1-2 期待に応えます!

 「よっしゃぁぁあッ!」とその場で叫ばなかったのは、我ながら自制心が働いたものだと思う。それくらいの、喜びが。確かに胸のうちにこみ上げてきた。


「小牧三曹、落ち着け」

 呆れたような小花おばな二尉の声に、あたしは「え?」と首を傾げた。

「なにが、ですか」


 小牧こまきあきら二十四歳。高校を卒業してすぐに陸上自衛隊へ入隊し、今は衛生科に所属し、救急救命士の資格もとって、救護支援や衛生教育も一年ぐらいやって――自分で言うのもなんだけれど、自衛官としてそれなりに経験とか努力っていうものを積んできて。今、更なるステップアップに踏み出そうというところなのに。それなのに、なんだろうこの上官の、訝しげな目ときたら。


「おまえはなぁ、すぐ顔に出んだよ。顔に」

「え、そうですか?」

 言われて、あたしは自分の顔を両手でぺたぺたと触った。しまりのない、だらしなくゆるんだ口元ときたら、まったく罪深いギルティだ


「まぁ、自分でも分かってただろうがな。選抜のデキも悪くなかった。そうさな……思う存分やってこい」

「はいっ! 部隊の看板を損なわないよう、必ずレンジャーになって帰ってきますッ」

 思わず敬礼をするあたしに、小花二尉は「おう、頑張れよ」と適当な応援の言葉を投げて寄越した。


 陸上自衛隊レンジャー――有事の際には困難な任務にあたることになる、全国の隊員達のなかで八パーセントしか存在しない、特別な教育課程を施された正に少数精鋭。その訓練を受けるにも、厳しい素養試験に合格しなければならず、また試験に合格していざ訓練が始まったとしても――「地獄」と呼ばれる約九十日間が待っていて。それを乗り越えられた隊員だけが、資格を得ることができる――多くの隊員と、そして例に漏れずあたしにとっても、憧れの存在。


 ただし。レンジャー隊員に、女子は存在しない。


 女性隊員が年々増えていくなかで、それでも長いこと「レンジャー」は、女性隊員には扉が開かれていなかった。

 それが、去年の三月からとうとう、女性隊員の訓練を受け入れるようになった。その基準なんかも、揉めに揉めたらしいけれど。基本は、男性隊員と変わらない。教育過程も男女混合で、同じ訓練を受けることになる。


 それに、あたしが参加できるんだ……!


「去年の一期目と二期目からは、女性隊員の合格者は結局出なかったからな……おまえがもし合格できたら、自衛官初の女性レンジャーだ」

「はいっ! 名誉なことですッ」

「そうだなとりあえず一旦落ち着け。そんで話を聞け。

 ――いいか、つまりはそれだけ厳しい訓練っつーことだ。レンジャー訓練が地獄って言われてるのはじゃない」

「はいっ」

「あっち行ってからも、適性検査がある。それに落ちたらアウトだしな。送った矢先にまた迎えに行かせるなんて、無駄足踏ませるんじゃないぞ」

「レンジャー!」

「気がはえぇよバカ」

 ちょっと強い口調で言われて、あたしは慌てて口を閉じた。ふと、向かいで机に座っている、同じ三曹の田端たばたさんと目が合う。へらっと笑いかけると、気づかなかったのかふいと視線を外されてしまった。


「……ま、とにかくそういうことだから。入校にゅうこうまでに、できることはしっかりやっとけよ」

 小花二尉の言葉に、あたしは「はいっ」とまた背筋を伸ばした。

「小牧三曹、全身全霊をかけてやりぬいてみせます!」

「分かったから、室内でいちいちでかい声を出すな」

「レンジャー!」

「だから、気が早いしうるせぇっつーの」


※※※


 勤務を終え、自主練じしゅれんのランニングも終わったあたしは、首に巻いたタオルで汗を拭きながら、売店に入った。駐屯地内の売店――コンビニは、外のコンビニに比べると品ぞろえが良い。具体的に言うと、うっかりきらしてしまっていたプロテインも、ここならささっと買うことができる。


「運動したら、三十分以内に飲もうねプ・ロ・テイン~」

 適当に口ずさみながら、ついでにスポーツドリンクのコーナーに足を向けると、見知った顔があった。

「あ、田端さん! おつかれさまですっ」

「……おつかれ」

 田端さんは小さくそう言うと、手に持っていたエナジードリンクを三本、カゴに入れた。


「走ってたのか?」

「はいっ! 体力、つけないとなんで」

 訊かれたから答えたのに、「うっせぇよ」と田端さんが嫌そうな顔をする。

「店ん中ででっかい声、出すなって。おまえのボリューム調整するツマミ、壊れてんじゃねぇのか?」

「やだなぁ、田端さんったらー」

 「あはは」と笑うと、「わりとマジだかんな」と田端さんは半眼で溜め息をついて、うつむいた。その顔が、ふっと小さくゆがむ。


半長靴はんちょうかはいて走ってたのか」

 言われて、あたしは自分の足元を見た。運動靴とは違う、黒くて脛まである、いわゆるコンバットブーツだ。あと、ちょっと重たい。

「レンジャー訓練中は、ずっとこれだって聞いたんで」

 あたしの言葉に、田端さんは「ふぅん」と唸った。目当ての飲み物を取り出しながら、「そう言えば」と、あたしは首を傾げる。


「田端さん、レンジャー行ったの、一昨年でしたよね。なにかアドバイスとか、あったら教えて欲しいんですけど」

「別にねぇよ」

 田端さんは、そうぶっきらぼうに言うと、レジの方へと歩き出した。あたしは反対に首を傾げながら、その後ろをついていく。

「田端さん。田端さんって、そういうキャラでしたっけ。なんか、ふだんはもっとおだやかぁぁっていうか」

「……おまえはさといんだか鈍いんだかわっかんねぇなぁ」


 会計を済ませた田端さんとあたしは、そのまま営内の方へと歩き出した。田端さんはあたしをたまにちらっと見ると、頭をガリガリと掻いて、溜め息をついたりと、なんだか忙しい。

 それから、ようやく思いきったように「あのな」と顔を向けてきた。


「おまえが思ってるよりも、ずっと地獄だぞ。レンジャー訓練は」

「……はい」

 眉を寄せながらきっぱりと言う田端さんに、あたしはこくりと頷いた。田端さんの眉間のシワが、ますます深くなる。


「風呂も飯も、時間なんてほとんど取れない。それどころか、水も飲めねぇ、ろくに寝ることもできねぇって日が続くし、その状態で何時間もぶっ続けで体力錬成、更に訓練、訓練、訓練……って、最後の方じゃマジで幻覚とか見えるからな。――ガッチガチに鍛えた、だ」

 じっとあたしの目を見つめてくる、その黒い目に。あたしの、ぽけっとした顔がうつり込んでいる。

「えっと……」

 あたしはハッとして、姿勢を正した。弾みで、会計したばかりのプロテインとスポドリを落としそうになって、慌てて支え直す。


「ご教授、ありがとうございますっ」

「……は?」

「実際にレンジャーを経験された方のお話を聞くと、身が引き締まると言うか。いや、でも田端さんもあれですね。ツンデレってやつですね。アドバイスないって言ってたのに、ちゃんと心配してくれるなんて」

「おまえなぁ」

 髪を短く刈り上げた頭をぼりぼりと掻いて、田端さんは「はぁぁあ……」と深く息を吐いた。


「なんかもー良いや。おまえと話してると疲れるから」

「え? なんでですか?」

「うっさい。あとランニングも良いけどなぁ、ロープ使って腕も鍛えとけ。筋トレ大事だぞ」

「まじっすか! ありがとうございますっやってみます!」

「それからな、もう少し肉つけとけ、肉」

「え、なんですかそれ。セクハラですか」

「アホかっ! 訓練中はガッと体重が減るからな。最初にある程度、肉をつけとかねぇと途中でバテるぞ」

 「へぇえ」とあたしは胸の前で両手を組んだ。

「ありがとうございます! 参考にしますッ」

「……ま、そんだけやっても厳しいのが、レンジャー訓練だけどな」


 田端さんのじとっとした目に、あたしは「はいっ!」と手を上げた。

「田端さんの期待に応えられるよう、がんばりますッ」

「別に期待してねーよ」

「じゃあ、お話し中に申し訳ないですけど。あたし、そろそろプロテイン飲まなきゃなんで、お先に失礼しますね!」

「引きとめてもねーから。さっさと帰れ帰れ」

 まるで犬を追い払うようなしぐさをする田端さんに「また明日ー!」と手を振り、あたしは営内へと向けて走り出した。

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