第18話 灰色の乙女

 

 王女リリアーナと公爵令嬢スカーレット、彼女たちの専属メイドのルイーゼとハンナの4人と一緒に王都の街を散策していたハイドランジア。

 彼らは、街の住人たちと触れ合いながら楽しく買い物をしていた。


「次はどこへ行きましょう?」


 楽しげなリリアーナが可愛らしく頬に手を当てて首をかしげる。

 貰ったお菓子を歩きながら食べていたスカーレットが何かを思い出す。


「んっ? そういえば、今日はこの先で市場バザールが開かれてない?」

「あぁ! そうです! 市場バザールです! 行きましょう!」

「掘り出し物が見つかるかもしれないわね!」


 リリアーナがスカーレットが仲良く一目散に駆けだす。

 それを、苦笑しながらハイドランジアと、彼の腕に抱きついているハンナと、その後ろを付き従うルイーゼが追いかける。

 市場バザールは大通りを使用して開かれていた。とても賑わっている。

 大勢の人が行き交い、下手をすればはぐれてしまいそうだ。


「ハイド様。姫様が申し訳ございません」

「ウチのお嬢様も……」

「いえいえ。仲が良さそうだからいいんじゃないですか? 珍しく喧嘩もしていませんし」

「早く来なさーい!」

「遅いですよ!」


 市場バザールの入り口でリリアーナとスカーレットが立ち止まり、残りの三人に手を振っている。

 ハイドランジアは、メイド二人と顔を見合わせ、皆で微笑みながら王女と公爵令嬢の二人に合流する。

 合流した瞬間、ハイドランジアがとある方向にバッと顔を向ける。

 一瞬遅れて、リリアーナ、スカーレット、も同じ方向を見つめた。


「えっ? 何かしら、あれ?」

「…………黒い、竜巻?」


 彼らの視線の先には、ゆっくりと空に立ち昇る黒い竜巻があった。

 その竜巻は徐々に大きく高くなっている。

 風によって吹き飛ばされた建物の残骸が宙を舞っている。

 一般の人も徐々に黒い竜巻に気づき始めた。多くの人が竜巻を指さし、甲高い悲鳴が響き渡る。

 辺りがパニックに陥った。


「姫様! 失礼します!」

「お嬢様も!」


 危険を感じた専属メイドの二人は、自らの主を抱きかかえると、地面を強く蹴りつける。

 重力を感じさせない動きで宙へと飛び上がり、建物の屋根の上へと避難する。

 ふわりと着地したメイドの二人は、目つきを鋭くして周囲を警戒し始める。

 彼女たちは屋根の上に上ったことで、被害がより見えるようになった。


「………なにあれ? 精霊?」

「………でも、気味が悪いですね」


 スカーレットとリリアーナは、空間収納の魔道具から取り出した自らの得物の両手剣と大剣を構えて、警戒しながら巨大な竜巻を見据える。

 黒い巨大な竜巻は禍々しいオーラを放っている気がする。

 憎悪や殺意と言った負の感情が凝縮して、それが暴風となっているみたいだ。

 身の毛のよだつ、おどろおどろしい気配が襲ってくる。


「あれはね、堕ちた精霊よ」


 彼女たちの背後から、気配もなく女性の声が聞こえた。


「誰っ!?」

「後ろっ!? でも、気配は……」


 ルイーゼとハンナが主の前に躍り出て、自らを盾とする。

 ルイーゼの手には光り輝くモーニングスターが握られ、ハンナの手には闇が零れ落ちる黒い短剣が握られている。

 声の人物を一目見て、彼女たちがあることに気づく。


「…………えっ? ………ハイド?」

「でも、違い、ます? 髪が長いですし……」


 リリアーナとスカーレットが警戒したまま困惑して首をかしげる。

 ルイーゼとハンナは険しい顔をしてその声の人物を睨む。

 彼女たちに声をかけたのは、見た目はハイドランジアに似ていた。

 洋服も顔も体格も、全てがハイドランジアのものである。

 しかし、彼と違うのは、まず、髪の長さだ。

 短かった彼の灰色の髪が、今は腰のあたりにまで伸びている。

 そして、決定的な違いは、見た目の色だった。

 全てが色を失って灰色になっているのだ。肌も、服も、何もかもが灰色に染まっている。

 どことなく大人の女性の色気を放ったハイドランジアが艶美に微笑む。


「あらあら。私は彼で、彼は私。同じだけど違う。違うけど同じ。まあ、今は私が彼の肉体を借りてるだけなんだけど」


 ハイドランジアの肉体に憑依した灰色の乙女が大人っぽくウィンクした。

 細かな仕草も全て女性のもの。口調も声も女性のものだ。

 灰色の女性が何かに気づいた。自分の身体の胸の辺りを両手で触っている。


「あらっ? 彼の肉体を借りているから、私の豊満な胸がないわね」


 スカッスカッと、両手を遮るものは存在しない。

 それもそのはず、肉体は憑依した女性のものではなく、男のハイドランジアのものだからだ。当然胸はない。


「ふむ。再現することもできるけれど………止めておきましょう。そこの胸がない王女の気持ちでも楽しんでおきましょうか」


 灰色の女性が貧乳のリリアーナを見て、色っぽく微笑んだ。

 リリアーナの顔がピキっと凍り付く。同時に、ブチッと何かが切れる音がした。


「……喧嘩を売っているようですね? いいでしょう。買って差し上げます! こう見えて、ギリギリBはあるんですから!」


 水色の瞳をどんよりと黒く濁らせて、リリアーナが灰色の女性に襲い掛かろうとする。

 それを慌ててスカーレットが羽交い絞めにして止める。


「ちょっといい加減にしなさい! 怒っている暇はないでしょうが!」

「くっ! 誰が胸がない王女ですか!? レティ離してください! って、貴女も喧嘩を売っているようですね! いいでしょう! ぶっ飛ばしてあげます!」


 羽交い絞めにされ、背中にスカーレットの巨乳が押し付けられていることに気づいたリリアーナが、襲う対象をスカーレットにする。

 暴れる貧乳王女を巨乳の公爵令嬢が止める。

 仲が良いわねぇ、と微笑んでいる灰色の女性が、突然手を動かした。


「隙があると思ったかしら?」

「っ!?」

「くっ!? 流石ご主人様。これを防ぎますか」


 ルイーゼとハンナの苦悶の声が漏れた。

 リリアーナとスカーレットに意識が向いていた灰色の女性を、メイドの二人が同時に襲い掛かったのだ。

 しかし、ルイーゼの光のモーニングスターも、ハンナの闇の短剣も、灰色の女性の指一本で防がれていた。

 一瞬で無駄だと悟った二人は、瞬時に距離を取り、自らの主を背後に隠す。冷たい表情は余裕がなく険しい。

 襲われた灰色の女性は興味深そうに、二人の武器を観察していた。


「光で出来たモーニングスター。闇で出来た短剣。上級精霊…なのだけど、中級精霊が進化したのね? モデルは……あら珍しい。光と闇そのもの。不定形なのね。精霊の力を凝縮し、モーニングスターと短剣を創り出している。センスがいいわ」


 精霊の力を見抜かれたルイーゼとハンナがギョッと目を見開いた。

 精霊を見ただけで全てを言い当てた目の前の女性。

 普通ならあり得ない。属性を見分けることは出来ても、進化したかどうかや精霊の格、その力を利用した武器化などわかるわけがないのだ。

 二人の警戒心が極限にまで高まる。

 殺気を向けられている灰色の女性は、守られている少女たちを見つめた。


「そして、後ろの二人は……あらあら。そういうことね」


 灰色の女性が楽しそうにクスクスと上品に笑う。

 そういうこと、と言われても、当の本人たちは訳がわからない。首をかしげるだけだ。

 ルイーゼとハンナは、目の前の女性が笑っているうちに離脱することを決める。


「姫様」

「お嬢様」

「ああ、別に逃げなくて大丈夫。私は貴女たちに危害は加えないわ。彼が悲しむもの。それに……」


 彼女たちが逃げる前に、考えを読んだ灰色の女性が途中で言葉を切った。

 圧倒的な覇気が放出される。気を緩めたら無意識に跪いてしまいそうだ。


「それに……殺すならとうに殺しているわ」


 灰色の女性が、女王のように威厳の籠った冷たい笑みを浮かべた。

 ゾクリとするほど鋭く冷たいが、同時に見惚れてしまうほど妖艶で美しい微笑みだった。

 思わずメイドたちとその主たちが身を竦ませる。

 その時、町中に大きなアナウンスが流れた。


『緊急! 緊急! 第一種警戒態勢が発動されました! 緊急! 緊急! 第一種警戒態勢が発令しました!』


 それと同時に、黒い竜巻に向かって色とりどりの輝きが殺到し始める。

 精霊の輝きだ。

 精霊の攻撃が黒い竜巻に襲い掛かる。

 しかし、黒い竜巻はびくともしない。精霊の攻撃すら飲み込んで、王都の街を破壊し続ける。


「あらあら。堕精霊に生半可な攻撃は効かないわよ」


 黒い竜巻と色とりどりの精霊の攻撃を眺めながら、灰色の女性が他人事のように呟く。

 灰色の女性の言葉が聞こえたスカーレットが、警戒を解いて女性に詰め寄る。


「堕精霊!? ハイドは…………あれっ? ハイドじゃないんだっけ? どっち? もう! わけがわかんない! 取り敢えず、あんたはあの黒い竜巻の正体を知っているの!?」

「お嬢様!」

「スカーレット様!」


 メイドの二人がスカーレットを止めようとするが、それをリリアーナが制止する。


「止めなさい。どう足掻いてもハイド様? えーっと、女性のハイド様には勝つことができません。幸い、こちらに危害を加える様子はありませんし、お話を聞きましょう。そうでないと、王都が崩壊してしまいます」


 メイドの二人は渋々構えていた武器を降ろす。でも、一切気を抜かない。警戒したままだ。


「かしこまりました」

「まあ、私も敵いそうにありませんし、目の前の女性がご主人様だということはわかってはいるんですが………一応仕事として、警戒したというアピールをしないといけないんですよね……くっ! 今すぐにでもお嬢様のメイドなんか辞めてしまいたい!」

「ちょっと駄メイド! 何言ってんのよ! 離しなさい貧乳!」

「あ゛っ? 言ってはいけない言葉を言いましたね、この乳牛!」


 ハンナがいつもの調子を取り戻し、スカーレットがハンナに向かって襲い掛かろうとするが、それをリリアーナが羽交い絞めにして首を絞め始める。

 緊急事態だというのに、いつものように喧嘩し始めそうになるハンナ、スカーレット、リリアーナの三人。

 こめかみに青筋を浮かべたルイーゼの姿が掻き消え、ゴチンッという音が三つほど響いた。

 頭に拳骨を受けた三人が、頭を押さえて蹲る。あまりの痛さに涙が零れ、声も出せない。

 いつの間にか元の場所に出現したメイドのルイーゼが、華麗に苦悶する三人娘を無視スルーする。


「あの黒い竜巻の正体を教えてください」


 緊急事態なのでルイーゼは単刀直入に灰色の女性に問いかけた。

 いつもの優しい瞳ではなく、暗殺者のように鋭い瞳で灰色の女性を見つめる。述べられる言葉が嘘か本当か見極めようとしているのだ。

 ふふっと灰色の乙女が微笑んだ。

 灰色の唇がゆっくりと開く。


「あれはね、人の強烈な怒りや殺意や恨みや妬みといった負の感情によって堕ちた憐れな精霊よ」


 そして、灰色の女性は黒い竜巻を見上げて悲しそうに微笑んだ。

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