第14話 人口密度が高い部屋で

 

 ハイドランジアはトボトボと自分の寮の部屋へと向かっている。足取りが重いのは、肉体的な疲労ではなく精神的な疲労が原因だ。

 原因の一つは、先ほど行われたヒアシンサスとの決闘によるものだ。

 二年生の首席だった彼との決闘はすぐに決着がついたものの、学園中の生徒や教師たちに彼の実力が伝わってしまった。静かに穏やかな学園生活を送りたいだけなのに、今回の騒動でそれはできなくなっただろう。

 俺の学園生活が…、と絶望している。

 そして、疲労の原因の二つ目が、ハイドランジアが両手にぶら下げている二人の人物だ。


「はふぅ~。今日も負けたわ」

「ですが、最高でした…」


 体力を使い切って、指一本も動かせないリリアーナ・ロータス第三王女とスカーレット・ローズ公爵令嬢だ。

 ハイドランジアに首根っこを掴まれ、子猫のようにプラ~ンと運ばれている。その顔はストレスを発散して、すっきりとしている。甘い汗の香りが漂い、少し恍惚としているのが妙に色っぽい。

 王女と公爵令嬢をぶら下げたハイドランジアは、疲労で何も気にする様子がなく、二人をプラ~ンプラ~ンさせながら淡々と歩き続ける。


「くっ! 何故ルイーゼさんとハンナさんが二人と引き取ってくれないんですか! 何故肝心な時にいないんですか!?」

「私たちに言われても。どうせあの駄メイドは運んでくれないわよ」

「ルイーゼはどうしたのでしょう? 何かお仕事でもしているのでしょうか?」

「私たちの湯あみの準備とか?」

「なるほど!」


 三人は、いや、二人を持ち上げたハイドランジアはトボトボと寮の中を歩いて行く。

 時折生徒の姿を見かけるが、リリアーナとスカーレットの二人を見て顔を真っ青にし、ハイドランジアを見て恐怖で腰が抜ける。ガタガタと震えながら必死で後退っていった。

 そのことがハイドランジアの心を傷つける。


「俺、怖がられているみたいですね…普通の平民なのに」

「ハイドは普通じゃないでしょ!」

「ハイド様は普通じゃありません!」


 身分も強さも普通じゃないリリアーナとスカーレットに同時に言われたハイドランジアは、愕然として思わず足を止めてしまった。

 自分は普通なのにどこで間違えてしまったのだろう、と遠くを見つめて何もかもを諦める。


「あはは…普通って何だろう?」

「ハイドが壊れた。絶対に絶壁王女の友達になったせいよ!」

「いえいえ。駄肉令嬢の友達になったからだと思います!」

「誰が駄肉令嬢よ!」

「貴女です! そして、絶壁王女とは一体誰のことですか?」

「あんたに決まってるでしょうが! 今すぐハイドの友達をやめなさい!」

「嫌です! 貴女こそハイド様のお友達をお辞めください!」


 こめかみに青筋が浮かんだリリアーナとスカーレットは、ハイドランジアに首根っこを掴まれたまま口喧嘩し、わちゃわちゃと争い始める。

 遠い世界で悟りを開き始めていたハイドランジアが、二人の喧嘩で現実に戻ってきた。

 喧嘩する二人をブラブラと揺すって喧嘩を仲裁する。


「喧嘩しないでください! そんなに喧嘩する元気があるなら自分で歩いてくださいよ!」

「わ、私動けませんよー」

「わたくしもですぅー」


 ピタッと喧嘩を止め、即座に脱力したリリアーナとスカーレットが棒読み口調で答えた。

 明らかに嘘をついているとハイドランジアは思ったが、二人が何故か嬉しそうなのでそのまま運んで行くことにした。二人を降ろすと再び喧嘩を止めるのが面倒だ、とは決して思っていない。絶対に思っていないのだ。

 二人を摘まんで移動すること少し、やっと自分と彼女たちの部屋が見えてきた。

 しかし、いつもとは様子が違う。緊張と殺気が充満している。


「あれは……絶壁のところの近衛騎士?」

「誰が絶壁ですか、この脂肪の塊! ですが、本当に近衛騎士のようですね」

「誰が脂肪の塊よ!」

「何故俺の部屋の前にいるんですか?」


 二人が喧嘩しようとしたので揺さぶって止めながらハイドランジアは呆然とつぶやいた。

 揺さぶられて嬉しそうな二人からの答えはない。

 近衛騎士たちが三人に気づいた。


「こ、これはリリアーナ殿下とスカーレット様、そして若様、お帰りなさいませ!」


 シュパッと角度までそろった敬礼をする近衛騎士たち。

 その姿は圧巻だが、身体がわずかに震えている。普段からリリアーナとスカーレットのサンドバッグにされ、身体の芯まで恐怖が刻みつけられているのだ。

 そして、そんな二人の首根っこを掴んでいるハイドランジアに畏敬の念を抱く。


「わ、若様?」


 聞きなれない呼び方で呼ばれたハイドランジアは思わず聞き返してしまった。


「はい! 若様は若様でございます! 我らの悲願を達成してくださるのは若様しか存在しません!」

「は、はぁ…?」


 悲願と言われても何が何だかよく分かっていないハイドランジアは困惑するしかない。

 熱い眼差しをハイドランジアに向ける近衛騎士たちに、ぶら下がっているリリアーナが問いかけた。


「何故近衛騎士がここにいるのですか? お父様とお母様と一緒に城に帰ったのではないのですか?」

「いえ、国王陛下も王妃殿下も部屋の中でお待ちですよ」

「いや、なんで俺の部屋なんですか?」

「さ、さあ? 取り敢えず、早くお入りを!」


 近衛騎士たちに急かされて、リリアーナとスカーレットを掴んだままハイドランジアは自分の部屋に入った。

 入ってすぐに目に入ってきたのは、狭い一間の部屋に座って優雅にお茶にする国王と王妃と二人のお世話をするメイドの二人の姿だった。

 紅茶を飲んでいた王妃のミモザが入ってきた三人に声をかけた。


「おかえりなさい。ハイド、よくやったわ」

「ただいま帰りましたが、なんで俺の部屋にいるんですか?」

「アッハッハッハ! 友達の部屋に遊びに行くのが夢だったのだ!」


 ドヤ顔をする国王のウィステリアが全ての元凶だったらしい。思わず殴りたくなる手をハイドランジアは何とか堪えた。


「私たちはお忍びで来ているの。別に身分を気にする必要はないわ」

「そうですか。では、遠慮なく」


 手に持っていたリリアーナとスカーレットを自分のベッドにポイっと放り投げた。さりげなく魔法を発動し、二人の身体をベッドの上に軟着陸させる。


「「あうっ!」」


 ポフッとベッドにダイブした二人は、王女と貴族令嬢であるにもかかわらず、だら~んとだらけきっている。

 ミモザは二人を一瞥したが、何も言うつもりはないらしい。優雅にティータイムを過ごしている。


「姫様とスカーレット様を放り投げますか。私でも出来ませんよ」

「そうですねぇ。流石私のご主人様です!」


 メイドのルイーゼとハンナがハイドランジアを化け物かという目で見ている。

 やり過ぎたかなぁ、とハイドランジアが反省していると、ベッドから二人のメイドに向かって抗議の声が上がる。


「何を言っているのですかルイーゼ。毎朝ベッドからわたくしを落としているではありませんか!」

「ハンナ? 私、結構な頻度で、邪魔だ、って放り投げられているんだけど!」


 二人のメイドはにっこりと笑ってスゥっと顔を逸らした。

 リリアーナとスカーレットは普段から放り投げられているらしい。主に向かってそんなことをしていいのかとハイドランジアは疑問に思う。

 ハンナから差し出された紅茶とお菓子を食べたり飲んだりしながら、対面に座る国王と王妃に話しかける。


「で? 何の用ですか? 物凄く人口密度が高いんですけど」

「別にこれといった用事はありませんね。折角城から出て来たのですから、もう少しゆっくりしていこうかと」

「ああ、うん、もう好きにしてください」

「ええ。すでに好きにしていますよ」


 ミモザはマイペースにティーカップを傾ける。

 国王のウィステリアがハイドランジアの隣に近寄ってきて、バシバシと背中を強く叩いてくる。

 ウィステリアはとても機嫌が良さそうなのだが、叩かれるハイドランジアにとっては迷惑極まりない。


「少年! さっきの決闘はよくやったぞ! 勝負は一瞬だったが胸がスカッとした!」


 ハイドランジアは背中を叩かれながら、ミモザに視線を向ける。


「ミモザ様」

「ええ、許します」


 ミモザの許可をもらったハイドランジアは、怒りを込めてウィステリアの頭に拳骨を落とした。ゴッチーン、といい音が響いた。


「くはぁー! 痛いじゃないか少年!」


 頭を押さえて涙目で抗議するウィステリア。まだ怒りを抑えられないハイドランジアは拳を握ったままプルプルと震えている。


「俺が何かしたのか!?」

「本当にわかっていないんですか? また拳骨しましょうか? 次からは本気でやりますよ。それとも、さっき決闘でやったことをしてあげましょうか?」


 股間を抉るように蹴ったハイドランジアを思い出して、ヒヤッとしたウィステリアは思わず股間を両手で押さえる。

 顔が真っ青になって震えている。


「け、決闘を無理やり行ったことに怒っているのだろう? 少年すまなかった! 本当にすまなかった! だから、股間に蹴りは止めてくれ!」

「ちっ!」

「舌打ち!? 少年はそんな性格だったのか!?」


 びっくりしながらも、どこか嬉しそうなウィステリアを見て、やっぱりリリアーナの父親だな、とハイドランジアは実感する。

 チラッとミモザを見るが、彼女は何も言わない。


「あのですね、確かに無理やり決闘を行ったことにも怒っていますけど、リリアーナとスカーレットを巻き込まないでくださいよ! 万が一俺が負けたらどうするんですか!」

「もし少年が負けたら、二人には政略結婚を……」

「するような二人とは思えませんけど」

「ですよねー! たぶん俺がボコボコにされて殺されていたぞ!」


 本当にこの人が国王でいいのだろうか、とハイドランジアは頭を抱えた。

 怒りを込めてウィステリアを睨みつける。


「これから先、俺が何とかしますから絶対にリリアーナとスカーレットを巻き込まないでください!」

「いいのか? 少年が二人を一生守るのか?」

「もちろんです!」

「そうだな。友達である少年の頼みだからな。友達の言うことは絶対だからな! いいだろう。俺と少年の約束だ!」


 友達、という言葉をやけに強調して言うウィステリア。チラチラとベッドの上で脱力しているリリアーナとスカーレットに視線を向け、何故かドヤ顔をしている。

 何も言わず黙っていたミモザがおっとりと告げた。


「婚約が成立したことを嬉しく思いますよ」

「はい?」


 何故婚約という話になったのかハイドランジアは理解できない。


「二人のことを一生守るのでしょう? よかったわねリリィ、レティ」

「ちょっと待ってくださいよ! 何故そんなことになるんですか!? リリアーナとスカーレットを決闘の賭けの対象にしないでくださいって言っただけですよ!」

「ですが、ハイドは婚約ともとれる言葉を言っていました。それに、ウィスはちゃんと念を押しましたよ? 二人を一生守るのかと」


 よく考えるとそうかもしれない。ハイドランジアは一度も賭けの対象などとは明言していない。そして、ウィステリアはちゃんと念押しで確認をしていた。

 これはまずいことになった、とハイドランジアは冷や汗をかく。

 そんな焦った様子のハイドランジアを見たミモザがフッと楽しそうに笑いを漏らした。


「まあ、いいでしょう。婚約云々については今は忘れてしまって構いません。ですが、貴族との間ではこういったことが頻繁に起こりますよ。ルイーゼ、ハイドにいろいろと教えてあげなさい。貴女が適任でしょう」

「かしこまりました」


 ルイーゼが優雅に一礼した。確かにリリアーナの専属メイドのルイーゼなら知識は豊富にあるだろう。


「ミモザ様、俺は…」

「貴方がずっとリリィとレティとそこの馬鹿夫の友達で居たいのなら、学んでおきなさい。損はありません」

「……そうですね。宜しくお願い致します、ルイーゼさん」


 ハイドランジアがルイーゼに頭を下げてお願いした。だから、ミモザが愉快そうに浮かべた笑みを見ることはなかった。

 頭を上げたハイドランジアは隣でガタガタと震えるウィステリアの姿が目に入った。


「どうして震えているんですか?」

「い、いや別に何でもないぞ少年! しめしめと微笑んだ妻が怖かったなんて思っていないぞ!」

「ウィス?」

「ひぃっ!?」


 国王は王妃の尻に敷かれているらしい。睨まれたウィステリアは小さくなって存在感を消している。余程睨まれたのが怖かったらしい。


「お腹が減りましたね。そろそろ城へと戻りましょうか。勝手に城を抜け出して、多大なる迷惑をかけたどこかの馬鹿な国王をお仕置きしなければなりませんし」

「お仕置きだけは勘弁してください!」


 綺麗に土下座するどこかの馬鹿な国王を無視して、ミモザがベッドの上で寝そうになっている女性二人に声をかける。


「リリィ、レティ。そこで寝るのは構いませんが、せめて湯あみをして身体をきれいにしなさいな」

「「ふぁ~い」」

「俺が構うのですけど! そこ、俺のベッドですよ!」


 ミモザがキョトンと不思議そうに首をかしげている。


「あらっ? 汗をかいた二人のほうがいいと? まあ、湯あみをしても結局汗だくになりそうですが」

「ミモザ様は一体何の話をしているんですか!?」

「殿方のベッドの上で寝ているのですよ? これは女性のオーケーサインです」

「知りませんよそんなこと!」

「それに、このことが知れ渡ったら二人を他の家に嫁に出せません。貴族と王族はそういう面倒くさい柵に囚われているのです。責任を取ってくださいな。リリィ、レティ。今すぐ湯あみをすればハイドがお泊りしてもいいそうです」


 ハイドランジアが噂を広める気満々のミモザを止める前に、ベッドの上の少女たちがムクリと起き上がった。

 眠そうにしていた目が見開いて、眠気が吹き飛んでいる。


「本当!? すぐに入るわ!」

「ハイド様とお泊り!? 恋バナ!? 枕投げ!? こうしてはいられません!」


 バッとベッドから降りた二人をルイーゼがハイドランジアの部屋のお風呂へと案内する。


「姫様、スカーレット様、こちらへ。湯あみの準備は既にできています」

「ルイーゼ感謝します!」

「流石ルイーゼね! ウチの駄メイドとは違うわね!」

「ちょっと、お嬢様! 私だって準備を手伝ったんですからね! 私に感謝しないと洋服やタオルを片付けますよ! 裸で出てきてくださいね!」

「あーはいはい。ありがとありがとー」

「むぅ! 棒読み口調ですけどいいでしょう。このもやもやした気持ちはご主人様に癒してもらいますので! さあ、ご主人様! ご主人様にお仕えするこの可愛いメイドにご褒美をください!」


 ハンナがハイドランジアの腕に抱きついて、上目遣いでご褒美をおねだりしてくる。あまりにあざとい可愛さにハイドランジアは逆らうことができない。

 ハンナの頭を優しく撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細めた。そして、甘えるように顔を擦り付けてくる。

 ハイドランジアは部屋の中を見渡す。

 優雅にお茶をする王妃と土下座する国王。自分の部屋のお風呂を勝手に使う王女と公爵令嬢。そしてお世話をするメイド。

 自分の部屋のように勝手気ままにくつろいでいる王族と貴族とその従者を見て、ハイドランジアは思わず天を見上げた。


「神様。俺に平穏をください」


 ハイドランジアの言葉は空しく静かに消えていった。

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