第12話 迷惑な思い付き
昼休み。食堂でハイドランジアは昼食を取っていた。もちろん、リリアーナとスカーレットが一緒である。昨日と同じように周りには他の生徒はいない。三人から遠ざかっている。
三人は気にせず食事をする。美味しそうに唐揚げを頬張るリリアーナが何かを思い出した。
「ハイド様。そう言えば、ナルシサス・イーゴティズムの処分をお伝えしていませんでした」
「…そんな奴もいたわね」
「ええ。興味ないのですっかり忘れていました」
「それでいいんですか、王女殿下と公爵家のご令嬢!?」
ハイドランジアは呆れ果てるが、リリアーナとスカーレットはなぜか得意げに胸を張っている。
「いいの!」
「いいのです!」
ハイドランジアは頭を抱えた。
「それでですね、ナルシサス・イーゴティズムは伯爵家を継ぐことは出来なくなりました。三カ月の自宅謹慎と伯爵家に罰金です。貴族位を剥奪という意見もあったのですが、現在のイーゴティズム伯爵家当主は大変真面目な人物なので、考慮されました」
「はぁ…親はいい人だけど子供が駄目っていう所が多いのよね。そこの絶壁とか」
「はあ? 贅肉女こそダメじゃないですか!」
「あんたよりマシよ!」
「どこがですかっ!?」
「二人とも同じです! ナイフとフォークで喧嘩しないでくださいよ!」
一瞬でリリアーナとスカーレットの背後に回ったハイドランジアは、二人の頭にチョップを落とす。ゴンっと鈍い音が食堂に響き渡った。
生徒たちが顔を真っ青にする。剣姫と呼ばれる王女と公爵令嬢を叩いたのだ。彼らはハイドランジアの悲惨な未来を想像して目を背ける。
しかし、生徒たちが想像する未来は来なかった。
王女と公爵令嬢は痛む頭を押さえてクスクスと笑い始める。チョップをされて嬉しそうだ。
「あぁ…公爵家の私を平然と叩くなんて…」
「王族のわたくしも叩かれました……」
「流石親友!」
「とても素敵です!」
「二人はMなんですか? マゾなんですか?」
「M? マゾ? ハイド様、それはどういう意味でしょうか?」
キョトンとしているリリアーナとスカーレット。Mやマゾという意味を本気で知らないようだ。ハイドランジアは言わなければよかったと後悔した。
「Mやマゾというのは、マゾヒストの略で、肉体的精神的苦痛を与えられたり、羞恥心や屈辱感によって性的興奮したり快感を得る体質の人たちのことですよ」
「ハンナさん!?」
いつの間にかハイドランジアの背後に出現したハンナが楽しそうに説明する。言い終わったら姿が掻き消えた。キョロキョロ探すハイドランジア。
しかし、どこにいるのかわからない。
リリアーナとスカーレットは驚く様子もなく、このことが当たり前のように平然としていた。
「なるほど。そういう意味なのですね」
「知らなかったわ」
お姫様とお嬢様は初めて知ったようだ。そういう人もいるんだなと世界の広さに感心している。
「ちなみに、逆に肉体的精神的苦痛を与えることで性的興奮したり快感を得る体質の人たちのことをサディスト、通称S、サドと呼んだりしますね」
「ハンナさん!?」
再び現れて楽しそうに付け加えたハンナは、言い終わると即座に姿を消した。ハイドランジアは今度ハンナにお仕置きしようと心に決める。
「わたくしは初めて知りました。ということは、お父様がMでお母様がSですね!」
「あっ! 私の家もそうかも!」
「……二人とも、ご両親には絶対に言ってはいけませんからね。絶対ですよ」
もしミモザに知られたら絶対悲惨な嫌がらせを受ける、そう確信したハイドランジアは二人に口を酸っぱくして言う。
二人の少女は、はーい、と素直に頷いた。それが逆に不安になる。
本当にわかっているのだろうか。
何かあったら全てハンナのせいにしよう、とハイドランジアはそう決めた。
「それに当てはめると、わたくしはMということになるのでしょうか? 別に痛みや辱めで気持ちよくなったりはしませんが」
「私も。やっぱりMとは違うのかしら? でも、ハイドから怒られるのが嬉しいわね」
「ええ。そうですね」
「二人はMじゃないですよ。二人は昔から友達に怒られることを想像していませんでしたか?」
「ええ! していました!」
「私も! ああ! 私たちって、友達に怒られるっていう夢が叶っているから嬉しいんだ! やったわねリリィ!」
「ええ! レティ! やりました!」
リリアーナとスカーレットは手を取り合って、嬉しそうに飛び上がって喜んでいる。とても微笑ましい光景だ。仲の良い親友にしか見えない。
そして何故か二人は険悪なムードになり、喧嘩をし始める。どっちがハイドランジアと仲が良いか対立したらしい。ハイドランジアはとことん呆れ果てた。
穏やかな食事。時々、リリアーナとスカーレットが喧嘩を始める楽しげな時間が過ぎていく。
しかし、その時間は一人の少年に壊された。
「いた! 貴様! ハイドランジア!」
ヒアシンサス・オリエンタリスだ。あちこち包帯やガーゼを巻いたまま、鼻息荒く三人の近くに歩み寄る。怒りのこもった瞳でハイドランジアを睨みつける。
「貴様! なぜリリィやレティと一緒に居る!」
「だ~か~ら~! その名で呼ぶなって言ってんでしょうが!」
ズドンズドンと二度、鈍い音が食堂に響き渡る。燃えるような熱い怒気と凍えるような冷たい怒気を纏ったスカーレットとリリアーナが、床で倒れ伏すヒアシンサスを睨みつけている。
食堂の床は陥没し、放射状に罅ができている。
再び骨折したヒアシンサスが血反吐を吐きながら起き上がり、痛みで引きつったイケメンスマイルで微笑む。
「そ、そんなに恥ずかしがらなくていいじゃないか。ねっ? 僕の愛しいお花たち」
スカーレットのこめかみに青筋が浮かぶ。
「こ、殺す!」
「レティ落ち着きなさい。この愚か者はわたくしが殺します」
「なんであんたなのよ! 私が
「いいえ! わたくしが
「なんでそこで二人が喧嘩するんですか…」
掴みかかって睨み合っている二人を見て、ハイドランジアが呆れている。
その間に、ヒアシンサスを追いかけてきた医務室の先生が彼に処置を施す。ヒアシンサスは一命をとりとめた。まだ完全には治癒していないにもかかわらず、スクっと立ち上がってハイドランジアを睨みつける。
「なぜ貴様がリリィとレティ…」
「「あ゛?」」
「いえ、リリアーナとスカーレット」
「「あ゛ん?」」
「………リリアーナ殿下やスカーレット嬢と一緒に居るんだ!?」
リリアーナとスカーレットに睨まれて、顔を青くしながら言葉を訂正したヒアシンサスがハイドランジアに指を突き付ける。
「だって友達ですから」
「友達? はんっ! どうせ王族や貴族の地位やお金が目当てなんだろ? そうに違いない! リリィ、レティ……リリアーナ殿下とスカーレット嬢、こいつは二人の家や財産を狙っているんだ! 今すぐ縁を切ったほうがいい!」
「だから?」
「それがどうかしたのですか?」
リリアーナとスカーレットは不思議そうに首をかしげる。それの何が悪いのか、といった表情だ。ヒアシンサスは口をパクパクさせる。
「ハイドが望むのならいくらでもあげるけど」
「ええ。わたくしの親友ですので」
それが当たり前、というリリアーナとスカーレット。ハイドランジアは思わず頭を抱える。友達がいたことがない二人には、友達の言うことは絶対、という考えがあるのだろう。そうしなければ嫌われると思ってもいる。ハイドランジアは頭が痛い。
「リリアーナ? スカーレット? それは友達とは言えませんからね?」
「えっ!?」
「違うのですか!? わたくしたちは友達ではなかったのですか!?」
「ルイーゼさ~ん! ハンナさ~ん! どうせどこかで聞いていますよね? お二人に説明してあげてくださ~い! ……………………なんでこんな時に出てこないんですか!?」
二人の専属メイドを呼び出したが一向に現れない。出てくる気配はない。後で説明してもらうとして、とりあえず今は泣きそうになっているリリアーナとスカーレットを落ち着かせる。
「リリアーナ、スカーレット。二人には友達の基準が明らかにおかしいです。二人の友達として、後できっちりとお説教して、その考えを改めさせますから覚悟してください」
「………ハイド様はわたくしたちのお友達なのですか?」
「そうですよ。俺はリリアーナとスカーレットのお友達です」
泣きそうだった二人の少女の顔がパァッと明るく輝く。
明らかに『友達』という概念がおかしい少女たちを、今すぐ何とかしなければ、将来いいように利用されてしまうだろう。ハイドランジアは猛烈な危機感を覚える。
「貴様! リリアーナ殿下とスカーレット嬢を利用しているとは! 許せん! 処刑してやる!」
思い込みが激しくて話を聞かない自己中心的な馬鹿の貴族令息が怒り狂ってハイドランジアに飛び掛かる。しかし、即座に医務室の先生に包帯でグルグル巻きにされる。
「決闘だ! 今度こそ決闘だ! 殺してやる!」
「お断りします」
「何故だ!? 僕は公爵家の人間だぞ! 僕に歯向かうつもりか!?」
「学園では身分は関係ありませんよ。それに決闘は両者の合意を得ないと行えません。あなた、一応二年生ですよね?」
「う、うるさい! 二人を賭けて僕と勝負しろ!」
思い込みが激しくて話を聞かない自己中心的な馬鹿が駄々をこねて地団駄を踏む。イケメンの顔が台無しである。
「その決闘! 俺が認める!」
第三者の声が食堂に響き渡った。食堂にいた全員が声を主に注目する。声の主は金髪で青い瞳の筋肉質の男性だ。食堂にいた全員がその男性に向かって跪く。
「俺の娘リリアーナとローズ公爵家のスカーレットを賭けた決闘を国王である俺が認めよう!」
何故か学園の食堂にいる国王ウィステリア・ロータスが高らかに宣言した。ウィステリアは悪戯っぽく笑う。
「皆の者! 顔を上げ自由にしていいぞ。俺はお忍びで来ているからな。俺のことは気にするな」
その言葉を聞いたリリアーナとスカーレットが真っ先に立ちあがり、ウィステリアに詰め寄って抗議する。
「お父様! なぜそのような決闘を勝手に決めるのですか!」
「そうですおじ様! 私を勝手に巻き込まないでください!」
「だって面白そうだったから…」
「……お母様に連絡します」
「リリィちゃん! それだけは止めて! 折角抜け出したのに! 面白いことが見られるのに!」
リリアーナに縋りついて懇願しているウィステリア。もはや国王の威厳や尊厳は皆無である。食堂にいる全員がポカーンと口を開けている。
「国王陛下がこんなところで何をしているんですか?」
「しょ、少年! 助けてくれ!」
「残念ながら俺も彼女たちの味方です」
「そんな!?」
ハイドランジアにも見捨てられたウィステリアは絶望して顔が真っ青になる。
そこに、跪いたままのヒアシンサスが問いかけた。
「国王陛下! 先ほどのお言葉は本当でしょうか?」
「んっ? 決闘か? 俺の権限で執り行うぞ」
「ありがとうございます陛下。私が勝ったら、リリアーナ殿下とスカーレット嬢を妻として迎え入れていいのですね?」
「いいだろう。勝ったらな。少年が勝った場合はどうしようか?」
「その必要はありません。勝つのは私ですから」
「それなら決闘はなしだ。勝った権利は公平にしなくては決闘の意味がない。そうだな…少年、二人と結婚するか?」
ウィステリアが問いかけてくるが、ハイドランジアは即答する。
「お断りします」
「そうだよなぁ。これで結婚しても俺が面白くないんだよなぁ。もっとじれじれとした甘い過程を俺は見たいんだよなぁ」
知りませんよそんなこと、というハイドランジアの怒りの抗議はウィステリアには届かない。
悩んでいる国王に手助けする者がいた。
「それでは、ヒアシンサス・オリエンタリスを公爵家から追放し、平民にするというのはいかがでしょうか?」
「いいなそれ! それにけって…い……する………ぞ……」
「では、決定ですね。時間は今日の授業終了時間から一時間半後、場所は学園の闘技場で決闘を行います。二人とも遅れないように」
「「はい!」」
白いドレスを着た女性に誰も逆らうことは出来ない。国王ですら冷や汗を流して震えている。
「………ミモザ?」
「はい。なんでしょう、あなた?」
王妃のミモザがニッコリと微笑む。ウィステリアは顔色が青を通り越して白くなる。
「な、なぜここに?」
「ルイーゼから連絡があったので飛んできました。また迷惑をかけているようですね」
「いや、それは、その」
「部屋を借りたので少しお話ししましょうか。皆様ごきげんよう」
「だ、誰か! 誰か助けてくれ! リリィ! しょ、少年! 助けてくれ~!」
王妃の細い腕によって引きずられていった体格のいい国王はすぐに姿が見えなくなった。途中で物理的に黙らせられたような悲鳴が聞こえたが、気のせいである。気のせいと言ったら気のせいなのである。
静寂が食堂を包む。
「悪は滅びた」
ハイドランジアがすっきりとした顔でボソッと呟いた。その呟きをきっかけに、食堂に音が戻る。生徒たちが口々に騒ぎ始めた。
ヒアシンサスがビシッとハイドランジアを指さす。
「貴様! 必ず来い! 貴様を倒し、リリィとレティ」
「「あ゛あ゛んっ?」」
「リリアーナ殿下とスカーレット嬢は僕がもらい受ける!」
「あーはい。でも、俺が勝ったらあなたは貴族位を剥奪されて平民になりますよ」
「ふんっ! 僕が負けるはずない! リリアーナ殿下、スカーレット嬢! すぐにお迎えに上がります。ご安心を!」
ヒアシンサスは二人にウィンクすると、機嫌良さそうに食堂から出て行った。その後を慌てて医務室の先生が追いかける。彼は怪我がまだ完治していないのだ。
「…………ハイド」
スカーレットが顔を暗くして話しかけてくる。
「スカーレット? 安心してください。ちゃんと勝ちますから」
「安心できないわよ! 放課後に決闘があるということは、ハイドと戦えないじゃない! どうするのよ!」
「えー…そっちですか。休むのも大切ですよ」
「ふむ。一理あるわね」
「では、わたくしはハイド様のウォーミングアップのお手伝いをさせていただきます」
「ずるい! 私がやる!」
「わたくしが先です! 早い者勝ちなのです!」
ハイドランジアの勝利を確信している二人。ウォーミングアップを巡って争っている。ハイドランジアは微笑み、二人の喧嘩を仲裁する。
「二人纏めてかかってきてください」
「くっ! 舐められてるわね、私たち」
「ええ。イラッとします」
「やる? リリィ?」
「やりましょう! レティ」
二人は仲良く闘志を燃やしている。二人は全く認めないが、本当に仲のいい二人を見てハイドランジアはクスっと笑う。
放課後に行われる決闘。リリアーナとスカーレットのために、彼は負ける気は微塵もなかった。
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