第02話 手袋は投げられた!
――入学式の次の日、いよいよ授業が始まった。
実はこの学院の授業では魔術そのものについてはあまり教えない。
魔術というのは個人性が強く、人によって得意な種類が異なる。
だから、教えることの大半は基礎教養や社会制度なのである。
いかに力を付けるかではなく、付けた力はどう使うべきかを学ばせるのだ。
授業時間は一回50分である。
朝8時10分より1時限目が始まり、12時に4時限目が終わり、昼休みとなる。
只今4時限目――クローディアは『地理』の授業を受けている。
担当教師の名前はロイ・タルコット――物腰の柔らかい、長身の優男である。
チャームポイントは丸眼鏡だ。
「――というわけで、この王都が王都足り得る理由を理解できたと思います。正確には歴史的経緯を無視できないのですが、それは『歴史』の授業の内容ですね。それでは授業を終わります。また次回の授業でお会いしましょう」
タルコットが授業の終了を告げた直後に鐘の音が鳴り響く。
午前の授業が終わり、昼休みへと突入したのでクローディアは食堂に向かった。
*
食堂に入ってまず目に付くのが、多種多様な料理だ。
料金は無料であり、セルフサービスで好きなものを好きなだけ取っていい。
王立魔術師学院に注ぎ込まれている莫大な予算の為せる業だ。
また、王都が交通の要所であることで材料調達を比較的容易にしているのだ。
職員がキッチンから料理をどんどん持ってくる。
奥には料理を食べるための円形テーブルがたくさん配置されている。
基本的にすべて生徒が食堂で昼食を取るためにかなりの人数が集まっているが、かなりの広さがあるためあまり圧迫感がない。
「とりあえず、スパゲティーは全種類~~♪」
クローディアはトレーの上にどんどん料理を積み上げていく。
敷き詰める――ではなく、積み上げる、だ。
およそ乗せられる限界まで乗せたと考えて間違いではないだろう。
魔術師は全体的に大食いの傾向にあるが、クローディアは度を超えている。
ちなみにクローディアの好物はカロリーの高いものである。
「おいおい、そんなに取って大丈夫か?」
声の方を見ると、やたらとガタイのいい中年の男がいた。
先程から料理を運んでいる職員の一人だ。
「ご心配には及びませんわ。まだまだ食べられますもの」
クローディアは上品な笑顔でそう断言した。
空いている席に着くと、信じられないほど短時間で食べきってしまった。
席を離れたクローディアは、恐るべきことに再び料理を取り始めたのだ。
「牛肉~~豚肉~~鶏肉~~羊肉~~馬肉~~兎肉~~鹿肉~~♪」
やはりトレーの限界に挑むかのような積込みを行う。
ちなみにクローディアの謎の歌と提供されている肉の種類は無関係である。
「おいおいおい、さっき取った分はどうした?」
先程の男が再び立ち塞がった。
困惑した男の言葉にクローディアは極めて意外そうな顔をする。
「……いただいたに決まっていますわ」
あまりにもクローディアがはっきりと言い切るので謎の説得力が発生し、反論の言葉が出なかった。
固まる男をよそに、クローディアは料理を取りまくった後、再度テーブルに向かった。
やはり異常に短時間で完食したことが信じられない職員は、こっそりとクローディアを観察する。
その結果、すごい速度で食べきってしまっていたのだ。
そして恐るべきことに、クローディアはまたしても料理を取りに来たのである!
「おいおいおいおい、何回取りに来るんだ? さすがに一人で食い過ぎだぞ」
疑問は苦言に変わりつつあった。
「ですが、ここは好きなだけ食べてはいいのではなくて?」
「さすがにお嬢ちゃんみたいなのがいるとは思わないからな。俺でもあの量は食えん」
「では、今日は一つ知識が増えましたわね」
「……ともかく、お嬢ちゃんの食べる量は制限させてもらう! 一食で食べていいのは一度にトレーに乗せられるだけだ。もちろん、無理に積むのはダメだぞ」
それを聞いてクローディアはムッとする。
「アナタになんの権限がありますの?」
「俺は食堂長だから、ここに関してはかなりの裁量が与えられているんだよ。わかったか?」
「わかりました! ワタクシ、アナタに決闘を挑みますわ!」
「……あ?」
食堂長は唖然とした。当然だろう。
構わずクローディアは続ける。
「ワタクシが勝ったらワタクシは料理を好きなだけいただきますわ。アナタが勝ったらワタクシは……ワタクシは……この学院をやめます!」
「ダメだ」
クローディアのトンデモ提案を食堂長は瞬時に拒否した。
「なぜですの?」
「まず、俺は魔術師じゃねぇ」
「代理人を立てていただいても構いませんわよ? むしろそうしていただきたいですわね。この学院の先生方は皆魔術師なのでしょう? どなたか協力してくださるはずですわ!」
「……まぁ、聞け。そんで、お嬢ちゃんを退学させるわけにいかねぇ。自分がデメリット被ったらといって相手にメリットがあるとは限らんぞ。いきなり退学を賭けてきたということは、他に賭けるものがないということだろ?」
「……その通りですわ」
クローディアはトレーを返却すると、食堂を後にした。
*
――入学式から一週間が経過して、そろそろ新入生たちも学院に慣れ始めていた。
本日の授業はすべて終了しており、自宅や寮に戻る者もいれば、学院内で独自に勉強や訓練をする者もいる。
小柄な少年――コリン・パーシングは中庭で一人読書を始めた。
明るすぎず暗すぎず、本を読むにはちょうどいい環境だ。
そんなただ静かに過ごしているだけのコリンに、とあるグループが目をつけ近づく。
彼らは有力貴族の生まれであるアルバート・ロックウェルとその取り巻きたちである。
「よう、コリンくん。いーもん持ってるじゃねーか」
アルバートはコリンが読んでいた本を無遠慮に取り上げた。
「え?」
「ふむふむ、『貴族の品格』……? 貴族でもないコリンくんが読んでどーすんだ?」
「え、えーっと……」
「立派な装丁だし3万クラウンくらいにはなるんじゃないか? この本を売ってみんなでいーもん食おうぜ!」
「さすがアルバート、あったまい~」
アルバートと取り巻きたちがゲラゲラと笑う。
「やめてよー、返してよー」
「おまえまさか、アルバートの素晴らしい企画にケチをつける気じゃないだろうな?」
「ロックウェル家なら食費ぐらい困らないでしょ……」
コリンは反論の言葉を放つが、それはとても弱々しかった。
「そういう問題じゃねぇ。俺はな、おまえが俺たちに貢ぐチャンスをプレゼントしてやってるんだぞ?
貴族の品格とやらも、このクラス唯一の貴族である俺様が直に教えてやるから感謝しろ」
クローディアは貴族の娘であって、彼女自身は貴族ではない。
だが、アルバートは彼自身が貴族なのだ。
ロックウェル家は複数の爵位を持っているので、その一つが子息のアルバートに与えられている。
「えぇ……」
コリンの顔には呆れと怯えが複雑に入り混じった表情が浮かんでいたが、アルバートたちはそんなことお構いなしだ。
大柄なアルバートに対してコリンは体格的に小さければ性格もおとなしく控えめである。
さらに貴族の生まれでないこともあり、ものすごく簡単にいえば舐められているのである。
魔術師が体格差によって相手を侮ることなどありえないのだが、アルバートたちにはまだそこまでの経験が足りなかった。
「それじゃあ、行くぞ。おまえにもたらふく酒を飲ませてやる。いいとこ見せろよ!」
つまりはアルコールハラスメント宣言である。
しかもその費用は奪った本から出るというのだ。
もうメチャクチャである。
取り巻きたちがコリンを無理やり連れて行こうとする。
突然、アルバートの後頭部に何か柔らかいものがぶつかって地面に落ちた。
「ん……?」
下を向いて地面を確かめるとそれは白い手袋である。
「ワタクシ、あなたに決闘を申し込みますわ!」
声の方を向くと頭がお花畑になっている美しくも奇妙な少女がいた。
クローディアである。
「なんだおまえ? 確か田舎貴族の……」
「ウィンフィールド男爵の娘、クローディア・ウィンフィールドですわっ!」
クローディアは高らかに名乗りを上げる。
「おお、そうだった。それでその田舎貴族の娘のクローディアちゃんがなんの要件だ?」
「先程申しました通り、アルバート・ロックウェルさん――アナタに決闘を申し込みます」
クローディアは腰に下げていたサーベルを抜くと、アルバートの方へ切っ先を向けた。
もちろんアルバートは困惑する。
「お、おう? 俺の聞き間違いか? 今、“決闘”って言ったのか?」
「一言一句、間違っていませんわ。“決闘”です。その手袋も魔術による幻覚ではなくてよ」
「どうしておまえと決闘しなけりゃいかんのだ?」
「ワタクシ、その本が読みたいのですわ」
そう言ってアルバートが手に持っている本を指差す。
「ん? 確かにそこそこ値が張りそうなものだが、わざわざ決闘の理由になるのか?」
「では、譲っていただけるのでして?」
「嫌だね。せっかくこのコリンくんの“ご厚意”を無下にはできないなぁ♪」
アルバートはニヤニヤしながら答えた。
対抗するようにクローディアもニヤニヤする。
「やはり決闘しかありませんわね♪」
何をどう考えたらそういう結論になるかアルバートにはさっぱりわからないが、クローディアの顔に迷いはない。
ちょっとした騒ぎになりつつあり、周囲には生徒たちが集まってきた。
「……そもそもおまえは決闘に何を賭けるんだ?」
「ワタクシが負けた場合、この学院をやめますわ!」
衝撃の発言に周囲の生徒たちがざわつく。
この学院を卒業することにはとてつもない価値があり、それを自ら放棄することは通常考えられないことなのだ。
「本気か!?」
「本気ですわ。もちろん負ける気は全く全然ありませんけど♪」
「おまえ……本当に頭お花畑だったのか?」
お互いにしばらくじっと見つめ合う。
「あまり見つめられると照れてしまいますわ♡」
クローディアがわざとらしくモジモジとする。
そのふざけた挙動にアルバートの心が決まった。
「……はっ、いいぜ! その決闘受けてやる」
アルバートが手袋を拾い上げた直後、旋風が巻き起こった――。
「決闘と聞いて駆けつけました! どーも、決闘管理委員会のマルシア・ポーターです。この決闘は決闘管理委員会が預かりますよ~!」
突然現れてものすごい早口でそう宣言したのは、めっちゃ小柄な少女だった。
「これが噂の決闘管理委員。実在したのか……」
「こういうの久々に見るなぁ……」
「ちんまい……」
周囲の人々が自由に所感を口にする。
「そこっ、ウルサイ! ――というワケで賭けの対象であるこの本は私が管理しますっ! 文句は存在しません!」
いつの間にかマルシアの手には問題の本があった。
「てめぇ、いつの間に……」
アルバートも驚きを隠せない。
「それではちょうど放課後ですので付いて来てください」
「どこに行くんだ?」
「委員会室ですよ。そこで同意書に署名してもらいます。その手順を踏まないで決闘を行うと処罰されるんですよ」
「というワケだ、すまねぇな。これで上手いもんでも食ってくれ。寮のやつは食いすぎんなよ」
そう言ってアルバートは取り巻きの一人に紙幣を渡した。
「おーっ! アルバートは最高だぜ-!」
*
マルシアに連れられて、クローディアとアルバートは決闘管理委員会室へ向かった。
中に入ると来客用らしきテーブルとソファーが目に付く。
奥の方には執務用らしき机と椅子が並んでいる。
「どうぞおかけください」
クローディアとアルバートはそれぞれ向かい形で座った。
テーブルに紅茶とクッキーが置かれると、クローディアはすごい勢いで頬張り始めた。
「それではいつ決闘しますか? 最短で次の休日に行えますが」
「……もぐもぐ、次の休日? 今すぐでいいですわ……もぐもぐ」
「下品な女だ……」
食べながら答えるクローディアにアルバートは顔を
「ダメです。こちらにもいろいろ準備がありますので」
クローディアは手を止めて少し渋い顔をする。
そして必要な準備について考えてみる。
会場の予約、スタッフの確保、そして宣伝――。
それなりに時間が掛かってもおかしくない。
いや、掛かるはずだ。
むしろ次の休日までに用意できる委員会の権限や実力が高いと考えるべきだろう。
「では、次の休日で。アルバートさんもそれでよろしいかしら?」
「ああ、構わねぇぜ」
それを聞いてマルシアはニッコリする。
そして、ルール及び賭け品の確認、誓約書への
「グッド! これで開催に向けて準備できます♪ 明日には告知を貼り出せるでしょう。さ~て、忙しくなりますよ~♪」
「楽しみですわね、アルバートさん♪」
「どうして田舎貴族もチビ女もこんなに嬉しそうなんだ……?」
アルバートの困惑は深まるばかりだった。
*
クローディアは門の前で待っていたマリアと合流した。
「ごめんなさい、マリア。待たせてしまいましたね」
「何かございましたか?」
学院には巨大な時計塔があり、この近くにいる限りは正確な時刻を知ることができるのだ。
「そうですわ! ワタクシ、早速けっと――ぐへっ」
言い終わらない内にマリアの頭突きが炸裂する。
マリアは瞬時に理解したのだ、主にクローディアの異常に嬉しそうな表情によって……。
「何しますの!?」
「それはこちらの台詞です、お嬢様! 今度は何を賭けたのですか!? 何を!? な・に・を?」
マリアはクローディアの両肩を掴んでグラグラと揺する。
「ごく普通にワタクシの学院退学を――ぐがっ」
またしてもマリアの頭突きが炸裂した。
さらに異常に強い力で首根っこをギリギリと掴む。
「なんてことをしてしまったのですか!?
王立魔術学院を卒業することがいかに重要なことなのか、理解していないはずありませんよね?」
「もちろんですわ! ワタクシ、必ず魔術学院を卒業してビッグになってみせますわよ! おーほっほっほ♪」
「ハァ……それで逆にお相手は何を賭けたのですか?」
「えーっと、本でしたわね」
「……そんなにすごい本なのですか?」
「ええ、素晴らしい本です。ちなみに実家にありますわ」
「は?」
マリアはポカンとする。
クローディアが何を言っているのか理解できなかった。
言語としても論理としても理解できた。
それでも常識が理解を阻んだのである。
「ロックウェル家の方が、気弱そうな男子から本を奪おうとしていたので、これは決闘の
マリアは激しい目眩を覚えた。
だが、こういうことは初めてではない、今まで何度もあったことなのだ。
「だから……っ! だから……お嬢様を一人にするのは……嫌だったのですっ!」
そう――クローディア・ウィンフィールドは手段のためには目的を選ばない、決闘めっちゃ大好きお嬢様なのである。
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