第11話 つるつるともじゃもじゃ

 

 ハイドランジアはふかふかのベッドで寝返りを打つ。温かくて甘いいい香りがする。夢が途切れて寝ぼけたまま抱き枕をギュッと抱きしめた。柔らかくて、温かくて、すべすべして、モチモチして、ふわふわして、甘い香りがして、ずっとこのまま抱きしめていたくなる。手の平が至福の柔らかさに包まれる。


「ひゃうっ!」


 抱き枕が可愛い悲鳴を上げた。ハイドランジアは、寝ぼけて働かない頭のまま、薄っすらと目を開けた。昇ったばかりの朝日が眩しい。

 可愛らしい抱き枕と目が合った。


「おはようございます、ご主人様。…朝から積極的ですね」

「ふぇ?」


 抱き枕だと思っていたのはハンナだった。彼の腕の中で頬を赤く染めながら嬉しそうに上目遣いで見つめてくる。悪戯っぽく微笑んだ。


「ご主人様のえっち」

「ふぇっ!?」


 混乱するハイドランジア。思わず手を握りしめる。もみゅもみゅと柔らかくて弾力があるものを揉みしだいてしまう。幸せを感じる揉み心地だ。


「ひゃぅっ!」


 ハンナが身体をビクッとさせた。ハンナがキュッと目を瞑る。そして、ゆっくりと瞼を開け、恨めしげにハイドランジアを睨む。しかし、彼女の顔は恥ずかしそうで、嬉しそうで、気持ちよさそうだった。


「ご主人様はお尻が好きなのですか?」


 ようやくハイドランジアは手のひらに感じる柔らかさの正体に気づいた。ハンナのお尻だ。

 パッと慌てて手を離した。それと同時にシーツが捲れ上がる、ハンナは薄いピンク色の薄着のネグリジェを着ていた。

 ハイドランジアは混乱と眠気で頭が働かない。


「なぁっ! な、なななななななななんでハンナさんが一緒に寝てるの!?」

「昨日の夜、ご主人様にベッドの中に連れ込まれまして……」


 ハンナは恥ずかしげに説明する。瞳を潤ませて上目遣いをしてくるのは破壊力抜群だ。ハイドランジアは全くそんな記憶はない。本当に自分が連れ込んだのだろうか。混乱して変な声が出る。


「ふぁっ?」

「はぁ…昨日のご主人様は激しくて素敵でしたぁ…」


 昨日のことを思い出すように遠くを見て、陶酔した表情を浮かべるハンナ。そんな記憶は全くない。ハイドランジアはますます混乱する。


「へっ?」


 盛大に混乱して狼狽えるハイドランジアを見て、ハンナはクスっと悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「冗談です」

「はいっ?」


 冗談、という言葉が理解できない。ポカーンとハンナを見つめる。彼女はクスクスと笑う。


「冗談です。私が勝手にもぐりこみました。久しぶりに安眠できましたよ。良い香りがして温かくて気持ちよかったです。ご主人様のおかげですね」

「はい?」

「ふふふ。混乱しているご主人様は可愛いですね。あらっ?」


 ハンナがハイドランジアのとある一点をじっと凝視する。彼もつられてそこを見た。

 スース―すると思ったら何故か裸でいる自分。シーツが捲れ上がって体がハンナに丸見えだ。そして、朝の生理現象で大きくなっているとある場所。

 状況を理解して急速に意識が覚醒し始める。ハンナが艶やかに微笑む。


「ご主人様は逞しくて素敵ですね」

「うわぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!」


 ハンナの言葉をきっかけに、ハイドランジアは悲鳴を上げて、シーツで裸の身体を覆ってベッドから転がり落ちた。


 ▼▼▼


「あぁ…ひどい目に遭った」


 ハイドランジアがぼやきながら学園の校門の前に停まった馬車から降りる。王家の紋章が入った高級馬車だ。乗り心地は最高。揺れもせず、座席も柔らかくて寝そうだった。

 昨日は王妃のモミザの命令で王城に宿泊することになったのだ。そして、用意された寝室に『友達とのお泊り』と言って、モミザに唆されたであろうリリアーナとスカーレットが押し掛けてきたのを、夜中までかかって追い返し、朝早くにはハンナがベッドに潜り込んでいて飛び起きた。彼は寝不足である。

 その上、王族と朝食を一緒に食べて、また精神が疲れた。癖の強い王族たちをどうにかしてほしい。そして、彼らにこの国を任せて大丈夫なのかと不安になる。

 朝なのに疲れ果てているハイドランジアの足取りはとてもとても重い。

 ハイドランジアの後に馬車から降りたリリアーナとスカーレットはムスッとして機嫌が悪い。


「ハンナは一緒に寝たのに、どうして私はダメなの!?」

「そうです! わたくしとも一緒の部屋でお泊りをしてください! 夜の恋バナに枕投げ! 怪談話もしたいです!」

「私が先よ! この胸無し!」

「わたくしが先です! この脂肪の塊!」


 二人は校門の前で睨み合う。寝不足のハイドランジアは二人を止める元気がない。お互いの頬をみにょ~んと引っ張り合っている王女と公爵令嬢を無視して歩いていく


「お止めしなくていいのですか?」

「いいんですよルイーゼさん。放っておけばいいですよ。すぐに来ると思います」


 ハイドランジアの後ろをルイーゼとハンナが付いていく。


「殿下もお嬢様も朝から元気ですね。ご主人様はお疲れですけど」

「疲れの原因の一つはハンナさんですからね」

「ご主人様は素敵でしたぁ」

「………」

「ちっ! 無反応ですか! 面白くありません!」


 ハンナが舌打ちをして残念がる。この数日でハンナの性格がわかるようになった。スカーレットが彼女のことを駄メイドと呼ぶように、ハンナは主人を揶揄って遊ぶようだ。ハイドランジアはジト目を向けるが、ハンナは輝く笑顔で受け流す。

 校舎が近づいてきて、生徒たちが大勢歩いている。メイドを従えて歩くハイドランジアや、その背後で喧嘩する王女と公爵令嬢に気づいて、慌てて視線を逸らし、逃げるように立ち去る者もいるが、何故か大勢がハイドランジアのほうをチラチラと視線を向けてくる。生徒たちは校舎の前のとある人物を気にしている。


「見つけたぞ!」


 どこかで聞いたことあるような大声が学園中に響き渡る。制服を着た金髪の男子生徒がハイドランジアを憤怒の形相で睨みつけながら、どしどしと足音を響かせて近寄ってくる。ヒアシンサス・オリエンタリス、オリエンタリス公爵家次男だ。

 ハイドランジアは面倒くさいことに巻き込まれそうな気がした。思わずため息が出る。

 別人に用事がありますように、と祈ったが、ヒアシンサスは迷うことなくハイドランジアに近づき、目の前で立ち止まる。


「貴様! なぜ昨日決闘の来なかった!?」

「俺、決闘をするって言ってませんし拒否しましたよ。モスト先生にも確認取りました。そうしたら、決闘は無効だから行かなくていいと」

「なにっ!? 貴様は馬鹿なのか! 僕が決闘をするといったら決闘をするのだ! まあ、いい。貴様は勝負に来なかった。よって僕の不戦勝だ! 約束は守ってもらおう! リリィとレティに謝り、二度と二人に近づく、ぶべらっ!」


 怒り狂って怒鳴りつけていたヒアシンサスが一瞬でハイドランジアの目の前から消え去った。轟音が鳴り響き、校舎の壁に大きな穴が開いた。濛々と砂ぼこりが舞い散り、ガラガラと瓦礫が崩れ落ちる。そして、ハイドランジアの目の前には真紅と白銀の少女、拳を振りぬいたリリアーナとスカーレットがいた。二人が本気でヒアシンサスの両頬を殴り飛ばしたのだ。

 生徒たちから悲鳴が上がる。

 リリアーナとスカーレットがすっきりとした表情でハイドランジアを振り返った。


「ハイド! 私を置いていくなんて酷いじゃない!」


 ヒアシンサスを殴り飛ばしたことなどきれいさっぱりスルーして、スカーレットがハイドランジアに詰め寄って抗議する。


「……今のはスルーですか」


 ボソッと呟いたハイドランジアの言葉に、リリアーナは可愛らしく首をかしげてとぼける。


「何のことですか? それよりも! この駄肉はともかく、私を置いていかないでください!」

「駄肉!? 誰が駄肉よ! このつるつる!」

「つ、つるつる!? ど、どこのことを言っているんですかっ!? この変態! このもじゃもじゃ!」

「もじゃっ…!? 誰がもじゃもじゃよっ! この変態!」


 リリアーナが顔を爆発的に真っ赤にしながらスカーレットに殴りかかる。すかさず避けたスカーレットがカウンターを放つが、彼女の顔も真っ赤に染まっている。それを紙一重で避けたリリアーナが膝蹴りを繰り出すが、リリアーナは両腕で受け止める。

 目の前で繰り広げられる戦闘をボーっと眺めながら、ハイドランジアは背後にいるルイーゼとハンナに話しかけた。


「………リリアーナはつるつるなのですか?」

「ええ、つるつるです。どこが、とは申し上げませんが」

「へぇ…。そしてスカーレットはもじゃもじゃなのですか?」

「えーっと、つるつるの殿下と比べたらもじゃじゃになりますね。どこが、とは申し上げませんが。ちなみに私ももじゃもじゃです」

「へぇ…」

「ご主人様はつるつるが好みですか?」

「いや、つるつるもいい、というだけであって俺は別に気にしない……って何を言わせるんですか!?」


 ルイーゼとハンナがクスクスと笑っている。ぶっちゃけてしまったハイドランジアは身体がカァっと熱くなるのを感じた。彼も年頃の少年だ。恥ずかしくて二人のメイドの顔を見ることができない。メイド二人は更にクスクスと笑っている。

 恥ずかしがるハイドランジアは、ちょうど目の前で拳と拳をぶつけあったリリアーナとスカーレットの首根っこを掴んでプラ~ンと持ち上げる。


「ほ、ほら二人とも! 早く教室に行きますよ!」

「「は~い!」」


 ハイドランジアはリリアーナとスカーレットをプラーンとぶら下げたまま教室へ向かう。リリアーナとスカーレットはどこか嬉しそう。メイドの二人はまたクスクスと笑い、ハイドランジアたち三人とは校舎の前で分かれた。彼女たち従者は教室までついていくことは出来ないのだ。

 生徒や教師たちが慌ただしく騒いでいる。

 校舎の壁を突き破って、出血多量、複雑骨折、その他諸々で重症になっているヒアシンサスのことは、五人の頭の中からきれいさっぱりと消え去っていた。

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