第10話 混沌とするボッチの王族

 

 お風呂友達となったおじさんをメイドや執事に預けた後、ハイドランジアは綺麗に洗濯された制服に袖を通していた。客間に案内され、メイドたちに監視されながら一人で過ごしている。とても落ち着かない。じーっと監視されている。

 コンコンっとドアがノックされ、ルイーゼが入ってきた。ハイドランジアに向かって優雅に一礼する。


「ハイドランジア様、お待たせしました。お食事のご用意ができましたので、ご案内致します」

「しょ、食事ですか?」

「はい。ご夕食です」

「…………それは強制ですか?」

「強制です」


 ニコッと笑うルイーゼ。有無を言わせない笑顔だ。平民のハイドランジアは、学園に入学して二日目でなのに何故王城で食事することになっているのだろう、と遠い目をする。

 ルイーゼに案内されたのは、やはり王族のプライベートエリア。緻密な幾何学模様が描かれた扉がゆっくりと開かれた。

 扉の向こうには華やかなテーブルに数人の男女が席に着いていた。魔法の明かりが豪華に食堂を照らしている。

 制服を着たリリアーナとスカーレットが微笑み、お風呂で出会ったおじさんが白い歯を輝かせながら片手を上げ、他にも三人の男女が微笑んでいる。青年が一人、女性が二人だ。


「ハイド来たわね!」

「ハイド様、こちらへどうぞ!」


 スカーレットとリリアーナが席を立って案内してくれる。その様子に他の男女が驚きの表情をしている。二人に友達ができたのは本当だったのか、という顔だ。

 ハイドランジアの席はテーブルの中央、お風呂で出会った男性の対面の席だった。両隣にリリアーナとスカーレット。後ろにルイーゼとハンナが侍っている。

 リリアーナが席に座る男女を紹介し始める。


「ハイド様、ご紹介しますね。ハイド様の目の前に座っているのがわたくしのお父様、ウィステリア・ロータスです。この国の国王陛下です」


 ハイドランジアがお風呂で出会った男性がニカっと笑う。のぼせて脱水症状になっていたウィステリアは復活したようだ。少年のように悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「そして、左隣の女性がお母様のミモザ・ロータス、王妃殿下ですね」


 男性隣に座る美人の女性。長い銀髪に水色の瞳。おっとりとした美人の女性だ。リリアーナと姉妹みたいにそっくりだが、胸は大きい。優雅に微笑んでいる。


「左隣の男性がペルシカムお兄様。この国の第一王子です」


 金髪に水色の瞳の青年。ウィステリアとミモザを半分ずつ受け継いだ美しい顔立ちの青年だ。美しい顔が驚愕したまま固まっている。まだ、リリアーナとスカーレットに友達ができたという出来事から立ち直っていない。


「お兄様のお隣がペチュニアお姉様。この国の第二王女です」


 輝く長い金髪に青色の瞳。この少し気の強そうな美人の女性も驚きで固まっている。


「後は第二王子アドニスお兄様と第一王女ベロニカお姉様がいらっしゃいますが、アドニスお兄様は他国へ留学中、ベロニカお姉さまはご結婚なさっていて、降嫁されています。お父様、お母様、お兄様、お姉様。彼はハイドランジア様、わたくしの親友です」


 嬉しそうに微笑むリリアーナ。スカーレットが、あんたのじゃなくて私の親友よ、と抗議の声を上げるが彼女は無視する。ペルシカムとペチュニアが驚きで口をパクパクさせている。メイドの中には嬉しさのあまり泣き出してしまう者もいる。リリアーナに友達ができたという出来事はそれほどのことなのだ。

 ハイドランジアの対面に座る国王ウィステリアが機嫌よさそうに話しかける。


「アッハッハッハ! やあ少年! また会ったな!」

「さっきぶりです」


 軽く会釈をするハイドランジア。


「体調は大丈夫ですか?」

「アッハッハッハ! この通りピンピンしているぞ! さっきは助かった! 心配をかけたな少年!」


 事情を全く知らないリリアーナやスカーレットたちが、ウィステリアとハイドランジアの顔を交互に見ている。リリアーナが怪訝そうに男性に問いかけた。


「お父様? ハイド様とお知り合いだったのですか?」

「ああ! さっき友達になったぞ! 少年と裸の付き合いをしてな。お風呂友達だ!」


 食堂にいるすべての人物が驚きの声を上げた。目を限界まで見開いて、驚きで言葉を失っている。テーブルの席に座っているミモザとペチュニアの二人は顔を赤くし、ウィステリアとハイドランジアを意味ありげに見ている。ハイドランジアは何故かゾクッとした。腐った気配を感じる。ペルシカムはウォークとナイフを握りしめ、歯を食いしばってとても悔しそうだ。メイドや執事も驚きで固まっている。

 ウィステリアの嬉しそうな笑い声が食堂に響く。

 王妃のミモザが一番に復活した。おっとりとした雰囲気で、クスクスと上品に笑っている。


「あなたにお友達ねぇ。それも裸のお付き合い。とても素晴らしいわ!」

「だろう? アッハッハッハ!」

「ちょっと待ってください! ハイド様はお父様とお友達になったのですか!?」

「私、聞いてなんだけど!」


 隣に座るリリアーナとスカーレットも復活して、ハイドランジアに迫る。


「それにお風呂友達なんて羨ましいです! ぜひわたくしともお願いします!」

「この絶壁よりも私とお風呂に入りなさい!」

「ちょっと待ってください、リリアーナ、スカーレット! ………………いえ、リリアーナ殿下とスカーレット様」

「少年! ここは私的な場所だから敬称や礼儀なんて気にしなくていいぞ!」

「あっ、そうですか。ありがとうございます。リリアーナ? スカーレット? よく考えてください。俺は男で、二人は女性です。友達でもお風呂に入ることはありません! 一緒に入るのは恋人や夫婦です! 裸の付き合いやお風呂友達というのは言語道断です!」

「………………よく考えればそうですね」

「………………そうね。でもちょっとおじ様が羨ましい」


 ハイドランジアに説得されて、冷静になる二人。少し残念そうだ。羨ましいと言われたウィステリアが、そうだろそうだろ、と自慢している。これで収まったかと安心したところで、ミモザがおっとりと爆弾に火を灯す。


「あら、水着を着れば一緒にお風呂に入れるではありませんか」

「っ!? お母様ナイスアイデアです!」

「それなら一緒に入れるわね!」


 リリアーナとスカーレットの顔が嬉しそうに輝く。ハイドランジアは慌てて二人を止める。


「ちょっと待ってください! お二人は王女と公爵令嬢ですよね!? 未婚の女性が肌を露出させたらダメでしょう!?」

「では、肌を露出させない水着を着ればいいではありませんか」

「それは……」


 ハイドランジアは言い淀む。反論が思いつかない。様々な交渉を歴戦してきた王族に口で勝つことは出来ない。だから、言い負けるのは当然だ。しかし、彼はわずかな抵抗をする。


「王妃殿下。なぜあなた様は彼女たちに勧めるのですか?」

「ふふふ。わたくしのことを名前で呼ぶことを許可します。そうですね。理由はいくつかありますね。一つ目はハイドランジア、あなたのことが気に入ったからです。二つ目は、ルイーゼから聞いたのですが、責任・死・白・黒、と言えばわかりますか? あぁ、ピンクもありましたね、ねえハンナ?」


 ハイドランジアの顔が真っ青になる。勢いよく振り返って、背後に侍るルイーゼとハンナを見た。


「ルイーゼさん!? ハンナさん!?」

「申し訳ございません、ハイドランジア様。お諦めを」

「責任取ってくださいね」


 ルイーゼが謝罪を込めて優雅に頭を下げる。ハンナは可愛らしくウィンクした。


「……ミモザ様。俺は平民ですよ」

「気にしません」

「俺が死を選んだら?」

「許しません。何としてもあなたを手に入れます。それにあなたは死ねません」


 ミモザはハイドランジアが死ねないことを確信して断言する。


「………なぜそう思うのです?」

「わたくしはフリージーとお茶友達、と述べておきます」


 ハイドランジアが大きく目を見開き、沈黙する。黙ったまま俯いた。

 ほとんどの人がハイドランジアとモミザの会話を理解できないでいる。困惑した視線が二人を行き来する。


「お母様? 一体何の話をしていらっしゃるのですか?」

「うふふ。素敵な未来の話です」


 リリアーナの問いかけに、ミモザが機嫌良さそうにコロコロと笑う。

 俯いていたハイドランジアが小さく声を絞り出した。


「………………ミモザ様、俺は普通の平民です。抵抗しますよ」

「ええ。抵抗できるならやってみなさい。ことごとく叩き潰してあげましょう!」


 ハイドランジアの灰色の目が暗く光る。ニヤリと口を歪ませる。


「あれ? 叩き潰す? 『大剣でぶった斬る』の間違いじゃないですか、ミモザ様?」


 食堂の時が止まった。静寂が訪れる。

 誰もが顔を真っ青、いや、青を通り越して真っ白にし、ガクガクブルブルと震え始める。リリアーナやスカーレットでさえ恐怖で震えている。メイドや執事たちは立っていられない。床に座り込んで泣き始める。

 食堂に濃密な死の気配が漂う。


「フフ……ウフフフフ……」


 美しい笑顔のミモザの口から笑い声が聞こえてきた。彼女の身体が青白く光り、背後に二メートルを超える獣の姿が現れた。陽炎を纏った美しい九尾の狐だ。九本の大きな尻尾が揺らいでいる。九尾の狐が咆哮すると、食堂が青い炎に包まれる。

 ヒッと誰かが小さく悲鳴を上げた。

 食堂は青白い炎に包まれているにもかかわらず、急激に温度が下がっていく。パキパキと凍っていく部屋の中。吐く息が白くなり、あらゆるものに霜が降り、凍っていく。誰もが寒さで歯をカチカチと震わせながら、真っ白に凍り付いていく。

 急激に空気が冷やされ、霧が出てきた。

 霧で霞むミモザから美しい声が聞こえてきた。


「ハイドランジア……いい度胸ですね?」


 濃密な圧力プレッシャーと殺意がハイドランジアを襲う。しかし、彼は冷気や圧力プレッシャー、殺意といったものを軽々と受け流す。彼は涼しい表情で平然と言葉を返した。


「国王陛下が先ほど『ここは私的な場所だから敬称や礼儀なんて気にしなくていいぞ』とおっしゃったので。それにお風呂で愚痴を漏らしていたのはミモザ様の旦那様ですよ」

「しょ、少年!?」


 ウィステリアが狼狽えたように慌てて声を上げ、唇に人差し指を当て、シーッシーッと合図している。


「………あなた?」

「ひぃっ!」


 ミモザに睨まれたウィステリアが小さく悲鳴を上げる。濃密な死の気配が彼を襲い、髪や睫毛を真っ白く凍らせながら、ガクガクブルブルと震えている。今にも気絶しそうだ。

 ミモザが自らの精霊に視線で命じる。無言の命令を受けた九尾の狐が咆哮した。ウィステリアの首から下が青白い炎に包まれる。そして、キーンッと氷の澄んだ音が響いて、炎の形のまま凍り付いた。首から下が芸術的な氷像となる。


「ウィス、あとでお仕置きね」


 にっこりと微笑むミモザに、ウィステリアはガクガクと首が取れそうなほど激しく頷いている。


「『氷焔ひょうえんきみ』もういいわよ」


『氷焔の君』と呼ばれた九尾の狐がミモザが咆哮する。一瞬、食堂が青い炎で埋め尽くされ、次の瞬間には炎は消え、凍り付いていた全てのものが一つを除いて解け去った。室温が元に戻る。室温が戻ったというのに、誰もがまだ震えている。

 九尾の狐が青白く輝き、ミモザの体内へ戻っていった。

 ミモザがパンッと手を鳴らした。全員がビクッと身体を震わせる。


「さて、そろそろ食事にしましょうか」

「では、ご用意いたします」

「私もお手伝いますね」


 今の冷気や殺気を受けても平然としていたルイーゼとハンナがテキパキと動いて食事の用意を開始する。残りのメイドや執事は立つことさえできない。気絶している者もいる。

 無事だったのはミモザとハイドランジアとルイーゼとハンナの四人だけ。リリアーナとスカーレットでさえ息をするので精いっぱいだ。他の誰も動けない。ウィステリアは首から下が凍り付いているため、物理的に動けないが。

 沈黙の中、ルイーゼとハンナが食事を準備している。彼女たちにお礼を言いながら、ミモザはおっとりと微笑む。


「ハイドランジア、わたくしは貴方のことがますます気に入りました。今のうちから覚悟しなさい」

「………俺は普通に暮らしていきたいんですけど」

「無理なことくらい自分で理解しているでしょう? 諦めなさい。ですが、あと数年は見逃してあげましょう。有意義に過ごしなさい」


 食事の準備が整った。ミモザの号令で食事を開始する。ミモザとハイドランジア以外は恐怖がぬぐい切れず、顔色が青いまま機械的に料理を口に運ぶ。氷漬けになったウィステリアが、俺も食べたいんだけど、と小さく呟くが全員無視する。彼は目の前に美味しそうな料理が並んでいるのに食べられなくて、今にも泣きだしそうだ。

 美味しそうに食べていたハイドランジアがあることに気づく。


「あんまり平民と変わらない食事をされているんですね。遥かに洗練された味ですが、全て王国で食べられているありふれた料理ですね」

「ええ。他国からわざわざ取り寄せたり、超高級な食べ物を食べているわけではありません。まあ、そのようなことをする貴族もいるようですが。国民の皆様が心を込めて作られた食材を食すことがわたくしたち王族や貴族の義務です。わたくしたちは国民の皆様のおかげで生活しています。それを忘れてはいけません。ハイドランジア、いえ、ハイド、貴方も覚えておきなさい」

「はい」


 真剣に頷いたハイドランジアにモミザは満足そうだ。ミモザとハイドランジアの二人が喋るだけの食事。他の人は一切音を立てずに食事をしている。

 会話の合間を縫って、ウィステリアがハイドランジアに話しかけた。


「しょ、少年? 助けてくれないか? 俺も食事をしたいのだが。と、友達だろう?」


 バンッと誰かが思いっきりテーブルを叩いた。第一王子のペルシカムだ。悔しそうに血の涙を流しながらナイフとフォークを力強く握りしめている。


「父上に友達だと!? 私にもいないのに! 父上のくせにズルいぞ!」

「ふふんっ! いいだろう我が息子よ! 友達がいると最高だぞ! 少年と恋バナもしたしな!」

「父上くせに! 父上のくせにぃ~! 裏切者ぉ~!」


 得意げなウィステリアと羨ましがるペルシカム。一気に食堂が騒がしくなる。恋バナと聞いたリリアーナとスカーレットがハイドランジアに詰め寄る。


「ハイド! 恋バナしたって本当!?」

「ハイド様! わたくしとも恋バナをしましょう!」


 あまりにも突然のことでハイドランジアは反応できない。


「くっ! わたくしにも友達はいないのに! お父様もリリィもズルいですわ!」


 唇を噛み締めて悔しがるペチュニアもこの騒ぎに参戦する。ハイドランジアはミモザに助けを求めるが、彼女はおっとりと涼しげな表情で食事をしている。彼らを止めるつもりはないらしい。むしろ、楽しそうに眺めている。


「一体どういう事なんだ!?」

「あ~、そう思いますよね、ご主人様」

「ハンナさん!?」


 ハンナが呆れた表情でハイドランジアの近くに侍っている。何が起こっているのかわからないですよね、と深く頷いている。顔を近づけ、超至近距離で小さく囁いた。彼女の甘い香りが鼻腔を満たす。


「ミモザ様を除く王族の方にはお友達がいらっしゃらなかったのです。所謂ボッチですね。彼らに近寄ってくるのはお金や地位を求める欲にまみれた人間ばかり。一人の人間として見てくれる友達というのは大変貴重なのです。皆様、お友達にとても憧れていらっしゃいました」

「………王族がボッチ?」

「はい」


 輝く笑顔ではっきりと断言するハンナ。超至近距離だったため、キスしてしまいそうになり、ハイドランジアは慌てて顔を背けた。ハンナはクスクスと笑う。


「王族にとってお友達とは本の中の出来事であり、とても寂しい方々なのです。ですが、王族の中で最も友達ができないと言われていたリリアーナ殿下が真っ先にお友達を作られました。リリアーナ殿下は、まあ、お嬢様もですが、性格が少々あれでして……。というか、私から見たらリリアーナ殿下とスカーレットお嬢様はお友達ですよ! お二人は決して認めませんけど!」

「………ハンナさん話がずれています。まあ、俺もそう思いますけど…」

「えー、コホン。失礼しました。話を戻しますが、絶対にお友達ができないと言われていたリリアーナ殿下にお友達ができた。そして、国王陛下にもお友達ができた。ペルシカム殿下とペチュニア殿下は友達ができたお二人が羨ましいのです。あのように血の涙を流すほど」


 ハンナに促されてペルシカムとペチュニアを見ると、イケメンと美人が本当に血の涙を流していた。ちょっと怖い。


「あの~、それそろ俺も料理を食べたいんだけど…この氷をどうにかしてくれませんか?」

「そういえばあなた? ハイドとお風呂で裸の付き合いをしたんでしたよね? 詳しく教えてくださいな」


 ミモザがおっとりと微笑んでウィステリアの言葉を無視して問いかける。頬が薄っすらと赤く染まっている。ミモザの言葉を聞いたペチュニアも興味津々で耳を傾けている。目をぎらつかせ鼻息が荒い。

 友達ができたことを自慢したいウィステリアは得意げに話し始める。


「んっ? いいぞいいぞ! 少年とは一糸まとわず語り合ったぞ! 肩を組みながらな!」

「汗だくの二人が裸で肩を組む……うふふ…素敵ね!」

「そうだろそうだろ!」

「はぁ…はぁ…お父様が攻めたのですか?」

「んっ? そうだな、少年が話しのきっかけを作ってくれて、少年のことを教えてもらったな」

「彼から……体に教えてくれた…汗だくで…裸で…お父様が受け…」

「あら、どちらでもいけるんじゃない?」

「それもいいですねお母様!」

「う腐腐腐ふふふ……素敵ね、ペチュニア」

腐腐腐ふふふ………はい! お母様!」


 ミモザとペチュニアの二人から腐った視線で見つめられたハイドランジアは背筋が寒くなる。彼女たちの頭の中で、自分がとても危険な目に遭っている気がする。そんな予感がした彼はガクガクと震える。

 ハンナが耳元で囁いた。


「言い忘れていました。ミモザ様とペチュニア様は腐女子です。お気を付けを」

「手遅れの情報ありがとうございます。彼女たちの頭の中で俺は悲惨なことになっている気がします」

「快楽に溺れていると思いますよ?」

「………もしかしてハンナさんもあちらの世界に?」

「私ですか? 私は禁断の腐の世界は可もなく不可もなく、ですかね。私はノーマルですよ。お気に入りはハッピーエンドいちゃラブ小説です。甘いのが好みですね」

「ちょっと! なんで駄メイドと仲良くしてるのよ!? ま、まさか恋バナをしてるんじゃないでしょうね!?」


 コソコソ話が長かった二人にスカーレットが割り込んでくる。スカーレットが割り込んで来たら、当然リリアーナも参戦する。


「恋バナですかっ!? ぜひわたくしも!」

「私が先よ! この絶壁女!」

「誰が絶壁女ですか!? この贅肉の塊!」

「ご主人様の恋バナですかぁ。私も聞きたいですね。ご主人様の好みの女性はどんな方ですか? 具体的に教えてください!」

「ちょっとハンナさん!?」


 リリアーナとスカーレットが初めての恋バナの気配を感じ取り、目を輝かせながらハイドランジアを見つめてくる。ハンナは悪戯っぽい笑顔を浮かべている。わざと二人を煽ったのだ。

 ハイドランジアは誰かに助けを求める。


「う腐腐腐ふふふ……」

腐腐腐ふふふ……」

「父上のくせにぃ~! なぜだっ! なぜ私に友達ができないのだ!? 第一王子なのに! 私は第一王子なのにぃ~!」

「あの~、そろそろお腹が減って倒れそうなんだが? この氷を何とかしてくれないか? だ、誰かぁ~」


 混沌とする食堂。恋バナを迫る第三王女と公爵令嬢。それを煽るメイド。美しく微笑む腐った世界の王妃と第二王女。悔しさで血の涙を流し続ける第一王子。お腹が減って倒れそうな氷漬けにされた国王。

 メイドも執事も見て見ぬふりをしている。ルイーゼですら視線を合わせようとしない。ハイドランジアに味方はいなかった。

 彼は天を仰いだ。


「誰かこの状況を何とかしてくれ!」


 彼の心の叫びは誰にも届かず、空しく消えていった。

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