1-3 相棒になる方と初対面です!

 狭い部屋に、二段ベッドとロッカーが詰め込まれている。そこに一歩足を踏み入れて、あたしは「おーっ」と一人で声を上げた。

「今日からここで過ごすのかー!」


 八月の下旬。いよいよ始まるレンジャー訓練に参加するため、あたしは自分の所属する部隊のある駐屯地から、I駐屯地へとやってきた。


 居室として指定された部屋は、すでに蒸し風呂状態で。じっとりと額にかいた汗を、腕でぐいっと拭う。部屋の中を見回すと、なんだか頼りない扇風機が一つだけ置いてある。


 本来、営内は男女別なのだけれど、レンジャーの学生は、訓練の関係もあるのか、同じ建物に男女が押し込められている。もっとも、部屋は別なのでそんなに問題は感じない。


「とりあえずー。荷ほどきしちゃうかぁ? あ、でも荷物の置き方、みんなで決めなきゃいけないんだよなー」

 「統制」と言って、荷物の置き場や置き方は、これからレンジャー訓練に参加する学生たちみんなで、統一しなくてはいけない。実際、置き方どころじゃなくて、身につける物の種類、サイズ、つける位置などなど……ぜーんぶおそろいにする必要がある。それができないと当然、ペナルティがあるわけで。


 ベッドの上にどかりと荷物を置いたあたしは、短く刈ってきた頭をなんとなくなでながら、うーんと首を傾げた。

「どうしよっかなー。女子、もう一人いるって聞いたんだけど……まだ来ないかなー? あたしが先についたんだし、とにかく男連中のとこに話聞きに行った方が良いかなー?……っぶべ!」

 ぶつぶつと一人ごとを言いながら、出入り口付近をぐるぐるしていたあたしの顔を、勢いよく開いたドアが思い切り叩いた。


「むぐーっ!」

「あら。ごめんなさい」

 うなりながら、身体を上下に振って鼻を抑えていると、そんな涼しげな声が聞こえてきた。

「まさか、ドアの真ん前に誰かいるとは思わなくて」

「ひゃ……ひゃいひょうふでふ……」

 なんとか声をひり出しながら顔を上げると。すっと冴えた星のような――綺麗な茶色い瞳と、目があった。


 白い肌に、戦闘服の上からでも分かるすらりとした体型。髪の毛は短めに切ってはあるけれど、なんていうか――雑誌のモデルさんみたいにいる。思わず、あたしは無造作にベリーショートに刈り上げた自分の頭を、ぽんぽんと叩いた。


 彼女はあたしが荷物を置いた二段ベッドの向かいのベッドへと、すたすた歩きだした。荷物を降ろすその後ろ姿に、あたしは「あの、あの」と慌てて声をかける。


「あたし、小牧三曹です。よろしくおねがいしますっ」

「――志鷹したか三曹です」

 そう言うと、志鷹三曹は微笑んだ。薄いピンク色のリップが塗られた唇が、形よくきゅっともちあがる。


「小牧三曹、ね。今回、枠に入れた女性隊員はわたしとあなただけみたいだから。適性検査、絶対に落ちないでね?」

 会って早々の唐突な言葉に、あたしはなんと答えたら良いのか一瞬分からなくなり、「え?」と思わず間抜けな声を出してしまった。


「えぇっと、あ、はいっ! ありがとうございます、一緒に力を合わせてがんばりま――」

「そうじゃなくて」

 拳を天井へ突き上げるあたしの言葉を、志鷹三曹はあっさりと止めた。微笑んだまま。

「あなたが落ちて、原隊復帰強制送還させられちゃうとね。あたしが困るの。ほら、訓練中にバディを組む相手がいなくなっちゃうでしょ?」


 レンジャー訓練中、学生は基本的に二人一組のチームを組むことになる。この相方が「バディ」になるわけなのだけれど、基本的には身体能力や体格が近い相手を、教官たちから指定される。だからきっと、女性は女性同士でバディを組むことになるはずで。今の時点で女性はあたしと志鷹三曹だけだから、お互いがバディになるのは当然で。


「そ――うですね。気をつけますっ! ご指導、ありがとうございますッ」

「気をつけて、どうにかなるなら良いけどね」

 自分の爪を見つめながら、つまらなさそうに志鷹三曹が言う。それを聞いたあたしの中で、なにかがギギッときしんだ音を立てた気がした。


 「えっと」と、あたしは言葉を一旦つまらせて。それから勢いよく「あのねっ」と改めて口を開いた。


「志鷹三曹、あたし、あきらっていうの。せっかく、バディになれるんだし。女子、二人きりだし。良かったら、ふだんは気軽にアキラって呼んでほしいなって――」

「あなた、声大きすぎ」

 長いまつ毛に囲われた茶色の瞳がきらっと輝いて、あたしを見つめる。澄んだソプラノの声は、怒ってるわけでもなくて、ただ淡々とあたしに投げかけられた。


「あ、えーと。よく、言われる。小隊長とか、先輩とか。あ、あと営内で同じ部屋のコなんてさぁ、いつも――」

 へらっと笑って頭を掻きながら話すあたしに、「そう」と微笑んだ志鷹三曹は。またその目を、すいっとあたしから外した。


「じゃあ、あたしには二度と同じことを言わせないでね? 小牧三曹」

「う……うん! 分かった」

 笑いながら、あたしは自分の中のボリューム調整のツマミを、必死にぐいっと引き下げた。

「気をつけ、ます」


※※※


 ――まずい。


 部屋から出たあたしは、扉を閉めたその場で、頬をつたう汗を拭った。


 志鷹三曹。あのあと、なんとか下の名前が「瑞葵みずき」さんだってことは教えてもらえたけれど。なんていうか……なんていうか。


 ――あなたが落ちて、原隊復帰強制送還させられちゃうとね。あたしが困るの。ほら、訓練中にバディを組む相手がいなくなっちゃうでしょ?

 ――気をつけて、どうにかなるなら良いけどね。


 投げられた言葉を思い出して、あたしはぐっと胸に手をあてた。ドキドキドキと、心臓がうるさくて。喉の奥が、きゅっと絞まるような感じがする。


「――あの」

 不意にかけられた声に、あたしはばっと顔を上げた。見知らぬ男性自衛官が、きょとんとこっちを見ている。


「はい! えっと、なんですかっ?」

 勢いよく訊ねるあたしに、彼は「えぇっと」と口ごもった。


 頭頂部だけほんの少し長めに残した短い刈り上げで、身体つきはかなりがっしりしているけれど、あたしの位置から見上げた場所にある、黒ぶち眼鏡の奥の目は優しい。今は、探るようにほんの少しそれを細めながら、あたしを見つめている。


「自分、糸川いとかわ三曹です。あの、女性レンジャー学生の方っすよね?」

「あ、はい! 小牧三曹、です」

 思わず大きな声で返事をしかけた自分に気がつき、慌ててボリュームを下げる。糸川三曹は頷くと、「今」と男子学生に割り当てられた部屋の方を指した。


「荷物の置き場とか、そろえる物とかみんなで話してて。それで、女性にも参加してもらった方が良いんじゃないかって」

「あ、はい! ありがたいですっ」

 こくこくと何度も頷くあたしに、糸川三曹は「じゃあ、もう一人も呼んできて」と付け加えて、駆け足気味に部屋へと戻っていった。


 その後ろ姿を見送り、自分が出てきた部屋を振り返り。あたしはなんとなく込み上げてきた気持ちを、深い息と一緒に吐き出した。

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