5-3 尊い命をいただきますっ!
待ちに待った、ランチタイム――と言うにはちょっと遅い時間だけれど、とにかく食事の時間だ。
水路潜入の演習を無事終えたあたしたちは、空きすぎてきりきりと傷み出したお腹と、水分不足でからっからになった身体をなんとかごまかしながら、雑木林の中へと移動した。
そして――そこに用意されたものを見て。あたしは思わず、口許をおさえた。
「そんな……ッ」
ドンと置かれた、大きなケージの中にいるのは――コケッコケッと呑気な顔をした、鶏たち。
とうとう、このときが来てしまった。
そっと、視線をミズキに移す。ミズキも大きな胸に手を当てて、ぐっと眉を寄せていた。
「これから、生存自活を行う」
生存自活――もしかしたら、レンジャー訓練のなかでは一番有名な訓練かもしれない。
支給されている食料のない状況下で、自分達で少しでも現地調達し、生き延びるためのサバイバル訓練。それが、生存自活だ。テレビではよく、蛇を調理するシーンが取り上げられるけれど、もちろんそれだけじゃない。
「人間の身体には、どれだけの水分がある――レンジャー小牧」
不意に指名され、あたしはハッとして衛生の知識を頭から掘り出した。
「えぇっと、人体の六十パーセントは水分です」
「そうだな。そして、二から四パーセント水分がなくなると、脱水症状となる」
「今のきみたちのようにな」と、鵬教官はあたしたちを見回した。
「そのため、食べ物以上に水分を手に入れることが、緊急時には必要だ。そのための方法は、いくつかある。
例えば、川や湖などの水の流れがある場所。それに、種類によっては木からも樹液が取れたりする。広葉樹なら、葉っぱにビニールを巻けば、光合成によって水分が付着する。そして――」
教官の話が、どうしても頭に入ってこない。助教がその隣で、水のろ過装置の作り方を実演しているけれど、それより更に隣に置いてあるケージと、そこから聞こえる声に気持ちが持っていかれてしまう。
「――説明は以上だ。次に実技に入る」
その言葉が、不意に耳に飛び込んできて、どきりとする。
「まずは、各人に蛇を配る。元気のなさそうなやつには、精がつくように生きの良いのを分けてやるからな。レンジャー小野田」
「レンジャー! ありがとうございますっ」
引きつった顔で、先ほど転んでしまったレンジャー小野田が返事をする。
当然だけど、配られた蛇はまだ生きていて。細い身体をうねらせるそれを、頭と胴体をつかんでおさえる。
「弾帯を噛ませて、牙を抜けよ。噛まれるからな。それから、口の中に手を入れて、脊椎を出せ。そんで、それを――噛む。噛んだまま、皮を引っ張りはがすんだ」
この状態で蛇を噛む、っていうのは。想像以上に、勇気がいった。でも、
下準備を終えた蛇はナイフでぶつ切りにして、助教たちが準備していた鉄板に、さっきの水路潜入の班ごとに広げる。
「次は鶏だ。こいつは、バディごとに一羽取りに来い」
あたしとミズキは顔を見合せ、なんとなく頷きあった。それから、鶏を受け取りに行く。
原助教が「ほれ」と渡してきたのは、一際身体の大きな鶏で。
「沖野……」
ぽつりとミズキが呟くのが聞こえて、あたしは鼻がつんとなるのを自覚した。
世話をしていたのは、たぶん、一週間ちょっとくらい。訓練の片手間に、餌をあげたりケージを掃除したり。その程度で。そもそも、この訓練に使うために、ここに来た鶏たちで。だいたい、この訓練がなくても、処分される予定だった廃鶏達で。
でも――そんなこと関係なく、今はひたすらに、悲しい。
「それがおまえらの昼飯になるんだからな、しっかりやれよ!」
離れたところから、別の班に向かって言っている沖野助教の声が聞こえた。
確かに、お腹はすごく空いてるけれど。もうちょっとだけならあたし、我慢できるよ。この子達を食べなくたって、あたしは。
分かってる、そういうことじゃない。これは、もしものときに生き延びるための訓練なんだから。今だけじゃなくて、この先、生きていくための訓練なんだから。あたしだけじゃなくて、仲間が生き延びるための訓練なんだから。
世話され慣れたあたしたちだからか、鶏の沖野は大人しくミズキに抱っこされている。ミズキは真顔でそれを見下ろしていたけれど、その押し隠した気持ちは分かるような気がした。
その羽を、あたしがつかむと。さすがに沖野は異変を感じたらしく、バタバタと暴れだした。
「ごめんね、沖野……」
あたしは、呟いて。泣きそうになりながら、ミズキと目を合わせて。心臓がつぶれそうになりながら、ぐっと唇を噛んで、堪えて。そして。
※※※
あちこちの鉄板から、焼肉屋にいるみたいな香りが漂ってくる。
あたし達の鉄板の上でも、切り分けた鶏肉と、そのモツと、それから蛇の白い肉が、ジュージュー音を立てて焼けている。
「食事の前に。きみたちの訓練のために尊い犠牲となった、命たちに。黙祷を捧げたいと思う」
厳かに、鵬教官が話すのを、あたし達はぼんやりと聞いた。
「それにあたって、レンジャー小牧とレンジャー志鷹が、この鶏たちの飼育にあたった。二人とも――なにか言いたいことはあるか」
あたしとミズキは、また顔を見合せて。あたしは頷いて、その場に立ち上がった。
「みんな……とても、良い子たちでした……」
また、鼻の奥がつんとなってくる。目にたまった涙を、こぼさないように上を向いて、あたしは叫ぶように言った。
「どうか……残さず、美味しく食べてくださぃぃぃいっ」
「――黙祷ッ!」
谷嶋教官のバリトンボイスと共に、その場が静まりかえる。ジュージューと肉の焼ける音と、誰かの腹の鳴る音が響いた。
「黙祷、止めっ!」
バッと、全員が顔を上げる。
「今日は、特別に米と汁も厨房で用意してもらった! 全員で、感謝の心をもって完食せよっ」
「レンジャーッ!」
学生らの声は、青空の下、高らかに響いた。
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