第07話 目覚める魔導書

 ――身分を問わず魔術の才能に目覚める者は稀である。

 この王立魔術学院に入学できただけで“特別な人間”なのだ。

 だが、その“特別な人間”を一箇所に集めてしまえば特別の基準も跳ね上がる。


 ある日の放課後、コリンはいつも通りベンチに座りながらも本も開かずにうつむいていた。


 コリン・パーシングは商人の息子である。

 商売というのは基本的に希少性を利用して利益を上げることだ。

 稀な能力である魔術から利益を上げる方法はいくらでも存在する。


 その上、王立魔術学院を卒業するということは政府の要職に付く者とになるということだ。

 コリンの両親は息子に商売の未来を託して送り出した。


 両親の期待に沿うこと自体は難しくない。

 この学院に入学するまではそう思っていたし、今でもそう思っている。

 だが、入学してわずかな期間でコリンに急激な変化が訪れたのである。


 特にクローディア・ウィンフィールドとの出会いは衝撃的だった。

 圧倒的な魔力はもちろん、リターンの見込めないリスクを積極的に負う異常な性格。


 もちろん商人もリスクを負うことはある。

 しかしそれは見合ったリターンが見込めると判断した場合のみだ。


 そんな自分とクローディアを比較する。

 自分はあんなに強くない。

 いや、それ以前にあそこまで勇敢に戦うことが出来るのだろうか?


 そしてサニー・フェアハートの存在も無視できない。

 模擬とはいえ、あのクローディアとの決闘に名乗りを挙げたのである。

 それも単なる自信過剰ではなく、クローディアと互角以上の戦いを見せつけた。


 ちなみに、魔術を差し引いた場合のコリンの商人として才能は微妙なところである。

 コリンは頭が良く、知識も豊富である。

 だが、商売で最後に物を言うのは押しの強さ、図々しさなのであった……。


 ――考え事にふけっていたコリンは近づく男の影に気が付かなかった。


「力が欲しいですか?」

「タルコット先生!?」


 突然の声に驚いて顔を上げると、そこにいたのはタルコットだった。


「パーシングくん、あなた……ウィンフィールドさんと比べて悩んでいますね?」

「どうしてわかるのですか?」

「まぁ、教師の経験、ですかね……」

「クローディアさんどころか……サニーさん……アルバートくんにだって全然届きませんよ。やっぱり貴族には敵わないのでしょうか?」

「いえ、ただの偶然だと思いますよ。貴族の入学者が一人もいない年もありましたし

「そうですか……」

「魔術の才能は親の影響を受けません。最初に教えたでしょう?」

「どちらにせよ僕はクラス全体で見ても弱い方かもしれません」

「今、この瞬間ならそうかもしれません。ですが……今日、私が授業で言ったことを憶えていますか?」


 突然の質問にコリンは戸惑う。

 教師が一回の授業で話す量はとても多い。

 だがこの文脈での正解は限られる。


「……クローディアさんほど強い人はほとんどいない、という話ですか?」

「もうちょっと後」

「……“何かの正解”で強くなる可能性がある、という話ですか?」

「正解です! よく答えられましたね」


 出題したタルコット自身が驚いているようだ。


「“何かの正解”ってなんですか?」

「魔術は個人性が強いから強くなる方法も人によって異なる、というのはすでに知っていますね?」

「はい、それはわかっているつもりです。サニーさんが剣術をものすごく鍛えているのは彼女の魔術との相性がいいからでしたね」

「それがフェアハートさんの“正解”なのです。同じように、あなたの“正解”を見つけましょう」

「そんな都合よく……」

「さすが商人の子、シビアな考え方ですね。ですが安心してください、私には魔術の才能を伸ばす才能があります!」

「はぁ……?」


 コリンは戸惑う。

 明らかに胡散臭いが、天下の魔術学院の教師の言っているのだ。


「それでは行きましょう!」

「え? え?」


 コリンはわけのわからないままタルコットに引きずられていった。


    *


 到着した先は学院内に存在する図書館であった。

 館内では読書や勉強に励んでいる生徒がちらほら見受けられる。

 日光から蔵書を守るためか薄暗く、生徒たちはそれぞれ机の上にランプを置いている。


 受付に座っていた女が立ち上がり、近付いてきた。

 女性としては高身長であり、眼鏡をかけ理知的かつ妖艶な雰囲気を醸し出している。


 この女の名前はアンナ・フェネリー。

 王立魔術学院の教師の一人にして図書館の管理人である。


「お待ちしておりましたわ~、タルコット先生♡」


 フェネリーはまるで誘惑するかのような甘ったるい声で歓迎の意を示す。

 だが、タルコットも特に気にする様子がない。

 おそらくいつものことなのだろう。


「それではパーシングくんをお願いしますよ」


 そう言い残してタルコットはさっさと図書館を出ていってしまった。 


「あらあら、タルコット先生は冷たいわね~。それじゃあ、コリンちゃん、ワタシに付いてきてねん♡」

「は、はい……」


 フェネリーは図書館の奥へ進んでいくと、本棚の陰になっていることで人目につかない位置で立ち止まった。

 右の掌で壁に触れると手首のブレスレットが輝き、扉が現れる。


「クラスのみんなにはナイショよん♡」

「……わかりました」


 だが、知られたところで魔術的封印を解除するのは困難だろう。

 実際に上級生たちの間では公然の秘密となっていた。


「そうそう、暗いから灯を点けてね☆ でーもぉ、火・は・ダ・メ・よ♡」


 フェネリーは扉を開くと、思い出したようにそんなことを言った。

 裸の炎というのは燃え移る危険性があるから当然のことだ。

 コリンは言われた通り、掌の上に光を放つ魔力球を作り出した。


「うわ、冗談のつもりだったのにそれできるのね☆」

「え?」


 フェネリーが驚いたことにコリンは驚いた。

 コリンにしてみれば使えて当然の魔術だからである。


 実は戦闘力はそこまで高いわけではないが、使える魔術の幅は広い。

 これは自身でも気が付いていないことだ。

 コリンは決して劣等生というわけではない。


「さすがタルコット先生が見込んだ生徒ね♡」


 フェネリーそう言って同じように輝く魔力球を作り出した。

 魔力球は術者の周りをふわふわと浮かび、両手は自由になる。


 そのまま扉を開けると、地下へと続く階段を下っていく。

 地下の部屋にもやはり書棚が並んでいた。


「ここは……もしかして禁書封印区画ですか?」

「うふふ、そーよ♡ 成績優秀者のみが読める、思想的に危険とされた書物の数々♪ でも用があるのはここじゃなわん♡」

「え?」


 コリンの困惑をよそに、フェネリーが壁に触れるとまたしても扉が出現した。

 開けるとやはり階段があり、さらに下っていく。


「ここよ~ん♡」


 階段を下りきって部屋に出た瞬間、空気が変わったのを感じた。

 到着した先にもやはり書籍が並んでいる。


 だが、上の階層と違って表紙が見える状態で置かれているのだ。

 つまり――置かれている書籍の数が少ないのである。


 ――コリンは一冊一冊から異様な存在密度を感じ取った。


「こ……ここは……?」

「魔導書封印区画よん☆」

「ま、魔導書!?」

「も・ち・ろ・ん、強力で人を選ぶモノばかりよん☆ このコたちはね~、ここで“適合者”が来るのをずぅうううっと待っているのぉ♡」


 フェネリーは身体をくねらせながら情熱的に言った。


「“適合者”……?」


 突然、何冊かの本がガタガタと震える。

 そしてふわりと宙に浮くと、コリンの周りを取り囲んだのだ。


「わ!? わ!?」


 状況が理解できず、コリンは慌てる。


「わ~、コリンちゃん、モテモテだね~♡」


 特殊な状況にコリンが困惑していると、浮いている魔導書の一冊が、他の魔導書たちを威嚇し始めた。

 その姿はまるで縄張りを主張する動物のようである。

 やがてその勢いに負けた魔導書たちはすごすごと元の位置に戻っていった。

 コリンは残った一冊を恐る恐る手に取った。


「これが……僕の魔導書……?」

「お、『愚者の書』か~、まさか“適合者”が現れるとはねん☆」

「『愚者の書』……? 僕ってそんなに頭が悪いのかなぁ」


 コリンは本のタイトルに落ち込む。


「馬鹿と天才は紙一重ってね☆ あまりにも先進的な機能を詰め込みすぎて誰も使えなくなった、曰く付きの一品なのよん♡」

「はえ~」


 そんな本を自分は使いこなせるのか?

 だが、この本自身に選ばれたということは大丈夫なはずだ。

 たぶん……。


「ところでこの本って一応ここの蔵書ですよね? 二週間しか借りられないのではないですか?」

「まぁ、次に借りる人はいないからね……。私の権限で“無期限”の貸し出しを許可するわよん♡」

「あ、ありがとうございます……」

「とりあえず、貸し出し手続きのために上に戻りましょう☆」


 コリンはフェネリーの後に付いて一階まで戻った。

 フェネリーに言われるまま貸し出し申請書に記載し、晴れてコリンは魔導書を図書館の外に持ち出すことができるようになった。


「魔導書は常に持ち歩いて自分に馴染ませるのが大事よん♡」


 フェネリーはどこからともなくブックホルダーが付いたベルトを取り出した。


「これをあげるわ☆」

「これは……?」

「剣を差すためのベルトと同じよん☆

 ワタシも使ってるオススメの品だからねん♡」


 確かに、フェネリーの腰にも魔導書らしきものが収まっている。

 それも左右に。


「ちょっと付けてあげるわん♡」

「い、いえ、自分でやります」

「ほらほら、遠慮しないの♡ まぁ、どうせ次からは自分でやらないといけないのだけど☆」


 フェネリーは強引にベルトを付けると、最後に魔導書をブックホルダーに差し込んだ。


「これでヨシ♪」

「ありがとうございます……」

「いいのよん♡ ワタシも『愚者の書』の適合者が見つかってウキウキしているの♪」

「雨の日には注意しないといけないですね」

「あ~、それは大丈夫よん☆ 地下の魔導書は耐火耐水チェック済みだから♡」

「な、なんですか……それ?」

「燃やしても灰にならないし~、水に漬けてもふやけないのよん☆」


 どのような“チェック”が行われたのか想像して、コリンは少し怖くなった。


「す、すごいですね。では、これで失礼します……」


 帰ろうとしたコリンだったが、鞄に借りていた本が入っていることを思い出した。


「そうでした! 借りていた本を返さないと」

「あ~、なんか決闘の賞品にされていたわねん☆」

「知っていたのですか?」

「よかったわぁ~。クローディアちゃんが返してくれなかった場合、今度は私が決闘を挑まないといけなかったから♡」

「はは、ははは……」


 どこまで本気か冗談かわからないフェネリーの言葉にコリンは笑うしかなった。


    *


 寮に帰った、コリンは夕食の時間を除いてひたすら『愚者の書』を読み耽っていた。

 しかし一向に意味がわからない。

 文章としては読めるのだが、それがどういう意味を持っているのかほとんどわからないのである。


「――今日は疲れた」


 就寝時間になったのでさっさと寝ることにした。

 ベッドに倒れ込むとすぐに睡眠の世界へ旅立つ。

 気が付くとアリーナの中央にいたのである。


「え? え? ここは闘技場!? どうなってるの?」


 当然、コリンは戸惑う。


「ハーイ、コリン!」


 突然、後ろから声をかけられて振り返る。

 そこにいたのは真っ白い顔に血のように紅い涙を流した道化師だった。


「ひっ!」


 あまりの恐怖に素っ頓狂な声を上げるよ、道化師はとても愉快そうに笑い出した。


「いひひひひひひ♪ やっと出会えたネ♡」

「き、君は誰だ……?」

「ん? 誰? 誰かって? ボクはね……『愚者の書』の疑似人格サ!」

「疑似人格?」

「まぁ、基本的に『愚者の書』そのものだと思ってくれいいヨ。名前は愚者フールとでも呼んでネ」

「そのままじゃん……」

「わかりやすくていいでショ?」

「ところで、僕はどうして闘技場にいるの?」

「そうそう、それが大事。

 ここはね、夢――君の夢の中なのダ」

「夢だって!?」

「睡眠学習って知ってるカ?」

「概念だけは……。

 成果が上がったという話は聞かないけど」

「ところがどっこい、それができちゃうんだよ。そう、この『愚者の書』ならネ♪」

「まさか……」

「そう、この夢の中で君を最強の魔術師に育ててあげるヨ!」

「え? この本ってトレーニンググッズだったの!?」

「いひひひひっ、そういう機能もあるってことサ♪ まずは同期の上位連中と戦えるレベルにはしないとネ」


 コリンの目の前に薄っすらと人影が現れた。

 その姿は最近ではよく見知った少女である。


「クローディアさん!?」

「なるほど、彼女がキミの同期最強なんだネ」

「そうだね……」

「おっぱい大きいね」

「そ、そうだね……」

「とりあえずこの巨乳ちゃんと戦ってもらうヨ」

「え?」

「キミの記憶から再現しているから強さもそうなっているヨ」

「え? いや……」

「レディー、ファイッ!」


 フールが戦闘開始の合図をした瞬間、巨乳ちゃんの強烈な拳がコリンを襲う。


「うぎゃッ!」


 あまりの痛みにのたうち回る。


「肋骨が折れたところまでは仕方ないとても、痛みのコントロールすら全然だネ……」


 夢の中の叫びはフール以外の誰にも届かないのだった。

 かくして、コリンと『愚者の書』の奇妙な絆の物語が綴られ始めた。


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