞こえてきた。
「必要なもん買ってきた――っぶひゃっ!? なにやってん……おまえら……っひゃははははッ!?」
変なツボに入ってしまったらしく、こっちを指差しながら、呼吸を心配したくなるほど笑い続けるレンジャー瀬川に、小塚さんはまた、「はぁ……」と息をしみじみと吐いた。
「瀬川……だからおまえ、フラれるんやで」
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